まず心臓の音を聞く。
電源ファンの稼動音。
自分の呼吸音。隣の女性の呼吸音。
音を聞くと落ち着く。
だから僕は狂咲黄泉子と会話をする前はいつもこうして音を聞く。
「落ち着いたかね、君」
「うん。始めていいよ黄泉子さん」
隣の女性。
僕は同年代の異性のことは「女の子」と表現し
実際に声をかける時は苗字で、つまりは「狂咲さん」と呼ぶようにしてるが
彼女は魔女のような魔女だし
「くるいざき」と言う名前は一般的には呼ばれたくない種類の苗字だろう。
まぁ、実際。
ストレンジな彼女にスンダードな配慮が必要なのかは謎だけど。
毎週金曜日は黄泉子の日だ。
科目名は「怪治学」
黄泉子の黄泉子による黄泉子と僕だけの学問。
断っておくとこの話はオカルトじゃない。
「私が君に教えるのは政治学なんて正統なものではなく
怪物的な怪しい政治学、略して怪治学なのだよ、君」
という彼女の前衛的なネーミングによる誤解。
そう、この話は幽霊ではなく政治の話だ。多分。
「確か前回は自由や平等など幸せの前では何ら意味のない概念だという話まではしたよね、君」
「そこまで圧倒的に自由と平等が無意味という結論に達した覚えはありませんけど」
「物事は極端な程度は丁度いい」
「・・・・・そうですか」
これが天才ゆえのストレンジならば物語的なのだけれど
生憎と狂咲黄泉子は(そして残念ながら僕も)正真正銘の凡人だ。
彼女はただ普通に普遍に奇抜だけが取柄の17歳。
だからこそ、僕のような凡人でも彼女の言葉が楽しめるのだろう。
「違いはそれだけで素晴らしい。そこには理解の余地がある」
これも彼女の言葉だったっけか。
「では具体的に王様は具体的に何の為に政治をすればいい?」
「王様って・・・・・一応この国は民主主義国家ですよ」
「王様は常にいる。名前と役職を変えても本質は騙せない」
「つまり『一番偉い人』を都合の上で王様と呼ぶ訳ですね」
「その答えは間違いだが面倒だしそれでいいや。最初の質問の答えが欲しいな、君」
「うーん・・・・・やっぱり国民の為でしょう。昔の人も『国の為に人があるのではない、人の為に国があるのだ』とか言ってたし」
「それは間違いだよ、君。大間違いだ」
彼女は僕が間違えるととても機嫌よく喋る。
理由を聞くと「人間は自分より馬鹿な人間がいることを楽しめる生き物なんだよ、君」と少し前に答えた。
ひどい話だが僕にも思い当たる経験はあるので怒るのを忘れて納得してしまったなぁ。
「じゃあ何なんです?」
「順番が違うのさ。まず王様は王様自身を幸せにしなくちゃならない。
当然だろう?何で他人の為に政治をしなくちゃいけないのさ。
神様はそんなことを許さない。
あの空想上の概念はいつだって「自らを助く」ことだけを許してるのさ。
前回の教訓を忘れるな。
『全ては幸せの為に』
『国の為に人があるのではない。人の為に国があるのではない。幸せの為に国があるのだ』
さぁ、復唱したまえ、君」
僕は復唱をした。自分の頭で咀嚼しながら。
『国の為に人があるのではない。人の為に国があるのではない。幸せの為に国があるのだ』
「分かるかい、君。
私達は一人残らず歯車だ。一人じゃ何も出来やしない。
だから社会があるんだ。だから家族があるんだ。だから国家なるものが存在するんだ。
一人で生きられるなら私はとっくにこの星にいない」
狂咲黄泉子は一人の世界ではどこにいるのだろう。
それはまた別の機会に語るとして
今は政治を考えよう。怪しく怪物的な政治のことを。
「つまり国家は幸せになるのに不可欠だと黄泉子さんは考えてるんですね」
「考えるんじゃないよ、君。事実を語ってるのさ。
マズローの五段階欲求説は知ってるかな?
