小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
(リンクはご自由にどうぞ。ただし転載はご遠慮ください。)

おだいじに

2007年07月23日 13時02分23秒 | 新潟県中越大震災・地震
刈羽村の災害ボランティアセンターに着いたときに、知り合いに何人も会った。
昨年の今頃、日本災害看護学会で大変お世話になった福井大学のS先生、阪神高齢者・障害者支援ネットワークのKさん。
中越復興市民会議のIさん、Aさん、Sさん。
長岡技大の学生ボランティアサークル 「Volt of nuts」のみなさん。
おぢや元気プロジェクトのWさん・・。

刈羽村の社協さんをがっちりサポートされており、「わー。たのもしーーー」と思うと同時に、知った顔があちこちで見られてこちらもほっこりした気持ちになれた。

中越大震災のときから東奔西走されていた地元新聞社の記者さんにも会えた。
2年前はゆっくり話すことはなかったけど、声をかけると笑顔が返ってきた。

夜、その記者さんからメールが届いていた。
「今日は偶然会えてびっくりでした。この一週間無我夢中で走りまわっていた気がしますが、ふと立ち止まるといろんな思いがこみ上げてきます。」と。

そんな彼はいま苦悩に直面している。
一部のマスコミが被災者に誤解されるような行動をとったことで市が過敏になり、当面「マスコミはシャットアウト」になったというのだ。

’マスコミというだけでひとくくりにされる’
’いい取材ができない’

これは被災地にとっても被災地を思う人々にとってもマイナスだ。

中越大震災のときより風化は早く、風評被害だけが残るんじゃないかと中越の人たちは心配しているが、そうならないように祈りたい。

ボランティアに行ったほねさんは被災地のみなさんのもとから立ち去るときに「おだいじに」と声をかけたという。
「がんばってください。」は言ってはいけないことば。

「おだいじに」

いい言葉だなと思った。

中越大震災のときから走り続けている方がたにも・・・。

「どうぞおだいじに」

******
この一週間、おひとりおひとり温かい励ましのコメントを頂戴し、心から感謝しています。
また個人的にメールをくださった方々にも御礼申し上げます。
ありがとうございました。
すべて拝読しておりますが、返信が間に合わず申し訳ございません。
このエントリーをお借りして心からお詫び申し上げます。

【こころのケア】刈羽村にボランティアに行って感じたこと

2007年07月21日 20時46分43秒 | 新潟県中越大震災・地震
こども3人引き連れて刈羽村にボランティアに行ってきました。
目的は
「刈羽村のこどもたちの遊び相手になること」と「そのおかあさん、おばあさんの(人にはいえなさそうな)ニーズを拾い上げること」

私たちが行かせていただいたのは小さな避難所だったのですが、「小千谷市から来ました!」と名乗ることで話にとっかかりができ、スムーズにお話をさせていただくことができました。

子ども達は小千谷小学校の名札をつけ、さらにガムテにマジックで名前をかいて胸にはりつけました。
家を出る前に「柏崎のおともだちにどんなことができるとおもう?」と問うと、「絵本を見せてあげたい。」とか「トランプもっていってあげる」とか「折り紙の本と折り紙をもっていこう」などなど、子どもたちは子どもたちなりに支援の方法を考えてしたくをしました。

すでに大学生のボランティアたちが避難所の子どもたちの相手をしていたので、輪にすーーっと入っていくことができ、子ども達も「楽しかった!」と喜んでいました。

私はおばあさん3人組とゆっくりとお話をさせていただきました。
やはり、今は「お風呂に入りたい」「洗濯をしたい」というのがいちばんのニードでした。
その中でさらにつっこんで話をすると「実はいびきがうるさい人がいて、みんな毎晩眠れなくて困っている」ということでした。
しかし、「いびきがうるさくて迷惑だから。」という理由でその人を隔離するわけにもいかず、社協の方も困っておられるようでした。

また中学生とお話したときに「友だちに会いたい」「学校に行けないのでつまらない。」という話のあと、「地盤災害について知りたいんですけど・・・。」と言われ、正直ビックリしました。
自宅の地盤が悪いので、再建するときに家本体を修繕するだけでは不安だというのです。
どのような支援を受けられるのか、受けられないなら引っ越したほうがいいのか、きっとご両親がそういう話を家庭内でしているのでしょう。
中学生の彼女も大変心配してました。
「なにかいま必要なものはある?」ときいたら「(住宅再建のための)お金・・・」といって笑っていました。

