では、ここでバカボン一家をはじめとするレギュラー、イレギュラーを含め、『バカボン』ワールドを彩った多士済々の面々を紹介しておきたい。
本作『天才バカボン』の実質的な主役は、タイトルこそ違えど、バカボンのパパである。
パパ本人の回想によると、昭和元年12月元日のクリスマスの夜、即ち昭和が始まったその日に生まれたとされ、『バカボン』の連載が開始された昭和42年(67年)当時、四十一歳であったことが窺える。
アニメ第二作『元祖天才バカボン』のエンディングテーマ曲『元祖天才バカボンの春』(作詞・赤塚不二夫/作曲・渡辺岳夫)で、「四十一才の春だから……」という、パパの年齢を表す歌詞があるが、これも決して伊達や酔狂で書かれた詞ではないのだ。
血液型はBAKA型(ABチーデー型の説もあり)なる極めて特殊なもので、舐めると甘い味がするという。
バカボンのパパの出生の秘密を綴ったルーツ編「わしの生まれたはじめなのだ」(72年1号)と「わしの天才がバカになったのだ」(72年2号)(アケボノコミックスでは、二話をまとめて「天才はバカになるのだ」として収録)でその後明かされることになるが、幼少時代のパパは、まさに神童という呼び名が相応しい超天才児だった。
生まれた直後、二足歩行で歩き出したパパは、「天上天下唯我独尊」、「主はきませり アーメン」、「ボーイズ ビ アンビシャス」と語り出し、周囲を驚愕させる。
何しろ、生後二ヶ月目にして、世界情勢から機械工学、料理に至るまで幅広い知識を有し、家庭教師まで務めてしまうのだから、その天才ぶりはハジメをも凌いでいたといっても過言ではないだろう。
しかしある日、パパが故障車の修理を終え、家路に就こうとしていたその時、寒風に身を吹き付けられ、大きなクシャミを放ってしまう。
そして、クシャミをしたその刹那、弾みで口から頭の歯車が飛び出し、これが原因となって、規格外のバカになってしまうのだ。
それ故、大人になっても尚、精神的な成熟度は至って低く、支離滅裂な言動を弄しては、周囲を当惑させる、まさに人格破綻という言葉をそのまま体現したキャラクターへと180度変貌してゆく。
しかし、気まぐれなのか、世の理不尽に対し、義憤に駆られたり、時として、至極真っ当な正論を吐くなど、天才で類い稀なる人格者であった時代の名残を見せる場合もある。
「鬼子とおじいさんなのだ」(71年53号)では、年老いた親を粗末に扱う娘夫婦を桃太郎宜しく成敗し、アニメ『元祖天才バカボン』のテレビ化を記念した特別企画「『天才バカボン』88ページ大特集」収録のオムニバス短編「白痴パパをもったママのないてあかした100日間なのだ‼」(「月刊少年マガジン」75年11月号)では、女学校時代の同級生に対し、パパの職業を前衛芸術家と詐称するなど、嘘を附いてまで見栄を張ろうとしたママを厳しくも優しい態度で諭したこともあった。
また、シリーズを通読すると、徹底した道化ぶりで観客を沸かせる一流コメディアンの多くがそうであるように、実はパパも、卓越した知性や教養を持ちつつ、バカの擬態を演じ、読者を、延いては、家族を含む『バカボン』ワールドの住民達を煙に巻いているのではないかと思わせる光景に出くわすことが多々ある。
「パパはそうじ大臣なのだ」(68年18号)で、ママが掃除機を購入した際、次のようなやり取りで、ママやバカボン達を困惑させている。
パパ(掃除機を見ながら)「ほう こいつはぜったいうそをいわないのか?」
ママ「どうして?」
パパ「だって そいつは「しょうじき」なんだろ?」
ママ「そうじ機!」
パパ「なにをするものだ?」
ママ「ごみをすうものよ!」
パパ「へえー こいつはゴミをすって生きてるのかっ」
ママ「わかってないわね」
バカボン「これは機械だよ!」
パパ「へっへっへっ」「ほほう ダスターメーターがついてるし コードはまきとりの新式だな」
ママ「あら知ってるんじゃない!」
こうしたワンシーンからも、パパが演じる馬鹿さ加減には、幼児性を頗る滲ませた「かまってちゃん」的要素の強い戯れ事も、多分に含まれていることが明確に印象付けられて感じる。