まぁ、これは実験でちゃんと裏づけされたデータは存在しないらしいけど
そんなことはどうでもいいよね。
大切なのは正しさより納得なんだから」
彼女はPCからワードを開き標準的な速度で(僕はこういう女性は神業的にパソコンが得意でなければ嘘だと思う)タイプする。
「生理的欲求」
「安全の欲求」
「所属と愛の欲求」
「尊重の欲求」
「自己実現の欲求」
「この話を知らなくても感覚的には分かるだろう?
要するに人間は衣食住満たされ安全な領域を有し共同体に所属した多数派の価値基準によって評価されたい訳だ。
まぁ、生理的欲求は動物も持ってる本能欲求だから満たせるかもしれないが
残りの欲求は、普通に考えれば国家という存在がなければ満たされないし
仮に満たせたとして『国家を使った方が遥かに楽』な話だ」
「つまり王様は幸せになる為にまず国家を創る訳ですね」
「そう、国家創造。
既に国はあるなんて嘘はなしだぜ、君。
確かに『国と呼ばれる為に組織された国』は世界中にあるが
『幸せになる為に作られた国』は世界のどこにもありはしない」
「イスラエルはどうなんです?」
「群れる為の国だ。
信仰の為の国だ。
打算と嘘と謝罪と聖書で出来た国だ。
信仰国家、あるいは宗教国家というものは『幸福国家』の概念には割合近い。
だが所詮は宗教だって幸福の為のツールに過ぎないんだ。
余分な部品。
私なら最初から『幸せを求めて国を作る』よ、君」
「よく分かりませんよ黄泉子さん」
「人は何も分からないよ」
アラームが鳴る。
十分の休憩。ルールではないが暗黙の了解。
黄泉子さんはこの間に二人で会話した内容をパソコンに記録する。
単純に内容を記録したいだけなら録音機でも使えばいいと思うのだが
「文字は人類が持ちうる最高のツールだよ、君。
何しろ書くだけで書いたこと以上の発想と空想が生産されるのだから」
と、この方式を辞めない。
まぁ実際読み返したりするのは本やノートの方が楽ではある。
「ねぇ黄泉子さん、意地悪な質問をしていいですか?」
「構わないよ、君。意地悪は大好きだ。する方もされる方も」
「黄泉子さんの政治・・・・・というか思想は多分『幸福であること』が最上位にあるんだと思います。
でも、『幸福であること』は本当にそんなにいいことなんですかね?」
「いい質問をいいタイミングで語る。やはり君は君だね、君。
そう。私がこれまで、そしてこれから語るのは『幸福は絶対的に正しい』という価値観に根付いている。
これが覆されれば私の過去現在未来の言葉は力を失うね」
「じゃあ・・・・・」
「断言しよう。幸福であることは全てに優先する」
魔女は笑う。
「何故ならば幸福とは『結果』だからだ。
『過程』じゃない。
人間が何の為に生きるのかは狂咲黄泉子とて知らない。
だが幸せであればその生涯は何らかの意味を持つ。
そして神が地上に舞い降りて『お前達は幸せになる為に生まれてきた訳ではない』と恫喝しても
人々は幸せである限り、死に際を笑顔で飾れるだろう。
君。
私はその生涯の終着点において笑顔でいられる以上の幸福を知らない」
彼女の言葉は正しいのか。
その答えを僕は知らない。
彼女の論理は決定的に破綻しているのかもしれないし
絶対的な真理の前では幸福なんて何の価値もないかもしれない。
だけど思うのだ。
夕焼けと風に揺れる黒髪の魔女。
狂咲黄泉子。
彼女をこんなにも綺麗に笑顔させる願いの形ならば。
それは僕にとって信じるに足るサイコロジカルなのだと。
「さぁ、始めようか、君。
狂咲黄泉子の怪治学。
願いは一つ、想いは一つ、目指すべき未来は一つ」
最高の笑顔で告げる。
「私と君に幸せを」
