祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

芸を学ぶ

2014-11-13 21:42:23 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系

学び方 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月31日(金)00時00分42秒 返信・引用


武術は、武芸と呼ばれるように、芸術ですから、自らを先鋭化していくというか、自分を磨いて行くことなのだと思います。ですから、学び方というのは非常に重要だと思います。年に一二回、講習を受けたり、訪中したりして武術を学んでも、その間がブランクになってしまったら、それは武術を学んでいることにはならないでしょう。お祭りを体験した興奮のようなものにしかならないでしょう。その間を埋めていく何かが必要です。それは個人の練習ですし、近くに指導者がいればそこでも学ぶことは必要でしょう。そういう日常があって、講習会や訪中と言ったことは意味を持つ。一種の通過儀礼のようなものなのかもしれかせん。それを減ることによって何か内部までも急激に変わってくるものがあるというか。そういう役割を講習会や訪中と言ったことは果たしてくれると思うんです。ですから、本会では、
王老師をこれからも日本に呼んで行きたいですし、私自体も講習会を度々開いてスキルアップして行く何かを提供したい。一方、分会での活動を大切にして行っていただきたいと思っています。自分で練習することは大事です。一方、自分を先鋭化し、磨いてくれるのは、他と交わるからです。分会で他と交わることは、自分自身を成長させる大きな力になると思います。土佐の川エビさんの分会は、指導者の方の練習も良いというのは、学ばれている人たちのれんけんをみればよくわかることです。いい環境の中にいらっしゃいますので、コツコツと頑張ってください。





遠望、天に通ず 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 5月31日(金)20時47分46秒 返信・引用


> No.487[元記事へ]

うさぎさんへのお返事です。

ハード、ソフトともに優れた分会と思います。錬功場所は野外、池の名のついた場所なので五行でいえば水の気が多いハズですが、湿っぽさは感じません。田んぼもあります。広い平野だからと思います。遠くの山の稜線をみれば、映海老師の「人には天地しかない」の言葉を感じさせる所です。
丹田功、虎歩、寒鷄歩に集中できるなら4年間ぐらい講習会に出れないのもイイかなと思ってました。参加しやすいものがあれば、ムリのない範囲で行くかもしれません。参加する、しないにこだわるつもりはありません。
日々の錬拳は、生活に追われ大変です。





練功会の日常 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 6月 2日(日)20時46分17秒 返信・引用


講習会後の初の練功会で、どうかな~?と思ってたら、案の定まじめに普通の練習が始まりました。
その後、講習会の紹介となり主にAさんと一緒にしました。摩手は以前より繊細な方法になっていると感じました。五行拳の劈拳、虚歩束身にて手を託す動作から手を落とすまでは1対1で習わないと、DVDや本ではちょっと分からないと思います。それに至るまでも手腕肩は刻々と変化してますよね。何拳だったか?手を差し出す時、ちょうど片方の腕に隠れ、まるで暗器をあつかっている様に感じました。
最近始められた方が、カッコよく見える時があります。たぶん、自分をしっかり見つめてる瞬間じゃないでしょうか。迷っている時は元の初心者に戻っています。駆け出しの私が言うのもなんですが…。






つながり 投稿者:事務局 投稿日:2013年 6月 3日(月)09時32分59秒 返信・引用


土佐の川えびさん 講習会の還元を高知でもしてくださっているとのこと。ありがたいです。
中国武術は、日本人にとっては、輸入武術!ですから、どうしても遠い存在だったりします。
できるだけ身近にならなければ、武術の習得はできないでしょうし、単なる飾り物になってしまうように思います。そういう意味でも講習会をあた高知でも
そのほかいろいろな土地で還元してくださり、日ごろの練習に生かしていただけると戴氏心意拳が身近なものになっていくように思います。最近では、スカイプで指導を受けらえる人もいますし、ツイッターやフェイスブック、ブログなどで戴氏の練拳を掲載している人もいます。私に練拳の写真をメールやLINEで送ってくれる人もいます。私もできる限り簡単なコメントをするようにしています。コメントがヒントや意欲の向上につながっていけばいいなあと思っています。インターネットの世界は、できることは限られてはいますが、いっぱい
つながりを可能にしたし、そういうことを利用しながら私たちもつながっていければいいと思います。8月には高知でも講習会が開けたらと計画しています。


