これだけ情報が氾濫している世の中で、まず何から読んだら良いのか。これこれを知りたいと思い始めて、参考図書を探してみるとあるはあるは。私たちが学校に行っていた時代と比べると現在は、インターネット上でも様々な研究内容を公開している方々が居て、それもやはり気になりチェックを入れておかないと。。。
というわけで、時間がいくらあっても足りません。私の場合は、それらの参考図書はあとからでいいか、というわけで本家本元までさかのぼって読んでみるということをしております。このブログでもリンクしている日本国憲法もその一つ。新聞や国会中継のやりとりなどいくら調べても、まず彼らがどこをどう変えようとしているのか、中味を自分で読んで理解してみようということです。前文だけは教科書のどこかに出ていたかもしれませんが、憲法全部となると、六法全書などを思い浮かべて自分では読みきれないのではと思っている方も居るかもしれませんが、案外と短くまとまっていてすぐに読めますよ。読んでみて、自分ならどこを変えなければならないと思うか、あるいは変える必要はないと思うか。まわりから影響を受けない自分の意見を持てると思います。
イスラム国のニュースなどで、この宗教について知りたいと思った方々、やはり多くの参考書やイスラム教とその国々についての様々な参考図書も出ていますが、まずはイスラムの人たちがどんな宗教を信じて生活しているのか。まずはコーランを読んでみるしかないのでは。そんな大変そうと思う方もあると思いますが、文庫本3冊と聞けば、通勤のときでもじきに読めてしまう量です。日本で出版されている文庫本のコーランの訳が、彼らが実際読んでいるものとどのくらいズレがあるのかと疑問を感じて次の一歩へ進まれる方は、それも良いと思いますが、まずは全部読んでみましょう。あれだけの多くの人々が信仰している宗教。大変易しく書かれています。
そう思い始めたら、やはり欧米とユダヤを理解するために、聖書も読んでおきたくなるのが人情。新約聖書は短いので、読んでみた方も多いと思います。私も信仰しておりませんが、気がついたとき3度ほど読んでおります。旧約聖書も是非と思い一度挑戦しましたが、やはりかなり長くて途中で挫折。でも本家本元を自分の目で読んでおかなくてはと再挑戦。現在10分の9くらいまでたどりつきました。宗教だから、立派なことや学ぶべきこと、道徳的なことが書いてあるかと気をつけながら読んでいくと、これは史実なのかどうなのかよくわからない歴史物語で、新約聖書ともまたかなり様子が異なります。解釈はそのため相当の比喩や暗喩があり、本当の意味はこれこれしかじかと、大学などではやっているようですが、とにかく自分で読んでみると良いと思います。しかしユダヤ教の場合はこの旧約聖書だけでなく、タルムートというものがあり、これはトラックいっぱいほども量があるそうなので、この場合は本家本元を読むのは相当難しそうです。
仏教も同じ理屈で、お釈迦様が説いたといわれる、アーガマ経と法華経というのをそれぞれ新書で読んでみました。なるほどと納得していると、仏教も別にお釈迦様一人の発見だけではなくて、5000年来インドに昔からある様々な土着の信仰に多くが出ているとのこと。それらの経典をまた遡って読んでみたくなっています。
宗教関連ばかりで、長くなりましたが、哲学も同様です。要するに知りたいことがあるときは、そのことについて書いている多くの参考書はまず置いて、そのことそのもの、その人自身が語ったそのままの言葉など、できる限り直撃で読んで行くことをお奨めします。