電源ファンの稼動音。
自分の呼吸音。隣の女性の呼吸音。
音を聞くと落ち着く。
だから僕は狂咲黄泉子と会話をする前はいつもこうして音を聞く。
「落ち着いたかね、君」
「うん。始めていいよ黄泉子さん」
隣の女性。
僕は同年代の異性のことは「女の子」と表現し
実際に声をかける時は苗字で、つまりは「狂咲さん」と呼ぶようにしてるが
彼女は魔女のような魔女だし
「くるいざき」と言う名前は一般的には呼ばれたくない種類の苗字だろう。
まぁ、実際。
ストレンジな彼女にスンダードな配慮が必要なのかは謎だけど。
毎週金曜日は黄泉子の日だ。
科目名は「怪治学」
黄泉子の黄泉子による黄泉子と僕だけの学問。
断っておくとこの話はオカルトじゃない。
「私が君に教えるのは政治学なんて正統なものではなく
怪物的な怪しい政治学、略して怪治学なのだよ、君」
という彼女の前衛的なネーミングによる誤解。
そう、この話は幽霊ではなく政治の話だ。多分。
「確か前回は自由や平等など幸せの前では何ら意味のない概念だという話まではしたよね、君」
「そこまで圧倒的に自由と平等が無意味という結論に達した覚えはありませんけど」
「物事は極端な程度は丁度いい」
「・・・・・そうですか」
これが天才ゆえのストレンジならば物語的なのだけれど
生憎と狂咲黄泉子は(そして残念ながら僕も)正真正銘の凡人だ。
彼女はただ普通に普遍に奇抜だけが取柄の17歳。
だからこそ、僕のような凡人でも彼女の言葉が楽しめるのだろう。
「違いはそれだけで素晴らしい。そこには理解の余地がある」
これも彼女の言葉だったっけか。
「では具体的に王様は具体的に何の為に政治をすればいい?」
「王様って・・・・・一応この国は民主主義国家ですよ」
「王様は常にいる。名前と役職を変えても本質は騙せない」
「つまり『一番偉い人』を都合の上で王様と呼ぶ訳ですね」
「その答えは間違いだが面倒だしそれでいいや。最初の質問の答えが欲しいな、君」
「うーん・・・・・やっぱり国民の為でしょう。昔の人も『国の為に人があるのではない、人の為に国があるのだ』とか言ってたし」
「それは間違いだよ、君。大間違いだ」
彼女は僕が間違えるととても機嫌よく喋る。
理由を聞くと「人間は自分より馬鹿な人間がいることを楽しめる生き物なんだよ、君」と少し前に答えた。
ひどい話だが僕にも思い当たる経験はあるので怒るのを忘れて納得してしまったなぁ。
「じゃあ何なんです?」
「順番が違うのさ。まず王様は王様自身を幸せにしなくちゃならない。
当然だろう?何で他人の為に政治をしなくちゃいけないのさ。
神様はそんなことを許さない。
あの空想上の概念はいつだって「自らを助く」ことだけを許してるのさ。
前回の教訓を忘れるな。
『全ては幸せの為に』
『国の為に人があるのではない。人の為に国があるのではない。幸せの為に国があるのだ』
さぁ、復唱したまえ、君」
僕は復唱をした。自分の頭で咀嚼しながら。
『国の為に人があるのではない。人の為に国があるのではない。幸せの為に国があるのだ』
「分かるかい、君。
私達は一人残らず歯車だ。一人じゃ何も出来やしない。
だから社会があるんだ。だから家族があるんだ。だから国家なるものが存在するんだ。
一人で生きられるなら私はとっくにこの星にいない」
狂咲黄泉子は一人の世界ではどこにいるのだろう。
それはまた別の機会に語るとして
今は政治を考えよう。怪しく怪物的な政治のことを。
「つまり国家は幸せになるのに不可欠だと黄泉子さんは考えてるんですね」
「考えるんじゃないよ、君。事実を語ってるのさ。
マズローの五段階欲求説は知ってるかな?
