文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

持ち前の生真面目さで人生を軌道修正 その後のバカボン

2021-03-24 21:44:25 | 第5章

ハジメが産まれたことによる相乗効果も相侯り、こうして、バカボンは人間的にも大きく成長を遂げてゆくが、小学五年生という年齢でありながらも、サンタクロースの存在を信じて疑わなかったり(「おたのしみのクリスマスなのだ」/76年2号)、正しい性認識の欠如から、自身の出生をクラスメートから聞き、大きなショックを受けたりと(「ぼくはどこから生まれたの」/74年20号)、純真さがもたらす無知な一面は、その後も改善されないままでいた。

とはいえ、結婚は意外と早く、二十歳を迎える頃に、既に第一子をもうけている。

年齢から考えるに、学生結婚で生まれた子である可能性が高い。

バカボン一家の二〇年後の姿をフィーチャーした「20年後のお話なのだ」(前編)(72年6号)では、御年三一歳となったバカボンが登場。

スーツを着用している点から、一般企業に就職していると思われるが、気苦労が多いせいか、まだ若いにも拘わらず、見事に頭が禿げ上がっている。

この時、配偶者こそ出ていないものの、バカボンが息子であるマジメとともに、パパとママが住む実家に里帰りするシーンが描かれている。

このマジメ、バカボンが散々甘やかして育ててきたため、鎌髭を生やすわ、激しい家庭内暴力を振るうわ、とんでもなくクソ生意気な悪ガキに育ってしまったものの、バカボンはそんなマジメのご機嫌取りを嬉々としてしている。

この時、バカボンの妻が登場しなかったのも、恐らく教育方針の不一致から、バカボン自身、妻から三下り半を突き付けられ、離婚、もしくは別居という状態にあったのかも知れない。

また、「恐怖の結論いそぎ人間なのだ」(「別冊少年マガジン」75年5月号)というエピソードでは、マジメのほかに、名前こそ不明なものの、自身と瓜二つの息子が登場しており、そのシチュエーションから勘案するに、バカボンが還暦を迎えた際に出来た子供ではないかと察せられる。

初登場時は、どうしようもなくボンクラだったバカボンだが、持ち前の生真面目さで自身の人生を軌道修正し、その後一人前の社会人として、曲がりなりにも、家庭を築き上げた点は称賛に値しよう。


純真無垢な心の現れ バカボンの豊穣な人間力

2021-03-24 18:46:56 | 第5章

『天才バカボン』というタイトルが全てを示すように、この作品の本来の主人公は、バカボン一家の長男・バカボンである。

しかし、パパの予断を許さぬ馬鹿さ加減が話題を独占し、遂にはパパに主役の座を乗っ取られる格好となってしまった。

連載開始から暫くの間は、パパとともに愚行奇行を繰り返していたバカボンであったが、回を重ねる毎に、パパの暴走から取り残され、その存在感は徐々に薄らいでゆく。

連載当初のバカボンのキャラ設定は、学習能力が著しく低く、悪童連中から愚弄され、騙されては地団駄を踏むといったパターンが多かった。

あくまでそれは、人を全くもって疑わない、純真無垢な心の現れであったと言ってもいいだろう。

だが、そうした知恵足らずな部分も、ハジメが生まれ、兄としての自覚が芽生えるうちに、パパの度を越した非常識に対し、たしなめるスタンスを取るなど、年相応のバランス感覚を身に付けるようになる。

パパやハジメのように、激烈な個性や突出した非凡さを持ち合わせてはいないバカボンだが、その得難い魅力を挙げるなら、何と言っても、あらゆる人や動物に対して、別け隔てなく優しさを与えられる点であろう。

近眼のハンターに狙われた熊に、自らの絣着物を着せて匿ったり(「アッホーアッホーと山へいくのだ」/67年35号)、年老いた野良犬が冬を越せるよう、家で飼おうとしたりと(「パパはイヌでバカボンはネコなのだ」/67年41号)、バカボン絡みの心綻ぶエピソードは枚挙に暇がない。

また、「サルマネ菌のウン命だ」(67年34号)では、刑務所を脱獄し、バカボン家に押し入ったものの、サルモネラ菌に当たり、命からがらとなった凶悪犯を親切に介抱し、今一度、罪を償うよう改悛させるという、慈愛に満ちた豊穣な人間力の一端を垣間見せている。