夏が来る度、昔、訪れた島の風景が思い出される。
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『島で道に迷ったら、風が吹いてくる辻の方角が南だ』。
ぼく達が初めて浜辺へ下りようとしたとき、宿のお婆さんのハルオさんが出がけに教えてくれた。
尋ねはしなかったが、女性名でハルオというと —— 人生の春が、いつまでも長く続くようにとの親の願いから —— 春緒とでも書くのではないかとぼくとイチ子さんは想像し合った。確か万葉集の中にそんなような和歌があったような気がした。
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東京都新島本村にある、その宿から歩いてほんの数分の前浜は、南の島のゴールデン・ウィークながら、海水浴客に限れば未だシーズン・オフで、サーファー以外は人影もまばら、その彼等ですらまだまだ水温が足りないと見え、ウエットなしで海に入るのは少なからず躊躇するようだった。しかし、風を除ければ、水着で日光浴をする分には最早気分は最高、肌を刺すような真夏の強烈な陽射しとは違い、肌に馴染む穏やかな陽気であった。
ぼく達は、無人のライフガードの待機所から浜へ下る白い階段に座り、波の音を聞きながら遠い水平線の向こうを眺めていた。
イチ子さんは、出がけに帳場でもらった観光協会のパンフレットにある写真を指差しながら、
「明日はバイクを借りて、この峠の展望台へ行ってみましょうよ」と誘う。そこから見える神津島や三宅島の景観が、遙か遠い南太平洋の、例えばパプア・ニューギニア辺りで悠久の時間の中にひっそりたたずむ島々を思わせはしないかと言うのだ。