これからジジイが最後に伝えたいことⅡ
まだあんのかよ🐀
ああやんごとない(*´-`)
やんごとないは、
止むことがない、捨てておけない、なおざりにできない、のっぴきならない、なみなみでない、特別である、
などなど。
家柄や身分が非常に高い、高貴であるかどうかは不明🐤
自分を知るということは、神を自分のなかに見いだすということ。
そんな決まりは、あ・り・ま・せ・ん🦚
自分じゃ神のつもりしていても、実は鬼だったりするものです。
ただし、そのあいだには、もう一つ、二つ、段階、ステップがあるように思います。
のっぴきならないほどあるわ🦩
のっぴきならないほどあるわ🦩
まず、自分を知るということ。
これは、できそうで、できないし、以外に難しいことかもしれません。
自分のことは、わかっているようで、わかってなかったりします。
自分の欠点なども、わかっているようでわかってません。
他の人から、欠点を指摘され、そんなはずはないと、思ったことってありませんか?
ないね🐿️
自分の心を分析すると、そんな自分を認めたくないという自分がいます。
自分の中に鬼がいるかんね🐁
そんなみっともない、恥ずかしい自分のはずがない。
自分はもっと、立派で、かっこいいはずだなんて、思ってませんか?
私も指摘されるまでは、そんな自分を否定していました。
鬼じゃ鬼じゃ🐞
理想が高ければ高いほど、自分の現実の姿が現れたとき、がっかりして落ち込むことが多かった気がします。
でも、最近はそんなだめだめの自分も、やっぱり自分なのだから、認めてあげよう、抱きしめればいいんだと、開き直れるようになりました。
鬼さんの勝ちー🦋
これが年の効というものなのでしょうか。(死が近づいてきたせいなのでしょうか。それもありますね。)
それを認めないと、前に進むことができないのです。
逆でつね🐰
そんなもんを抱きしめている限り、1ミリも前に進まない。
おまいらは永遠に鬼の奴隷🐼
人生のなかで、自分を裏切ったり、最大の敵でさえも、もしかすると、自分の一つの姿(一面)なのかもしれない、なんて…
(嫉妬、他人を蹴落としてでもという心。自分の心の奥にしまいこんでいたもの…)
ややこしいおっさんだな🐹
もしかすると、自分のほんとうの姿は、そこにこそあるのかもしれない…
つまり自分を知るということは、自分の中に神を見出すことでもなんでもないってことだ。
ジジイの説法は絵に描いたもち食って喜んでるのと同じですわ。
ジジイの説法は絵に描いたもち食って喜んでるのと同じですわ。
こんなのがこれからを生きる君相手にいったい何を伝えようというのか🐧
君って、もしや自分?🐢
まさかの光らない君シリーズ?🐇
ああ、やんごとない🐌