祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

冷ます習慣

2014-11-21 22:32:16 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系
冷ます習慣 投稿者:うさぎメール 投稿日:2013年 6月20日(木)23時00分36秒 返信・引用


中国人のマイボトル習慣っていいですよね。ちびりちびりと水分補給する。お茶はやはり利尿作用がありますから、補腎という観点からもいいですよね。余分な水分を体に残さないから、だるさ、重さを残さない。中国人のマイボトルはガラス瓶が多いですよね。あれがいい。日本人の感覚からいくと、ペットボトルを凍らすとかポットに近々に冷やしたものを入れとくとかするわけですが、冷たいビールをキューっとといった日本人の急激に冷やす文化は体を痛めて行きますよね。もう一つ戴氏心意拳をしていて、果物で体を冷ます方法をとるという習慣は素晴らしいなと思いました。
運動をすると、体に熱を持つわけですから、冷やしたいというのは当然ですが、たいせつなのは、それを冷ますということであって、急激に冷やすことではない。そのことは運動によってせっかく高めた気血を滞らせる。
それから一見科学的に見える説明で、熱中症予防のために、コレステロールを減らすためにとか………水分を多く取りましょうという謳い文句で、何リットル分のペットボトルの水をガブガブ飲む人がいるが、水はちびりちびり飲めばいいのであって、例えば水分2リットルの代謝があるとしても、がぶ飲みする水で2リットル飲む必要はなく、食事やちびりちびりのみながら2リットルにしていけばいいわけです。
日本人はアトピーとか花粉症とか他と比べると異常に多いのは、湿熱の関係が大きいと思われます。
ただでさえ湿度の高い国土であるのに、水分を異常に摂りすぎること、冷たいもので急激に体を冷やすのが良いという習慣は、体は冷やすと、熱を持つようになる、それが炎症となってあらわれる。花粉症といわれると、花粉の除去にばかり目がいくが、太鼓の昔からあった花粉にどうして、現代人だけが過敏症になったのかという体の変化にも目を向けなければならないと思うのです。湿熱を生むのは、余分な水分、急激に冷ますということだけではなく、ストレスだとか、食生活その他もあります。
適度な水分と適度な温度、適度な分量の食事、適度な運動など適度なものを見つけて行くことは、やはり陰陽を追求することでもあるのでしょう。
ちなみに、運動前後、ある程度時間をおいて、少量の果物を取ることは練習にも良い効果を与えると戴氏心意拳では言われています。
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Re: 中国武術のアイデンティティ

2014-11-20 19:30:40 | 練習日記

Re: 中国武術のアイデンティティ 投稿者:k 投稿日:2013年 6月17日(月)16時40分33秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

>  kさんへ 初回の訪中で、五行拳まで教えてもらえるなんて、すごいです。

霍先生は結構大雑把なところがありまして、1日一つ教える とあらかじめ決めていたのではないかと思います(^_^;)。

>  霍先生は、第六代伝人ですし、祁県からはだいぶ離れた陽泉の人であったことも一因としてあるのだと思いますが、五代伝人の王映海師父と比べると保守的な頑固さといったものからは、だいぶ自由で自分の個性を出せる位置にいたのだと思います。祁県の段錫福のお弟子さんたちの動きと比べてみても、霍先生の動きは独特な個性があふれています。
> 伝統的な教授法を踏襲しながらも、彼が生み出していった独創性は、戴氏心意拳の普及に大きく貢献されていると思います。

有難うございます。
実はこの事に関連して以前から疑問に思っていたことがありました。
霍先生はご自分で総合套路を作ったのですが、(霍先生から直接聞いたわけではありませんが)色々批判されたらしいのです。
現代人の感覚で言えば有用でないと判断すれば練らなければ良いだけで批判する必要もない気がするのですが、それ以前に以下の様な素朴な疑問を持っていました。