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催する

2014-11-11 22:05:25 | 理論―陰陽五行、名言集

催 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月16日(木)22時54分7秒 返信・引用
三節の理論や勁を理解する時に、大きな誤解をよく見聞きします。ブレイクダンスのように体を波打たせて、水が流れて行くように、伝達して行くようにしていくと勘違いし、またそのように練習している人がいる。そのような勘違いをしたままだといつまでたっても武になっていかない。ところてんを押し出すようなもので、押した瞬間ところてんはとびだす。手で押してから波打つように、内部を伝道してしばらくたってからところてんが飛び出すわけではない。
丹田一動、渾身動。であって丹田が動いてから、体の中を何か液体のようなものが流れていって胸肩、肘、手と伝達して行くのではない。そのような伝達して行くようなものであったら、相手にはすぐにわかってしまうし、武にはならないわけです。
肩が肘を催し、肘が手を催す。といった時も同じです。
中日辞典を引いてもらえばわかりますけれど、「促す、促進する」という意味です。日本語では、「もよおす」と読み、会を開くとか、尿意を催すなど、意識を触発すると言ったような意味になりますから、注意しなければなりません。
「手紙」と書いてトイレットペーパーという意味だったりします。にほんごにある中国語は、覚えやすいのだけれど、意味が違っていることがあります。
Re: 催 投稿者:k 投稿日:2013年 5月17日(金)07時50分19秒 返信・引用
うさぎさんへ

ご指摘有り難うございます

> 肩が肘を催し、肘が手を催す。といった時も同じです。
> 中日辞典を引いてもらえばわかりますけれど、「促す、促進する」という意味です。日本語では、「もよおす」と読み、会を開くとか、尿意を催すなど、意識を触発すると言ったような意味になりますから、注意しなければなりません。

広辞苑によると「催す」は「1 せき立てる。催促する。 2 さそい出す。ひき起す。 3人を集める 4 課する 5 支度する 6 請け行う。開催する。」と定義されています。

私は「2 さそい出す。ひき起す」で解釈しました。

一方、「促す」は「1 せき立てる。催促する。 2 早める。促進する。 3 触れ知らせる。人を呼び集める」と定義されています。

共通の意味は「1」の「せき立てる。催促する」という定義ですが、うさぎさんの指摘は、この意味で使われているということでしょうか。

それとも、武術的な独自の使い方なのでしょうか。実はこの点について気になっている部分があります。
91ベージの記述で「催とは、随が滞らず、追は真っ直ぐ進むことである」となっています。実はこの記述は文の構造から(確信はありませんが)「催とは、随が滞らず、追が真っ直ぐ進むことである」の可能性もあるのではないかと思っています。

ただいずれの記述でも「せき立てる 催促する」よりは「さそい出す ひき起す」の方のニュアンスに近い様な気がするのですが、何か勘違いがあるのでしょうか。ちなみに「随」は「1 つき従うこと 2 思いどおりになること」のうち「つき従うこと」で解釈しています。また、「追」は広辞苑の「追う」には(私の解釈では)適当な意味がなかったので「追随」、つまり「あとにつきしたがって行くこと」くらいの解釈をしています。

お時間のある時にでもご教授下さい。

Re: 催 投稿者:k 投稿日:2013年 5月17日(金)09時25分4秒 返信・引用
補足です(^_^;)。

>実はこの記述は文の構造から(確信はありませんが)「催とは、随が滞らず、追が真っ直ぐ進むことである」の可能性もあるのではないかと思っています。

原文を以下のように解釈しました。

「催即」(催とは即ち)、「随が不滞」、(このコンマは「かつ」くらいの意味)「追が(随と同じ漢字が使われているので「が」ではないかと想像した)直進」「之意」(の意味である)


