…月曜日。
雨が降ったりやんだり。
前日の日曜はきっと、弔問の方がひっきりなしだったのではないでしょうか。。
まったく今回の凱旋の、
タイミングが良かったのか、悪かったのか。
とある高校の文化祭の打ち合わせに行った先週末の金曜日。
お昼前に、かじやさんが入院されていたことを知り、
夜には打ち合わせでそのお話を聞いたばかりの方から、訃報を受け。。。
あまりの不思議な時間の推移に、心がついて行けずに居りますが…イベントもライブも無事終えることができた翌日。
とても静かなひと時に、足助のかじやさんにお会いすることができました。
しばらく、かじやさんにウクレレを聴いていただきながら。
すっかり長居してしまいました。。
廣瀬さん、デイジーは2年前より、ちょっとは上達したでしょうか。。
弾いている間に、居合わせることになった、中日新聞の方。
コメントは、本当は…私よりふさわしい方が、たくさんおられたと思うのですが。。
書いていただいたことは、心からの想いです。
故郷を想いながら唄う、
当たり前のような気もしますし、
そうでないような気もします、、
ただ、私に関しては、いつもいつも、故郷の景色や風、そして川の音が、ココロのどこかで鳴っているのです。
いくつかお世話になった演奏会場の中でも、足助のかじやさんは、、ちょっと違っていて...特別でした。
それは…なによりも、そこが最も故郷を、そして幼少期からの実体験を、三河の人の素の温かさを、日常の一コマのように感じることができる場所だったからです。
演奏する場所なのに、故郷を凝縮したような、そんな....舞台。
ステージが大好きな私にとって、武道館とかそう云うレベルで言うのと同じくらいの、憧れのステージでもありました。
初めてかじやさんの存在を知ったのは、おそらく、カフェ開店後間もなくだったとおもいます。
たまたまF1観戦で立ち寄った実家の朝ご飯タイムに、NHKで特集されていたのでした。。
へぇ、足助にこんなライブハウスができたのか。。。
当時はロックバンドをやっていて、とても、そこに出演させていただきたいという想いとは裏腹に、敷居高そうだなぁ、と感じたことを思い出します。
以来、私の音楽も、ロックバンドからアコースティック楽団へ、そして、ウクレレ&ベースデュオ、、のち、現在の一人旅(笑)へと変化してゆく中で、いつか足助のかじやさんで凱旋ライブを....との想いを募らせていったのです。。
もちろん最初は飛び込みで(笑)、実家が平戸橋のたもとなんです!とか、ウクレレ音楽やってます!とかいって、堅物そうな(当時のイメージです、笑)廣瀬さんに、公衆電話から!交渉したことも(仕事の合間でね、苦笑、ケータイぼろかったし)、今となっては貴重な思い出です。。
そう。
テレビで観かけてから、いつか足助のかじやさんで、凱旋ライブを、が、目標だったのですから。
それから、2回、ライブをやらせていただきました。
2回目なんてさ(笑)。
紅葉の時季が延びて、香嵐渓のライトアップの最終日に重なってしまってさ。。。
12月の最初の土日だったんだけど、普段は11月いっぱいで終わるライトアップがまだ開催中と云う中での、無理無理な(苦笑)お願いでやらせてもらって居りました。。
あんときゃ、ツアー前日に自転車でひっくり返って、、、片腕が上がらない状態でもあったり。。
印象深いことばかりで。。
お店は、マスターのひとがらそのもの、これが持論なのですが…だとしたら、それは廣瀬さんその人そのものが、私にとっては、故郷のような方だったということなのですね。
音楽を心底愛し、舞台で歌うことに喜びを感じ、そして、、、故郷を綴る唄の数々。
思い起こせば、廣瀬さんの在りようこそ、私の理想だったのです。
地味に偉大で(笑)、それでいて身近な、尊敬すべき…くわえてなんだかちょっと一風変わった、そんな先輩であったのです。
年に一度、電話をくれました。
今年は、
「最後のツアーになりますから、ぜひ聴きにきてください」
との封筒を2度、いただきました。
9月13日の大森でのライブを、観にゆく予定で空けておりました。。
それが一体なんなのかは、今はわかりません。
しかし、確かに、何らかのメッセージを、この一連の時間の流れの中で、廣瀬さんからいただいた気がしております。
月曜、ゆっくりお会いできて、よかったのですが。。。
なのですが、
でも、、、いつもどおりのちょっとおかしなマスターと、真面目なようでおかしなお話を、いつかのように、したかったです。
きっとまた、次の凱旋ライブの話などをさせていただきながら。
夏が、過ぎようとしています。
そとはすっかり、鈴のような虫の音でみたされています。
お花屋さんには、りんどうの花が並んでいます。
これからも時々、一緒にうたっていただけますか?
