祁県映海戴氏心意拳倶楽部 公式ブログ

戴隆邦から脈々と受け継がれる戴氏心意拳。王映海伝戴氏心意拳の日本での伝承を行う祁県映海戴氏心意拳倶楽部の公式ブログです。

2日間集中講習

2014-11-06 22:43:10 | 行事予定ー練習日程、講習会等
指導 袁天輝
場所 鹿児島県
内容 戴氏心意拳
11/8(土)講習①16:30~17:40
     講習②17:50~17:00
    講習③19:30~20:40
9(日)
     講習④8:10~9:20
    講習⑤9:30~10:40
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11月練習日程(2014 鹿児島)

2014-11-05 08:53:11 | 行事予定ー練習日程、講習会等
 1(土)19:30~20:40
 2(日) 9:30~11:00
 4(火) 19:30~20:40
 8(土) 19:30~20:40
 9(日)  9:30~11:00
10(月)19:30~20:40
11(火) 9:30~10:40
15(土)指導者私用のため休み
16(日)指導者私用のため休み
18(火) 19:30~20:40
22(土)19:30~20:40
23(日) 9:30~10:40
25(火) 19:30~20:40
29(土)休み(大阪講習会のため)
30(日)休み(大阪講習会のため)

※ 土日集中講習は、遠方からいらっしゃる方がいるときに計画します。希望があれば前もって連絡をください。
   土曜 講習①16:00~17:10
      講習②17:20~18:30
     講習③19:30~20:40
   日曜 講習④8:00~9:10
      講習⑤9:30~10:40
※ スカイプでの指導は、平日夜に行います。希望がある方は、予約を入れてください。
※ 5名以上の参加者がいれば、遠方でも指導にむかいます。
問い合わせは、
        daishijimu@gmail.com まで
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九要論

2014-11-04 22:10:41 | 理論―陰陽五行、名言集

九要論 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月10日(金)22時35分3秒 返信・引用


kさんへ 「二の陰陽と五の五行(武術では行と記述されている)」以外は陰陽五行説とは関係     ない記述
 なるほどですね。気、陰陽、五行が陰陽五行説、三節、六合は武術用語と考えるとただの陰陽五行と武術つ用語をくっつけただけの文章に見えますし、なにのおもしろみもない文章になってしまいますね。
陰陽五行説では、一 気、二 陰陽、三 三才ですよね。三才は天地人のことです。人の中にも天地があります。眉間と顎は天地の関係であり、丹田中にも天地がある。天と地が、常に流転するように、束展時には、人体の中の天地もめぐる。それを「天地翻」という。三節は、人体の中にある天地人です。
 陰陽五行とは、自然や宇宙の法則を見つめた理論でしょうから、それを、武術に当てはめたと考えると三才や六合もさらに大きな枠組の中で見えてくると思うのですがどうでしょう。武術の身体も技術もまた壮大な自然法則の中にある拳譜とはそんな理論だと思うのです。





Re: 九要論 投稿者:k 投稿日:2013年 5月11日(土)09時39分12秒 返信・引用 編集済


うさぎさんへ

詳しいご返事有り難うございました。
よく理解できない箇所もあるのですが、可能な範囲でコメントバックしてみたいと思います。

> 気、陰陽、五行が陰陽五行説、三節、六合は武術用語と考えるとただの陰陽五行と武術つ用語をくっつけただけの文章に見えます

「九要論の(「六合」等の用語も含む)一から九までの章(用語)は、道家の心法(精神の修養方法)に符合する(ぴったり一致している)」(岳先生の見解)ということではないでしょうか。つまり、これらの用語はこの文脈では道教の用語が流用されているというのが岳先生の見解だと思います。

「気血を活動させる(少林寺の素雲和尚 談)」動作で生まれる「丹田から出る力」に着目した姫龍峰が、この力を武術的に使えるように心意把(初期の心意六合拳)を創始した(黄新銘 説) のではないかと思います。

戴家の伝人はこの心意把を「戴家の道教」適用して理論的に解釈、理解、発展させようとしたのではないでしょうか。
別の言い方をすれば、道教の心法の記述を(章立ては同じですが心意把の動作に特化して)より具体的に記述したものが九要論ではないかと思うのです。

