(五) 八瀬の五郎 上 Yasenogorou
雨田博士の山荘は、比叡山西崖の裏陰にある。
京都の、東の山際にある場所の朝とはまた随分と遅い。比叡山を越えた朝陽は、まず山荘から西に望む鞍馬山の高みを射るように当たり、山荘の朝はその西からの、逆しのゝめの余光に仄かに映えながら、高野川を越えてしだいに水紋が広がるように明け初めてくる。
まるで西から陽が昇り、その日の出を拝むように朝を迎える趣きなのだ。
したがって洛中のあけぼのに比べると少し遅れた朝となる。だから香織は朝方になると決まってまず鞍馬山の光りを確かめた。これが洛北東山の夜明けである。この時間差の摂理で描かれる水墨の抄が山端にはある。山荘はその四時の彩りを借景とし森の淵にでも泛く舟のようにみえた。そうした雨田家の山荘を、山端の人々はいつしか『帆淵庵(はんしんあん)』と呼ぶようになった。
山荘の南には音羽川がある。この川の名は、東京鼠坂の音羽と符合する。
雨田虎哉の脳裏には白々とする冬の空気のなかに幼き富造少年が遊んだ棲家(すみか)の竹林城が仄かに泛かんでいた。
そして琉球の御嶽(うたき)からそのことを思う幽・キホーテの関心は、一夜において博士がどのように「夜の思想」に出会えたかということであり、どのように「京都」と「琉球」と「奈良」を同時の刻限に観相できるかということだ。その同一刻限に見る富造が古閑貞次郎を懐かしく想い起こそうとして眼に浮かばせた竹林城の光景というものは、三者の目に触れた全天のその一つの星座なのであり、ここから始まっていくキラリと冬めく夜陰を仰ぐ物語は、見過ごしてきた人間が新たな意識性を帯びる旅なのである。
「 これはきっと、この後の博士が浮かばせる海図ひとつに安倍家の行く末の運を見定めることになろう。それは彷徨する海上でどんな星に出会えたかということに近い。博士にとって安倍家とは、日本と切り離せない北斗七星やオリオン座といった星座なのである・・・・・ 」
暗い森を抜けていけば出会える幻想の象徴があるとしたら、それが比叡山の青い彦星なのである。
そう思うと幽・キホーテはまたミズヒキの花に込めた阿部富造の祈りを想い起こした。
「 なんや、またバスどすかいな。老先生の顔に、そう書いたるわ 」
そういうと、旅支度をすっかり整えた香織は、手に握らされた虎哉のステッキをかるく揺らしながら、悪びれた様子でもなく朗らかにまたつけたした。顔にそう書いてあると言うが、虎哉は顔にバスに乗ると書いた記憶などない。
「 老先生、ちょっとも、病人らしくしはらへん・・・・・! 」
と、チクリと言い刺しては、ほんわりと眼に陽だまりを湛える。
「 三日前、あないなひどい発作おこさはったくせに、ち~とも懲りはらん。しゃ~ないお人や。なして遅いバス選らばはるのか、よう分からへんわ。電車ならスーッと、速ように着きよるのになぁ~ 」
何ともふくよかな白色の顔の糸をひくような眼をつむって笑う。
「 きょうは外、寒うおすえ。足ィ、ほんに大事おへんのか・・・・・ 」
と、人形(いちまつ)さんのような香織が気遣うように、室内にいても、しんしんと寒い日である。
眼を丸くそういって、カメラで花でも撮るかのごとく瞳をパチリパチリとさせた。
「 この香織という娘に、加賀あたりの羽二重(はぶたえ)の熨斗目(のしめ)を、あでやかな西陣の羽織と対で着せ、白足袋をはかせ、やはり西陣の角帯をキュッとしめて、髪型を丸く整えると、それはまさに等身大の市松人形ではないか・・・・・ 」
虎哉は初めて別荘で出逢った日、香織にそんな勝手な仮想を創り、明るく匂うように歩かせてみた。
そう歩かせた日から、今朝も変わらず同じように市松が歩いている。萌え出したばかりの美しい緑の、そんな命をもつ香織と出逢えてから雨田家は、それまで忘れていた呼吸を、いつしか取り戻すことができていた。