昔は(特に戴家拳は)秘密主義が徹底していて何を教えているか同じ弟子の間でも知らされていなかったと言います。霍先生も段先生は「自分だけの特殊な練功法を行っていて弟子にも教えていなかったハズだ」と仰っていました。
真偽のほどは別として、自分で練功の補助訓練を工夫することはよくあることだと思います。私も両手を垂らした状態からの丹田功以外の工夫をしたことがありますが特に人に話したことはありません。別の秘密にしたいたわけではなく、その時々で必要だから自分で工夫して行っただけで、個人的なことでもあり、特に機会もなかったので話さなかっただけなのです。
話がズレてしまいましたが、この様な土壌で套路を創作して発表することが何故そんなに批判の対象となるのでしょうか。
うさぎさん以外でもこの辺の事情に詳しい方がおりましたら宜しくレスしてください。

>  kさんが霍先生に「五行拳は無理でも丹田功から引気法までは続けるように」と言われたのは、「コイツが戴家拳を身につけるのは無理だなぁ」と内心思われたのではなく、丹田功から引気法までの習熟を図ることが大事だといわれたかったのではないでしょうか?

それも多少あるかもしれません。少なくとも私には有用なアドバイスでした(^_^;)。






中国武術のアイデンティティ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 6月18日(火)21時50分19秒 返信・引用


> No.511[元記事へ]

kさんへのお返事です。

新套路の如何

1、かつては、武術で命のやり取りをしていた。現在、そういうことは出来ない。ゆえに、武術の本来の使用が出来ない現在人は、かつての達人の業を新しくできない、という考え。

2、「拳法は自分で変えたりふやしたりしても良いと思う。その代わり、それを正直に言わなければならない。昔から伝わっているなどとウソを言ってはいけない」
と言う発言が気に障る人がいた…。
3、これは、活躍されている人や天才の宿命で、いわゆる嫉妬される。

>「自分だけの特殊な練功法を行っていて弟子にも教えていなかったハズだ」と仰っていました。

これは、各流派に共通のハズ。
> 話がズレてしまいましたが、この様な土壌で套路を創作して発表すること~

これも、自然だと感じます。

私は、戴氏心意拳は金世魁師、牛希賢師、姫龍鋒師らの武術を結合し新たに造られた経緯もあるのでソレが伝統かなと思います。半分螳螂拳のように感じます。
改編により、かつての達人の意が伝わらなくなるリスクはあるので、古伝を墨守することも理解できます。
各流派それぞれ違うことは良いことだと思います。土佐も東京のように、いろんな流派があって中国武術が盛り上がればなぁ…と思ってます。
M老師は、中国武術全般の紹介にも活躍されているのではないでしょうか?分会の先生と話題にのぼります。





Re: 中国武術のアイデンティティ 投稿者:k 投稿日:2013年 6月19日(水)17時58分25秒 返信・引用


土佐の川えびさんへ

詳しいご回答有難うございました。

> 新套路の如何
>
> 1、かつては、武術で命のやり取りをしていた。現在、そういうことは出来ない。ゆえに、武術の本来の使用が出来ない現在人は、かつての達人の業を新しくできない、という考え。

なるほど!説得力のある考え方ですねぇ。

> 2、「拳法は自分で変えたりふやしたりしても良いと思う。その代わり、それを正直に言わなければならない。昔から伝わっているなどとウソを言ってはいけない」
> と言う発言が気に障る人がいた…。

「お前に変えられるだけの能力があるのか」といった考えですかねぇ。上記の考え方に通じるものがある様な気もします。

> 3、これは、活躍されている人や天才の宿命で、いわゆる嫉妬される。

霍先生は性格的にも(丸でなく)角なのでその辺りも一因があるかも知れません(^_^;)。

> 私は、戴氏心意拳は金世魁師、牛希賢師、姫龍鋒師らの武術を結合し新たに造られた経緯もあるのでソレが伝統かなと思います。半分螳螂拳のように感じます。

牛希賢師の名前は初めて聞きました(^_^;)。インターネットで検索すると中国語のサイトしかヒットしませんが有名な方なのでしょうねぇ。

> 各流派それぞれ違うことは良いことだと思います。土佐も東京のように、いろんな流派があって中国武術が盛り上がればなぁ…と思ってます。

土佐の事情はよく判らないのですが、確かに色々な流派に接する機会が多ければ得るところも大きいと思います。

> M老師は、中国武術全般の紹介にも活躍されているのではないでしょうか?分会の先生と話題にのぼります。

職業柄この様な掲示板への書き込みは控えていると思いますが、元気で活躍されています。
分会の先生とも面識があるのでしょうか。







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中国武術のアイデンティティ 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 6月20日(木)10時37分31秒 返信・引用


