近所の小学生がしゃくりあげるように泣きながら車から降りてきました。
車走行中に地震にあったんだと思いました。
ほかのお母さんたちは一様に子供を抱えて、離れ離れになった家族の安否を心配していました。
畑の中で隣にいたママ友が携帯で誰かとメールしあってました。
小千谷がいちばんひどいらしいよ と教えてくれました。
子供たちは美香ちゃんたちと盛り上がっていました。
こんなときに笑ってんじゃないよ!と周りに気を遣いました・・・。
うぉぉぉ!!大きい~~!と ハイになってはしゃいでるふうでした。
チビは靴をはいてなかったので 下におろせず重かった。
ただただ無表情で抱かれたままでした。
夫が笑いながら出てきました。
笑ってんじゃないよ!
ほかの人は家族の安否が確認できなくて心配してるっつーのに!
と ちょっと腹が立ちながら、でも穏やかでいなければ子供たちが不安になるだろうとそれは常に意識してました。
あ~~携帯いいな~。
あたしも携帯欲しい~。
でもどこに置いたっけ?
台所に置いたような居間に置いたような。
忘れちゃった・・。
車のキーもどこおちたかわからないなぁ。
ほかにも車のキーがなくて困ってる人がいました。
そういえば風呂つけっぱなしで出てきちゃったよ。
火が出たらどうしよう???
すごく心配しました。
「こんなときはどこから火がでてもいっしょいっしょ!!」
と友達が慰めてくれて少し気持ちが軽くなりました。
おとうさん 高速乗ってるんじゃないかなぁ?大丈夫かなぁ。
18:11 6強
18:34 6強
18:36 5弱
18:57 5強
19:36 5弱
19:45 6弱
19:48 5弱
あまりにも余震が続くのでもう家に帰ることは無理だと思いはじめました。
ぐちゃぐちゃで寝るとこないし。
それが19時半くらいだったでしょうか。
みんなが動きはじめたのがそのころ・・19時半から20時の間でした。
車に乗り込んで車中泊をしようと決めたり、どっかに車で出かけている人もいました。
とりあえず一度家に帰って携帯もってくるわ、と夫が中に入りました。
子供たちが怯えないように 「美香ちゃんの誕生日会をしよう!」と私が提案し、うちの車の中に乗り込んで、みんなで明るくハッピーバースディを歌いました。
子供たちはゲラゲラ笑ってました。
美香ちゃんが「ケーキがひっくりかえったかもしれなーーい!」というのでみんながまた笑いました。
夫が携帯と車のキーが入った上着をもってきました。
夫の携帯が何度も何度もしつこくかけてるとつながったらしく、夫の両親は無事だということがわかりました。
そのときに和南津のトンネルが通れなくなったことを知らされました。
夫は翌日の仕事のことが心配になりはじめました。
和南津のトンネルの向こうにどうやって行けばいいのか?
どこの道が通れるんだ?どうやって通えばいいんだ?
という気持ちと同時に「どうせ行けないんなら休ませてくれ~」とも思ったそうです。
私もそのほうがありがたいと思いました。
私の実家にも電話はつながり、無事だということは伝えることができました。
次に私が戻って毛布とボトルに入ったジュースを冷蔵庫からもってきました。
携帯は探したけど見つからず、その間も激しい揺れがあったのであきらめて出てきました。
ふたり同時に家屋に入ることは避けました。
倒壊して両親とも死んだら困るので。
またまた夫に家屋に入ってもらい、自分の携帯を鳴らしてもらって私の携帯を見つけてもらいました。
手探りでみかんをみつけたらしく みかんも持ち出しました。
何通も「無事か?」メールが届いていました。
電池切れ心配・・と思ったのですが、とりあえずメールくれた人には返しました。
神戸の人が「ほしいものあるか?あったらいってくれ。なければ返信しなくていいぞ」といってメールしてくれてました。さすがです。電池の消耗を心配してくれてたようです。
夫が携帯充電アダプターをもっていると言いました。
「私のも充電できる?」と聞いてみたら「おまえのはできないよ」というので(ほんとか?)と疑って私が「かしてみ!」と自分でしたらカチッとはまりました。
夫は一方向でしか試さなかったようで裏返しにしてやってみたらキッチリはまりました。
苦笑いで誤魔化され、「こいつはあてにならない!なんでも自分でやらないと気がすまない!」という気になりました。
ここでまたカチンときたことがありました。
夫の車のガソリンがエンプティだったこと!!