「 どうしても、今日じゃないといけないの・・・・・ 」
と、香織がほそい指先でそっと虎哉の乱れたマフラーのバランスを整えていると、一人娘である車椅子の君子が、いつもは弁(わきま)えのある細い口を控えているが、今朝はどうも普段とは違うこわごわとした口調を曳いて虎哉に念を押した。
「 あゝ、お互いが内心では待ち望んでいたことではないか。おまえもすでに承知の通り、私はかねてより承知の上のことだ。もう70年、終わらねばならぬ・・・・・。7年前の件、あれもある。いまさら彼との約束を破棄になど出来ない。手遅れでは、すべてが水の泡だ 」
尠(すく)なくしたいから君子をあえて見ずに虎哉はそう応えた。
妙に憐れむと君子の心を鋭く刺すように思えるからだ。十年前バリアフリーで設計した別荘の、谷底の茶室を除いて全てのスペースで君子が一人でも生きられるようにシステム化されている。そのときに今日の訪れはすでに覚悟した。
そう思う虎哉はみずからが君子に投げかけたその言葉を噛みしめていた。
「 そう、そうですよね。やはり、行くのですよね。えゝ、ごめんなさい・・・・・ 」
無茶も甚(はなは)だしいと思う。しかしあっさりと承諾してしまう。君子の性格の中に、いつも何かふっ切れない腫物(はれもの)の膿(うみ)のように、そういうダメなものが潜んでいることが、君子には自分でもわかっていた。
「 朝、二度も同じことを訊(き)かないでくれ。お前らしくもない。何度も説明したはずだが・・・・・ 」
ふりむいてから、ふッと視線を苛々(いらいら)しく君子にとめた。
「 そんなん怒らんかて・・・、たゞ君子はん、老先生のこと、心配しとらはるだけや! 」
君子に虎哉が眉をひそめたせいもある。だがそれとは別に香織は以前から虎哉に対し、疼(うず)きに似た興味がなかったわけではない。以前から父親の虎哉が一人娘の君子にだけは冷たい距離感を感じさせていた。出せばよい心根をあえて伝わらぬようにする距離が香織には常にじれったく受け取れる。温かいはずも矜持(きょうじ)も内に秘めては何の意味すらないように思われるのだ。香織にとってそれは小さくてさゝいな悲しい理不尽であった。先に玄関を出ようとしていた香織が、今度はすかさずキッと視線を睨(ねめ)すえて虎哉にとめた。
そうして意地悪なその虎哉の頬面(ほほづら)を嫌気の小さな棘(とげ)でチクリと刺すようにいう。
「 老いては子ォに従うんや、と、弘法(おだいし)はん、そういゝはったわ。たしかそうや思うけど、伝教(でんきょう)はんやったかも知れへん。お大師はん、亡くなりはった前の晩の、二十日ァにや。うちのお父(とう)はんそないなこというて、講ォの人らと話してはった。どなんあっても子ォだけは宝なんやと。いつかて親はそうせんとあかんのやと・・・・・ 」
香織は、何の罪もない君子に、かわいらしく茶目っ気なウインクを投げかけてフフっと笑みた。
「 空海さん、そんなこと言っていません。ごめんね、香織ちゃん。だけど、もういゝのよ・・・・・ 」
それでもう君子は、車椅子の上で、何やら心泛きたつようなものを覚えていた。
そんなざわめきに耳を傾けている心境でもなさそうな虎哉は、ふッと一つ吐息を漏らした。
「 日東大学の瀬川教授ほか五名が、明日の午後四時に京都駅着ということだ。梨田君が案内してくるから彼をふくむ都合六名で、祇園の佳か都子つこに連絡しておいてくれないか。万事よろしくと・・・な。あゝ、それから、これも・・・頼む。梨田君が来たら渡してくれ 」
と、どうにもシャレや冗談の通じぬ質(たち)で、こう君子にやゝ昂(たか)まりのある声で言伝(ことづて)し、一枚のメモ紙を手渡すと、虎哉はもう振り向きもせず香織を伴って午前七時前には別荘を出た。
「 香織ちゃん、父のこと、くれぐれもお願いね 」
