サーフィンが日本に持ち込まれたのは戦後、米兵が神奈川などで適地を見つけ遊び始めたのが最初だそうで、60年代になるとそれを真似る日本人も出て来たそうです。
まだ中坊だった私がサーフィンを知ったのは歌からでした。それがジ・アストロノウツの「太陽の彼方に」で、シンプルで覚えやすいそのメロディは藤本好一のカバー盤でもヒットし、普段音楽の話をしない同級生達も「ノッてけノッテけ…」と口ずさむ程の人気でした。 (後にゴールデン・ハーフの盤でもヒット)
この曲は1964年の発売で、私の記憶では、エレキギター・ブームの火付け役となったのがこの曲だったと思います。
翌年その人気に合わせアストロノウツと、まだ評判で無かったはず(?)のヴェンチャーズがジョイントで来日、それをきっかけに7月にはヴェンチャーズが単独で再び来日※し、例のテケテケテケ… で美味しい所を全部持っていくのですが。※学陽書房:全米TOP40ヒッツ研究読本より
美味しい所を持っていかれたグループの一つが、カルフォルニアのティーンズ達で結成されたザ・シャンティーズ。メンバーのスピッカードとカートマンの書いた「パイプライン」は、1963年5月に全米4位※となる大ヒット。※ウェイン・ジャンシック著/ただ一曲のスーパー・ヒット:音楽之友社
この日本盤の解説には、「原題は"送油管"の意味で、油が長いパイプを通って流れて行く模様を実に見事に演奏しています」とあり、油送管は正しいのですが"油が流れて行く様子"は違います。正解は波がパイプ状になる様子を言うそうで、当時のサーフィンの認知度がわかります。
ところでアストロノウツ、人口4万の街からの初来日と言う事で舞い上がったか、かなり夜遊びも励んだという話もあり、肝心の演奏の出来は… だったそうで、当時は夜遊びのせいで!とかなり叩かれたみたいです。
遊びはともかく、当時はスタジオでレコーディングするミュージシャン(レッキングクルー等)と、ツアーをこなすメンバーは違うのが普通だそうで、そんな事は知らない日本人は本気で怒っていたとか。ベンチャーズと比べられる方も気の毒ですが、このあたりをきっかけにエレキと言えばヴェンチャーズと、日本でレジェンドとなっていったのでした。
以上【聞きたい365日】第380話でした。
2024/11/29追記 「太陽の彼方へ」は、サファリーズの競作盤があったとは知りませんでした。中古を見かけ興味を持ったのですが、サックスを活かし切れてなくてちょっと残念。