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エイミー・ワインハウス「 Back To Black 」2006年

2017年05月05日 | 音楽
エイミー・ワインハウス「 Back To Black 」2006年

 個性的なミュージシャンが好きです。
済んだ歌声のシンガーも良いですが、アクの強いダミ声のハスキーヴォイスにも
ゾクゾクします。エイミー・ワインハウスさん(以後、敬称略)
ご存知の方も多いでしょうが、この懐かしい演奏から始まる「 Back To Black 」は
彼女の歌の中でも特に印象深いのでご紹介させてください。
(上のジャケット写真はライオネス : ヒドゥン・トレジャーズのもので
「 Back To Black 」とは無関係です。)
若くしてグラミー賞を手中にし、死後、自伝映画まで制作され
アカデミー賞までも獲得した数奇な生き様の女性シンガーです。

ウィキペディアによれば
2003年にアルバム『フランク』をリリースしてデビュー。
英国内で67万枚を超えるヒットとなり、一躍トップスターの一人となります。
1960年代の初期ソウルミュージックを思わせる生演奏のバンドを従え、
ビリー・ホリデイのようなハスキーな歌唱が持ち味です。
2006年のアルバム『バック・トゥ・ブラック』も高い評価を受け、
全英で1位(全米では7位)を記録しました。
ブリット・アウォーズでは、最優秀女性ソロ・アーティストに輝き
その後もヒットを続け、翌2007年に全英で最も売れたアルバムとなりました。

ただ薬物中毒やアルコール依存症など、スキャンダラスな面でも話題をふりまきました。
2008年1月24日には再びリハビリ施設に入所。
グラミー賞を受賞した「リハブ」はリハビリ施設へ入所した自身の体験を元にしています。
2008年の第50回グラミー賞ではカニエ・ウェストの8部門に次ぐ
主要4部門を含む6部門でノミネートされ、最優秀新人賞や最優秀楽曲賞など5部門を受賞。
当初は授賞式への参加を表明していたが、アメリカに入国する為に必要なビザ発行を拒否され、
授賞式に出席できないことが同年2月7日に担当広報から明かされました。
そのため急遽、イギリスから衛星中継で出演しました。
グラミー賞後『バック・トゥ・ブラック』が大反響から全米2位まで上昇。
その後もリハビリ施設への入退院などを繰り返しキャリアは停滞したものの、
マーク・ロンソンらと共に3作目のアルバムを完成させました。

2011年6月、本格的な復帰を目指してヨーロッパ・ツアーを開始。
しかし18日、セルビアのベオグラードで開催された約2万人の聴衆を集めた野外コンサートで、
開始時間を大幅に遅れ泥酔し、まともに歌うこともできない状態で登場、
歌を途中で何度も中断するなどしたため観客からブーイングを浴び、
地元紙に「ディザスター(災厄)」「史上最悪のコンサート」などと扱き下ろされたのです。
45ユーロ(約5000円)というセルビア市民にとっては安くないコンサートチケットの価格も、
観客の怒りに拍車をかけたと推測されます。

直近の2公演の中止が直ちに発表され、その後全日程が中止となりました。
関係筋によれば、治療に専念するため無期限の活動停止となることが示唆されました。
薬物やアルコールは確実にエイミーワインハウスを蝕み、
健康的なグラマラスな体型だったエイミーワインハウスは、この頃には病的に痩せ、
精神が錯乱状態になったままパパラッチされ、追いかけ回された疲労から、泣いている写真をパパラッチされ
全てを失った浮浪者の女のような姿のエイミーワインハウスは世界に衝撃を与えました。
そして2011年7月23日、ロンドンのカムデンにある自宅で遺体で発見されました。
遺体が発見された寝室の床の上には2本の空のウォッカの瓶があり、
本人自ら飲んだもので事件性はないということです。

第88回アカデミー長編ドキュメンタリー部門受賞。
日本時間2016年2月29日に行われた第88回アカデミー賞にて、
エイミー・ワインハウスのドキュメンタリー映画『AMY エイミー』が
長編ドキュメンタリー部門を受賞しました。



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