『おそ松くん』の連載が好調をキープしたまま、後半戦に突入した頃、更に『おそ松くん』をエポックメイキングとして位置付けるような、ジャンピングボードとなる転機が訪れる。
「週刊少年サンデー」の部数増大に伴い、小学館が、正月、春季、夏季と季節毎に合わせた増刊号や月刊の別冊を、ページ数を大増し、発行するようになったのだ。
これらのサブストリーム誌においても、「週刊少年サンデー」の目玉商品である『おそ松くん』が、強力なイメージリーダーの役割を担うのは、必然の成り行きであり、それまでの13、14ページに留まっていた『おそ松くん』のスペースに、25、32、時には、40を越える破格のページ数を割くことで、作品そのものの存在感は、更なる光彩を増し、従来のパブリックイメージを突き破ることとなったのだ。
ページ数が一気に増大したことで、再スタートを切った『おそ松くん』は、横町の生活圏外へと舞台を移動し、ウエスタン、時代劇、SF、スパイアクション、海賊物、戦記物とリテラリースタイルの幅を広げ、作品の規模をスケールアップさせる。
ギャグ漫画による長編化。それは、一見、作品の出来を不完全なままに留めかねない無謀な挑戦とも思われたが、ドラマの重層性を広げる役割を担ったのが、赤塚の映画に対する造詣の深さであり、また、その壮大な世界観により一層贅沢な色彩と立体感を与える重要なファクターとなったのが、『天才バカボン』、『もーれつア太郎』のスタートを経て、無尽蔵に増殖してゆく赤塚キャラクター達が、タイトルの垣根を越えて友情出演するスターシステムであった。
パロディックなストーリーに貫かれたエピソードが少なくないものの、長編版『おそ松くん』には、笑いの中にも、思わず、読者が感涙に咽ぶような挿話が数多く描かれ、ナンセンスギャグとヒューマンドラマという相反する概念を空中分解させることなく、絶妙の綱渡りで落とし込むことで、赤塚ギャグの新生面開拓に値する独特のドラマトゥルギーを構築させることに成功した。
『おそ松くん』長編化のメリットは、その世界観を拡散し、あらゆるテーマに対応し得るプロットを多元的に構成出来るだけではなく、13ページ、14ページという限られた枚数では、異なるシチュエーションや役どころでキャラクターを動かしてゆくことが出来ても、その心理的内面に肉薄し、人生の憂いや悲喜劇、人間関係の奥深さを精緻に語るには足りないというジレンマをも反転させた。
スターシステムの先鋭化は、お馴染みのキャラクター達の新たな性格付けにおいても呼応し、イヤミもチビ太も熟成された従来のキャラクターに様々な魅力とよりリアルな人格的特徴が付け加えられ、役柄によっては、読者の心の琴線に触れる感動やペーソスを喚起する名演技を披露してゆく。
イヤミが心優しい素浪人を演じたり(「イヤミはひとり風の中」)、「六つ子対大ニッポンギャング」では、何と、デカパンが、それまでの善良なイメージを覆すダブルのスーツを粋に着こなした冷血なギャングのボスを貫禄たっぷりに演じ切るなど、その劇構成において、赤塚ワールドの人気キャラ達が、性格俳優よろしく、善玉になったり、悪玉になったりと、バラエティー的空間を強化する伸縮自在なバロック性を趣意とすることで、とかく子供達にとってはモノトーンな印象は否めないであろう映画や文学の古典的名作の面白さや意義深さを、当時の「週刊少年サンデー」の愛読者に喧伝していった。
陽から陰、動から静、コメディーからトラジェディーへと、ストーリーの単位を構成するシーンの一連が、ドラマ的起伏に富んだ壮絶な人間劇に方途を見出だしている長編版『おそ松くん』だが、それでもクライマックスに至るまでギャグ漫画本来の遊撃性を犠牲にすることはなく、エンターテイメント性を重視しており、後世に改めて評価されるであろう良作がズラリと揃っている。