あれだけエンプティで走るなといってたのにつかえない!(怒)
(これは神戸の人が言ってたんですよ。ガソリンはつねに半分以上にしとけ、と。そらみたことか!!怒)
でも喧嘩してもしょうがないので飲み込みました。
夫が軽の合鍵をもっていたので、とりあえず軽でラジオをきこうということになりました。
車を建物から離したところに駐車させてとりあえず家族5人みんな乗り込みました。
このころから近所のおとうさんたちが続々と帰宅してきました。
ここを通って帰ってきたとナマの声がいちばん頼りになりました。
ラジオは全然役にたちませんでした。
中越地方で大きな地震がありました くらいのことと、安否情報ばかりが流れていました。
日ごろ話さないようなお父さんたちにも声をかけて、みんなで道路情報を収集しました。
市内にはガラスの破片が散乱しているとか 道がなくなってる とか、山間に関してはあそこもここも通れないとか マイナスの情報ばかりしか入ってきませんでした。
そして刻々と状況は変化してるはずなので、なにがいちばん新しい情報なのか混乱しました。
20時半とか21時くらいから全くメールも電話もできなくなりました。
そういえば、みんなが「無事か???」とメールしてきたのに
彼氏とののろけ話をのほほんとしてきた女の子がひとりだけいて癒されました。
こどもたちは遊びすぎで疲れはて、20時くらいからずっと朝まで寝ていました。
よかった・・・。
腹減った・・・と もってきたみかんを3つも4つも食べてる夫。
こればかりはほんとに腹が立ちました。
地震で穏やかじゃないってーのに 自分勝手なことしてんじゃねーよ!!!とマジギレ。
「だっておなかすいたんだもん。」とか「狭いよ!」とイライラしてる夫に罵声のひとつふたつ浴びせたような気がします。
朝にならないとどうにもならないね、ということで そのまま車でラジオを聞いて過ごしましたが、 有益な情報は全く入りませんでした。
水が出ないっていうのに 隣に車を停めてた奥さんがポットの中の温かいお湯でコーヒーをすすめてくれてすごくありがたかったです。
夜通し余震が続きました。
流れ星がバンバン流れているのをフロントガラス越しに見ているだけ。
4時半ごろにちょっとうとうとしました。
いつもと同じように朝が来たのがすごくうれしかったのを覚えています。
車走行中に地震にあったんだと思いました。
ほかのお母さんたちは一様に子供を抱えて、離れ離れになった家族の安否を心配していました。
畑の中で隣にいたママ友が携帯で誰かとメールしあってました。
小千谷がいちばんひどいらしいよ と教えてくれました。
子供たちは美香ちゃんたちと盛り上がっていました。
こんなときに笑ってんじゃないよ!と周りに気を遣いました・・・。
うぉぉぉ!!大きい~~!と ハイになってはしゃいでるふうでした。
チビは靴をはいてなかったので 下におろせず重かった。
ただただ無表情で抱かれたままでした。
夫が笑いながら出てきました。
笑ってんじゃないよ!
ほかの人は家族の安否が確認できなくて心配してるっつーのに!
と ちょっと腹が立ちながら、でも穏やかでいなければ子供たちが不安になるだろうとそれは常に意識してました。
あ~~携帯いいな~。
あたしも携帯欲しい~。
でもどこに置いたっけ?
台所に置いたような居間に置いたような。
忘れちゃった・・。
車のキーもどこおちたかわからないなぁ。
ほかにも車のキーがなくて困ってる人がいました。
そういえば風呂つけっぱなしで出てきちゃったよ。
火が出たらどうしよう???
すごく心配しました。
「こんなときはどこから火がでてもいっしょいっしょ!!」
と友達が慰めてくれて少し気持ちが軽くなりました。
おとうさん 高速乗ってるんじゃないかなぁ?大丈夫かなぁ。
18:11 6強
18:34 6強
18:36 5弱
18:57 5強
19:36 5弱
19:45 6弱
19:48 5弱
あまりにも余震が続くのでもう家に帰ることは無理だと思いはじめました。
ぐちゃぐちゃで寝るとこないし。
それが19時半くらいだったでしょうか。
みんなが動きはじめたのがそのころ・・19時半から20時の間でした。
車に乗り込んで車中泊をしようと決めたり、どっかに車で出かけている人もいました。
とりあえず一度家に帰って携帯もってくるわ、と夫が中に入りました。
子供たちが怯えないように 「美香ちゃんの誕生日会をしよう!」と私が提案し、うちの車の中に乗り込んで、みんなで明るくハッピーバースディを歌いました。
子供たちはゲラゲラ笑ってました。
美香ちゃんが「ケーキがひっくりかえったかもしれなーーい!」というのでみんながまた笑いました。
夫が携帯と車のキーが入った上着をもってきました。
夫の携帯が何度も何度もしつこくかけてるとつながったらしく、夫の両親は無事だということがわかりました。
そのときに和南津のトンネルが通れなくなったことを知らされました。
夫は翌日の仕事のことが心配になりはじめました。
和南津のトンネルの向こうにどうやって行けばいいのか?
