Re: 原典の味わい 投稿者:事務局 投稿日:2013年 5月 8日(水)15時24分14秒 返信・引用
>土佐の川えびさんへのお返事です。
>> p22の「拳無拳来意無意」は直訳すれば「意が無意になることによって、拳が無拳となることが来る」でしょうか?来は由来を意味すると思われる。
素晴らしい!
その通りです。
また、来は歌訣の語呂合わせの意味もあります。読むと「拳無拳、意無意、無意之中是真意」より少し柔らかい感じになります。
> 本には「拳に拳がなくなるには、意に意がないことから生まれ」と訳されますよね。
これは袁先生とだいぶ相談しました。
実は意があっても無拳はできます。
でも、意図があるので、真の無拳ではありません。
無意にいたり、そのなかの真意を見つけてからが、本当の無拳(無形)です。
日本語にすると難しいですね。
今になってみると、ありのままを表している土佐の川えびさんの訳あるいは笠尾先生の訳がいいと思います。
Re: 九要論 投稿者:k 投稿日:2013年 5月 8日(水)17時09分0秒 返信・引用
> No.445[元記事へ]
濠さんへ
> もしかすると形意拳の本などに日本語訳があるかもしれません。
> 日本は太極拳が盛んなので、
> 『太極拳十大要論』の日本語版のほうが見つかりやすいかもしれません。
> こちらもいいですよ。内容はほぼ同じです。
探してみます。
どうも有り難うございましたm(_ _)m。
Re: 九要論 投稿者:濠 投稿日:2013年 5月 8日(水)18時40分11秒 返信・引用
>kさん
どういたしまして。
見つかるといいですね(^^
もしかすると、M先生がご存じかも?
Re: 九要論 投稿者:k 投稿日:2013年 5月 8日(水)19時17分57秒 返信・引用 編集済
濠さんへ
> 見つかるといいですね
有り難うございます。一応こんな解説を見つけました(^_^;)。
「五則
郭雲深先生、形意拳術を練するに、三層の呼吸有りを言う。
第一層練拳術の呼吸、将に舌は捲回、上齶に頂住せんとし、口は開くに似て開くに非ず、合せるに似て合せるに非ず、呼吸は其れ自然に任せ、呼吸を著しく意(おも)ふべからず、手足の動作に因りて規矩に合せ、是を調息の法則と為し、また練精化氣の功夫に即すなり。
第二層練拳術の呼吸、口の開合、舌頂上齶等の規則は前に照らし、惟呼吸と前の一層は同じからず。
前者は手足の動作が是の調息の法則、此れここは息調なり。
前者は口鼻の呼吸、此れを借りることを過ぎざるを以て内外に通ずるなり。
此れ二層の呼吸は丹田の内呼吸に著意するなり、又の名を胎息、是を練氣化神の理と為すなり。
第三層練拳術の呼吸、上の両層の意義をともなうも同じからず、前の一層は是明勁、形が外に有り、二層是暗勁、形が内に有り、此れ呼吸有りと雖も無きが若し。
勿忘勿助の意思、即ち是れ神化の妙用なり。
心中空空洞洞、有らず無からず、有るに非ず無きに非ず、是れ無声無臭、還虚の道なり。
拳術を練る終始本末の次序、即ち一氣貫通の理、有より無に化するの道なり。」
ヒットした九要論も「このページを訳す」で観てみたのですが、少し違っている様な気がしています。まぁ、訳自体が機械翻訳そのままといった感じて意味をなしていないのですが、想像を逞しくするに、鍼灸で説くところの五行説に近い様な「感じ」がしていますが、これから頑張って検討してみようと思っています。
九要論 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月 8日(水)22時35分15秒 返信・引用
九要論は、戴氏心意拳拳譜の中では、プロローグ的というか、大綱を示したところだろうと思います。一 気 二 陰陽 三 三節・・・という章立ては、陰陽五行の考え方を中心においているということがよくわかるし、それを生かしながら、武術理論になっているところがなんとも知的というか、素晴らしいところです。「戴氏心意六合拳 技撃精要」でもそういう根本的なところは、大切にしたかったところです。
Re: 九要論 投稿者:k 投稿日:2013年 5月 9日(木)06時20分45秒 返信・引用
うさぎさんへ
ちょっと気になったので質問させてください。
> 一 気 二 陰陽 三 三節・・・という章立ては、陰陽五行の考え方を中心においている
岳先生が「戴氏心意拳は道家にその源をもち」と発言されていますが、その根拠として「(九大要論の九つの章立てが)道家の心法に符合する」ことを挙げています。
九要論の機械翻訳はよく理解できなかったのですが「二の陰陽と五の五行(武術では行と記述されている)」以外は陰陽五行説とは関係ない記述のように読めました(想像できました)。
うさぎさんの発言は「二の陰陽と五の五行」が九要論(武術では九大要論)の中心になっている という意味なのでしょうか。
お時間のある時にでもご教授ください。