君子のそんな言葉に振り返る、四十路(よそじ)ほど歳のはなれた若々しい香織はOKとばかりに手を大きく左右に振ってみせながら微笑んだ。紺のデムニに淡い桃色のスニーカー、何よりも背負うゴリラを吊るした若草色のリュックが新年の風をカラフルに揺らしてじつに可愛らしいのである。虎哉は、そんな香織のことを「 かさね 」と呼んでいた。
「 かさね、とは、松尾芭蕉が奥のほそみちにいう( 那須野の、小姫の、かさね )なのだ・・・・・ 」
こういう話は神戸の五流友一郎が言い出したことになっているためか、虎哉は直(じか)にそうとは語らないのだが、じつのところは虎哉の本歌取りのようだと、そう君子は車椅子の上で手を振りながら〈ふふふッ〉と思う。父子家庭の長い娘が父の趣癖(しゅへき)に従えばまた、そのかさねとは「 八重撫子(なでしこ)の名なるべし 」の、かの河合曾良の句に自然に連なり解けてくる。
その撫子は晩春から初夏に育ち、初秋には可憐で淡い紅色の花を咲かす夏の草である。
春の野は厳しい冬の間に創られるもの、が口癖の虎哉ならば、こんな採り重ね方をきっとするに違いないのだ。
人方ならぬ世話になった五流友一郎にやはり遠慮があるのか、あえて口に出してそうとは言わない虎哉の、胸の内の香織とはもうすでに孫娘なのである。その香織が別荘にきてから、まだ二年なのに、もう十年は共に暮らしているようだ。
「 両親と死別して、まだ二十歳にも満たないで、どうしてあゝも明るく振る舞えるのか・・・・・ 」
坂道を下る二人のシルエットを玄関先で見送る君子は、二年ほど前から置屋(おきや)の女将(おかみ)佳都子からの紹介で、別荘に住み込みで働くようになった家事手伝い兼、虎哉の付き添い役、そんな香織の屈託のない様子をじっとみつめながら、二つの影が消えるまでを見送った。香織と暮らしていると自身のDNAを新しく芽生えさせてつくるという爽やかな逆転写がおこるのだ。
「 えゝ人や。あの人なら父を任せても安心や。大切にしてくれはる 」
と、爽やかな香織の情緒に呑み込まれながら、あの娘ならまさしく我子に見間違えられても致し方ない君子は何となく、ほのぼのとしたものを覚えた。そしてこのとき君子はふと笛の音を聞いた。手を振り返しながらそんな気がした。
「 あゝ~これ、いやゝ。鼻ァつんとする。ふん~これ、雪の匂いやわ。また三千院はんから運んできはる。せやけどバス遅いなぁ~ 」
三宅八幡前バス停で東のお山と北の大原をながめながら、香織は何度も首をふる。そんな表情の貌(かお)にある眼は、市松の人形にそっくりといっていゝほど似ていた。
虎哉の一人娘である君子の持ち合わせていない、女の子でありながら、目尻に生きる力の光りを上手(じょうず)におびさせる男児かとも思えるほど逞(たくま)しい眼の輝きであった。
「 あのな老先生、今夜、お山、雪になりはるわ。何や、そないな匂いするさかいに・・・・・ 」
京都でお山とは、比叡山のことだ。しょんぼりと丸く虎哉のコートに寄り添うまだ17歳の香織は、そう不満げにいってから、左頬に深いえくぼを寄せて、何やら懐かしい親しみでもつかむかのように、虎哉82歳のコートの袖口をあいらしくキュッとひっぱった。
「 ほう、雪に!、匂いがあるのかい?・・・・・ 」
「 ある、のッ・・・・・! 」
虎哉には、雪が匂うという或(あ)る種の儚(はかな)さが面白く思えた。
以前から虎哉は、一瞬だけの儚さの裏側にある、無限の変化を秘めて湛(たた)えた香りというものゝ性格に惹(ひ)きつけられてきた。その無限の向こうに、自分では見届けることの出来ない、雪の匂いというものがあるとすれば、自分の前にありもしない匂いだが、香織の記憶と共にふう~っと鼻先に戻ってくるような気もした。
香織の雪は、三千院から運ばれてくるらしい。そんな虎哉は、訓練された鼻が、一瞬で余分な匂いを差し引いて、特定の香りを聞き分けることを十分に知っていた。
