『マダム・イン・ニューヨーク』の主演女優シュリデヴィ(ヒンディー語表記に倣って音引きを付けると「シュリーデーヴィー」)が、昨日、2月24日に心臓発作のため亡くなりました(注)。1963年8月13日生まれなので、享年54。シュリデヴィはプロデュ-サーである夫のボニー・カプール(アニル・カプールの兄で、アルジュン・カプールの父)、下の娘クシーと共に、ボニー・カプールの妹の息子である俳優モーヒト・マルワーの結婚式に出席するためドバイに行っていたそうで、その旅先での急死でした。上の娘ジャーンヴィーは現在デビュー作を撮影中のためドバイには行かなかったそうなのですが、どんなにかショックを受けていることでしょう。来日時、母娘3人で仲良く買い物をしていたり、着物姿で記念写真を撮っていた姿が配給会社ビオスコープ社のツイッターに載っていたことを思い出します。その2014年5月末の来日時の写真を付けておきます。5月29日に行われた記者会見のレポートはこちらをどうぞ。写真もいっぱい入れてあります。
シュリデヴィの遺体は、財閥のアニル・アンバーニーが差し向けたプライベートジェット機でドバイから戻るそうで、明日は自宅でお別れが行われ、その後斎場へと向かうのではないかと思います。インドの有名人の場合、たいていYouTubeにお葬式の様子がニュースチャンネルによってアップされますので、それを見ながら彼女のご冥福を祈ることにしますが、来日時、「油もの、揚げ物とかは食べないのよ。あとはお水をいっぱい飲むわ」と語っていて、健康には十分注意していたと思われるシュリデヴィなのに、どうしてこんなことに、と思わずにはいられません。
約50年間、女優として歩んできて、最後の主演作は昨年公開されたサスペンス映画『Mom(ママ)』でした。出演した作品はざっと数えて280本。子役時代(1967~1977ぐらいまで)、ヒロインとしてカマルハーサンやラジニカーントと共演したタミル語映画時代(1977~1982あたりまで。1978年のカマルハーサン主演作&バーラディーラージャ監督作『Sigappu Rojakkal(赤いバラ)』がヒットし、一躍トップ女優となりました)、ボンベイ(現ムンバイ)映画界に進出し、「ワン・ウーマン・インダストリー」とまで言われたボリウッド時代(1983~1995ぐらいまで。1983年のジテーンダルとの共演作『Himmatwala(勇気ある者)』のヒットで全国区の人気となり、『Mr.インディア』(1987)で人気は頂点に。その後、ヤシュ・ラージ・フィルムズの『Chandni(チャーンドニー)』(1989)と『Lamhe(ひととき)』(1991)で演技力も認められて、アミターブ・バッチャンに代わり業界トップの座に君臨)、そして、結婚後半引退状態だった彼女をカムバックさせた『マダム・イン・ニューヨーク』(2012)からの再登場時代と、活躍期は4つぐらいに分けることができます。主演作約280本の中で日本で上映されたことがあるのは、『三日月』(1982/タミル語)と『Mr.インディア』(1987/ヒンディー語)、そして『マダム~』ぐらいで、あとDVDスルーの作品やテレビ放映された作品があるのみです。
インドでは、回顧上映が行われるかも知れませんね。日本でも、何かできるといいんですが...。
(注追記)死因はドバイ警察当局が調べた結果、「溺死」となりました。浴室で、何らかの体調不良が生じてお湯を張ったバスタブに倒れ込み、そのまま溺死した、との見解が示されています。
『Mr.India』は、一度映画祭で上映されているならば、日本語字幕なども付けたわけですから、なんとか再度日本で上映できないものでしょうか。
そして、Srideviをきちんと紹介できる機会として追悼上映を実現してほしいです。
『Mr.インディア』は国際交流基金がやって下さったインド映画の上映で、確か次良丸章さん(かつてシュリデヴィがインド・スター・ショーで来日した時、唯一インタビューした方です)の素敵な字幕がついていたのですが、プリントの1巻目がボケボケの焼きで、残念な上映となったのでした。
そんなわけでこの20年間、ずっとリベンジしたいと思っていたので、追悼上映という悲しい機会ではありますが、何とかならないものかとあるところにお話を持ちかけたりしています。
この映画はプロデュ-サーがご主人のボニー・カプールさんなので、話も持って行きやすいのではとは思うものの、どこも予算がからんでくるので急には決められず...だと思います。
本当は、タミル語映画時代からも選んで、5本ぐらいまとめて上映できるといいんですけどね。
やって下さる映画祭とかがありましたら、お手伝いしますので、ぜひお声をお掛け下さい。