文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

フリーターの元祖にしてヴァガボンド バカボンのパパのキャラクター・イメージ

2021-03-17 21:27:59 | 第5章

後述するアニメ『天才バカボン』のファーストシリーズにおいて、バカボンのパパは、腕の良い植木職人という人物設定が付け加えられているが、原作におけるパパには、定職がなく、それ故、劇中様々な職歴を変遷している。

その職種への拘りのなさは、元祖フリーターといったところだろうか……。

植木職人という設定は、父親がろくに仕事に就かず、ブラブラしているのは、教育上好ましくないという見解から、番組スポンサーであった大塚製薬の要請によって作られたものだ。

だが、赤塚自身の所論としては、パパはヴァガボンド、即ち放浪者というイメージから生まれたキャラクターであるため、敢えて定職を持たせなかったという。

俗識に囚われたシチュエーションにあっては、ドラマが硬直を伴い、突飛なナンセンスが導き出せないという懸念もまた、その根底にあったのだろう。

連載第一回目において、パパは自営であるのか、雇われであるのかは定かではないが、靴職人をしている。

だが、少しでもコストを下げようと、スルメの靴を試作するものの、結局一つも満足に作れず、これが頓挫した原因なのか、以降、靴職人を生業とはしていない。

連載第二回目となる「バカ+バカ=?」(67年16号)では、職業を夜鳴きそば屋に鞍替えするが、客足はさっぱりで、挙げ句の果てには、近所のタチの悪い連中に屋台ごと騙し取られてしまう有り様だ。

その後もフリーター生活は続き、ドライクリーニング店に就職した際には、アイロンを掛けっぱなしのまま職務放棄し、 店を全焼させてしまったり、また、サラリーマンに転職した時には、親会社の会長に悪態を付き、会社もろとも倒産させてしまったりと、何一つまともに務め上げられない点からもわかるように、常識や倫理観が欠落しているパパにとって、一般社会に適合して働くことなど、土台無理な話なのだ。


苦肉の策で生まれた難産ネタ 澄みきったハーモニーをもたらすコンポーネント

2021-03-17 15:36:52 | 第5章

このような確固たる編集プランを打ち立てて、連載第一回目に挑んだものの、赤塚自身、ハジメの大天才ギャグが一体どのようなものなのか、皆目見当が付かないという、まさに見切り発車の状態でスタートさせたという。

結局、赤塚がバカを描くことに拘っていたという理由もあったのだろう。

そのため、第一話から五話まで、出産予定日でありながらも、ずっとママのお腹の中にいて、毎回生まれそうで生まれないという、次回への引きを作っては、その登場に猶予期間を設けていたそうな

この難産ネタは、ハジメの大天才ギャグが具体的に繰り出されるまで、苦肉の策として取り入れたアイデアだったが、こうした緩やかな停滞が、最初期『バカボン』独特の、落語的要素を原点に据えた滑稽譚に、澄みきったハーモニーを滲ませるコンポーネントとなったのだ。

そんな世界観を醸し出す特有の空気感を、作家の畑正憲は、以下のように評した。

「特に最初の頃の、赤ん坊が生れるのが一週間ずつのびていく名調子には酔った。赤塚さんの持つ、すべてのものが、もっともいい形で流れ出ている。」

(『赤塚不二夫1000ページ』話の特集、75年)

因みに、第一話の「わしらはバカボンなのだ」(67年15号)の大まかなストーリーは次のようなものだ。

バカボンのパパとバカボンは、その度を越した天然ぶりと馬鹿さ加減から、水溜まりで魚が釣れると騙されたり、銭湯では洋服を着て入浴しないと、死刑になると国会で可決したと吹聴されたりと、今日も街中の人達からからかわれていた。

ママがいてくれたら、こんなことで騙されたりすることもないのにと、悔やむパパとバカボン。

この時ママは、出産を控え、入院中だった。

間もなく赤ん坊が生まれるということで、パパとバカボンは大至急病院へと駆け付ける。

そして、出産のカウントダウンが始まる中、パパが歓喜の余り、大声を発し、そのショックで出産が一週間延びることになってしまった。

尚、全くもって余談であるが、本エピソードでの、パパとバカボンがママをお見舞いに訪れるシーンにおいて、生まれて来る赤ちゃんに、名前を何と名付けるか、言い争うやり取りが挟み込まれている。

この時、「うまれたら ギララガッパちゃんて名まえ つけようね」と提案するバカボンに対し、パパは「ウルトラマンのほうがいいよ!」と反対意見を述べるのだが、その流れの中で、ウルトラマンが必殺技「スペシウム光線」を放つ際のポーズを取り、「シュワッチ」と叫ぶアクションが描かれているのだ。