まぁ、これは実験でちゃんと裏づけされたデータは存在しないらしいけど
そんなことはどうでもいいよね。
大切なのは正しさより納得なんだから」
彼女はPCからワードを開き標準的な速度で(僕はこういう女性は神業的にパソコンが得意でなければ嘘だと思う)タイプする。
「生理的欲求」
「安全の欲求」
「所属と愛の欲求」
「尊重の欲求」
「自己実現の欲求」
「この話を知らなくても感覚的には分かるだろう?
要するに人間は衣食住満たされ安全な領域を有し共同体に所属した多数派の価値基準によって評価されたい訳だ。
まぁ、生理的欲求は動物も持ってる本能欲求だから満たせるかもしれないが
残りの欲求は、普通に考えれば国家という存在がなければ満たされないし
仮に満たせたとして『国家を使った方が遥かに楽』な話だ」
「つまり王様は幸せになる為にまず国家を創る訳ですね」
「そう、国家創造。
既に国はあるなんて嘘はなしだぜ、君。
確かに『国と呼ばれる為に組織された国』は世界中にあるが
『幸せになる為に作られた国』は世界のどこにもありはしない」
「イスラエルはどうなんです?」
「群れる為の国だ。
信仰の為の国だ。
打算と嘘と謝罪と聖書で出来た国だ。
信仰国家、あるいは宗教国家というものは『幸福国家』の概念には割合近い。
だが所詮は宗教だって幸福の為のツールに過ぎないんだ。
余分な部品。
私なら最初から『幸せを求めて国を作る』よ、君」
「よく分かりませんよ黄泉子さん」
「人は何も分からないよ」
アラームが鳴る。
十分の休憩。ルールではないが暗黙の了解。
黄泉子さんはこの間に二人で会話した内容をパソコンに記録する。
単純に内容を記録したいだけなら録音機でも使えばいいと思うのだが
「文字は人類が持ちうる最高のツールだよ、君。
何しろ書くだけで書いたこと以上の発想と空想が生産されるのだから」
と、この方式を辞めない。
まぁ実際読み返したりするのは本やノートの方が楽ではある。
「ねぇ黄泉子さん、意地悪な質問をしていいですか?」
「構わないよ、君。意地悪は大好きだ。する方もされる方も」
「黄泉子さんの政治・・・・・というか思想は多分『幸福であること』が最上位にあるんだと思います。
でも、『幸福であること』は本当にそんなにいいことなんですかね?」
「いい質問をいいタイミングで語る。やはり君は君だね、君。
そう。私がこれまで、そしてこれから語るのは『幸福は絶対的に正しい』という価値観に根付いている。
これが覆されれば私の過去現在未来の言葉は力を失うね」
「じゃあ・・・・・」
「断言しよう。幸福であることは全てに優先する」
魔女は笑う。
「何故ならば幸福とは『結果』だからだ。
『過程』じゃない。
人間が何の為に生きるのかは狂咲黄泉子とて知らない。
だが幸せであればその生涯は何らかの意味を持つ。
そして神が地上に舞い降りて『お前達は幸せになる為に生まれてきた訳ではない』と恫喝しても
人々は幸せである限り、死に際を笑顔で飾れるだろう。
君。
私はその生涯の終着点において笑顔でいられる以上の幸福を知らない」
彼女の言葉は正しいのか。
その答えを僕は知らない。
彼女の論理は決定的に破綻しているのかもしれないし
絶対的な真理の前では幸福なんて何の価値もないかもしれない。
だけど思うのだ。
夕焼けと風に揺れる黒髪の魔女。
狂咲黄泉子。
彼女をこんなにも綺麗に笑顔させる願いの形ならば。
それは僕にとって信じるに足るサイコロジカルなのだと。
「さぁ、始めようか、君。
狂咲黄泉子の怪治学。
願いは一つ、想いは一つ、目指すべき未来は一つ」
最高の笑顔で告げる。
「私と君に幸せを」