童画家kanan 《小さな勇気を届けたい🌸》

世界中の誰かに勇気が届けばいいな🌸国も言葉も肌の色も家族も宗教も超えて、《自分を好きになる勇気》を子供にも大人にも届け♫

人に話してみる。ただそれだけで、ぱあっと目の前が拓けていく事って多いんです。

2012年11月22日 | 日記

 生きている上で色々なことを考え、それでも「これだ!」っていう案が浮かばないことってあると思います。

 そういう時、私は「きっといい考えが浮かぶから、急がず待とう。」とほおって置くことが多いのですが、そうやってほおって置いてるときに、人と何気ない話をする中でふとその内容を話す流れになることがあるんです。相談してるつもりがなくて話すから、ただ状況を話しているだけ。

 だからそういう時、話相手は何気なくそれについて言葉を返してくれます。で、その会話は終わる。だけどその後、なんとなく頭に残っている言葉があったりするんですよね。それを考えてみると、急に「あ、これだ!」が出てくることが多いんです。

 私には重度の脳性麻痺の弟がいるのですが、実家にいるので、遠くて年に1度しか会うことがありません。でも、電話ではたまに話をしてるんです。 その弟は今30歳。実家で電動車椅子で動いたり、作業所へ行ったりしています。日常は父がお風呂に入れたりトイレの乗り降りをさせたり、かなり重いのでいつまでも父がやることもできないな~の状況です。父が仕事などの時は母がすることもあるようです。もう還暦を過ぎてる父母に頼り続けるわけにはいかない。けど、私は遠い・・・。それともっと弟が家族以外の方と出会えたらいいな。の思いも強くありました。何か、大きく変えないとならないのかな~けど私は遠い・・・だから両親に話しても心に負担をかけるだけだと思い話していません。

 で、先日、絵の仕事のことで叔母と話をしたときに、叔母も弟のことは気にかけてくれているので、なんとなく思いをしました。叔母は主に「障害のある本人が頑張らなくても、今の時代、電動でなにかできる方法があるんじゃないかな。」と言ってくれていたと思います。そして、もっと弟が家族以外の人と知り合うことはいいことだとも言ってくれました。電話はそんな感じで終わりました。

 その後ふと私の脳裏に思いついたのが、私のフェイスブックで弟を紹介して行けたらどうだろうという案でした。とりあえず、重度の障害がある弟を紹介するかも~を載せたら、「いいね。」をもらえて、なんだか嬉しくて、弟に電話をして許可を得ました。弟も嬉しそうでした。

 で、それから数回弟の話を載せたところ、叔母との電話から2日後の今、弟用にアイパットを購入したらどうだろうと夫や子供たちと話をしている状況です。そして、弟の環境的には、弟自身がもっと自分のことを知り、色んな手続きも自分ができるように(代筆はいりますが)することも弟の能力的には可能じゃんも見つかりました。

 来週弟と電話をすることがとても楽しみです

 何年も考えてきたことが、あっという間に方法が見つかり、どう実行していくかにいたっています。

 私がフェイスブックを始めたのも、つい最近、携帯電話が朝急に折れてしまい仕方なくスマートフォンに変えたのがきっかけです。そして、かつての知り合いにつながり、今にいたります。

 そう考えると、生きてる上で起こることは全て必然。何か必ず理由があるってことだなとつくづく感じます。

 嬉しいことに、 そう考えると、物事ひとつひとつに焦ることがなくなってくるんです。

 自分に必要だから来る。  どうクリアするか。  良心に沿って考えよう。  自分の納得した選択ができる。  結果を受け止められる。  笑顔でいられる。 感謝できる。

 焦ることなく、ヒントとなる言葉を待つことができるようになり、ぶれず、自分の芯が強くなる。と感じます。

 身の回りの物事に一喜一憂していたころ、不安でいっぱいで、夫にも子供にも日々不満をぶつけていました。悪循環の中でした。

 その中でも気づいた事を努力してみました。その積み重ねで今があります。人間は生まれて死ぬまで自分の中で進化していくのかもしれないと感じます。

 今ある思考の中に、次は何がプラスされ、自分の脳内が広がっていくのか、それが毎日楽しみです

 生かしていただいて、ありがとうございます

 

 



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