主にというか確実にワドさん対するリアクト。
書いた趣旨としてましては毎度のごとく
「カッとなって書いた。今は反省している」的
犯罪者の如き脊髄反射文だった訳ですが
あえて過去に立ち戻り
伝えたかったことは何かと考えれば多分
「民主主義にしても独裁体制にしても良質である為には純度が高くなければならない」
と思う次第。
例えば独裁政治の場合、余計な知恵は返って害悪です。
現在の日本では何か問題があれば政権のせいにされますが
(時には数代前の馬鹿の為に何の責任もない人間が泥を被るのは同情する)
独裁政治のいい所というのは「強権によって指導者の意思が迅速かつ大きく反映される」
いわゆる影響力の大きさがメリットな訳です(指導者が無能だとデメリットだけど)
つまり客観的な視野から見た場合「影響力の大きさ」を利用する政治体制なのに
影響力に揺らぎを与える、政権批判は本当にメリットがあるのか
システムとして見た場合、政治システムを変えうるだけの(独裁政治の終結)
うねりでなければ逆に指導者の影響力を下げ、国家と民衆の対決構図を作り
結果として国力を減退させるだけではないか。
そういう視点から見ると中国や北朝鮮の粛清も理解できますね(まぁアレは単なる指導層の保身だろうけど)
さて、次に民主主義ですがこの政治体制は国民が優秀でなければ上手く機能しません。
これは当然の話。
独裁政治も民主主義も「力」の行使者が違うだけで行使するものの器量で
繁栄もするし衰退もするものです。
そして砂蜥蜴は日本国民が民主主義を十分に活用できるだけの能力を持ってるとは思えません。
昨夜、妹が言いました。
「選挙権なんていらないよね?」
彼女が特別ダメな訳ではないのです。
彼女は両親から十分な教育を受けてきましたし
学歴、能力も平均か、それより上の水準に位置する人間です。
全体として、この程度の認識しかないのです。
では「今の若い世代はに何事も無関心で・・・」と語る世代はどうでしょう。
批判は可能でしょう。事実として彼らは新聞紙上でテレビで
様々な場面で政治家の掲げた政策を否定し批判します。
しかしそれに代わる代案を持ちません。
批判は誰でも出来ます。
大切なのは問題部分を指摘し、更にその部分を具体的にどう修正するかです。
そこに議論の必要性が生まれ、論理と理論が武器となります。
空気という「場」が世界を支配するならば論理も理論も正義も道徳も無力です。
必要とされる能力は知識や理性ではなく煽動者としての才覚であり
大衆という名の豚をいかに飼いならすかの算段へと成り果てる。
メディアが現代の宗教となる世界です。
小泉純一郎は「改革」を成し遂げました。
それは郵政民営化でも、行政改革でも、靖国参拝でもありません。
「やればかわる」
この厳然たる事実を国民に突きつけたのが彼の改革の成果です。
その変化の善悪は別にして彼は多くの事を変えました。
彼はメディアを利用し、国民を魅了し、己の政策を実行しました。
はっきり言って郵政民営化は彼が首相でなければ行われなかった変化でしょう。
そして、それが行われなくとも世界は廻り続けた変化です。
しかし彼は変化を望みました。
彼以外の大多数が強い必要性を感じず、多くの問題と抵抗勢力が存在し
また民営化自体にも欠陥が指摘されていたにも関わらずこの政策は実現しました。
大切なのは郵政民営化ではありません。
従来の政治観であれば成立せず、また成立させる必要のなかったものでさえ
国の最高権力者がそれを望み、国民がそれを支持すれば変革は起こる。
21世紀はネットの時代です。
そしてネットは確かな論理性と共感性を所有するならば
「空気」を作り、変化させるだけの力があります。
私達国民は自分達が思っている程無力ではありません。
少なくとも若者達は政治を「納得して失望」していないと砂蜥蜴は考えます。
何となく遠い世界のことだと考え
何となくその大きさに介入など無理だと考える。
誰もが東大には行けません。
誰もが歌手にはなれません。
誰もが愛される訳ではありません。
努力しても無駄なことは無数に存在します。
ですが
政治は誰でも変えられます。
少なくとも、あなたの信じる変化の一部となり
あなたの決意は一つの力として世界に影響を与えます。
結果としてあなたの望んだ変化は起こらないかもしれません。
しかし言論の世界には少数意見の尊重という概念が存在します。
少数でも、主流とはなれない変化でも
そこに一つの意思があればそれは記録され
そこから同調という波や配慮という波が生まれます。
砂蜥蜴は日本が好きです。
この国には変化を望み、期待するだけの価値があると断言できます。
この世界がもう少しマシになるならば、私という力を貸すだけの価値があると断言できます。
この星は私達が泣いてしまう程に汚く、愚かで、どうしようもない世界です。
そして同時に。
この星は私たちが泣いてしまうくらい、ほんの少しだけ優しいものが残っています。
・・・・
・・・・・・長い。閑話休題。えぇ、本文より長い閑話でしたが閑話です。
すごく短くまとめると
「王政崩壊という記事は
我々は自分達が国家を動かすだけの矜持と知性を失いながら
さりとて王と臣民の関係に戻るのが耐えられない程度の知恵だけはつけた
半端な生き物だよね。」
ということだと思います。違うか。分からない。てか眠い。寝ます。
砂蜥蜴と空鴉は優れた国民と指導者によって統治される日本を応援しています。
2800年くらいには実現して欲しいですね。