> No.513[元記事へ]

kさんへのお返事です。

いくつか例が有るものの、国外から取材が来ることは、異例の事なので風当たりが強いのでしょう。なかなか、武術界は難しい所のようです。この話題は、この辺で…。ここが炎上の可能性ありです。


> 牛希賢師の名前は初めて聞きました(^_^;)。インターネットで検索すると中国語のサイトしかヒットしませんが有名な方なのでしょうねぇ。

>技撃精要p4の、上から7行目に「陜西の牛希賢」とだけでています。それ以上は分かりません。
p2の系譜で、保守性のつよい武術のわりに、金世魁師や李洛能師の名が出てくるので、なんなんだ?と思ってました。それで読み進めると、名前がでてきました。交流があった訳ですね。
金世魁師は、六合螳螂拳の始祖、金葉師じゃないかなぁと思います。魏徳林師(鴨子爬掌魏三)の師にあたる方です。流派によっては、魏徳林師が師の名を隠し公表していません。魏師が何らかの理由で追われる身だったようです。六合螳螂拳の人差し指と親指だけをあわす螳螂手は、戴氏六合勢なんかで、何気にしてる手の形に似てます。


> > M老師は、中国武術全般の紹介にも活躍されているのではないでしょうか?分会の先生と話題にのぼります。
>
> 職業柄この様な掲示板への書き込みは控えていると思いますが、元気で活躍されています。
> 分会の先生とも面識があるのでしょうか。

連絡をとりあってる様ではないような…。分会の先生と私の会話は「あの方だよね」ぐらいのものです。





Re: 中国武術のアイデンティティ 投稿者:k 投稿日:2013年 6月20日(木)18時34分44秒 返信・引用


> No.514[元記事へ]

土佐の川えびさんへ

> いくつか例が有るものの、国外から取材が来ることは、異例の事なので風当たりが強いのでしょう。なかなか、武術界は難しい所のようです。この話題は、この辺で…。ここが炎上の可能性ありです。

了解致しました(^_^;)。

> >技撃精要p4の、上から7行目に「陜西の牛希賢」とだけでています。それ以上は分かりません。
> p2の系譜で、保守性のつよい武術のわりに、金世魁師や李洛能師の名が出てくるので、なんなんだ?と思ってました。それで読み進めると、名前がでてきました。交流があった訳ですね。
> 金世魁師は、六合螳螂拳の始祖、金葉師じゃないかなぁと思います。魏徳林師(鴨子爬掌魏三)の師にあたる方です。流派によっては、魏徳林師が師の名を隠し公表していません。魏師が何らかの理由で追われる身だったようです。六合螳螂拳の人差し指と親指だけをあわす螳螂手は、戴氏六合勢なんかで、何気にしてる手の形に似てます。

ご教授有難うございましたm(_ _)m。







Re: 中国武術のアイデンティティ(その2) 投稿者:k 投稿日:2013年 6月20日(木)20時10分50秒 返信・引用 編集済


土佐の川えびさんへ

何か味気ない返信になってしまったので中国武術会のほのぼのとした話題を一つ。

> 連絡をとりあってる様ではないような…。分会の先生と私の会話は「あの方だよね」ぐらいのものです。

M先生が中国にいた時「全く中国語の出来ない日本の女の子が太極拳家の家に住みついている」と言う噂を耳にしたことがあるそうです。後日、NHKの「ファーストジャパニーズ」という番組で横山先生という女性の中国武術家が紹介されたのですが、M先生は「あの子かなぁ」と言っていました。当時取材していれば天下のNHKを出し抜ける千載一遇のチャンスだったのですが残念なことです。