> ただいずれの記述でも「せき立てる 催促する」よりは「さそい出す ひき起す」の方のニュアンスに近い様な気がするのですが

186ページに「根節は催し、中節は追う、梢節は随する」という記述がありますが、94ページの方では「根節が中節を催し、中節が梢節を催す」的な記述になっています。つまり、「催す」を「追う」や「随する」と記述していますが、この「追う」や「随する」は「さそい出される、ひき起される」と言ったニュアンスに近いのではないかと判断したのです。

また、文脈から94ページでは「催す」は「起」「追」「随」の共通表現として使われているのではないかと解釈していました。
つまり、股の「起こり」が、腹(の感覚)を「さそい出し」、腹(の「起こり」)が肩(の感覚)をさそい出す と解釈したわけです。
Re: 催(その2) 投稿者:k 投稿日:2013年 5月17日(金)09時49分40秒 返信・引用 編集済
うさぎさんへ

> 三節の理論や勁を理解する時に、大きな誤解をよく見聞きします。ブレイクダンスのように体を波打たせて、水が流れて行くように、伝達して行くようにしていくと勘違いし、またそのように練習している人がいる。そのような勘違いをしたままだといつまでたっても武になっていかない。ところてんを押し出すようなもので、押した瞬間ところてんはとびだす。手で押してから波打つように、内部を伝道してしばらくたってからところてんが飛び出すわけではない。

以前私が「足の力が段々下の方に伝わって行く」と投稿したのでこのように解釈されたのだと思います。

私も「ところてんを押し出すようなもので、押した瞬間ところてんはとびだす。」と同様に理解し、そのような感覚を持っています。
私流の例えならば「コップの水をストローで少しでも吸い上げればその瞬間、つまり全く同時にコップの水位も下がる」となります。

以前の投稿は「頸(私の解釈では体液の流れ)が途中で途切れている(流れなくなっている)」という意味で、「コップのフロズンヨーグルトを(すでにフローズンヨーグルトが詰まっている)ストローで吸い上げた時、吸い込みが弱くストローの下の方のヨーグルトは吸い上げられなかった」という意味です。「吸い込みが強くなれば(つまり丹田がしっかり回るようになれば)」フローズンヨーグルトは水と同じように動き、上のコップの水の記述と同じ現象が起こると思いますし、今では現実に、丹田の回転前の僅かな動きで、肩、膝、踵、の関節が僅かに締まり、土踏まずが僅かに上がります。
この動きは丹田の回転と同期してよりはっきり起こってくることがあります。(ここで「あります」と書いたのは私の場合私の場合「これら一連の動きの同期」が巧く取れていない、つまり、三合が合っていない場合がほとんどなのでこのような表現になりました)

以上誤解をあたえるような記述になっていたので正確さに注意して再投稿してみました。

もしかしたらうさぎさんの感覚とは違うかもしれませんが、何かのご参考なれば幸いです。


Re: 催(その3) 投稿者:k 投稿日:2013年 5月17日(金)11時59分16秒 返信・引用 編集済
うさぎさんへ

> 丹田一動、渾身動。

この点については私も全くそう思っています。

もし私が「戴氏心意拳体験講習会」のようなものを開催したならば、先ず 股と膝関節(膝頭)を両手で同時に触ってもらい、股の締めと膝関節の締めが同時に起こっている ことを体験してもらいたいと思います。その次は 膝関節と踵が同時に締まること を体験してもらいたいです。更に、踵と土踏まずが同時に締まること(土踏まずの場合は上がると言った方が良いのでしょうが) と順を追って体験していってもらいたいです。