これから罹災証明を発行してもらい、住宅再建のための話し合いが現実になっていきます。
このような疑問について、わかりやすい住民説明会が必要だし、被災者生活再建支援法の改正においてもぜひ早急に論議しなければいけない問題だな、と思いました。

おかあさんにもお話をうかがうことができました。
急性期は過ぎ避難生活には慣れてきたけれど、一気に現実的なもの(お金のことや家の再建のこと)が押し寄せてきた、と話していました。

私もミクシィに日記をはじめて書いたのはこの時期(震災から6日目)だったことを思い出します。

中越大震災などで地盤災害を体験した方との交流をコーディネートすることも、中越沖地震を体験された方の「こころのケア」になるんじゃないか、とふとそんなことを考えました。

写真は
【うれしかった救援物資】きゅうりの浅漬け
きのう樽でもってきてくれて一本一本配食してくれたんだそうです。
おばあちゃんのもんぺがキュートでした

神経過敏

2007年07月20日 08時41分03秒 | 新潟県中越大震災・地震
昨夜の余震「うわっ!」とびっくりして飛び起きたけど小千谷は震度2だった。(柏崎・刈羽は震度3)
体の背面全部が床に密着しているので、立っているときより余計揺れを感じるのかなぁ。
子どもは起きなかったので安心してまたすぐに眠りについた。

やっぱりあれ以来、揺れに敏感になってる。
きのうは長岡のスーパーで魚を選んでいるときに平ケースがいきなりブルブル震えだして「うわ!」って声出してビクッとしてしまった。
なんだ。地震かと思うじゃんよ。自分だけ挙動不審。

一生のうちに震度6を4回も体験するなんて思わなかった。

つねに「今余震がきたらどうしよう」と思いながら行動しているのでストレス。
気持ちがざわざわざわざわして落ち着かない。

いっしょにあそぼ。

2007年07月18日 23時37分12秒 | 新潟県中越大震災・地震
学校から帰ってきた子どもたちは、今日は我が家に仲良しの友だちきょうだいを呼びたいといい、子ども部屋で5人にぎやかに遊んでいた。
私もそのほうが都合がいい。
きょうだいは別行動だとなにかあったとき困るのだ。

17時前、突然ぐらっときてガタガタガタガタ揺れはじめた。
ん?震度4くらい???(実際は小千谷は震度3だった)

子どもたちは「キター!!」と叫びハイになっていたが、友だちの弟くんがいないことに気づき、あわてて電話の子機をもって騒ぎはじめた。

上の子は気が動転して自分の家の電話番号がわからなくなったみたいで(笑)、私がかわりにかけた。

弟くんはひとりで自宅に帰っていた。
「○○くん?だいじょうぶだった?」
「うん・・」
「おかあさん、いないの?」
「うん・・」
「またうちにおいでよ。みんなでいっしょにいよ!」
「うん」

明らかに元気がなかった。
弟くんはすぐにやってきた。

その子たちのおかあさん(仲良しのママ友)はまだ長岡にいて、すっごい心配しながら帰ってきたらしい。
「さっきはありがとね~・゜゜・(>_<;)・゜゜・。」
とメールがきた。
こっちからメール一本いれとけばよかったな。反省。

そんなこんなで核家族の母親同士、
助けあいながらがんばってますw

しばらくは余震が心配だから、大人がそばにいないとだよね。

まずはボランティアセンターに確認

2007年07月18日 17時29分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
被災地の避難生活の状況と被災者のニーズは刻一刻と変化している。
NHKのニュースで「水が足りない!」とおばあさんが言っていたら、テレビを見ている人は「水を送ってあげたい!」と思うけど、でもそれをしてはいけない。
被災者が「きのうから何も食べてなくて・・」と言っていても「食料」を勝手に送ってはいけない。
そのニュースが流れるころにはニーズは変化しているし、被災地は救援物資がわんさか届いて保管場所に困っているのだ。

余りある善意に被災地困惑(新潟日報/県内ニュース)