実はM先生と横山先生はその後日本で遭遇しています。
と言ってもグランドマスターに描かれた戴氏心意拳(もしかしたら刑意拳だったかもしれません。まぁ同じ様なものですので気にしないでください)と八卦掌の雌雄を決する死闘ではなく、先の震災で普段の練習場か使えなかった時期に一時的に借りていた練習場の近くに横山先生の教室があったので道路でお見かけしたらしいのです。
「奇麗な方でしたか!!!」と言う私の問いかけに対しては「ジャージを着ていた」とよく判らない返事が返ってきました(^_^;)。

実は私は横山先生のホームページを時々見ているのです(^_^;)。
いやらしい奴だ と思われた方が多いのでしょうが、中国茶の記事をへぇと思いながら読んでいます。
霍先生はマイボトル持参なのですが、何故か私の会の実戦派ナンバーワンのHさんもマイボトル持参派なのです。そんな訳で、私のイメージの中では「強い男=マイボトル」という図式が出来上がっているのです。この影響で私も何年か前にマイボトルを買ったのですが一度使っただけでそれ以降は使っていません(^_^;)。

将来自分で教えることがあれば、霍先生みたいにお茶を飲みながら教えたいのですが、スボラな私には難しいでしょう。何故か暗いオチになってしまいました(^_^;)。

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中国武術のアイデンティティ

2014-11-20 06:23:48 | 練習日記
中国武術のアイデンティティ 投稿者:うさぎメール 投稿日:2013年 6月16日(日)19時30分27秒 返信・引用


 私の思いの中には、中国武術の存在価値というのを高めたいなあという気持ちがあります。
中国武術は無形の遺産で貴重なものであり、健身の面でも、対人の面でも人を強く生きさせる効果があると思っています。ですから、単なる生活の中での付加価値としての趣味的なものではなく、生活とか人生とかといったものの中にあって、人を強く生きさせるものとしての武術の役割があっていいのだと思っていますし、中国武術自体は、そういうものを内包していると思うのです。
 ですから、中国武術を伝えるときには、その伝え方というものが大切だと感じています。
やはり、講習会を開いて、今日はこの套路、次はどの套路という教え方や学び方というのは、武術を身に着けることにはなっていかないし、商品を並べて切り売りしていくような「武術の商品化」は中国武術の価値を下げている大きな原因の一つだと思うのです。
 書籍も、套路の動作写真があって、その動きを説明しているテキスト的なものは、動作を覚えるときに必要ですが、武術の内実を示していなければ、その套路を学んだことにはなっていかないでしょう。
 中国武術は武芸といわれるように、その技芸、芸術を身に着けていくことに本質があるわけですから、覚える武術から修熟していく武術に転換していかなければならないのだと思います。
 kさんへ 初回の訪中で、五行拳まで教えてもらえるなんて、すごいです。
私は、初回は、15日間つきっきりで練習して、丹田功、虎歩、diu把だけを延々と教わりました。最後の日に中節paoを学びましたが、本当におまけといった感じでした。
 霍先生は、第六代伝人ですし、祁県からはだいぶ離れた陽泉の人であったことも一因としてあるのだと思いますが、五代伝人の王映海師父と比べると保守的な頑固さといったものからは、だいぶ自由で自分の個性を出せる位置にいたのだと思います。祁県の段錫福のお弟子さんたちの動きと比べてみても、霍先生の動きは独特な個性があふれています。
伝統的な教授法を踏襲しながらも、彼が生み出していった独創性は、戴氏心意拳の普及に大きく貢献されていると思います。
 kさんが霍先生に「五行拳は無理でも丹田功から引気法までは続けるように」と言われたのは、「コイツが戴家拳を身につけるのは無理だなぁ」と内心思われたのではなく、丹田功から引気法までの習熟を図ることが大事だといわれたかったのではないでしょうか?
 王師父は私に、「お前にしっかりと教える。今回は,diu把や中節ほうまで教えたが、これは、熱意を感じたから教えたまでで、本来はそうではない、しっかり教えるというのは、多くの種類を教えることではない。詳しく教えるということだ」「私の時代は、丹田功だけを3年、歩法(この場合は虎歩)を2年やった。それをすればうまくなる。」ということを何度も何度も繰り返されました。丹田功と虎歩しか教えないということではなく、丹田功と虎歩には、5年間も教えるほどの重要で詳細なる内容があると考えたほうがよいでしょう。
 日本人は、戴氏を学んだ時に、「これだけしか教えてくれない。前に進まない。」と考える方が、多いようです。私もそのことではじめは悩みました。私やkさんのように日本人に戴氏を伝えていく者たちは、日本人好みに、たくさんの技法を教えていく方法に変えていくのではなく、少しの中に多くの意味があり、習熟すべき内容があるのだということを、日本人にわかりやすい表現で伝えていくことが大切なように思うのです。それが戴氏のアイデンティティなのかなと思うのですが、どうでしょう。
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鷂子入林・斬首砲

