COTE D'IVOIRE

アビジャンに住んでいました(1999.3-2002.10)
サイト《象牙海岸にて》の続編を綴ってみます。

クーデター 2002 (2002年9月17日からの出来事)

2004年11月12日 | 騒動と戦争
同じく「象牙海岸にて」からの抜粋です。

2002年9月19日(木)
早朝3:00~4:00 アビジャン、ココディ地区で、政府の軍・憲兵関連要人宅が襲撃され、現職内務大臣と元暫定政権首班ゲイ将軍が殺害された。国防大臣宅も襲撃されたものの大臣はこれを免れる。憲兵学校、軍の基地等もほぼ同時に襲撃され、政府軍との間に戦闘が始まった。さらに、北部の主要都市ブアケ(アビジャンから北300km)、コロゴ(アビジャンから北500km)でも複数の軍事施設が占拠された。襲撃を加えた集団は素性不明の武装勢力で、高精度の重火器を使用したと伝えられた。
アビジャン市内の銃声は午前10時頃で止み、政府がクーデター未遂として対応をしているとフランス国際ラジオ放送で伝えられた。アビジャン市内は昼頃までに鎮圧された。
原因としては、動員解除を宣告されていた750人の兵士達が同時に蜂起したとの報道もあるが、依然明確ではない。当日、バボ大統領は公式訪問でイタリアにいた。
夜間外出禁止令布告(18:00~8:00)

9月20日(金)
バボ大統領がイタリア公式訪問を中断して帰国。武装勢力の行為をクーデター、しかも他国の関与による攻撃であると断定すると共に、共和国としてこれに応戦するとして国民への「愛国心」を呼びかけた。また軍が抱えていた問題を説明し、99年ゲイ将軍が暫定政権を築いた時に、軍の上層部が信用出来ないと、退役軍人や正式の軍人でない人達を500人も雇用した。兵士を中心とした動員解除を予定していた事、退役者の職業指導計画をしていた事、ところがこの人達を、たぶらかして操った輩がいると言う背景を説明した。


9月21日(土)
アビジャンには比較的平常が戻り、スーパーマーケットも営業された。
北部では戦闘状態になっていないものの、ブアケ以北は反乱軍に制圧された状況が続く。


9月22日(日) 
夜間外出禁止令の延長が告げられ、次週29日(日曜日)まで、時間は20:00~6:00と緩和されたが、コロゴとブアケはこれまで通り18:00~8:00。翌日(月曜日)からは学校が始まるとの放送もされた。国際ラジオ放送は午後から停止。各国近隣諸国の代表団が大統領府に訪れ、支援表明を行なう。(現象牙海岸政府を支援する旨、憲法に違反する反乱軍は断じて受け入れられない旨)近隣国の支持取り付けが進められた。


9月23日(月)
アビジャンは平常機能をほぼ回復、ヤムスクロにフランス軍到着(外人救出目的)。
ワタラ氏の自宅が襲撃される。

9月24日(火)
国防大臣がブアケ以北を戦争地域と宣言。
夜間外出禁止令の延長発表、29日迄(20:00~6:00)


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