前述したように、屈折した感情を浮き彫りにしながらも、その反面、キュートなアニマル系マスコットキャラクターとしての表層的な魅力を図らずも纏ってしまったニャロメは、全共闘系の学生活動家のみならず、その同世代に当たる青年層や、子供から中高生、主婦、壮年層に至る幅広い年代にその人気を波及させていった。
マーチャンダイズ展開においても、ニャロメのキャラクターをあしらった場合の各コンテンツの訴求力は、格段と高まり、それらニャロメグッズが、かつての『おそ松くん』ブームを上回る拡充をもたらした一点を取ってみても、折からのブームの甚大さを窺い知ることが出来よう。
事実、ニャロメの爆発的人気を受け、定番のキャラクターグッズの多くは、文房具、お菓子、衣料品、食器類、そして立体アイテムに至るまで、一部を除き、ニャロメをメインとしたものばかりで、その愛らしいマスコット的なイメージが効を奏してか、特に玩具に関しては、野村トーイから発売されたニャロメのブリキ自動車や、青島文化教材社のローラースケートを履いたニャロメのプラモデルなど、ヒットとなった関連商品も少なくない。
また、同時期において、ヤマハエレクトーンがニャロメを同社のイメージキャラクターとして迎え入れるなど、様々な企業が広告媒体を通じて、ニャロメをフィーチャーし、巷の至る所で、ニャロメを刷り込んだポスターや看板が氾濫するまでになった。
このように、スポンサー、大手企業とスクラムを組んで仕掛けた商品化政策の進行に伴う形で、版元である小学館もまた、やはりメディアミックス戦略の一環として、『おそ松くん』と同じく「幼稚園」、「小学一年生」、「小学二年生」、「小学三年生」、「小学四年生」といった小学館系の学年別各学習雑誌でも『ア太郎』の連載をスタートさせ、天井知らずのニャロメ人気を更にバックアップしてゆく。
連載開始間もない頃は、赤塚本人による絵柄で描かれたものの、当時赤塚が抱えていた仕事量にプラスし、これ以上の連載の下絵を入れることは、物理的に不可能であったため、これら学年別学習雑誌での連載においては、丸、三角、四角と簡略化された赤塚のアタリ原稿を、作画スタッフがキャラクターを描き分け、完成させたという代筆作品が、その大半を占めることになった。
しかしながら、ニャロメフィーバーの真っ只中に描かれただけあってか、純然たる赤塚のオリジナル作品ではないこれら学習誌版のシリーズも、高い頻度でカラーページ掲載されており、「サンデー」版の本家『ア太郎』の連載やアニメ放映の終了以降も、長期に渡って連載された事実も含め、未就学児をはじめとする低学年層においても、ニャロメ人気の別格ぶりとその浸透率の深さを改めて思い知らされる。
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ニャロメブームをシンボライスする二次媒体としては、「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げ、述べ六四〇〇万人を越える入場者数を誇ることになる日本万国博覧会、通称「EXPO'70」が、同じく1970年3月15日より一八三日間、大阪府吹田市千里丘陵において開催された際、そのガイドブックとして実業之日本社から刊行された『ニャロメの万博びっくり案内』が挙げられよう。
七七ヵ国四国際機関が参加し、メタボリズムの粋を集めた一一六ものパビリオンが建造され、驚異的な経済成長により、アメリカに次ぐエコノミー大国となった日本の象徴的価値を持つこの一大イベントを、資料写真とニャロメをはじめとする赤塚キャラを使ったイラストで紹介した本シリーズは、一部を除き、その殆どがスタッフワークによって仕上げられたものであるが、「万国博がやってきた‼」(4月1日発行)、「万国で未来をのぞこう‼」(5月15日発行)、「万国で世界をまわろう‼」(7月1日発行)のサブタイトルで、計三冊ものボリュームで発行されるなど、コンテンツの充実度は極めて高く、開幕直後のホットなトピックをふんだんに盛り込み、万国で展開された未来像をより立体的にイメージ出来る格好のテキストとして好評を博すに至った。
一時期、ネットオークション等においても、レア本マニア、万博マニアによる熾烈な入札合戦が展開されており、数あるEXPO関連グッズの中でも、時代を超越する評価をキープしていることが窺える。
些かオーバーな見解に映るかも知れないが、登場当初、若年層から大学紛争の類似的表象として捉えられていたニャロメが、こうして日米安保条約における自動延長の是非や、その反対運動の内実を大衆の関心から逸らす国家的規模の国策であると、既存の左翼勢力より糾弾されていた万国博の盛り上げを担うガイドブックのキャラクターに使われた事実は、ニャロメ本来のリベラルな公的要素を浮き彫りにした一例のように思える。
東大全共闘ノンセクト・ラジカル・ニャロメ派なるグループも登場し、ヘルメットやプラカードにまでニャロメのイラストが描かれるなど、全共闘世代のアイドルとして広く親しまれたニャロメだったが、生みの親である赤塚は、ニャロメを左翼イデオロギーの体現者として、革命闘争におけるアナロジズム的存在として捉えたわけではなく、学生と機動隊の闘争の構図が極めて漫画的であり、また自身の反権力指向に準ずる学生への連帯意識から、そのカリカチュアとして、機動隊に虐げられる学生に見立てたニャロメと、学生を弾圧する機動隊のイメージを重ね合わせた目ん玉つながりとの対決軸を笑いのドラマへと転化したに過ぎないのだ。
無論、赤塚の心情に学生運動家のディスポジションに対する受容と肯定的関心があったことは間違いない。
ノンポリを自認していた赤塚だったが、目ん玉つながりを、赤塚ギャグのアンチヒーローに据えている点からもわかるように、国家や権力の不穏な動きに対しては、極めて鋭敏であり、党派性は稀薄であるものの、その作風の根底には、ポリティカルへの意識の萌芽が見え隠れしつつはあった。
しかし、実際のところ、道化の役を担うニャロメと、ピカレスクヒーローの目ん玉つながりとのバーサスを掬い上げたいずれのエピソードにおいても、目ん玉つながりの悪辣な言動を通し、権力をカサに着た官憲の理不尽さや横暴ぶりを示唆するに留めており、そのシニカルな笑いには、当然ながら、明確な政治理念など介在していたわけではなかった。
赤塚自身、自らの作品を深読みや誤訳されることに嫌悪感を抱いたわけではなかったが、ニャロメの飽くなき闘争が革命のシンボルとして扱われたことに対し、大いなる戸惑いを覚え、またブームの渦中に身を委ねながらも、自身と読者との感覚に溝が生じたことを、この時初めて感じたという。
「ニャロメの万博びっくり案内」、発刊して51年になりますが、私は51年前に従兄弟が持っていたのを読み、その後父に買ってもらいました。私の家からは万博会場となる大阪は遠過ぎますので、これを読んで万博に行った気になりました。当時の私は「ア太郎」や「アッコ」のアニメを見ており、ニャロメを筆頭とするキャラが紹介をするのはよかったです。
あれから51年、新型コロナウイルスが氾濫し、多数の重傷者、そして死者が出る世の中になろうとは。万博の「未来への希望」が無くなってしまう事に。