2014-11-19 21:02:19 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

また、目録の…(技撃精要p45) 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 6月14日(金)18時52分27秒 返信・引用


套路四把に出てくる。鷂子入林・斬首砲は、七膀の鷂子入膀・七砲の斬首砲と原理は同じものですよね…?



深める 投稿者:うさぎメール 投稿日:2013年 6月14日(金)22時49分52秒 返信・引用


土佐の川えびさん 「套路四把に出てくる。鷂子入林・斬首砲は、七膀の鷂子入膀・七砲の斬首砲と原理は同じものですよね…?」

はいそうですよ。技法名が同じものは、同じ技法です。套路の中でやるのか、単式で行うのかの違いです。単式のものは、左右で練習しますから、やはり単式のものを一緒に演習するのがいいですから、套路で学んでから単式のものも習うと効果的です。

kさんへ 戴氏の本質って教授法の中にも大きく反映されていますよね。
外に対しては、非常に保守的で秘密主義を守り通した戴氏ですけれども、教える人に対しては非常に精密に教えた。
 戴魁は、教えるときは、非常に厳しかったそうです。木の棒を持って、「ここが違う、ここだここ」と言いながらその場所を棒でたたいた。質問などすることはできなかった。と王師父は語っていました。
 今だったら、体罰の問題になりそうですし、今の戴氏の懇切丁寧な教え方とはだいぶ違うという風に表面的なものだけを見て判断してしまったら、戴氏の教授法の真意を取り違えてしまう。
 戴氏の教授法に脈々と受け継がれているものは、厳しいか、やさしいかという表面的な教授法ではなく、「不多、而精」に代表される、しっかりと教えるということだと思います。
 戴魁やそれ以前の戴氏の伝承者や王映海師父などを含め、現代の科学、神経学、物理学といった知識や理解はまずほとんどなかった。私はよく師父から「お前はあたまがいい」といわれるのが、いつも恥ずかしくてたまりませんでした。というかいやでした。「お前は、大学も出ている。学問がある。戴氏をさまざまな学問と結びつけることもできる。」といわれながら、戴氏心意拳について、人生について、生きることについて、師父にははるかに及ばない自分自身の無知さ、浅はかさを突き付けられているように思いました。
 師父は、一生、無識字でしたが、拳譜の言葉を漏らさず暗唱されましたし、その言葉を指導の細部にわたって引用し、その言葉で適宜諭されました。一日教えを受ければ、「一生の師である」と戴魁が床に臥されてからもずっと、作った野菜を他の弟子たちと持ち寄り、死ぬまでつくした。いつも謙虚に、「私だけではない。村の弟子たちみんなで師を助けた。」とおっしゃっり、自分の手柄だけにすることをしなかった。年老いてからも、常に自らが練習することを止めず、私に指導する合間を縫って自らも練習されていた。「いくら親しい人であってもいつかは別れ別れになってしまうが、学んだもの、身に着けたものは、自分が死ぬまで離れていかない。貴重なものだ。」とよく私に諭された。
 師は、戴氏心意拳や生活の中から多くのものを学び、それを彼の学問や科学にしていったのだと思います。決して国際的でも幅広い知識でもない。しかし私は彼の前に立った時、深遠なる広大な宇宙を彼の存在から感じることができたし、自分自身の学歴だとか職業、財産教養…といった表面的な鎧を身にまとっている自分が恥ずかしく思えたのです。
 あの武術がどうだとか、これと比べると戴氏はどうだとかといった一般教養は、いったん捨てようと思ったのです。比較の中にある戴氏概論ではなく、戴氏を深めたいという気持ちに変わっていった。それは、師父の前に立った時に、自分自身の何も知らない恥ずかしさからきているものだと思うのです。



