五十路男の失敗日記

生涯独身男の青春の挽歌

プッツン…という感じかな…

2013年11月22日 | 雑記
青空に、寝ぼけた月が出ている午前中。
父上の退院後初の通院です。運転手なワシ。

ケアの美魔女と、主治医の連携が上手くいっていないらしく、主治医が美魔女を呼びつけて
叱責しておりました。

入院前のように運動する(無理してでも)ことが一番先なのに、大事にしろとは何事か。
そのように聞こえました。

父上の、あまりに軟弱な態度に立腹したか主治医。
このお医者、あんまり良くないんじゃないかなと、疑心暗鬼になりました。
父上にセカンドオピニオンを勧めたのですが、聞き入れられなかったのも後の祭りです。

直腸癌のステージは、病理検査の結果「3期b」。進行癌です。
はっきりいって、ワシが想定していた中では最悪の結果。

キツイことを医師が言うたびに、父上がワシの方を何ともいえない悲しい顔で振り返るのが
とっても辛かった。や、やめて…

主治医は、抗癌剤治療を勧めます。
副作用の嘔吐は、大抵の患者さんが避けられません。
それを、通院でしかやらないという主治医。

ワシは、複数の不安障害の中に、嘔吐恐怖症を抱えています。
自宅での嘔吐には、さすがに対応できません。ワシ自身がボロボロになってしまう(経験あり)
(この機会に乗り越えれば、という無神経な事を言う人は、めっ!!)

なるべく早く、抗癌剤治療を始めたいそうなので、12月はじめには答えを出しておいてくれと主治医。
病期にも、抗癌剤にも打ちひしがれて待合室に出ました。

ケアの美魔女と父上と話しているうちに、強烈な不安障害発作を起こしてしまいました。
待合室の長椅子に寝ころびましたが、処置室のベッドを貸してくれたのでそこで3度目の服薬。
美魔女も、心配そうでした。

父上が、「俺が運転して帰る」と言いだす始末。
ワシの緊張の糸が切れた途端、父上が立ちあがった感じ。
しかし、それも一時的なもので。
結局は、1時間ほどしてワシの回復後、ワシの運転で帰宅しました。

自分が辛いのは良いが、○○(本名)とお母さんに負担をかけるから…
父上は、抗癌剤治療を拒否しそうな感じです。
でも、それだと転移・再発するリスクは3割~4割。危険です。
抗癌剤をやっておけば良かったと、後悔するのは目に見えてます。
いったい、どうすれば…

自宅に、ケア美魔女が来てくれました。
嘔吐の処理は、お父さんが自分ですれば良い、私も病気になった時にはそうしてます云々。
抗癌剤治療を勧める美魔女。

結論は、もう少し先です。今日結論は出さなくて良い。
長男(兄上)とも相談して決めようということになりました。

決してキツイ言い方はしない美魔女。
ずっと彼女の首や乙牌を見てました…(ゲ^_^;ス)
意外と若いんじゃないか美魔女。もしかして30代半ばくらい…?
ええのぅ…(そんな場合か
見てるだけです。分相応というヤツはわきまえてるつもり。


嘔吐恐怖症とストーマ交換を両立させないと、抗癌剤治療は受けられません。
「オヤジの命とどっちが大事なの!?」
というお叱りもあるでしょう。医師はきっと、そう言うと思う。
少年時代からのトラウマが克服できず、面目ない。

でも、美魔女の言うように、何とかやりようはあるのではないかな。。
父上を生き延びさせる(確率を高くする)のが、家族のつとめ。息子の責任。
母上には、負担をかけたくないですが。。

今日の激しい不安障害発作で、この2ヵ月ほどの緊張の糸がプッツリ切れてしまった感じ。
この2ヵ月で痩せたのに、さらに食事が思うようにとれず。体温も高い。予期不安か。
火事場の馬鹿力が、潰えてしまったのだろうか。
しかし、ストーマ交換は待ってくれません。明日です。3日おき。

今一度、この痩せた身体に力を…!


  
  

中将から降格かな…