人は香織のそういう特殊な感性を、迷信だといって笑うかもしれない。しかし、虎哉の脚の痛みも時々風のきな臭さを感じたとき休火山のように爆発し、この匂いが誰にも解らないことのように、降雪と香織の摂理との交感とが、まんざら無関係なこととして、虎哉には思えなく笑えないのであった。
「 そうや。これ、ほんに雪の臭いや。せや、今夜、きっと雪ふるわ 」
こう強く香織がいゝ切ると、空から冷たさに凍えて溺れそうな風が、またしんしんとバスを待つ二人の袖口に差しこんできた。指先や頬の赤さが、辛うじて老いた虎哉の顔色を人間らしきものに染めていた。山端(やまはな)で育った香織には、この土地の雪の匂いがわかるのだ。雪が降り出しそうな、そんなとき、何となく周辺がきな臭くなるという。
「 それは私が感じた、或る朝の臭いと、同質のものかも知れない 」
虎哉はふと、そう思うと、微かに高揚するものを覚えた。
朝の香りは、立ちならぶ木立に射しこんでくる斜光にともなって、特有の香りへと発展し、五感では聞き獲(と)れるが、眼では不可視の風土なのだ。そう思う虎哉は、遠く今は異国ともなった満州の貧しい木々を想い起こした。また夢の中にも木の香はあった。
「 源氏物語の夢の浮橋・・・・・、あの橋は、何の木で架けたのであろうか・・・・・ 」
と、そこには青年の虎哉がいる。そして日本津々浦々にある樹香を立ちあげた。
その木を杉とすれば京都北山あるいは奥秩父三峰(みつみね)山、山毛欅(ぶな)なら白神、扁柏(ひば)なら津軽、紅葉ならば嵐山、桜なら吉野、桧(ひのき)なら木曾など、このそれぞれが無双の朝の香りを持っていたことを覚えると、耳朶(みみたぶ)が記憶するその香音をそっと聞いていた。かって虎哉は吸い寄せられるようにして、それらの場所へ朝の香りを求める旅をしたことがある。比叡で育ち、その風土と共にある香織をかたわらにして虎哉は今、日本各地の朝の香を訪ね続けた日々を思い返していた。
「 小生は・・・、湯葉の香りから名残り雪の気配を抱くことがある。京都に暮らすとは、そんなことではあるまいか。香織の感じる雪の匂いも、やはり京都の季節に順応した節分の匂いなのであろう・・・・・。気風を聞くとする文化は京都から始まった・・・・・ 」
と、丸彦が推測してみると間もなく節分なのである。
その節分の日には、縁起のいゝ方角を向いて太巻きの恵方巻を食べるが、京都の禅寺における太巻きの具材には卵焼きの代用に生湯葉を使う。つまりこの湯葉が丸彦に沁みついた節分の香りなのだ。
「 節分は、冬季ではあるが、しかし、翌日が立春であるから、すでに春の匂いの濃い冬季だといえる。香織がいう雪の匂いとは、この春の香り濃い節分の空気感なのであろう・・・・・ 」
本来、この節分は文字通り季節の分かれ目のことで、立春、立夏、立秋、立冬の前日をさし、したがって一年に四回あった。
京都には今もこの四つの節分がある。
月も朧(おぼろ)に白魚の 篝(かがり)も霞む春の空 つめてぇ風もほろ酔に 心持好く浮か浮かと
浮かれ烏の只一羽 塒(ねぐら)へ帰る川端で 棹(さお)の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手に入る百両
ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし 豆だくさんに一文の 銭と違って金包み
こいつぁ春からぁ延喜(縁起)がいゝわぇ
丸彦は、ふと、歌舞伎狂言『三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)』の序幕、お嬢吉三の名科白めいセリフを思い出した。このセリフは、冬が春に変身することの風情を縁起づけた。丸彦は主人・阿部秋一郎が河竹黙阿弥の作風を自慢する話を何度となく聞かされた。清原香織に限らず、狸谷の阿部家では節分前後の降雪は縁起佳きモノの例えとなっている。
