異なる他者同士が共存し、会話を続けられる社会を追い求めた哲学者リチャードローティ
ああろくでもない🐌
争いが絶えない現実世界で、「同じ人間なのだから共に連帯しよう」と呼びかけるだけでは実現不可能だと主張します。
同じ人間じゃねーし🦂
人間は一人一人みんな違うのだ🕷️
その代わりに彼が示した解決の鍵が文学の力でした。
ローティによれば、残酷さの渦中で苦しむ当事者は自分の言葉でその苦痛を語ることができないといいます。
語れない人もいるし、語れる人もいるし、
あえて語らない人もいるし🐝
だからこそその状況を誰か別の他者が言葉で描き出す必要がある。
苦しみは抽象的ですからね。
それを具体的な形にすることでリアリティが生まれる。
読んだ人が犠牲者への共感を抱くためには実証的な理論ではなく、感情に訴える方がより機能を果たすからです。
犠牲者への共感を抱かせたければ、感情論が手っ取り早いっす🐁
「人間は他の動物よりも(知性や尊厳を持つというのではなく)はるかによく感情を理解し合うことができる」
はあ?🐢
そうすれば、自分たちの持てる力を感情のコントロールに、つまり感情教育に注ぐことができるからです。
うーん
悪魔の香りがぽわーん🐮
感情のコントロールは私的な感情を脇に置くことから始まるねんで🐷
この感情教育の目標は「私たちの同類」とか「私たちのような人たち」という言葉の指示対象を広げることにあります。
全人類をあなた方の同類にする作戦ですか?🐇
リベラルな理論家が哲学だとすると、哲学全否定ですね。
あなた方はリベラルな理論を理解できませんからね🐹
さらに、私たちは文学によって自分の内側にある残酷さに目を向けることができると論じました。
誰が私たちやねん🐌
その残酷さとは他人への無関心
あなた方のたった一つの特徴~🐞
小説「ロリータ」
カスビームでは、ひどく年配の床屋がひどく下手くそな散髪をしてくれた。
この床屋は野球選手の息子がどうのこうのとわめきちらし、破裂音を口にするたびに私の首筋に唾を飛ばし、ときおり私の掛け布で眼鏡を拭いたり・・・
こちらも全く話を聞き流していたので・・・
古臭い灰色のローションの壜が並んでいる中に立てかけてある写真を床屋が指さした時、
野球選手の息子が実は死んでから30年になるのを知って愕然としたのであった。
おお🙀
一人の床屋さんにその人の人生があって、30年経っても癒えぬ傷があって語ってるものなんだけれども、そこに対して一切心が動かない。
彼が気にしてるのは自分の布が揺れてるとか、何か不潔だなとか、
泣いちゃったから眼鏡を拭いているというところを、何か俺の掛け布で拭いてんなというところに普通はいかないじゃないですか。
はい?😿
そこのちょっと、なんていうんでしょうね、奇妙な感じ。
読者も読み飛ばす一文ではあるんですね。
逆ですね🐼
しかしこれナボコフ自身がこの一文、カスビームの床屋を考えるために自分は1か月かかったんだということを、実は他のところで書いてたりする。
ナボコフにはナボコフの人生がある。
どうやって読者の心を動かそうかとあれこれ考えるのに1か月かかったのね( ◠‿◠ )
人は無関心なものに対してこれほど冷淡になれてしまう。
そっちかよ(^ー^)
自分もハンバート(主人公)のように思っていたかもしれないと気づく。
逆に思ってなかったら頭おかしい。
客の首筋に唾を飛ばしたり、客の掛け布で眼鏡を拭いたりしてんのに、聖母マリアみたいにやさしく微笑んでいるとしたら、
あなたは人間ではありません🤖
作り物のロボットですわ👾
こういうとこって大なり小なりみんなあるとは思うんですね。
今そういうふうな気分じゃないから聞き流してるということは、
私はないですね🐱
なんでもかんでも真剣に聞いている。
ほんで「この前こう言ってたでしょ?」って聞くと、
「そんなこと言ったっけ?」
皆さん大なり小なりあるでしょ🦩
無関心なものに対して冷淡極まりない🦢
読者は突然、自分が偽善的でないとしても、残酷なまでに無関心であることを明らかにされる。
自分の同類を、自分の兄弟をハンバートのうちに認める。
しかしここでの道徳的なものとは、少女(ロリータ)に手を出すなということではなく、自分が行っていることに気を留め、とりわけ人々が言っていることに気を留めよ、ということである。
何様のつもりだよローティ🐷
何を気に留めるかは人それぞれ。
小説の読み方まで指図するなんてのはヒトラーでもやらんわ🐻
ちなみにミィが床屋のシーンで思い出したのは、数十年前に担当した生活保護の女性。
父親はいなくて、中学生の時に母親が死んで兄と2人で暮らしてたんだけれども、兄も出ていったきり行方知れずになって、
大変でしたね~🐮
高血圧の薬を飲んでたんだけど、良くなったと思って勝手に薬をやめちゃって、
ほんで脳出血で倒れて左半身不随に。
ミィと同い年だからまだ若かったんですけどね(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
まあいろいろ苦労した人から見ると、ミィなんざなんの苦労も知らんのやろって感じだったと思います。
彼女は小学3年生ぐらいの時に一度家出したことがあるんだって。
ほんで「家出したことある?」って聞かれたので、
「うーん、その頃は親がいなかったから」と。
その瞬間、彼女の表情が変わった。
なんで親がいなかったかを説明すると、
それは大変だったね~と。
あと、ぎっくり腰のリハビリ目的で大手スーパーの社員食堂で働いた時は、
労働が過酷すぎて両足首がパンパンに腫れちゃったんですよね。
足を見せたらベテランのおばちゃんが「今までよっぽど楽してきたんだね」と。
ミィがなんか言うと、「あなたは苦労したことがないからそんなことが言えるのよ」と。
そんなある日、なんか話の流れで子供時代の苦労話をしたのです。
その瞬間、おばちゃんの表情が一変。
息子が死んで30年になると知った時のハンバートみたいなもんですわ。
ギャハハψ(`∇´)ψ