中越大震災のときもこの情報伝達のタイムラグが大きな問題になり、救援物資の保管場所(空間)と仕分け作業にかかる莫大な労力、時間が奪われた。

柏崎市は現在救援物資の保管場所がないなどの理由で、個人からの物資の受け入れは中止、企業などの団体からの支援受け入れの中止も検討しようとしているが、一方、こんなことを報じているメディアもある。

中越沖地震:「もう住めそうにない」住民の訴え切実 不足する生活用品 /新潟(毎日新聞)

ちょっとちょっと。
この記事だけ読んだら「生活用品が不足している」=「送って欲しい」っていうふうに解釈できない?

それを読んだ人たちは被災地に物資を送りたくなるけど、だめだよ送っては。

県は個人の皆様からの救援物資を辞退しています

情報が錯綜していて読み手は混乱するけれど、まずは落ち着いて。

ボランティアは勇み足になりがち。
結果、それが被災地に迷惑をかけることになるのだから、まずは災害ボランティアセンターで最新情報をしっかり確認してからにしましょう。

新潟県中越沖地震災害救援ボランティア関連情報

ボランティアと家庭の両立

2007年07月18日 14時12分43秒 | 新潟県中越大震災・地震
新潟県中越沖地震の被災地、柏崎市と刈羽村で災害ボランティアセンターが立ち上がり、きのう小千谷市内に住んでいる友だちは早速ボランティアに行ってきたようだ。

夜遅くになって「今帰ってきました~」とメールをしてきたが、なんだか様子がおかしい。
家族がボランティアをすることに対して理解を示してくれないらしく、家の中にちょっぴり険悪なにおいが漂っているという。

その友だち曰く、中越大震災で被災したときに支援してくれた人がこのたび甚大な被害を受けていて、いてもたってもいられない気持ちになり、ぜひあのときの恩返しがしたいんだ、と柏崎入りすることを決意したそうだ。
でも家族は中越大震災のときに被災していないので、なかなかその気持ちを理解してくれないらしい。

友だちは、現地に行けば被災した人の気持ちが痛いほどわかるので、ほっとけない気持ちになったといっていた。
できるならあのときの恩を返したい。支援を続けたい。
でも、こちらにはこちらの生活がある。

「引き際」をいつにするか、随分葛藤しているようだった。

「ボランティアと家庭、どっちが大切なの??
といわれないように。

がんばれ、友だち!

余震は拷問

2007年07月18日 00時12分58秒 | 新潟県中越大震災・地震
心配していた余震は中越大震災のときほど活発ではなく、ひとまずほっとしている。
チビは昨夜寝ついてから朝までぐっすり。一度も起きなかった。
今朝もきょうだいといっしょに元気に登校し、帰ってからも「お友だちの家に遊びに行ってくる~!」とニコニコだった。

一週間は震度5、場合によっては6弱くらいの余震の可能性があるらしい。
確率は30%になったと発表があったが、私はそんなん鼻っから信用していない。

中越大震災から2ヶ月経ったときの日記
震度5が来る可能性は低くなったっていってたから安心してたのに 2004年12月28日

余震、それは拷問だ。
忘れようとするときにやってきて、被災者の心をいたぶるようにえぐる。

きのうの私は、この一週間は予断を許さないので学校から帰っても遊びに行かないように、と言おうと思っていた。

でもチビがあんまりニコニコして「○○くんと遊ぶの♪」というので、普通どおり遊ばせることにした。
ただ、外で遊ばないこと、ひとりで遊ばないこと、遠くに行かないで近所のお友達と遊ぶこと、なにかあったら迎えに行くから、誰と遊ぶかちゃんとおしえて、と言った。

大きな揺れがおきたときに人さまの子どもになにかあったら、親だって気が気じゃない。
しばらくはきょうだい別々の行動をとって欲しくないんだけどなぁ。

やっと治ったチビのPTSD。
今回の地震だって、たまたまきょうだい揃って遊んでいたところにきたからいいようなものの・・・。
あのときもしひとりきりだったら・・・と思うとゾッとする。

振り出しに戻るようなことだけは絶対に避けたい。

新潟日報の災害情報Blog

2007年07月17日 22時57分52秒 | 新潟県中越大震災・地震
新潟県中越沖地震発生により、きのうは当ブログに多くのアクセスがありました。
本震から一日が経過し、これからは日々刻々と変わる被災地の細かい情報が求められるだろうと考え、柏崎・刈羽の現地情報を発信しているブログやBBSを紹介しようと思っていたところ・・・。

ブログの常連さんに地元新聞社のサイトを紹介してもらいました。

新潟日報の災害情報Blog


被災地のきめ細かい情報がどんどん更新されており、リンクも充実しています。
おすすめです!