「丹田一動、渾身動」は他の武術にはない(と思う)戴氏の優れた特徴なので、他武道の経験者にも興味を持って頂けるのではないかと思います。
もし、蛸の様な宇宙人が参加していたならば、「すべての関節」に同時に触ってもらい、「人類はこんなに優れた身体文化を持っているのだ」と自慢したいと思います(^_^;)。

私の場合ココまでくるのに10年近くかかってしまいましたが、フェルデンクライスの理論と体験者の才能でこの時間を縮められないかとも思っています。
丹田一動、渾身動 投稿者:k 投稿日:2013年 5月19日(日)07時37分26秒 返信・引用 編集済
下で「丹田の初動と同時に節が現れ始める」という趣旨を投稿しました。

私の場合は「踵の締まりと共に土踏まず上がる(力が入る)」程度なのですが、練拳が進んでくれば「足の指にも力が来る」と思います。ここでの「来る」は下の逸話に合わせて「頸が通る」という意味で使っています。

2004年の冬の「武術」で岳建祖が次の様な逸話を披露しています。

「お父さんの練習を見たことがありますか」という質問に対して、
「あります。中指の先まで力が「来て」いました。そうやって練られた爆発力は凄まじいもので、相手はちょっと触れられただけで吹っ飛んでしまいます。」

「ちょっと」という言葉は「丹田の初動で相手が吹っ飛んだ」ことを表している言葉だと思います。

なにやら「笑うセールスマン」のラストシーンのようですが、私も霍先生に人差し指一本でベットに押し倒されたことがあります。

つまり、二人とも指を(曲げることなく)延ばしたままで力を出したことになります。

「丹田から出る力」は外部に力点を必要としないので、指を曲げなくても力を出すことが出来るのでしょう。
「指を延ばしたままで暖簾を押すことの出来る力」で、必ずしも具体的な動く運動を必要としない戴家拳の「丹田一動、(通常の意味では動いていない部分も含めて)渾身動」の特徴が具現がされていると思います。

前回は、「丹田一動、渾身動」の例として自分(初心者)の体験をもとにしていたので「丹田一動、土踏まずが動く」といった「足の指が動いていない」例示となってしまいました(^_^;)。

今回は本当の(と私が考えている)「丹田一動、渾身動」として上級者の例を投稿してみました。

この当時の岳家は「経済的に恵まれず大変苦労をしていた。ただ岳オン忠は性格は良かったな」(霍永利 談)らしいのですが、私はこの「中指飛ばし」と「性格の良さ」には戴家拳の効果の表裏一体として認識されるべきだと思っています。

この理由については「戴一族が実の息子に伝えようとしたもの」の投稿と一緒かその少し前で今回の例と一緒に投稿しようかなぁ と漠然と考えていたのですが、流れの中で今回の投稿となりました。
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巧と妙

2014-11-10 22:20:33 | 理論―陰陽五行、名言集

東京も頑張らなくては 投稿者:k 投稿日:2013年 5月15日(水)16時40分58秒 返信・引用 編集済


下の投稿から想像すると奈良の定期練習会は盛況のようですね。

東京の方ではあまりいいニュースはなく、先日投稿した「戴氏心意拳東京講習会」は参加者が集まらずに開催できなかったようです(-_-;)。

講師の方は「江戸庶民に恐れられた異能の忍者集団闇一族をも葬り去った伊賀忍法の秘術を遥かに凌駕することは勿論、近代市街戦においてならばアメリカの精鋭特殊部隊一個師団を撲滅しておつりのくる中国功夫功のみでなく、その人格と見識により霍一門を代表する高手」M老師に拝師された方なのです。

開催のニュースを聞いた時にM老師は「これで日本における戴氏心意拳の発展基盤も盤石なものとなるだろう!私も霍先生に対して顔向けが出来る!苦労して教えた甲斐があった!参加者が多くて手が回らないときは女子大生の参加者は私が教えよう!!!!」と号泣しておりました。M老師の号泣は川えびさんのDVD購入をお知らせした時「命を削って作った甲斐があった!」と号泣されて以来なので余程嬉しかったのだと思い、それにつけても今回の中止を知った時の心中は察するに余りあるものがあります。





