文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

初期『バカボン』ワールドの要 ママの寛大なる優しさとバカボン一家の家族愛

2021-03-21 20:42:32 | 第5章

何故このように、ママの方からパパにプロポーズするに至ったのか……。

ママがパパに惹かれた同じく理由の一つを、二人の新婚時代にスポットを当てた「新婚はヤキモチだらけなのだ」(71年50号)で、はっきり確かめ得ることが出来る。

この挿話で、ママの実父が、二人の新居に訊ねて来るシーンがあるが、この父親の風貌や雰囲気が、何と、パパにそっくりなのである。

つまりママは、重度のファザーコンプレックスで、無意識裡に、容姿が実父に酷似しているパパに好意を抱いていた可能性が、充分に考えられるのだ。

また、前述のエピソード「白痴パパをもったママのないてあかした100日間なのだ‼」で、同級生が語っていたところによると、女学生時代のママは、常々ピカソのような芸術家と結婚したいと公言していたらしい。

従って、人間社会におけるあらゆる規約や柵から解き放たれたパパのアナーキーな感性に、ママが前衛アーティスト特有の自由奔放な生き様を二重写しで見ていたであろうことには、推測出来なくもない。

ママはパパやバカボンの馬鹿さ加減に、時には呆れ果てたり、また本気で怒ったりもするが、バカに対する差別感は決して抱いてはいない。

このように、連載初期における『バカボン』世界の特質としては、バカや常識人が、ヒエラルキーの介在しないコミュニティーを形成し、各々の個性や人格を尊重し合うファミリーファンタジーとしての側面が強く、その要となる存在こそが、ママの寛大なる優しさであり、ハジメが生まれたことで更に強まった家族愛であるという解釈に、異論を挟む余地はないだろう。

尚、1994年、ママが、ブルドッグソースの新商品「東京のお好みソース」のイメージキャラクターに単独で起用され、お茶の間の耳目を集めたことがあったが、この際、同商品のオリジナルCMソングを歌うとともに、その声を当てていたのが、80年代の最強歌姫・中森明菜であるという事実は余り知られていない。


不釣り合いカップル パパとママの不思議な馴れ初め

2021-03-21 19:13:44 | 第5章

混乱を無限化してゆく無類のトラブルメーカーたるパパと、聡明で容姿端麗なママ。

この夫婦のツーショットは、多くの人が指摘するように、下世話な部分で言えば、実に不釣り合いであり、珍妙なオーラを放っている。

一体、パパとママはどのようにして出会い、結婚するに至ったのか……。

二人の馴れ初めを綴った「わしの初恋の若さなのだヤマちゃん」(71年48号)と「わしはママとケッコンなのだ」(71年49号)という二つの連続したエピソードを紐解き、未だ多くの人が抱くこの謎を解明しておきたい。

七城中学校卒業後、パパは東京のバカ田高校に進み、そのままエスカレーター式に、迷門・バカ田大学に進学する。

当時、ママは名門・黒百合女学院に通う女子高生で、色んな男子生徒から、山ほどのラブレターをもらうなど、評判の美少女だった。

姓名ともに不明だが、近所の奥さんから、「アッちゃん」と呼ばれているところから察するに、敦子、明子、亜沙美、綾香といった名前が、その候補に挙げられる。

ある日、意を決したパパは、ススキの束をプレゼントし、ママをデートに誘い出す。

「わしはきみをス ス ス ススキなのだ」

当初、バカ大の先輩によって代筆された、実に馬鹿馬鹿しい文面のラブレターや、三枚の最新ヒットのレコードを継ぎ接ぎして作ったリミックス盤を差し出されたりと、パパの勘違いアプローチに、辟易としたママだったが、どういうわけか、この駄洒落だけには惹かれ、デートの誘いをOKする。

だが、冗談半分でOKしたデートのため、いまいち気分が乗らず、適当にあしらってやろうと思うものの、逆にママの方が、パパの突拍子もない行動に翻弄されてしまう。

そして、事態は更に一転する。

尾崎紅葉の『金色夜叉』の主人公・貫一の成れの果てとも言うべき浮浪者が、突然パパとママのデートに割り込んで来て、二人はその彼が失恋したと語る想い出の海岸へと連れて行かれたのだ。

嘘か真か、浮浪者から『金色夜叉』そっくりな遠い日の悲恋の物語を聞き、思わずママは涙を流す。

その後ママは、誰が捨てたのかわからないボロのリボンを髪に付けられ、勝手に浮浪者から、かつての恋人であるお宮に仕立てられる。

その姿が、お宮と重なって見えた浮浪者は、ママを我が胸に抱かせて欲しいと懇願するが、その願いを拒まれると、今度は『金色夜叉』の展開同様、ママが恋敵からダイヤモンドを受け取ったと妄想し、ママを波間で蹴飛ばしてしまう。