3年前の中越大震災のときとは違いますね~。

地域SNSを利用しよう

2007年07月17日 11時48分56秒 | 新潟県中越大震災・地震
ながおか生活情報交流ねっとの桑原真二様から情報をご提供いただきました。

このたびの新潟県中越沖地震の被災地支援に役立ちそうな地域SNSをご紹介させていただきます。


中越沖地震情報支援コミュニティ

長岡地域災害緊急情報コミュニティ

被災地の細かい情報がグーグルマップの地図つきでわかりやすく紹介されています。

地図の例

長岡地域となっていますが柏崎・刈羽等今回の被災が大きいところの情報に是非ご利用ください。

SNSですがネットに完全にオープンなコミュニティも開設出来、誰でも見ること出来ます。

自由にコミュニティを作成して皆様の活動にお役立てください。
(書き込む為には入会は必要です、トップページ右上)


小千谷でも被害

2007年07月17日 10時36分19秒 | 新潟県中越大震災・地震
このたびの新潟県中越沖地震では柏崎に報道が集中しているようですが・・・。

小千谷でも被害が出ているようです。
2年9ヶ月前の中越大震災で甚大な被害のあった小千谷市薭生(ひゆ)の宇都宮神社。





今月の7日に完成披露を兼ねた「くぐり初め」をしたばかりだったそうです。

写真・情報提供者:ほねさん

平成19年新潟県中越沖地震

2007年07月17日 02時55分42秒 | 新潟県中越大震災・地震
15:37の余震で震度5弱を観測した小千谷市。
18:00ごろ夕飯つくろうとガスつけようとしたらつかない。
ははーん。さっきのでっかい余震でまた緊急停止したんだな。
今度は慌てず騒がず落ち着いて「マイコンメータ復帰ボタン」を押しに行った。
(午前に一度自分でやったから学習したw)
2-3分後、ガスはあっさりついた。

今日はコンロの前にいるのがこわくって、簡単に調理できるものにした。
(丸○屋のマーボ豆腐とごはんでマーボ丼)
コンロの前にいるときに急に大きな揺れがきて、油や熱湯をかぶって火傷する人は多いのだ。

子ども達、特に上の子ふたりは一回目の震度6弱のときも二回目の震度5弱のときも冷静だった。
親がなにもいわなくても食器棚や襖をぴったり閉めに行ったり、「ドアはあけとくよ~」なんてしっかり二次災害防止策を施していた。
中越大震災での教訓が頭の中で瞬時にシミュレーションできるのだ。これには驚いた。

チビは10:13の地震のとき、「こわいよー!!!」と泣きながら両手をのばして抱っこをせがんできた。
「逃げよ逃げよ!」と手をつないで玄関にうながし、靴をはかせて、みんなで家の外に避難。
一歩外に出たら精神的には落ち着いたようで、きょうだいでフラフラして、近所の友だちの顔を見に行ったりしていた。

しかし、反面、遊びの中で「じしんだー!わー!」とか「じしんがきたからインターネットつながらなくなっちゃったんじゃない?」とか、なんでも地震に結びつけるようにもなった。
ひょっとしたら学校も休みになるんじゃないか、と期待してるヤツもいて一喝した。
ちょっとハイになっているようだ。これは注意しなくては。

地震のせいで午後の予定はまるまるつぶれてしまった。
でも、柏崎に行く予定だったので、つぶれてよかったのかも。

私はメールの返信で一日が終わった。
いちどに3つメールが来てそれに返信してるうちにまた次のメールが2-3通まとめてくる。(地震メール含む)
打ちかけのメールは保存メールに入ってしまうので、掘り起こす。
これの繰り返しだった。