人間は具体的な現象を理解しようとする時、その前提として「何らかの知的枠組み(知的な土壌)」を必要とします。この知的枠組みは、陰陽五行説であったり、西洋医学であったりするわけですが、戴家の場合はこの「知的枠組み」が「道教」だったと思うのです。

ただ、「戴家の道教」については「判明していない(霍永利 説)」という立場もあるようです。

中国の三大宗教の一つである道教について「判っていない」ということの意味については、分けて投稿したいと思います。






道教概略 投稿者:k 投稿日:2013年 5月11日(土)10時15分27秒 返信・引用 編集済


道教は不老不死を目指す人間の性から生まれたと思います。

初期の道教は不老不死の為の具体的な方法として外丹を採用していたようです。

具体的には「丹砂(硫化水銀)を主原料とする「神丹」「金丹」「大丹」「還丹」などと称される丹薬や、金を液状にした「金液」が服用された。」ところが、「このようなものは実際のところ人体に有害であり、唐の皇帝が何人も丹薬の害によって命を落とした」ので、誰も服用しなくなったようです(^_^;)。

もうこうなると「ニンニクを入れたみそラーメンかラー油を入れたみそラーメンか」という「味覚の問題」ではなく、「生死問題」となるわけです。

ただ、道教の目的は「不老不死」て「外丹の服用」は手段ですから、別の手段が検討されることになります。次に検討された手段は内丹で、これは「不老長生のために外的な物質を求める外丹術の代わりに、不老不死の素となるものを体内に求める思想が興り、これが内丹」で、要するに「一連の身体技法」なのですが「具体的な技法としては百花繚乱」といったことになってしまいます。内丹では(余程過激な行でなければ)死ぬ人が少なかったのでしょう。どんどん細分化が進み「色々な道教」が生まれていったようです。

「戴家の道教」は九がラッキーナンバーなのではないかと想像しますが、私か読んだ中には十二をラッキーナンバーにしたものもありました。当時の天文学である十二支を取り入れたのではないかと想像されますが、内容的には「星が出ている夜にUFOを呼んで宇宙人に不老不死にしてもらおう!」的なものだったと思います。

ただ「この道教」も「最先端科学である十二支理論に基づいている」という主張で権威づけするのではなく「古代から続く正当な道教」といった感じで権威づけをしていました。

九要論と章の名前が一致していると岳先生が主張される「戴家の道教」にも「陰陽や五行」という章があったのだと思います。
名前からして陰陽説や五行説を取り入れて成立したと想像されますが、「古代から続く道教独自の理論として記述されている筈だ」というのが、霍先生の見解のようです。





道教と戴氏心意拳 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月12日(日)08時20分7秒 返信・引用


 戴氏心意拳は、道教の影響も受けて成立してきたのは事実でしょう。道教の教典の記述と拳譜の内容がほとんど一致しているところもあるのです。そういうところは、私はあまり手を付けていないのですが、「戴氏心意拳の成立と道教の関係」を知る上で非常に重要な部分だと思います。
 一方、道教は宗教ですから、裾野が広い。宗教はやはり原理的な面と現象的な面があります。宗教は長い歴史の変遷を経て多くの現象が出てくる。そのすべての道教像を戴氏心意拳は受け入れたわけではないでしょう。むしろ戴氏心意拳には、道教や蟷螂拳の影響を受けながら、成立していったとまあ一般的な解釈でいいのではないかと思っています。
 道教の影響では、裾野の広い歴史的な変遷の中で現れてくる現象面を様々に取り上げていくとだんだんわからなくなってきますから、なるべく原理的なところの関係を探っていくと
見えてくるのだろうと思います。これからの研究に期待したいところです。





Re: 道教と戴氏心意拳 投稿者:k 投稿日:2013年 5月12日(日)11時18分48秒 返信・引用 編集済


> No.461[元記事へ]

うさぎさんへ

> すべての道教像を戴氏心意拳は受け入れたわけではないでしょう。むしろ戴氏心意拳には、道教や蟷螂拳の影響を受けながら、成立していったとまあ一般的な解釈でいいのではないかと思っています。