戴氏心意拳の風景(その3) 投稿者:k 投稿日:2013年 5月15日(水)18時05分54秒 返信・引用 編集済


「2013年 4月 5日(金)20時27分」に投稿した「戴氏心意拳の風景(その1と2)」はM先生の表演を観て見学者が来たならば練習の原理にも触れている内容も含めて投稿するつもりでした。
結局見学者はいなかったのでその時は「練習の原理」の部分を割愛して投稿しました。今回の「東京講習会」の参加者がいればこの部分を投稿しようと思っていたのですが、今回も参加者はいなかったようです(-_-;)。

これ以上待つと永久に投稿できそうもないので今回投稿させて頂きます(^_^;)。

先ず、「ハイハイを身につけようとする赤子の戯れ」は大脳生理学の用語では「運動感覚学習」と呼ばれています。この内容をもう少し詳しく説明すると「運動(している時の主として関節部分の)感覚(を大脳に)学習(させること)」となります。その為に必要な三原則は 出来るだけ力を抜く 出来るだけ小さく動く 余り繰り返さない となります。

霍先生の指導では「力を抜いた状態で(胸を押してもらい)胸を凹ます」ことになりますが、この時胸の変化に伴い他の関節部分(特に肩関節)がどのように動くかを感じてもらいます。この時の動きは腕と身体の結合部の丸い骨(要するに肩関節)が付け根のくぼみの中を回転する通常の回転運動となります。

拳譜的に言えば「胸のへこみが肩を動かす」となりますが、同じ原理はフェルデンクライスでも用いられています。つまり、骨の一部を動かし繋がっている骨の他の部分がどのように動くかを感じることはフェルデンクライスでも重視されています。

ただ、拳譜では「腹が肩を催す」(94ページ)と違った表現となっています。
これは、丹田がよく回ってくると(体液の流れが増えると)肩関節の部分に「節が現れてくる」、つまり、丹田を回すことで「肩関節の部分が回転しながらその一部分が締まるように動く」ことが「腹が肩を催す」という拳譜の意味ではないかと思っています。
言葉は悪いですが、尿意を催す感覚が現れるように、肩の部分に「回転しながらその一部分が締まる」感覚が徐々に現れることを、拳譜では「催す」と表現したのではないかと思います。

ちなみに私は最初拳譜のこの部分を読んだ時「催す」という言葉の意味が、物産展を催す を連想しよく理解できませんでした(^_^;)。動くではないことは感覚的に理解できていたのですが、この言葉の意味が正確に理解できずに練拳仲間のHさんに「どういう意味ですかねぇ」とお聞きしたところ「尿意を催すと同じ意味だろう」と言われ、「その通りだ!」とその表記の適切さに驚いたことがあります。

Hさん、その際はお世話になりました。中国語は勿論日本語も不自由な私ですが今後とも宜しくご指導下さいm(_ _)m。






習熟を旨とする武術 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月15日(水)21時22分58秒 返信・引用


