小千谷から(Ojiya kara)

新潟県中越大震災の、とある被災者からのメッセージ
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大山の記憶

2007年08月10日 23時58分08秒 | 福山雅治
帰省ラッシュがはじまったようですね。
私も明日は4時起きの予定。
おにぎり握ったら5時には家を出るぞ!
そして

ふるさと大山に帰りますっ!!

ふるさとっつっても大山で生まれたわけじゃないんです。

私小さいころ、大山スキー場で死にかけましたw
当時2歳か3歳くらいだったでしょうか。
スキー場の隅っこで休憩していた私めがけて、大学生がエッジからつっこんできたのです。
血まみれ、人だかり、救急車のサイレン・・・。

半覚醒の意識の中、私の名前を呼び続けるやさしい声。
たまたま現場に居合わせた米子在住の看護師さんの声でした。
彼女は救急車に乗り込み、米子市内の病院までついてきてくれて、私をずっとはげまし続けてくれたのです。

私はあたりどころがよかったのか、大事には至りませんでした。

自分のいちばん古い記憶の中で、しかもあやふやで、でもしっかりとした記憶。
だから私の中で大山は記憶のふるさとのような気がしているんですよね・・・。

そして・・・。

中越大震災が起こった日の翌朝、ものをとりに家に戻ったときのことです。
余震で家が激しく揺れる中で電話のベルが鳴っていました。

「もしもし?」

米子のおばちゃん(看護師さん)でした。

年賀状のやりとりは続けていたので、年賀状に記載していた電話番号を頼りにダメもとでかけてくれたのでした。

「○○ちゃん??だいじょうぶ?」
余震が激しく続く中ゆっくりと電話をしていられず、「声をきいたから安心した。」とすぐにおばちゃんは電話を切りました。

その年の年賀状は自衛隊風呂に入って笑顔でピースをしている子供たちの写真を添えました。

大きな傷はいまもくっきり顔に残っているけれど、どこか温かい気持ちになれる「大山の傷」です。


「PHOTO STAGE II -出逢いの記憶-」


明日から大山王国オリジナルグッズ「ほうき星に願いを」が先行販売されるみたいです。
9時には入館してゲットしたい~。

はやく寝ようw