「□□□」(絵の為表記不可)は、先程のタイトルの説明からも連想されるように、吹き出しの台詞に絵文字が綴られ、本来絵が入るべきコマの中には、登場人物の行動や背景などが、タイポグラフィーで説明されているという、もはや漫画の領域を完全に踏み越えた本末転倒エピソードだ。
まず、一コマ目は、画面右上のスピーチバルーンの中にバカボンの顔が描かれ、その傍らに「パパ あぐらをかいて ハナクソをほじりながら」とある。
そして、その文字の左横には、「バカボン 小指一本で サカだちしながらハサミで 足のツメをきっている」と、やはり文字だけで書かれ、画面左上のスピーチバルーンには、大きな南の文字とパパの顔が描かれている。
つまり、「バカボン」「なんだいパパ」という、何の変哲もない会話ですら、文字と絵の場所を転換するだけで、このように面倒臭い有り様になるというギャグなのだ。
パパとバカボンが外に出た場面では、背景画の代わりに、街、太陽、交番と太いゴシック体の文字が綴られ、「自転車にのったウマがハンドルをにぎれなくてこまっている」だの、「車にひかれたペタンコのネコが風にヒラヒラとんでいる」だの、街の異様な状況が、小文字で事細かに説明されている。
また、場面転換したラーメン屋のシーンでは、「ハダカの天地真理とハダカの浅田美代子がでてきたところ」と、恐らく、リアルな描線で画稿に起こせば、少年誌ではタブー扱いされるであろう淫靡性を誘発する記述も、臆することなく書かれており、読む者を一瞬ドキリとさせる。
しかし、こうした描くには憚る猥褻なシーンや、絵では具体的に描写し難いシュール光景などを文字に変え、ナンセンスに特化した枠組みを作り上げることにより、本来の心持ち悪い異物挿入感を緩和し、その超越論的世界に対する漫画的イメージを、読者の脳内に不可避的に想起させる働きを放つのだ。
因みに、ラストページで、通常の漫画絵のコマへと戻るこのエピソードは、パパとバカボンが、散歩から戻ってくると、泥棒に入られていたため、部屋の中が殺風景になっているという、何処までも人を喰った落ちが用意されており、手抜き行為そのものをギャグとして完遂しつつも、幾何学的な抽象を極限まで押し進めてゆくミニマリズムと同質の概念を、前述の「これはイケない‼」同様、その根幹に見ることが出来る。
絵の部分が文字だらけで、台詞は判じ絵、「とんちクイズでもやるのか」と思いました。