高校を卒業したあとすぐには大学へ行かず、親のお金で二年ほど、お茶の水駿河台あたりで遊んでいた。
『梅花亭ギャラリー』という小品を構想したのは、そんな頃のことだ。
夏の夕暮れ、麻布十番をバスで通りがかったとき、車窓からその名の画廊を見つけた。それを口に出してみたら語感が気に入り、なにかしら小品にしたいと考えたのだったが、結局、それは成就することなく時間は過ぎた。
そのとき書き上げられなかった『梅花亭ギャラリー』への思い入れが今も頭の隅に残る。完成しなかった理由は、当時、流行っていたウルフ・カットのきみを想う気持ちがミューズの機嫌を損ねたと今は理解している。
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きみは、アテネ・フランセの一年生になっていた。
きみの学校帰り、駿河台の『Lemon』というティールームででよく待ち合わせた。(レモンは、フランス語ではシートロンというのよと教えられたのを覚えている。)
三十歳を過ぎて、お互いに独身だったら結婚しようと、お互いに保険を掛け合ったものの、結局、それを行使するには至らなかった。