実際、ウルトラマンが、劇中において「シュワッチ」という掛け声を発した事実はないのだが、ウルトラマンといえば、この「シュワッチ」が、今尚そのイメージコピーとして浸透しており、時代を超越する訴求力を放つ、赤塚独特の言語感覚の一端が、こうした何気ないコマの中においても、嗅ぎ取ることが出来る。

暫し、ネット等の文献で、同じく円谷プロ製作による『ウルトラマン』の後番組『ウルトラセブン』のパロディー漫画『ウスラセブン』(永井豪)が、ウルトラマンの掛け声を初めて活字で表現した元祖であると位置付けられているが、時系列を鑑みても、「シュワッチ」は、赤塚によって作られた造語であり、この「わしらはバカボンなのだ」こそが、その初出であるという言説を、この場を使って強めておきたい。


『天才バカボン』の連載開始とそのタイトルの由来

2021-03-17 13:21:41 | 第5章

『天才バカボン』というタイトルのネーミングは、フランス語の「ヴァガボンド」、即ち「放浪者」から来ており、赤塚は、本作を連載するに当たり、当初お人好しのボンクラ男が幸福の世界をさ迷い歩く放浪記のようなドラマを朧気ながら考えていたという。

暫しネットユーザーの間で、『バカボン』のタイトルを梵語(サンスクリット語)で、「世尊」や「有徳」を意味する「薄迦梵」(バキャボン)に由来し、バカボンのパパの決め台詞「これでいいのだ」も、悟りの境地を表すとともに、仏陀の人物像をイメージしたものであるという言説が流布されているが、原作者である赤塚は勿論、当時のフジオ・プロの側近人物らに至っても、過去にそのような証言をした事実はなく、この伝聞もまた、赤塚情報にままある誤説の一つと言えよう。

では、「ヴァガボンド」のタイトルから「バカボン」へと改称するに至るまで、一体どのようなプロセスを辿ったのか……。

『天才バカボン』の連載を迎えるにあたり赤塚は、講談社ビルの別館で、この時「週刊少年マガジン」編集長を務めていた内田勝より、編集部全員で知恵をしぼって出したという、六九もの連載設定案を見せられる。

そのプランは、凸凹コンビによる世界旅行、世界名作全集のパロディーネタ、過去、現在、未来への珍旅行を繰り広げるタイムトラベル物といった実にバラエティー豊かな内容で、それらは、大学ノートにビッシリと綴られていたそうな。

その中に、大天才少年キム君という項目があり、赤塚の目が止まる。

キム君とは、弱冠五歳にして、四ヵ国語を操り、微分積分の問題も難なく解いてしまうというIQ・210の超天才児、金雄鎔(キム・ウンヨン)のことで、当時、日本でも、あらゆるメディアで紹介され、話題を集めていた少年だ。

そうした人類史上最高の頭脳を持つ天才児が現実にいるならば、エジソンのように、どんな大発明も可能にしてしまうのでないかというアイデアがそこに付け加えられていた。

このアイデアが叩き台となって、赤塚はバカな少年と大天才少年の組み合わせで、キャラクターを作ることを発案する。

この前段階において、赤塚は六つ子というシチュエーションを除けば、比較的スタンダードな人物設定である『おそ松くん』の松野一家との差別化を図るべく、完全なるバカなファミリーを主人公に据えたドラマ作りも、選択肢の一環として踏まえていたからだ。

だが、主人公がバカで、その父親もバカ。尚且つ母親もバカだったら、ドラマとして余りにも悲劇的であるため、母親に美貌と聡明さを持たせ、天才児を産ませるという展開を検討していたのだ。

つまり、バカに対し、天才と良識を配した家族構成を設定し、世界観のバランスを確保したのである。

こうして、バカボン、バカボンのパパ、バカボンのママ、ハジメの四人家族が誕生することになる。

『天才バカボン』のタイトルは、超天才児に比肩し得る主人公なら、超絶的なバカでなければならないという想いから決定した。

つまり、超天才児をも凌駕する天才的なバカなボンボンという意味合いが、このタイトルの中に込められている。

『天才ヴァガボンド』も、当初はそのタイトル候補に挙がってはいたそうだが、「ヴァガボンド」という言葉自体、日本では馴染みが薄いため、覚えやすく、また語呂的にも親しみを持たれやすい響きも持つ『天才バカボン』に落ち着いたそうな。