文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

爽やかな幸福感を纏ったヒューマン・コメディー『ミータンとおはよう』

2020-05-04 23:06:23 | 第3章

『キビママちゃん』終了後、「りぼん」誌上では、その度が過ぎる悪戯に怒った神様によって、猫に姿を変えられてしまった天使が、更生への模索から人間界に修行へと行かされ、そこで拾われた猫好き家族とのホットな触れ合いを綴ったハートフルコメディー『ミータンとおはよう』(67年1月号~7月号)を執筆。これまでの等身大の少女像を描いた作品よりも、一層ファンシー色を強めた機軸を打ち立てることとなり、時同じくして、これに付随した構造を持つ『オバケのQ太郎』、『忍者ハットリくん』に代表される藤子不二雄作品のワールドビューに一歩足を踏み入れたようなシチュエーションコメディーを幾つか送り出すことになる。

『ミータンとおはよう』は、猫に姿を変えられたピットと天真爛漫な赤ん坊・ミータンとの夢とロマンに溢れたヒューマンな交流を軸に、毎回ユーモラスなドラマが展開されてゆく。

赤ん坊のミータンが唯一言葉を交わせるのが、猫になったピットというアイデアも秀逸で、様々なエピソードで語られるピットとミータンの友情の物語も、まだまだ未熟で、すぐカッとなりやすい激情的な性格でありながらも、ピット本来の無邪気な素直さや、善意に燃えた真っ直ぐな正義感が、その都度はっきりと示され、読者をほんのりと優しい気分にさせてくれる。

中でも、ピットが子分の野良猫軍団を引き連れ、誘拐犯に拐われたミータンを助けに行く「さらわれたミータン」(67年5月号)は、親友のためならなり振り構わず、危険の中に飛び込んでゆくピットの人間以上に人間らしい勇敢な姿勢が、読む者に爽やかな幸福感をもたらす好エピソードだ。

ピットは、ミータンとその家族からチビラと呼ばれ、天使の時はチビ太のキャラクターにパンチパーマ頭をモンタージュした、謂わばその変型バージョンだが、猫の時は『メチャクチャ№1』に登場したトラ、そのままのキャラクターで、赤塚漫画特有のスターシステムを踏襲した格好だ。

一方、ミータンは、その後『天才バカボン』に登場するハジメのプロトタイプとなったデザインの赤ん坊で、この作品におけるマスコットキャラ的なイメージを一身に纏ったかのような可愛らしさを際立たせている。

鼻っ柱の強い奔放な性格のピットと、聡明で汚れを知らないミータン、相反する対照的なタイプでありながらも、二人のキャラクターは程好く噛み合い、その相性は至って抜群だ。

そんな二人の絆の深さを垣間見られるエピソードが、「天国に帰りたいな(1)」(67年4月号)である。

天国に帰りたいピットは、漸く神様からその願いを受け入れられ、天使に戻れるかどうかのテストをするため、夜の一二時に煙突のてっぺんまで来るように言われる。

喜び勇むピット、だがその時、ミータンが肺炎を患い、高熱にうなされていた。

約束の時間を遅れると、天使には戻れず、一生猫として過ごさなければならないという。

天使に戻って天国に帰りたい。しかし、重病のミータンから離れるわけにはいかない。

そんな途方もない葛藤が心に渦巻く中、ピットは、猫の姿のまま、大好きなミータンの傍らにずっといようと決心する。

可愛い弟のようなミータンのため、天使に戻してくれるという、折角の神様との約束さえも放棄して、献身的にミータンに尽くす、そんなミータンに注がれたピットの愛情の深さを見ると、自然と頬の筋肉が緩む。

尚、本エピソードは、神様が、ミータンを見捨てずにずっと傍にいて元気付けてあげていたピットのその優しさこそが、天使として生きる真実の姿であることを伝え、ピットはそのテストに合格するといった、心が高揚する粋なラストで締め括られており、作品としての満足度は極めて高い。

因みに、この『ミータンとおはよう』は、実現の運びには至らなかったが、当時東映動画の企画課長だった白川大作が、その世界観に強く惚れ込み、アニメ化の企画を温めていたという曰く付きの作品であることも最後に付記しておきたい。


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