「 つまり・・・・・、香織のいう雪の匂いとは、冬が終わる匂いなのだ。最期に雪は春濃く匂うのである・・・・・。そして濃く匂う節分は、気運の呂律(りょりつ)も大きく変動することになる・・・・・ 」
と、思い、丸彦も香織の陰にあって雪の気配にそっと鼻先を向けた。
たしかにそのとき、乾いた空気が、妙に鼻の奥と喉のあたりで濃厚に混ざった。そして丸彦の眼の中に、白いまるい浮遊物が現れた。それは、やがて、睫毛(まつげ)のうえで起きた小さな風に吹かれて、丸彦の唇に落ちては、そしてトロリと溶けたのであった。
「 老先生ッ、雪ふると、また脚ィ痛うなりはるわ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
虎哉は、ぼんやりと四明ヶ嶽を見上げて無言であった。
それで奈良まで行けるのかと香織は心細くなっていた。
雪が降り始めると、虎哉の決まって患っている脚が痛くなる。しだいに痛みは背中まで走り、やがて膝が疼くようになると、もう全く歩けなくなって支えきれない香織が困るのだ。その体験を虎哉から度々させられていた。
「 しゃないなぁ~・・・・・ 」
香織は、微かに心に重荷を感じ、深山(みやま)をみてまどろむような、小さな声でいうのである。聞こえてはいたが、虎哉は口を噤(つぐ)んで何もいわなかった。冷たさに焦(じら)される時間が嫌だからと舌打ちして、この颪(おろし)が止むものではない。
虎哉はたゞ眼だけを、いとおしく香織の方へ向けた。
たしかに香織にしか聞き分けのできぬ比叡の朝に雪を孕(はら)ませた匂いがあるのであろう。二人の眼と眼が合って、香織の純真な眼の輝きにふれたとき、虎哉は一層いとしさが増した。この娘には、この世の中を「 どうか幸せに生き抜いて欲しい 」と願いたくなる。ともかくも、過去も、現在も、視界に汚いものがあり過ぎる。
辛いもの、苦しいもの、嫌なものを見ないでは生きてゆけない毎日ではないか。眼の毒は気の毒を増殖させる。不幸とは、そんな視界の貧しさから生まれ出るものだ。眼の前には未来を見つめられる香織がいる。そう思う虎哉は昨夜、寝る前に書斎の窓を開けたことを思い出し、こじ開けた過去の時間が訝(いぶか)しく想い起こされた。
「 そうだ!。虎哉博士、もっと過去の時間をこじ開けてくれ!。そのために小生はこうして芹生(せりょう)からやって来た!。駒丸鳩舎の上を三度旋回した音羽六号は、すでに伊吹山の上空を東へと羽ばたいていよう。こうしてる間も阿部秋子は笛を奏で続けているのだ。そして六号は、きっと壱越(いちこつ)D(ディー)の陽律を奏でて飛んでいる・・・・・ 」
と、虎哉と香織の二人がバスを待つ気配に、丸彦は何よりも誰より今、敏感に天理の危機を感じ、二人の吉日を願っている。
丸彦はそろそろ冬の雪が解ける季節が近づくと妙に疼くものを覚えるのだ。そのことと雨田虎哉が奈良で生まれたことは決して無縁ではない。おそらく虎哉博士もこのことは承知しているはずだ。奈良はまほろば、だがその瑞穂の芽生えには善悪二つを合わせ持つ。世の中の必要悪とは人間の詭弁だ。そのお粗末を続けている限り、琉球もまたいつまでも危うい。
「 猫に限定してその保護を論じると、それが動物愛護保護法に抵触するだと、まったく冗談じゃないぜッ・・・・・!。猫の幸せとは一体何か、世の守銭奴(スクルージ)は一度これをゆるりと論じるがよかろう・・・・・。飼い猫を失敬する。それは野良猫を捕獲するより簡単で、きちんと飼われているので栄養も充分で皮の状態も良さそうだ。こう三味線屋が言っていた。そして安価なものでも一棹60万円だと。まったく冗談じぁない! 」