また、パパも浮浪者の話をすっかり信じ込み、ママを罵倒し、浮浪者と同じくママを蹴り上げる。

これまで、ちやほやされてばかりで、男性から足蹴にされたことなどなかったであろうママにとって、パパからの仕打ちは、大きなショックだったに違いない。

そしてこの時、正常な判断能力が失われたのか、逆にママの方から「あなた‼ わたしと結婚して‼」とパパに求愛するのであった。


肥後もっこす パパの血の源流

2021-03-21 08:09:39 | 第5章

作中、自らが江戸っ子であるかの如く語るエピソードも存在するが、パパの出身は熊本であり、実際にある菊池郡七城村立(現・菊池市立)七城中学校を卒業している。

七城中学校は、公立中学であるため、恐らくこの菊池郡(現・菊池市)周辺で生まれ育ったものと見ていいだろう。

因みに、この七城中学卒という経歴は、「長井リクツのクセなのだ」(「別冊少年マガジン」74年9月号)というエピソード内において、初めて語られたものだ。

これは、赤塚によって、アシスタントの出身中学の中で、東京から一番遠方にある所をパパの母校にしようという提案がなされた際、当時作画スタッフだった近藤洋助の出身地である七城中学校が選ばれ、生まれた設定である。(但し、七城中学校の創立年が1947年であるため、実際のパパの生年月日と重ね合わせると、タイムラグが生じる。)

一度決めたら梃子でも動かない、その妥協なき強情さ、また時折見せる天の邪鬼な性格ぶりは、日本三大頑固の一つ「肥後もっこす」に象徴される熊本人特有の県民性によるもので、パパは取り分け、肥後人としての血筋を色濃く引いているのではないかと思われる。

それを物語るパパの性格の一端に、一つのことに対し、徹底的に拘る粘着質的傾向が挙げられる。

パパの親族に関しては、前出のルーツ編二作で、一郎という名の父親(パパのパパ)と、パパにとって叔父に当たる一郎の実弟が登場しているものの、この時母親は、叔父の口から、三年前(1923年)からお産で入院しているといった情報しか語られておらず、パパの誕生後もその姿を表すことはなかった。

だが、その後描かれる「10本立て大興行」の一編「母をたずねて三千円」(72年51号)というエピソード内において、パパと母親が二〇年ぶりの再会を果たすことになる。

パパは、二〇年前、突然行方不明になった母を探し求め、流離いの旅路へと向かうが、その目的は、失踪前に母親に貸した三千円を返金してもらうためだった。

パパと母親が、再び巡り会えたその時、母親はパパを目の前にして、溢れんばかりの喜びを全身で表すが、パパは淡々と貸した三千円を返して欲しいとだけ言う。

その後も母親が、「なつかしくないのかえ?」と訊ねるも、パパは執拗に貸した三千円を要求する。

観念した母親は、パパに三千円を叩き付けるが、今度は元金三千円の利息分を請求され、またしてもパパは、母親に逃げられてしまうのだった。

もはや、この二人の間には、血の繋がった母と息子の絆や情愛など微塵もないが、ここで着眼すべきは、思い込んだら、猪突猛進する頑固一徹なパパの信念だ。

「これでいいのだ‼」と断定的に主張し、目的を完遂するためなら、どんな逆行も厭わない。

こうした直情径行に過ぎた行動を一つ取っても、肥後もっこすの精神が、その執念の根源に深く関わっているように思えてならない。

パパの肥後もっこすの精神が最も歪んだ形で表れたエピソードに、「未知との遭遇」(「月刊少年マガジン」78年4月号)がある。

その身体的特徴から、近所に住む星野というご老人を勝手に宇宙人だと思い込んだパパは、その正体を暴こうと、しつこく彼を追い回す。

当初は、「わしは人間だーっ‼」と、パパに食って掛かる星野氏であったが、それでも、宇宙人であることを信じて疑わないパパの激しい訊問に根負けし、遂にそのベールを脱ぎ捨てる。

「ウワーッハッハッ おみごと‼ 「地球のしつこいおじさん」」

「じつは わしが宇宙人だということを見やぶったのはこの八十年間にきみだけだ‼」

そうパパに言い放つと、星野氏は、人類の発展と地球の繁栄を祈願し、巨大円盤に乗って、地球を後にするのだった。

そう、肥後男児特有の激烈な気性を色濃く受け継ぎながらも、パパの勇往邁進なその肝魂には、このように妄想によって宇宙人をも追い詰めてゆく、恐るべき偏執病気質が軌を一にし、伏在していると見て間違いないだろう。