裁判員裁判という制度は、いったん選ばれたら
原則的に特別な理由も無く断ることは出来ない筈だが。
裁判員の辞退理由で最も多いものは
2009年5月21に施行された裁判員裁判制度だが、
「 バックレ 」に拠る辞退者が多いのだという。
では、自体の主な理由は何なのか?
家庭や仕事が辞退事由に当たると認められた「辞退者」の割合も年々増えている。09年は53.1%だったが、18年(3月末)では69.6%だ。
辞退者の全てが「 トンズラ 」では無いものの
無断で辞退されるかたが多いのも、また事実。
裁判員裁判への裁判員の辞退理由が
「 仕事もしくは家庭 」という、もっともな理由によるものだ。
基本的に裁判員は選ばれたら断る事はできずに、
とくべつな事情もなく辞退した場合10万円以下の
過料に処するという規定があるものの、
いままでに適用例は無いとされる。
辞退者が多い背景には「 めんどくさい、かったるい 」
という感情的なものも含まれようが、実は
「 裁判の対象になる被告人に有罪判決を下した場合、
恨まれて、あとで報復されるのでは? 」
とする不安感情も有るのではないか?
いわゆる「 お礼参り 」と呼ばれるものである。
裁判員が下した判決理由に逆恨みして、
刑期を終えた被告人が、そのあとで仕返ししたとされる
目立った報道は聞かないが、その様な感情も有るのではないか?
戦前戦中にも有った陪審員制度とは?
辞退者が多いとされる裁判員制度だが、
じつは戦前から戦中にかけても「 陪審員制度 」と
呼ばれるシステムで存在はしていた。
陪審法は、5年間の施行準備期間を経て、1928年(昭和3年)から施行されました。 1943年、陪審法は停止されるに至りました。
陪審制度が中止になった理由は「 戦争が激化してきた中で
陪審員の調達に労力を割いている場合じゃない 」
というのが主な理由だろう。
そう言えば、太平洋戦争の真っ只中は、徴兵制度が有って
日本国民は召集令状が来たら、誰もが断らずに
「 お国のため 」と自らの命を差し出し兵隊として
戦地に赴いたのに、今では裁判員裁判をバックレる理由は何故なのか?
戦争への召集令状は辞退できない理由
日本が戦争に敗ける1945年までは日本国民、
それも日本男子は「 国民皆兵制度 」により
基本的に徴兵制度に逆らえず、赤紙と呼ばれる
召集礼状が来たら、生命を掛けて戦地へ赴くしかなかった。
今回の裁判員裁判への選任は平気でバックレるのに、
なぜ戦中の人々は生命を掛けても召集令状が来たら、
戦地へと行ったのか?
「 愛国精神だ 」等というのは全くのウソで、だれもが
自分から好き好んで行ったら生きて帰ってこれない
戦場へ行く人なんていない。
それは、当時の日本の空気感が、そうさせていたのであろう。
軍部が日本を支配していた軍国だった当時の日本の
教育自体が軍国教育で「 一億総火の玉 」的な洗脳を施される。
だから赤紙が来ても「 死にたくないから徴兵は断る 」
という事は出来なかった。
きっと、今のように無断で辞退なんてしたら、
おそらく周囲から「 非国民 」のレッテルを貼られたのだろう。
だから、裁判員裁判にも徴兵されたときと同じ気持ちで
従うべしなどとは思わないが、確定的な違いは
まさに、ココに有ったのだ。
裁判員裁判にも「 税金 」の様な強制力があれば、
だれもが無断で辞退する事は大幅に減るだろう。
戦中に軍警察と呼ばれる「 憲兵 」が町や村の中を見回りしている
当時の日本の空気感は、実際にその時代に生きていないので
何とも言えないが、すさまじく自己の主張や思想を
封じ込めるには十分すぎるに違いない。
まさに軍事力に拠る力で日本国民を統制していたのが、
第二次世界大戦中の日本だったのだ。
裁判員制度、見えてきた課題 「何が正しいのか、わからなくなった」 (朝日新聞デジタルSELECT) | |
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朝日新聞社 |
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