さて、「下品で読みやすい漫画なのだ」に話を戻すが、本作で、ナシとだけ書かれたコマは、全十九コマ。但し書きの文字ゴマも含めれば、そのパディングスペースは、凡そ3ページ分に該当する。
赤塚は、何故このような、ただひたすらナシと綴っただけのコマを幾つも羅列したのだろうか。
その答えは、本作が発表される前号に掲載された「イライラヒリヒリごくろうさまなのだ」(73年30号)に隠されている。
1980年代後半、パラグラフを読者が選択し、サイコロ等の乱数を使って、複数のドラマや結末を追ってゆくゲームブックが、小中学生の間で大人気を博したことがあったが、この「イライラヒリヒリごくろうさま」は、そうしたゲームブックの手法を他に先駆け、試験的に取り入れた画期的な一編だ。
ストーリーは、指名手配中の時計泥棒・針野チックタック(60年代に活躍した若手漫才コンビ・晴乃チックタックのもじり)が、目ん玉つながりに電話で自首し、からかっては翻弄するといったもので、然程入り組んだ内容ではない。
だが、コマにはアルファベットがマークされている以外にも、ページごとに、〇〇ページのA、〇〇ページのBと指定の順番が振られており、読み進めるうちに、ページを行き来しなければ、ストーリーを追えないという、実に練りに練った趣向が凝らされているのだ。
流石に短いページ数では、ストーリーや結末に分岐性を持たせることは無理にしても、読者をまごつかせるには、充分なアイデアだ。
そうした読み難いエピソードを描いたことへのお詫びとして、大義名分的なギャグを込め、殊更読みやすさを強調した手抜き漫画を執筆したのだろう。
尚、ゲームブック人気真っ只中の1988年、『赤塚不二夫劇場』(アドベンチャーノベルス、原作/喰始・絵/赤塚不二夫)なる便乗本が、JICC出版局よりリリースされたことも、この場にて追記しておきたい。
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