どこの道が通れるんだ?どうやって通えばいいんだ?
という気持ちと同時に「どうせ行けないんなら休ませてくれ~」とも思ったそうです。
私もそのほうがありがたいと思いました。
私の実家にも電話はつながり、無事だということは伝えることができました。
次に私が戻って毛布とボトルに入ったジュースを冷蔵庫からもってきました。
携帯は探したけど見つからず、その間も激しい揺れがあったのであきらめて出てきました。
ふたり同時に家屋に入ることは避けました。
倒壊して両親とも死んだら困るので。
またまた夫に家屋に入ってもらい、自分の携帯を鳴らしてもらって私の携帯を見つけてもらいました。
手探りでみかんをみつけたらしく みかんも持ち出しました。
何通も「無事か?」メールが届いていました。
電池切れ心配・・と思ったのですが、とりあえずメールくれた人には返しました。
神戸の人が「ほしいものあるか?あったらいってくれ。なければ返信しなくていいぞ」といってメールしてくれてました。さすがです。電池の消耗を心配してくれてたようです。
夫が携帯充電アダプターをもっていると言いました。
「私のも充電できる?」と聞いてみたら「おまえのはできないよ」というので(ほんとか?)と疑って私が「かしてみ!」と自分でしたらカチッとはまりました。
夫は一方向でしか試さなかったようで裏返しにしてやってみたらキッチリはまりました。
苦笑いで誤魔化され、「こいつはあてにならない!なんでも自分でやらないと気がすまない!」という気になりました。
ここでまたカチンときたことがありました。
夫の車のガソリンがエンプティだったこと!!
あれだけエンプティで走るなといってたのにつかえない!(怒)
(これは神戸の人が言ってたんですよ。ガソリンはつねに半分以上にしとけ、と。そらみたことか!!怒)
でも喧嘩してもしょうがないので飲み込みました。
夫が軽の合鍵をもっていたので、とりあえず軽でラジオをきこうということになりました。
車を建物から離したところに駐車させてとりあえず家族5人みんな乗り込みました。
このころから近所のおとうさんたちが続々と帰宅してきました。
ここを通って帰ってきたとナマの声がいちばん頼りになりました。
ラジオは全然役にたちませんでした。
中越地方で大きな地震がありました くらいのことと、安否情報ばかりが流れていました。
日ごろ話さないようなお父さんたちにも声をかけて、みんなで道路情報を収集しました。
市内にはガラスの破片が散乱しているとか 道がなくなってる とか、山間に関してはあそこもここも通れないとか マイナスの情報ばかりしか入ってきませんでした。
そして刻々と状況は変化してるはずなので、なにがいちばん新しい情報なのか混乱しました。
20時半とか21時くらいから全くメールも電話もできなくなりました。
そういえば、みんなが「無事か???」とメールしてきたのに
彼氏とののろけ話をのほほんとしてきた女の子がひとりだけいて癒されました。
こどもたちは遊びすぎで疲れはて、20時くらいからずっと朝まで寝ていました。
よかった・・・。
腹減った・・・と もってきたみかんを3つも4つも食べてる夫。
こればかりはほんとに腹が立ちました。
地震で穏やかじゃないってーのに 自分勝手なことしてんじゃねーよ!!!とマジギレ。
「だっておなかすいたんだもん。」とか「狭いよ!」とイライラしてる夫に罵声のひとつふたつ浴びせたような気がします。
朝にならないとどうにもならないね、ということで そのまま車でラジオを聞いて過ごしましたが、 有益な情報は全く入りませんでした。
水が出ないっていうのに 隣に車を停めてた奥さんがポットの中の温かいお湯でコーヒーをすすめてくれてすごくありがたかったです。
夜通し余震が続きました。
流れ星がバンバン流れているのをフロントガラス越しに見ているだけ。
4時半ごろにちょっとうとうとしました。
いつもと同じように朝が来たのがすごくうれしかったのを覚えています。