■元名大関“貴ノ花”の二子山親方、口腔底がんのため死去
大相撲の元名大関“貴ノ花で、若乃花、貴乃花の兄弟横綱の父で師匠の二子山(ふたごやま)親方(本名花田満=はなだ・みつる)が30日午後5時40分、口腔(こうくう)底がんのため入院先の順天堂医院で死去した。
55歳、早すぎる・・・。あまりに早すぎる・・・。
あえて名大関といいたい。 あの細い体で大関在位50場所(史上最長)。 それまでどちらかと言えば地味だった角界に光を差し込ませた先駆け的人物だ。 それまであまり相撲に興味を持たなかった女性層を取り込んだことも彼の功績だったと今は思える。
僕に取って、75年春場所(大阪場所)の初優勝は今も忘れられない。 若い人は知らないかもしれないが、優勝した力士に対し、祝福の意味で土俵の上に舞う座布団は今では見慣れた風景かもしれない。 でもそれを初めて見たのがこの貴ノ花の優勝で、それ以来大相撲で座布団の舞うことが見られるキッカケとなった。
大きな高見山との40番に近い勝負。 北の湖との勝負。 色んな名勝負があった。 僕が一番好きだったのは、お互いが気合が入っての時間前にぶつかり合う富士桜との勝負だった。 気合が合えば制限時間なんか関係ない二人の相撲には、今の相撲にない魅力があった。
引退後はその指導者としての裁量も、後の実子「若乃花」、「貴乃花」を横綱に育て上げ、また「貴ノ浪」を大関に育て上げた。 二世はあまり活躍できない角界で、親と子ではなく、師匠と弟子として、共に戦って勝ち得た素晴らしい功績だったと思う。
元横綱千代の富士(現九重親方)に破れ、貴ノ乃は現役を退いた。 そしてその千代の富士も貴ノ花の息子である貴乃花に敗れて引退を決めたという。 凄い因果だと思う。
あとにも先にもプロスポーツを観て泣いたのは、この貴ノ花の引退の時と、長嶋茂雄の引退の時の2度だけである。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
大相撲の元名大関“貴ノ花で、若乃花、貴乃花の兄弟横綱の父で師匠の二子山(ふたごやま)親方(本名花田満=はなだ・みつる)が30日午後5時40分、口腔(こうくう)底がんのため入院先の順天堂医院で死去した。
55歳、早すぎる・・・。あまりに早すぎる・・・。
あえて名大関といいたい。 あの細い体で大関在位50場所(史上最長)。 それまでどちらかと言えば地味だった角界に光を差し込ませた先駆け的人物だ。 それまであまり相撲に興味を持たなかった女性層を取り込んだことも彼の功績だったと今は思える。
僕に取って、75年春場所(大阪場所)の初優勝は今も忘れられない。 若い人は知らないかもしれないが、優勝した力士に対し、祝福の意味で土俵の上に舞う座布団は今では見慣れた風景かもしれない。 でもそれを初めて見たのがこの貴ノ花の優勝で、それ以来大相撲で座布団の舞うことが見られるキッカケとなった。
大きな高見山との40番に近い勝負。 北の湖との勝負。 色んな名勝負があった。 僕が一番好きだったのは、お互いが気合が入っての時間前にぶつかり合う富士桜との勝負だった。 気合が合えば制限時間なんか関係ない二人の相撲には、今の相撲にない魅力があった。
引退後はその指導者としての裁量も、後の実子「若乃花」、「貴乃花」を横綱に育て上げ、また「貴ノ浪」を大関に育て上げた。 二世はあまり活躍できない角界で、親と子ではなく、師匠と弟子として、共に戦って勝ち得た素晴らしい功績だったと思う。
元横綱千代の富士(現九重親方)に破れ、貴ノ乃は現役を退いた。 そしてその千代の富士も貴ノ花の息子である貴乃花に敗れて引退を決めたという。 凄い因果だと思う。
あとにも先にもプロスポーツを観て泣いたのは、この貴ノ花の引退の時と、長嶋茂雄の引退の時の2度だけである。
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
ご容態が悪いのは知ってましたが
本当に寂しいニュースでした。
私が観て覚えてたのは、75年の相撲だったのかな~。
相撲取りとしてとてもすてきな方でした。
少しそれますが
千代の富士が貴乃花に敗れたときの
土俵下での何か吹っ切れた表情と
「体力の限界・・・」と言葉を詰まらせて涙を見せた表情が
忘れらない私です。
昨日訃報のニュースが流れた時は驚きました
体調を壊して入院生活をしているのはワイドショー等で知っていましたが・・・
ババは両国国技館迄歩いてもわずかな所に住んでいます。
そんな訳でお相撲さんは良く見受けます
鬢付け油の香りがなんとも言えず良い香りでうっとり・・・
学生時代は初代代若乃花のファンで阿佐ヶ谷の花篭部屋まで行った覚えがあります。
お相撲さん達は皆親切で花篭親方が「入って土俵の側で見学しなさい」と言ってくれました。
双子山親方もだ~~い好きな関取でした。
足腰の強いお相撲さんでしたね。
横綱にはなれなかったですが「名大関」最高ですね。
ご冥福をお祈りします。_(_^_)_
彼らにはドラマがありました。
無様な負け方は許せない。
だからこそ惜しまれてやめていく・・・。
新しい力の台頭に悔しさと、嬉しさを感じたとき、
なんとなく自分自身の引退を決めるのでしょうね、きっと!
でもあまりに早すぎる。
“通”ですね^^
僕の幼稚園時代(古ぅ~(笑))、運動会に必ずお相撲さんが来ていました。
昔、「若浪」という力士がいたのを憶えてますか(笑)?
運動会に来てくれた翌場所、初優勝したんですよ!
あとにもさきにも一度だけでしたが^^
そんなこんなで何となく相撲に縁があるのですが^^
ちなみに僕のデスクの隣りの社員のオヤジさんは、昔床山さんでした^-^
>新しい力の台頭に悔しさと、嬉しさを感じたとき、なんとなく自分自身の引退を決めるのでしょうね。
確かに、スポーツの世界では、嬉しくもあり寂しくもある瞬間でしょうが、命の引退には、まだまだ早すぎるような・・・。
ご冥福をお祈りいたします。
奈良に行ったら美味しいものを食べさせてください^^
その分、奈良公園で鹿にせんべいあげますので(笑)?!
>命の引退には、まだまだ早すぎるような・・・
それが一番の悔しさでしょうねぇ
これから家族・孫たちとの普通のおじいちゃんに戻れるはずだったのに・・・。
自分の親とそんなに年の変わらない方だったからっていうのもあるかも。
>朝ちょいと涙してしまった
そうですか、僕は肉親が亡くなったかのような・・・。
聞いたとき呆然として立ち尽くしました。
>自分の親とそんなに年の変わらない方だったから
う~ん、同じ世代ではないけれど、年齢は近いものがあるのでショックでした><
若浪さんは揉み上げがこい(濃いと言うのかな)力士さんでしたか?体は小さくてばねのあるお相撲さんのように記憶していますが違ったかな~~~
そのとおりです!
小兵ながら、どこか貴ノ花と取り口が似た感じの関取でした。
子供心に、若浪の優勝が妙に嬉しかったことを記憶しています^^