『男の中に女がひとり/女の中に男がひとり』(アケボノコミックス『赤塚不二夫全集』第21巻)と同じく、『赤塚不二夫全集』第22巻の表題作となったのが、創刊間もない「りぼんコミック」に、読み切り連作として発表された『ハレンチ名作シリーズ』(69年6月号~10月号、単行本刊行時は『ハッピィちゃん』との併録で、『新版世界名作まんが全集 ハッピィちゃん』とタイトルを改題)である。
トキワ荘時代、他の新漫画党の党員達とこぞって愛読したという創元社の「世界名作シリーズ」の一部をベースとしたほか、古今東西の児童文学の名作の数々をセンス良く取り上げ、独自の着想によりアレンジ。「人魚姫でなくて金魚姫」(69年9月号)、「新こじき王子」(69年6月号)、「ケロゴンとお姫さま」(69年10月号)、「アラジンとまほうのランプ」(69年8月号)、「新桃太郎」(69年7月号)の五作品が、パロディーコント風に描かれた。
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『人魚姫』をカリカチュアした「人魚姫でなくて金魚姫」は、抗しきれない宿命を背負った人魚姫の、人間への憧憬と王子への愛の苦悩をオリジナルの『人魚姫』以上の重々しいベールを纏わせて描いたペシミスティックな一編。
マーク・トウェインの『こじき王子』をベースとした「新こじき王子」は、粗暴な性格の王子のために、城内の家来達の統制が取れなくなったことに困り果てた王様が、王子そっくりなこじきの女の子を王子の代わりとして迎えることで起きるナンセンスな混乱劇を意匠とした作品で、もはや児童文学のカテゴリーを完全に超越したと言われる『こじき王子』の原形は、一切留めていない。
「ケロゴンとお姫さま」は、有名なグリム童話である『かえるの王さま(鉄のハインリヒ)』に過激なアレンジメントを加えた一作。
亡き母の形見であるマリを池に沈めてしまったお姫さまは、それを池に住む巨大なカエル・ケロゴンに拾ってもらうが、ケロゴンは、なんと姫に一目惚れ。ずっとケロゴンに付き纏われ、困り果てた姫は、ある手段を使って、ケロゴンに嫌われようとするが……。
虚栄の価値観に重きを置いて表出される、自己欺瞞の増幅を痛烈に皮肉った寓話的なストーリーが印象的で、全五話の中では、最も毒々しさを宿した作品と言える。
『千夜一夜物語』で最もポピュラーな物語を戯画化した「アラジンとまほうのランプ」もまた、オリジナルのスリリングな世界観に赤塚独特の辛口なスパイスを振り掛け、ドラマのコアとなる魔神を美女へと置換展開させた、語り口も軽妙な異色パロディー。
魔法のランプで、幸運を手に入れた筈のアラジンが、幸福を持続させようと策略を図ったことにより、その運命は思いも寄らぬ結末を迎えてしまう……。
「新桃太郎」は、文字通り、日本の代表的なお伽噺に、新解釈を提示したパロディー版で、川上から流れてきた桃から生まれたのは、男の子ではなく女の子だったという、初期段階において、既に原典に抗ったキャラクター設定に新たな趣を感じさせる一編。
鬼ヶ島より宝物を奪い、おじいさん、おばあさんのもとに、帰還しようとする桃太郎だったが、途中で気が変わり、帰りの道中で失踪してしまう救われないバッドエンドが頗るニヒリスティックだ。
このように、いずれも、シニカルとナンセンスの隣接をテーマに、それぞれの原典が持つ根源的なテーマを拡大解釈しつつも、児童文学、少女漫画の構造的類似から完全に脱却したパラレルワールドを展開。人間の退廃的実存を根底としたブラックユーモア的傾向の強いコンストラクションが、ドラマの予定調和を完膚なきまでに解体するアナーキーな破壊性を倍加させ、欲望や自己尊厳の肥大化といった人間の業をメルヘンに包んで語ってしまう、極めて独自性の強いビターテイストな赤塚ナンセンスへと昇華された。
また、各エピソードともに、ニャロメ、デカパン、ココロのボスなどお馴染みの赤塚漫画の名優達が縦横無尽に登場し、作品世界を賑やかに盛り上げており、ここでも赤塚キャラの無敵のインパクトと強烈な存在感を見せ付けていることも記しておきたい。
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