このところ 古代社会の 日本人
関心度には 増幅するよ
考えが 専門家とか 称するを
丸呑み鵜呑み とは別とする
ブラシの木 3度目の開花
八山茶花
オクラ
オクラが反り返ってます
ジシバリ
ムー大陸があって、大陸が移動していたことは、認めるよ 。
おそらくは、そのころから、日本人は住んでいたと思われる 。
教育では、断層は、新しい層ほど上にアルと聞いていた 。
ところが、紀伊半島に、その理屈は全く当てはまらない 。
石炭層の一部が、上部にあって、
新しい地層が下になっているのである 。
また、石鎚山には、ウキボリになったような仏像があり、
彫ったものでも無さそうなのである 。
不思議なことが、若いころ見られた 。
超古代にも、すでに航海術が発達していたと考える 。
卑弥呼より以前である 。
ムー大陸で、自由に行き来していたとも考える 。
それと同時に、環太平洋で、 アステカ文明・インカ帝国・マヤ文明とも、
顕現の下に、ヤマト民族がなんらかの関係をしていたと 。
方位学・天文学・水軍のような水先案内人の知性と技術 。
有史以前から、高度な知恵と技術をもって世界に君臨 。
というより、広がりを見せていたのが、超古代人 。
古事記以前の民族資料は、 風土記 である 。
なぜなら、これらの文明には、方位学・天文学・地球学などを
結集した遺跡群があることによる 。
古事記や出雲風土記では、
大国主命に、スクナヒコナノ神サマが、アワやヒエの作り方を
教えた とアル 。
また、薬草造り・校倉造りの効用などを指導したと、アル 。
縄文以前の事である。
その結果、 因幡の白兎 の有名な話で、
きれいな水で身を洗い、ガマの穂にくるまることを、
大国主命が教えた・・・・・。
その通りに実行したら、みごとに回復したと 。
だから、京都の 宮津とか富山には、伝統の 薬屋がアル 。
江戸時代の各藩の 御殿医の家系では、
男児が15歳で元服すると、
京都まで行って、公家のもとで、
薬草の勉強をして御殿医として資格が与えられた。
藩内の民衆の健康管理も一手に任されていたのである 。
だから、ヤマト民族が、中国に漢方を伝えたと言っても過言ではない 。
世界の石の碑などのナゾとされるのが、
夏至 と 冬至 の方角を中心に建造されていることも、
納得よ 。