ただ、「返信はいいよ。」というメールも多かった。
これは中越大震災の教訓なのだ、と感じた。

携帯鳴りっぱなしでつねに携帯に向き合ってる私。
また、携帯に向かってないときはテレビに釘付け。
そんな母親の「マジさ」がおもしろくなかったのか、いちばん上の子は地震のニュース以外のことを放送してるテレビを見たがってリモコンのボタンを変えまくっていた。
「地震のことばっかり!」とうんざりしてたんだろう。

旦那が「疲れたーーーー」といって帰ってきて、帰ってくるなり350缶を飲み始めた。

おいおい・・・。

まだ6弱とかくるかもしれないのに飲むんかい!

ま、まーいいや。おつかれっす・・……(-。-)

チビは特変なく20:30すぎにスーーーッと眠りについた。
余震は21時すぎに気持ち悪いのがあったけど、そのあとは落ち着いてる。
どうか朝まで落ち着いていて欲しい。

結局、親しい友人の顔が見たくて夜中会いに行ってしまった。
そこにはあの顔この顔が揃ってた。
時間にして20分くらいだったか。
でもみんなの顔を見たらちょっと安心した。

帰り、原信の桜町店に寄った。

小千谷では柏崎に向かうのにいちばん近い24時間オープンのスーパーとあって、
水(ペットボトル)は品薄。
そしてパンもお惣菜も弁当類も売り切れだった。

柏崎に入る人が買い占めたというよりは、小千谷の人たちも震度6を再び経験し、その危機感で買ったんじゃないかと思った。

余震は21時すぎを最後に落ち着いてる。
朝までなにもありませんように。

長丁場になりそうなので、特に柏崎の方にはゆっくり休んでいただきたい。

ここだけじゃなく、京都でも震度4を観測したとネットのニュースで知った。

どうか、穏やかに朝を迎えられますように・・・・。

新潟県中越沖地震の最新情報を配信

2007年07月16日 20時18分50秒 | 新潟県中越大震災・地震
長岡技術科学大学のボランティアサークル「VOLT of NUTS」(ヴォルト・オブ・ナッツ)の初代代表川本君からの情報!

ぼるなつの後輩君たちが新潟県中越沖地震の最新情報を配信してくれてます!

おおっ

こないだ飲み会でいっしょだった子たちじゃんっっ!!

今野くーーん!
藤澤くーーん!!
みさちゃーーん!
ガンバレーーーー!!


新潟県中越沖地震の最新情報を配信


ボランティアはぐっと我慢

2007年07月16日 17時51分37秒 | 新潟県中越大震災・地震
柏崎にボランティアに行きたくてうずうずしてる人からメールが。
仲間うちでは炊き出しの準備が整って「あとは行くだけ!」みたいな様子。

ほかにも「今こんなものがあったら喜ばれる」という救援物資について話した。
これは中越大震災の体験上すぐわかる。
電気がきてないというから、車のシガーソケットから充電できる携帯充電アダプターは喜ばれるだろう。
あと水、飲料水。ウエットティッシュ、タオル、Tシャツ、新品下着、簡易トイレなどなど。
ふたりメールでやりとりしたら、でてくるでてくる。今必要なもの。

でもね。やっぱり。
あたしは行けないや。
メールもらったときにあたしも無性に柏崎に行きたくなったけど・・。

んー、やっぱり行けない。
最初からあきらめ気分でメールしてたんだけどね。

数分したらその友だちからメールじゃなくて電話がきた。
「今日は(柏崎入りは)やめときます~」って。

そうなの。
今うちらは「行くとき」じゃない。

「強い余震から家族を守ることが最優先!」
こういう結論。

家庭人はフットワークが重いんす。

「ボランティアよりまず家庭」
「ALWAYS家庭円満であるために~~!(=妻や夫の機嫌が悪くならないように~)」

既婚同士、もどかしい気持ちをふたりで舐めあい慰め合った(^_^;)

柏崎なんて車で20分~30分あれば行ける距離なのにーーーー!!!
あーー!もどかしいよ~~!