「心意六合拳の初期拳法を演ずることが出来る人間は今はもういない。我々はその原型を清時代に編集された「心意六合拳拳譜」第九章「六合十大要序」に拠りかろうじて想像できるにとどまる。」(黄新銘 談)なのですが、この「心意六合拳拳譜」と「戴家の道教教義」(もしあれば)によって「九要論」が編纂されたというのが常識的な解釈なのかも知れませんねぇ。

>  道教の影響では、(中略)なるべく原理的なところの関係を探っていくと見えてくる。

技撃精要では91ページから九要論が取り上げられていますよねぇ。うさぎさんくらいの下地があれば、もし複数の異なった「道教教義」を観ればどれが九要論の元になった内容かどうかも判断できるのではないでしょうか。
ご覧になったことがあるかどうかは知りませんが、もし「心意六合拳拳譜」を入手できる機会があれば、第九章「六合十大要序」については日本では余人には不可能な読解力を発揮されると思います。

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七情と練拳

2014-11-02 22:35:41 | 練法・技撃・学び方・健康・技法体系
七情と練拳 投稿者:うさぎ 投稿日:2013年 5月10日(金)21時43分28秒 返信・引用


中国の伝統的な身体観の中で七情ということがよく言われます。病院に行っても、「ストレスですね」といわれ、ストレスが体には良くないとわかっていても、どのように身体に悪い影響を与えるかは語られない。感情が身体に与える影響をどのようなシステムで働くのかを数千年前の中国の人たちが考えていたなんて、私はすごいと思いますし、戴氏の練拳には、そのような古代からの理論が、守られてきているわけです。霍先生が言われた「怒っている時には、練拳をしてはいけない」というのは戴氏心意拳では一般的に言われることですし古代からの伝わってきた理論が生かされている一つです。
 七情というのは、「悲しむ」「憂う」と気は消え、「喜ぶ」と気は緩む。怒る」と気は上がり、「思う」と気は結ぶ。「驚く」と気は乱れ、「恐れる」と気は下る。それぞれの感情は、五臓に対応し、それぞれの感情がどのように身体に影響するかを示しています。
 練拳者が練拳をしている時には、その神気を見て、気を緩めていけばよいのか、結ばせていったほうが良いのかを指導していきますし、それだからこそ外形だけを見るものではなく、内面を見つめていく心意拳の真骨頂だと思います。この七情や神気と練拳については、
「戴氏心意六合拳 技撃精要」では、うまくまとめきれなかったため、削除したところなのです。続編では掲載したいと思っています。
 話を元に戻しますと
「怒っている時には、練拳をしてはいけない。」というのは、怒ると気が上るわけですからのぼせたり、体力が急激に消耗したり、卒倒したり、血圧が上がったり、気持ちが急激に落ち込んだりするわけです。ですから、練拳をして気を使ったり、気を上げたりしますと、
体にわるいわけです。こういうことってきちんと教えを受けていたほうがいいことですよね。成長することは、死に向かう道ですし、武術することは、自分を強くする道であると同時に、自分の体を痛める道でもあるわけです。だから、自分を成長させるために武術をしていくわけですが、一方では自分を傷め、悪くする可能性も同時に秘めている。その傷め悪くすることを予防するために、戴氏なりのいろいろな教えや戒めがあるわけです。そこのところはP18~20、47~49とかに書いていますので、そんな視点で見ると、小難しく感じた文章も面白く読めるかもしれません。
 ちなみに、私は、怒った時も練拳することもあります。「怒ったときは、練拳をしない。」ということはよくわかるのです。ですから怒ったときは、練拳はしない。だけど、」一方では、怒ると気は上がるわけですから、沈める練拳をすればいい。だから、してはいけない練拳としてもいい練拳もあるわけです。私が、陰陽五行拳の身体観と戴氏心意拳の練拳をセットにして理解していったほうがいいですよと皆さんにおすすめするのは、戴氏の伝統の中にもともとそれを元にしてたいしが語られてきたわけですし、その中に戴氏心意拳の深奥があるからだと思うからです。
 
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「拳無拳、意無意、無意之中是真意」

2014-11-02 09:24:07 | 理論―陰陽五行、名言集

原典の味わい 投稿者:土佐の川えび 投稿日:2013年 5月 9日(木)14時53分17秒 返信・引用


> No.448[元記事へ]

