飯島さん・皆さん 本日はお疲れ様でした。
だんだん本格的作品が増え、私は頭のトレーニング・改革が必要でした。
つまり、人が素晴らしいと言う写真が、自分でも確かに良いと
確信を持てなければ、自分の審美眼が悪いわけで、それでは自分も
良い写真が撮れる訳が無いと思ったからです。
しかし、ここのところは難しいですねぇ~。芸術の本質に迫る問題だと思うのですが。
追伸:街の大滝について、その構造がわかる写真を、
ご参考までに画像フォルダーに二枚アップしておきました。
(季節めぐり)
だんだん本格的作品が増え、私は頭のトレーニング・改革が必要でした。
つまり、人が素晴らしいと言う写真が、自分でも確かに良いと
確信を持てなければ、自分の審美眼が悪いわけで、それでは自分も
良い写真が撮れる訳が無いと思ったからです。
しかし、ここのところは難しいですねぇ~。芸術の本質に迫る問題だと思うのですが。
追伸:街の大滝について、その構造がわかる写真を、
ご参考までに画像フォルダーに二枚アップしておきました。
(季節めぐり)
歓声が聞こえてきそうな大滝の写真を拝見し、来年は是非この目でこの風景を見てみたいと思いました。
ということになってしまいますか。
他人がなんと言おうが、
美しく感じられないものは自分にとっては
美しくないわけで、
あとは、その美的感覚を受け入れるか、
あくまでも拒否するかでしょうか。
私は水玉は好きですが、
草間弥生の世界には違和感があります。
しかし、あの世界ではもてはやされているのですね。
正解・不正解が割とはっきりしている分野で生きてきた者としては、
何ともよくわからない芸術の領域につい戸惑ってしまいます。
どうしても、まず理解しよう、
そしてそれを自分なりにものにしようと言うプロセスをとってしまいます。
わからないと諦めるのは悔しいので、頑張っています。
今後ともいろいろ議論してご指導願います。