子ども達の登校、明日からどうなるんだろう。
親が交代でついていくことになるのかな。
夜、町内PTAで緊急会議があるかも。

これ書いてるあいだもからだに感じる余震が3~4回あった。
子どもたちは3人仲よく遊んでます。
ニュースに目をやるとため息ついてうんざりした顔するので今テレビは消しました。

丸山結香さん内閣府「女性のチャレンジ賞」受賞!

2007年07月12日 15時21分18秒 | 新潟県中越大震災・地震
さまざまな分野でチャレンジし、輝いている女性を顕彰する本年度の「女性のチャレンジ賞」(内閣府主催)に、「やまこし道楽村代表・丸山 結香」さんが選ばれました。
 丸山さんは、中越地震発生から今日まで、「山古志に帰って生業を再生したい」とする住民と向き合い、被災地復興に取り組んでいる具体的な活動の数々が、高い評価に結びついています。
 この賞は、2004年度に創設され、身近なモデルとなるような起業やNPO法人での活動などで輝いている個人・グループを毎年表彰しているもので、新潟県からの受賞は初めてです。



昨夜、長岡市内のホテルで「丸山結香さんの受賞を祝う会」が開催され、多くの方がお祝いに駆けつけました。

朝日新聞社の記事

新潟日報社の記事

結香さんとの出逢いは2005年8月。
結香さんがパーソナリティをつとめられていたFMながおかの「スタジオに遊びに来ませんか?」にお邪魔したのがはじまりでした。
初対面だというのにむちゃくちゃ盛り上がって楽しい収録だったことを思い出します。(結香さんのリードのおかげ)

【FMながおか】のスタジオに遊びに行きました!

以来仲良くさせていただいており、特につまらないことで凹みそうになったときには、いつも前向きな結香さんのことを思い出し、「あたしなんてぬるいな~。」とまた前にすすむ勇気をいただいたりしたものです。

本作りでへとへとだったときも、結香さんと電話でうっかり話しこんじゃって、そしたらもーとまらないw
結香さんの「おつかれ~」「だいじょうぶだいじょうぶ」「気にしない気にしない」はおまじないのようでした。
結香さんに声をかけてもらうと体の中の老廃物がどっさり出るようですw

そして!
会いたかった小姉さん(結香さんの妹さん)に
やっと会えました~!

これまったかっわいらしい方で、ブログのキャラのまんま!

あんにゃ(=すのぱと隊長)の小姉エピソードに大受けの結香さんw
ほんとに仲いいんですね~。

雪氷フォーラム以来2年ぶりにT記者に再会したり、「ブログ、ずっと見ていました」とおっしゃる方との出逢いがあったり、おなじみ市民会議のかたがたと「ここだけの話」をしたりw
私も存分に楽しませていただきました。(なので呑めなかった!今度は呑みたい!また受賞してくださいね

華やかなのにそれでいて和やかな、
これもひとえに大姉(結香)さん・小姉さんのお人柄ですね。
お召し物もとてもすてきでしたよ

お会いできてうれしかったです!
このたびはおめでとうございました~

みんなで田植え!

2007年05月07日 08時51分40秒 | 新潟県中越大震災・地震
寺沢のトミーが地震で壊れた棚田を再生し、「田んぼやるゾ~!」と張り切ってるというので、田植えを体験させてもらいに行きました。





この斜面。
山の上からどさーーーーっと土砂が崩れ、川のようになったそうです。
そこを重機で均し、コンパクトな棚田を4面つくったとか。
すっごいなぁ。



田植定規で印をつけるトミー。
師匠から植え方をおしえてもらうみんな。





東京から川ちゃんも遊びにきました。

んでっ。
あたくしたちっ!
ついにっ!



山笠買っちゃいましたーーーーっ y( ̄ー ̄)y
ジャスコの隣のホームセンターで、いちばんいいやつ(男モノ)
田んぼで山笠かぶってるジブンに酔いしれてしまったヨw

この山笠ってーのはねー。
日照でも雨でも雪でも「全天候型」なンス!

「・・・サイッコーですね・・・」(←福山風に)


・・・・見るからにあぶなっかしい坊やw



あちゃ・・・・w

こっちは帽子がどろんこになったと大騒ぎ。
田植えはこのハプニングがあるからたのしーんですよねー。

田植えが終わってから、トミーが山菜採りを教えてくれました(続く)