戴氏心意拳は、派手で華美な武術ではありません。伝統武術自体あまり人が集まってはこない現状があるでしょうから、やはり戴氏心意拳は本物志向の人たちしか集まってこないように思います。だから、たくさんは集まりませんけれども、練習にこられた人たちは、ほとんどの人たちが、真剣に続けてくださる人が多いのです。
他のスポーツや武術にはない価値、片手間ではなく人生の一部をかけてもいいのではないかと思える価値を戴氏心意拳は有していると思いますし、私たち教える側の者たちが、しっかりと参加者の方々に教え伝えることができなければならないと感じています。ですから、私たちは、常に学び続け自分自身の功を高めていかなければならないと感じています。
一方、学ぶ側の人たちには、習熟することの楽しさをしっかり捉えてもらう必要があると思うのです。
やはり、秘伝あさりをして様々な套路を覚えるのが、武術の上達なのだという先入観は取っ払ってもらわなければならない。習熟することは辛いことや根性の上に成り立つものではなく、繰り返しはただの繰り返しではなく、様々な感覚の変化、発見があるその面白さに気づくような、指導者側からも積極的に気づくようなはたらきかけが方が必要だと感じています。
習熟したいという気持ちがあれば、師からも先輩からも、仲間からも謙虚に学んでいく構えができていくようになるのではないかと思います。
私は、戴氏心意拳の仲間には、いじめのような関係や自分だけ師から教わって、他の人には教えないといったいびつな人間関係は生まれにくいと思っています。それは一人一人が、謙虚にすべての人に学んでいこうとする姿勢がもっているからです。「私だけがこのことを知っている。だから教えてやろう。」「私が一番だ。他のものには学ばない。」という気持ちや姿勢を持った時、その関係は崩れていくのだと思います。
知識資本主義、套路資本主義ではなく習熟資本主義へと移っていく武術としての当たり前の過程を再確認していくことは大事かなと思っています。

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2014-11-10 22:15:53 | 練習日記

桜栴檀(さくら・せんだん) 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 5月12日(日)20時05分40秒 返信・引用


むかし、公園や道路脇に栴檀(せんだん)の木がよく植えられたようです。
5月になれば、葉と花がセーノッ!と一緒に顔を出すのですが、近くの大きな木は先に花が咲きます。桜のようなので「桜栴檀」と呼ばれています。
木にも個性があるかと思います。
木の下に居ると、自然と頭痛が治りました。





明治神宮 投稿者:k 投稿日:2013年 5月13日(月)16時48分5秒 返信・引用 編集済


私も木には癒されます。

自宅から歩いていける距離に明治神宮という神社がありますが、この別名が「神宮の森」。
あまり誇張でもなく敷地内の道を歩いていると森の中を歩いている様な感じになります。

この敷地内に至誠館という武道場があるのですが何となく由緒がありそうな雰囲気を醸し出しています。

ちなみに敷地を出ると参宮橋という駅がありここの雑居ビルの中に「日本道観」なる団体が入っています。練拳仲間でその道に詳しいYさんによると「台湾系の道教」らしいのですが、こちらはうさんくさい雰囲気を醸し出しています(^_^;)。





明治神宮 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 5月14日(火)21時22分58秒 返信・引用


> No.465[元記事へ]

kさんへのお返事です。

>住まいの近くに神宮があるとは、うらやましいです。神社には透き通るような雰囲気がありますよね。

以前5/8に
「5則、郭雲深先生、形意~」と書かれてました。
孫禄堂先生の拳意述真のようです。
例のごとくBABジャパン「きみはもう『拳意述真』を読んだか」の笠尾恭二先生によると、「息は暗中におのずから調えられる」「呼吸の気配なく呼吸せよ」とキーワードがあります。
「心空空洞洞~」のくだりは
「心中は空々洞々、有にあらず無にあらず、まさに声無く匂い無き還虚の道である」
と解説されてます。詳しくは本書で。5則の前後や5則を含む第4章形意拳全体を読むと良く解るかも知れません。
私は九要論まで至ってませんが、参考にして下さい。。

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王映海師父関連資料

2014-11-07 21:20:22 | インフォメーション
王映海師父関連資料 投稿者:事務局 投稿日:2013年 5月12日(日)13時26分55秒 返信・引用


王映海師父系の資料の購入についてよく問い合わせがありますので掲載しておきます
戴氏心意六合拳技撃精要(DVD付) 王映海監修 王喜成、袁天輝 3260円 本会から直接入 戴式六合心意拳(DVD)3800円
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戴式心意拳倶楽部内部資料(DVD)7800円 心意倶楽部http://asialive.cart.fc2.com/?ca=5
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戴氏心意原伝拳械功法 VCD付 王毅 2500円程度 Amazon,中国書籍を取り扱った書店から入手

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