Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

「待つ」我慢強さ

2012-01-22 23:59:59 | 雑感


本題に入る前に、結論が短い一方で、かなり長くなると思いますが、前置きを…。

引用した画像は、『3年B組金八先生』の第7シリーズで、私が印象に残っているシーンの一つです。
凄く前、拙ブログが建って間もなく、「漢字一文字の手紙」と題して記事を書いていますが、これも、第7シリーズの卒業のシーンです。
ですから、引用した画像のシーンは、2番目位に強く印象として残っています。

あらすじは、このリンク先を参照して頂くとして、引用した画像は、坂本 金八 先生(演:武田 鉄矢 さん)と「最も長い付き合いのある同僚」として存在感を示していた、数学の乾 友彦 先生(演:森田 順平 さん)が、初めて二人きりで語りながら、屋台で飲んでいるシーンです。

この時、坂本 金八 先生は、薬物に手を出して警察に逮捕されてしまった、教え子である丸山 しゅう 君の更生のために全力を注ぐ決意を固めると同時に、愛する生徒を薬物に奪われた責任から、教師を辞する決意を固めていました。
その金八先生の「辞意」をいち早く察し、その「撤回」のために、金八先生に寄り添う形で、乾先生が熱心に説得するのです。
(蛇足かもしれませんが、シリーズ初期の「生真面目で頑固で鋭利的且つ直線的」だった、あの乾先生が、後期から凄く丸くなって、自分と全く異なるタイプの金八先生の「辞意撤回」の説得に回るという「ギャップ」も、このシーンを印象深くしていると思いますね。)

その、乾先生の「熱意」(=引用画像のシーンの、約4分間の台詞)…ほぼ全部引用して紹介します。

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こうやって、(坂本金八先生と)二人だけで飲むのは、ほとんど始めてみたいなものですかね?。
先生とは、何年になりますかね?、もう…。(坂本金八:25年ですよ。)そんなになりますかぁ…。

そもそも私は、先生とは違うタイプの教師でした。
これといった理想もなく、ただ「教える事だけ」が、仕事だと思っていました。
それがいざ教師になってみると、子供達は、世話の焼ける事ばっかりで、私は、教える事に、苛立ちを覚えていました。

覚えていますか?。先生が着任して早々、私が、3Bと、もめた事。
試験の出来の悪かった生徒達を、「ピーマン10」とかって言って詰ったら、連中怒り出して、私に暴力を振るいましたでしょ。あの時先生、私のマンションにまでやってきて…やりあいましたよね。

そのあと先生は、国語の授業で数学を子供達に教えました。
事もあろうに先生は、その授業を私に見学しろ、って言いました。それは、私への当てつけだ…と思いましたよ。

でも……あれは素晴らしい授業でした…。

授業が終わって、感想を聞かれた時、私はこう答えました。

「確かにわかりやすくて、子供達の食いつきは良かったけど、あれは授業じゃない、ショーだ!」

って。

でも…本当の事を言いますとね、実は、そこで初めて、私は自分に欠けている物に気が付いたんです。


私には…「育てる我慢強さ」がなかったんです。

それがあって初めて、「教育」って言えるんですものねぇ…。


思えばこの25年間、私の教師生活には、いつも必ず貴方が居ました。
いや、坂本金八が居たから、私の教師生活があったんです。

坂本先生…だから私には、今、貴方が考えている事がよ~~く分かるんです。

貴方……教師を辞めようと思っているでしょ…。

お願いです、辞めないで下さい。
生徒のためだけでなく、私のためにも、教師を辞めないで下さい。
お願いします。

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特に、ボールドにして強調した…

「育てる我慢強さ」

この台詞に、痺れました。

今だからこそ、この台詞の持つ意味とか、重さとか…リアルに見ていた時期よりも、深く理解できるようになったのかもしれません。

一人の子供の親となったから…という理由はもちろんです。
ですが、もう一つの大きな理由は、この記事でも書いた様に、ミノルとシンイチが、無事に幹部に就任するまでの「過程」を、「見守ることしか、できない」…それが、本当に辛かったからでしょう。

拙ブログは、今月8日に5周年を迎え、この日を境に6年目に入ったわけですが、そのうちの3年間は、色々な事を書き、記事を投稿する傍らで、この二人の「成長」を見守ることしか、私にはできなかった…。
それしか私にはできない事は十分理解していましたが、でも、正直、苦しかったです。だから、「長かった」…。

しかし、今になって思うのです。

つまり、乾先生の「育てる我慢強さ」は、そのままそっくり…

「待つ我慢強さ」

と置き換えることができるのです。
そして、私自身、それが試された3年間だったと思います。

でも、二人は、しっかり「成長」して、幹部の座を射止めることができた…。
私の想像以上に苦しかったであろう、大学3年間の下級生時代を無事に乗り切って、幹部へ…。胸が一杯になってしまった瞬間でもありました。
二人が、慶應義塾で応援団(應援指導部)を続けると知ってから、この日を夢見て、ある意味、それを励みにしていました。

私自身も、途中、自分を見失った時期もあるけれど、彼らの「成長」を肌で感じた時、「目が覚めた」という実感も、手応えも感じたし、以前に比べれば、良い意味で「楽観的」にもなったし、ポジティブにもなれました。
(以前は、「こうだった」という事は、後日書いてみたいとは思っています。)

そこから、どんどん仕事の面でも前向きになったし、「石橋を叩いても、危なそうなら渡らない」から、「とにかくやってみる」スタンスにもなっていった気がします。
思い上がりかも知れませんが、私も、二人を通して、少しは成長できたのかな?…と感じています。
その意味では、楽しい事ももちろんあったと思うけど、自らの努力で、辛く苦しい道程を乗り越えてくれた二人には、感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとう…。

しかし、私も、二人も、これがゴールではありません。
スタートライン…ではないかもしれないけれど、マラソンで言えば、半分を過ぎて、先頭集団で食らい付く位置で、「勝つ」ための勝負ができるのかなぁ…といったところかもしれません。

二人には、私以上に可能性がある「未来」があるし、その「未来」が輝かしいものとなるために、私で手伝える事は当然やりながら、私も、彼等に恥じぬように勉強をせねばならないと思っています。
結果的に、気持ちをそういう方向に向ける事で、私自身の残りの人生が、楽しいものになる事に繋がるのかな?…と。


待つ我慢強さ…。

簡単そうに見えて、本当に難しいけれど、その「我慢」ができた先には、大きな喜びも、未来への希望も膨らむと、改めて感じた次第です。

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