事務局さんへのお返事です。

> また、来は歌訣の語呂合わせの意味もあります。読むと「拳無拳、意無意、無意之中是真意」より少し柔らかい感じになります。

>表現って、面白いですね。

> 実は意があっても無拳はできます。
> でも、意図があるので、真の無拳ではありません。

興味深いですね。
>「拳に拳なく」の意味はあまりよく分かっておりません。まだ、当たり前かも知れませんが。
かつて、私の太極拳の師が
「人は、人前で演舞するのを恥ずかしがったり、また、イタズラに自分をかっこよく見せようとする。しかし、有りのままの自分、かざらない自分で良いではないか」
と。そういう事を考えさせてくれる先生でした。今にして思えば「無意」のプロセスの一つだったのかも知れません。





雑感 投稿者:k 投稿日:2013年 5月 9日(木)16時44分5秒 返信・引用 編集済


公式ブログを読んでいたら「霍永利老師と村上さんからご指導を頂いたことがあります。しかしあるとき練習を参加しても、いくら指導を頂いても、前へ進めませんということを悩み、やめようかと考えたことがありました。」という投稿が目に留まりました。

この投稿がきっかけという程でもありませんが、以前から投稿しようと思っていた「人と人の心が交わる」についての雑感を書いてみたいと思います。

「股を閉めることで体液を下腹部に集め」ながら「胸を凹ませることでへそが上を向く腹を作る」ことで「体液を下腹部で回転させている」のではないかと気づいた時から、「股の締め方は霍先生の股を指で触って感覚的に理解している」し「胸の凹まし方とそのタイミングも霍先生に直接指で押してもらって身に付いている」のだから「戴家拳の基礎を身につけるのは毎日ゆっくりと練習していけば時間の問題ではないか」と思った時期がありました。

まぁ、これはこれで間違いではないのですが一番大切なものを見落としていました。

寒い日に外出から帰ってホッとした時、身体は疲れていたのですが、何故か「丹田功が巧く出来そうだ」と思ったのです。試してみると 下腹部が本当に良く回る スグ疲れが出たので二分くらいで止めたのですが、「リラックスしているとこんなに効果が違うんだ」と再認識しました。
「怒っている時は練習してはいけない」と霍先生から教えられてはいましたが、休日の練習で「胸の凹ましと股の締めのタイミングを合わせよう」と(集中ではなく)緊張していると1日練習しても(2ないし3分程度の時間ですが)このリラックスした練習程の効果がないことも体験しました。

「親に見守られて安心しきった状態で初めてハイハイが出来るようになる」ので、この原理を適用しようといのがフェルデンクライスの要諦の一つとなっていますが、この「親に見守られて安心しきった状態」が「人と人の心が交わる」と重なる様な気がします。

どちらに原因があるということではなく「身に付かない」と判断した段階で「怒っている」とか「緊張している」と同じ様に「戴氏が要求するリラックスした状態」からは遠のいてしまったのではないでしょうか。

この方が今も戴氏を続けられているかどうかは知りません。
勿論、続けていなくても「もっと良い趣味」と出会う、あるいは出会っている可能性もあるわけですから問題はないと思いますが、少し残念な気がしたのも事実です。






雑感(補足) 投稿者:k 投稿日:2013年 5月 9日(木)17時50分56秒 返信・引用


下の投稿を読まれて「そんなことを言ったら練習できないじゃないか!」と思われた方も多いのではないかと思います。

あくまでも理想的な状態と解釈してもらいたいと思います。
疲れている時はフォームが乱れて悪い癖がつく可能性があるから練習してはいけない は戴氏では「原則」なのですが、寒い晩に自宅に戻りシャワーを浴びようと下着になった時、ホッとしてリラックスし一時的にでも集中力が戻れば、効果的な練習が出来る ということです。

ヨガの方では「リラックスしようと意識的に集中し(不安材料を一時的に忘れて)、身体の力みを取ることが出来る」という考え方もあるようです。(()内は私の私見です。)
この考え方は戴氏の練拳時にも適用できると思いますし、多くの方に取っては必要なメンタルテクニックではないでしょうか。

この部分に関してはもう少し「濃いめの私見」があるのですが、その前に投稿したい内容もあるので、この投稿を読まれた方は「今日は練拳を休もう」と思わずに、「趣味を楽しもう」と考えて頂きたいと思います(^_^;)。

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