Re: 深める(その1) 投稿者:k 投稿日:2013年 6月15日(土)20時21分24秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

> 戴氏の本質って教授法の中にも大きく反映されていますよね。
> 外に対しては、非常に保守的で秘密主義を守り通した戴氏ですけれども、教える人に対しては非常に精密に教えた。
>  戴魁は、教えるときは、非常に厳しかったそうです。木の棒を持って、「ここが違う、ここだここ」と言いながらその場所を棒でたたいた。質問などすることはできなかった。と王師父は語っていました。
>  今だったら、体罰の問題になりそうですし、今の戴氏の懇切丁寧な教え方とはだいぶ違うという風に表面的なものだけを見て判断してしまったら、戴氏の教授法の真意を取り違えてしまう。

戴氏は「感覚」を大切にしていると思います。
その意味では、「手を離さない」も「棒でたたく」も「身体の特定部分の感覚に集中する手段」としては共通しているのではないでしょうか。

以前、「腹が肩を催す」感覚を研ぎすまそうとして(肩に力が入るとマズいので)腕をぶらんと垂らしたした状態から丹田功を試していた時期がありました。これはこれで有効だったのですが現在は(霍先生から指導された)腹の上に手をおいた形の丹田功をおこなっています。理由は手を腹の上におくことでこの部分の感覚が手をおいていない時に比べて、意識を集中することでより研ぎすまされるからです。

霍先生の助手で参加者の方に丹田功を指導させてもらった時、胸を押したときの指の感覚で「この人の胸の感覚は私が霍先生に胸を押してもらった時の胸の感覚と近いのではないか」と感じられたことがありました。胸を押した時の感覚は「押す方の指の感覚」と「押される方の胸の感覚」があるわけですが、双方の「表裏一体の感覚」を体験できたことは感覚の理解を深めるのに有効でした。

当たり前じゃないか と思われた方が多いと思いますが、ここがスタート時点になるということです。
「腹を動かす手段として胸を押している」わけですので「胸がいい感じで胸を押せた」時は「腹がうまく動いている」場合が多かったと思います。ただ、「胸がいい感じで押せても腹がうまく動いていない」受講者の方もいましたし、反対に「胸がうまく押せなくても腹がうまく動いている」受講者の方も少数ですがいらっしゃいました。
経験を積んでこの辺りの理由がしっかり判れば、指導力が向上するばかりでなく、自分自身の練拳の質も向上する と思います。
勿論これはある程度のレペルに達して初めて可能になることです。
胸を凹ます感覚が身に付いたら当然のその次のレベルがあるわけです。逆に言えば、次のレベルにいく為に胸を凹ます感覚を身につける必要があるで、そのことを踏まえて胸が押せないといけないわけです。
私の場合のその次のレベルの感覚が曖昧だったので上に書いた「この辺りの理由を判ろう」とするとかえって混乱をきたしたと思います。

平たく言えば教えるレベルに達していなかったわけで、アシスタントはともかく、他人に教えなかったことは、自分にとっても教わる人にとっても良かったと思っています(^_^;)。



Re: 深める(その2) 投稿者:k 投稿日:2013年 6月15日(土)20時38分42秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

>「お前は、大学も出ている。学問がある。戴氏をさまざまな学問と結びつけることもできる。」といわれながら、戴氏心意拳について、人生について、生きることについて、師父にははるかに及ばない自分自身の無知さ、浅はかさを突き付けられているように思いました。