足助は、しみじみ美しい町。
それはまさしく、我々の感ずる、故郷そのもの。
♪あの頃も今でも 出会いの喜びと
感じ合う優しさが 大切な宝物
あわいたんころりんの灯りと 懐かしいにおい
ゆく先 時を 重ねても かわりはしない
たんころりんの町 たんころりんの町
たんころりんの町 ほんのり まちあかり
足助のかじやさん、ありがとう。
どうか、安らかに。
雨が降ったりやんだり。
前日の日曜はきっと、弔問の方がひっきりなしだったのではないでしょうか。。
まったく今回の凱旋の、
タイミングが良かったのか、悪かったのか。
とある高校の文化祭の打ち合わせに行った先週末の金曜日。
お昼前に、かじやさんが入院されていたことを知り、
夜には打ち合わせでそのお話を聞いたばかりの方から、訃報を受け。。。
あまりの不思議な時間の推移に、心がついて行けずに居りますが…イベントもライブも無事終えることができた翌日。
とても静かなひと時に、足助のかじやさんにお会いすることができました。
しばらく、かじやさんにウクレレを聴いていただきながら。
すっかり長居してしまいました。。
廣瀬さん、デイジーは2年前より、ちょっとは上達したでしょうか。。
弾いている間に、居合わせることになった、中日新聞の方。
コメントは、本当は…私よりふさわしい方が、たくさんおられたと思うのですが。。
書いていただいたことは、心からの想いです。
故郷を想いながら唄う、
当たり前のような気もしますし、
そうでないような気もします、、
ただ、私に関しては、いつもいつも、故郷の景色や風、そして川の音が、ココロのどこかで鳴っているのです。
いくつかお世話になった演奏会場の中でも、足助のかじやさんは、、ちょっと違っていて...特別でした。
それは…なによりも、そこが最も故郷を、そして幼少期からの実体験を、三河の人の素の温かさを、日常の一コマのように感じることができる場所だったからです。
演奏する場所なのに、故郷を凝縮したような、そんな....舞台。
ステージが大好きな私にとって、武道館とかそう云うレベルで言うのと同じくらいの、憧れのステージでもありました。
初めてかじやさんの存在を知ったのは、おそらく、カフェ開店後間もなくだったとおもいます。
たまたまF1観戦で立ち寄った実家の朝ご飯タイムに、NHKで特集されていたのでした。。
へぇ、足助にこんなライブハウスができたのか。。。
当時はロックバンドをやっていて、とても、そこに出演させていただきたいという想いとは裏腹に、敷居高そうだなぁ、と感じたことを思い出します。
以来、私の音楽も、ロックバンドからアコースティック楽団へ、そして、ウクレレ&ベースデュオ、、のち、現在の一人旅(笑)へと変化してゆく中で、いつか足助のかじやさんで凱旋ライブを....との想いを募らせていったのです。。
もちろん最初は飛び込みで(笑)、実家が平戸橋のたもとなんです!とか、ウクレレ音楽やってます!とかいって、堅物そうな(当時のイメージです、笑)廣瀬さんに、公衆電話から!交渉したことも(仕事の合間でね、苦笑、ケータイぼろかったし)、今となっては貴重な思い出です。。
そう。
テレビで観かけてから、いつか足助のかじやさんで、凱旋ライブを、が、目標だったのですから。
それから、2回、ライブをやらせていただきました。
2回目なんてさ(笑)。
紅葉の時季が延びて、香嵐渓のライトアップの最終日に重なってしまってさ。。。
12月の最初の土日だったんだけど、普段は11月いっぱいで終わるライトアップがまだ開催中と云う中での、無理無理な(苦笑)お願いでやらせてもらって居りました。。
あんときゃ、ツアー前日に自転車でひっくり返って、、、片腕が上がらない状態でもあったり。。
印象深いことばかりで。。
お店は、マスターのひとがらそのもの、これが持論なのですが…だとしたら、それは廣瀬さんその人そのものが、私にとっては、故郷のような方だったということなのですね。
音楽を心底愛し、舞台で歌うことに喜びを感じ、そして、、、故郷を綴る唄の数々。
思い起こせば、廣瀬さんの在りようこそ、私の理想だったのです。
地味に偉大で(笑)、それでいて身近な、尊敬すべき…くわえてなんだかちょっと一風変わった、そんな先輩であったのです。
年に一度、電話をくれました。
今年は、
「最後のツアーになりますから、ぜひ聴きにきてください」
との封筒を2度、いただきました。
9月13日の大森でのライブを、観にゆく予定で空けておりました。。
それが一体なんなのかは、今はわかりません。
しかし、確かに、何らかのメッセージを、この一連の時間の流れの中で、廣瀬さんからいただいた気がしております。
月曜、ゆっくりお会いできて、よかったのですが。。。
なのですが、
でも、、、いつもどおりのちょっとおかしなマスターと、真面目なようでおかしなお話を、いつかのように、したかったです。
きっとまた、次の凱旋ライブの話などをさせていただきながら。
夏が、過ぎようとしています。
そとはすっかり、鈴のような虫の音でみたされています。
お花屋さんには、りんどうの花が並んでいます。
これからも時々、一緒にうたっていただけますか?
足助は、しみじみ美しい町。
それはまさしく、我々の感ずる、故郷そのもの。
♪あの頃も今でも 出会いの喜びと
感じ合う優しさが 大切な宝物
あわいたんころりんの灯りと 懐かしいにおい
ゆく先 時を 重ねても かわりはしない
たんころりんの町 たんころりんの町
たんころりんの町 ほんのり まちあかり
足助のかじやさん、ありがとう。
どうか、安らかに。
松本フェスの依頼を携えて、ね!
随分まえのような、ついこの間のような。。。
実はあの時はもう一つウクレレイベントがあって、どちらに行こうか迷ったの。
で、足助に行った。あれからどぶさんとの本格的な付き合いが始まったんだよなあ。
そんな場所なのにあれっきり一度も行かなかった。
不義理をしてしまったと悔やまれます。
合掌。
どぶちんのこのブログや、ハナコさんのブログやらで、その場所や空気を感じていました。
なので、会ったことのない方でしたが、とてもさびしく感じています。
あ、行かれたことがあったんですよね?たしか。。
月曜日は静かだったので、長居させていただきました、しすぎちゃったのですが(苦笑)。
今日お葬儀だったんですね。
悲しいお知らせを目にしてから、会った事のない方のご冥福を祈っておりました。
そして繋がるどぶちんの演奏する姿が目に浮かびました。
そうですか。
演奏を聞いてもらえたのですね。
それは何より嬉しかったでしょう。
どうぞ、安らかに・・。