ちょっと違うのですが私にもほろ苦い思い出があります。

霍先生が「私は子供だったので説明してくれる拳譜の内容がよく理解できなかった。だから練習に励むしかなかった。」と言われた時「中国語も中国文明も判らない僕も子供みたいなものですねぇ」と返事をしました。
その時霍先生が横を向いて少したってから、独り言のようにボソッと「そんなこともないんじゃないか」と言われました。霍先生の普段のしゃべり方からすれば「そんなことはない!何故ならば・・・」ととなるところなのですが、この時は「何故ならば」と言う理由の説明はありませんでした。
想像にする「コイツが戴家拳を身につけるのは無理だなぁ」と内心思われたのではないかと思います。

初回の訪中時は五行拳まで教えてもらったのですが、帰り際に「五行拳は無理でも丹田功から引気法までは続けるように」と少し寂しそうに仰られました。

霍先生の予想はある意味あたっていたのですが、なりふり構わず色々考えたので、当初の自分の予想を超えて戴家拳に対する理解は深めることが出来たと思っています。

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つながり

2014-11-15 08:06:03 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系
遠望、天に通ず 投稿者:土佐の川えび
投稿日:2013年 5月31日(金)20時47分46秒 返信・引用
> No.487[元記事へ]

うさぎさんへのお返事です。

ハード、ソフトともに優れた分会と思います。錬功場所は野外、池の名のついた場所なので五行でいえば水の気が多いハズですが、湿っぽさは感じません。田んぼもあります。広い平野だからと思います。遠くの山の稜線をみれば、映海老師の「人には天地しかない」の言葉を感じさせる所です。
丹田功、虎歩、寒鷄歩に集中できるなら4年間ぐらい講習会に出れないのもイイかなと思ってました。参加しやすいものがあれば、ムリのない範囲で行くかもしれません。参加する、しないにこだわるつもりはありません。
日々の錬拳は、生活に追われ大変です。
練功会の日常 投稿者:土佐の川えび
投稿日:2013年 6月 2日(日)20時46分17秒 返信・引用
講習会後の初の練功会で、どうかな~?と思ってたら、案の定まじめに普通の練習が始まりました。
その後、講習会の紹介となり主にAさんと一緒にしました。摩手は以前より繊細な方法になっていると感じました。五行拳の劈拳、虚歩束身にて手を託す動作から手を落とすまでは1対1で習わないと、DVDや本ではちょっと分からないと思います。それに至るまでも手腕肩は刻々と変化してますよね。何拳だったか?手を差し出す時、ちょうど片方の腕に隠れ、まるで暗器をあつかっている様に感じました。
最近始められた方が、カッコよく見える時があります。たぶん、自分をしっかり見つめてる瞬間じゃないでしょうか。迷っている時は元の初心者に戻っています。駆け出しの私が言うのもなんですが…。

つながり 投稿者:事務局
投稿日:2013年 6月 3日(月)09時32分59秒 返信・引用
土佐の川えびさん 講習会の還元を高知でもしてくださっているとのこと。ありがたいです。
中国武術は、日本人にとっては、輸入武術!ですから、どうしても遠い存在だったりします。
できるだけ身近にならなければ、武術の習得はできないでしょうし、単なる飾り物になってしまうように思います。そういう意味でも講習会をあた高知でも
そのほかいろいろな土地で還元してくださり、日ごろの練習に生かしていただけると戴氏心意拳が身近なものになっていくように思います。最近では、スカイプで指導を受けらえる人もいますし、ツイッターやフェイスブック、ブログなどで戴氏の練拳を掲載している人もいます。私に練拳の写真をメールやLINEで送ってくれる人もいます。私もできる限り簡単なコメントをするようにしています。コメントがヒントや意欲の向上につながっていけばいいなあと思っています。インターネットの世界は、できることは限られてはいますが、いっぱい
つながりを可能にしたし、そういうことを利用しながら私たちもつながっていければいいと思います。8月には高知でも講習会が開けたらと計画しています。
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