と、現在、奈良市内に一件だけ存在する国認定の三味線師を覚え起し妙な憤りを過(よ)ぎらせた丸彦は、鞣(なめ)してしごく猫皮の恐怖音を感じながら、これから二人が向かおうとする奈良の方角をじっと見据えた。そこには世に祭ろわぬ人々が蠢(うごめ)いた歴史の邂逅(かいこう)がある。そのことを阿部家の人々はよく心得ているのだ。
「 轍(てつ)を踏むとは、人間の用語解説をみると、前人の犯した失敗を繰り返すたとえと記している。それならこれは前任者の悪さを踏まぬようにする戒めともとれるではないか。しかし人間は轍を踏み続けている・・・・・? 」
慣用句で考えると、先人がしたことをくり返し、または前の人が陥った失敗を繰り返し、多くの人々が同じ轍を踏むという表現ができる。
これは人間が人間の実体を予測した事例なのだ。それほど人間の予見能力は抜群に高い。この確率を高く評価する丸彦は「 それだから、あと数十年もすると、この国は危ないとさえ考えるが・・・・・ 」。
そう猫の丸彦に案じられる人間の崇高とは何か。どれほどか思案したがついに丸彦にはよく判らない。
人間への理解ほど困難なモノはないのだ。何しろ人間様が、その人間に手を焼いている。それが丸彦には痛く気の毒に見えてくる。幸いに猫の世界にその事例がない。最近、人間の凄さは、弖爾乎波(てにおは)を無視する能力に長けていることではないかと、つくづく思うのである。どうにも前後のつじつまの合わぬことを懸命に生産する。
自慢の頭脳明晰が、何とも憐れなるか生体の基調ともいうべき心身機能を退化させている。
「これからの時代、コンピュータとの大戦に勝利する武器は、彼らをマインドコントロールするしか手立ては無い。彼らの弱点は精神の生体ではないことだ。そこが解らぬと、人間はいずれ彼らの捕虜となる。やはり人間は修羅(しゅら)パンツの奇妙な高等動物だ・・・・・! 」
と、そう簡単に丸彦に感心されて結論が導き出せるところが、人間様のご愛敬であろう。今を生き、未来を生きようとする香織に「 人間とは、好物である矛盾を食べて生きるのさ 」とは、とても伝えたくない。
たしかに香織はブンブン蠅(ばえ)みたいなお転婆のヤンチャな娘(こ)ではあるが、彼女には人間が本来基調とすべき生体がきちんと備わっている。そのことは丸彦と同じように虎哉もまたそう感じているはずだ。
「 そうあれは・・・・・、60年も前のことだ・・・・・! 」
虎哉は、ふと汽車の旅中で眼を醒ました。
上海(シャンハイ)から南満鉄の大連(ダイレン)駅で乗り継いだ亜細亜(あじあ)号は炎々とした血の海を走っている。
だが当然そこは海洋ではない。北上する流線形の豪華客車は少しも曲がることもなく真っ直ぐな軌道の上を、遥かなる地平線を目指して走っていた。見渡す限り茫漠(ぼうばく)としてじつに広大な満州の荒野である。その広々とある地平の果てまでが真っ赤な罌粟(けし)の花で燃え立っていた。莫大な赤い波立ちのそれは、まったく感動に揺り動かされて眼に燃え滾(たぎ)るじつに猩々緋(しょうじょうひ)な光景だった。虎哉は予定通り哈爾濱(ハルビン)駅で降りた。
しばらく滞在することになっていたが、或る日、近衛文麿を第五代院長とする東亜同文書院大学を卒業した者として公営の工場に招かれ、見学後にお土産として一袋の阿片(あへん)をもらって帰った。
「 あれは・・・・・、日本円にして千円相当の代物であった・・・・・ 」
当時、満鉄職員の月給が約百五十円である。しかも「 支那人(しなじん)に売りなさい。五倍の価値になる 」と言い添えられて手渡されたのであるが、卒業祝いの土産に阿片とは、馬鹿げておゝらかな時代であった。しかも馬鹿に河馬を重ねた悪態の狂言である。満州では阿片禁止令を施行しながら、同時に、支那人にはその満州で育てて精製した阿片を、平然と狡猾(こうかつ)に売り捌(さば)いていた。初代院長根津一(ねづはじめ)は同文書院の創立にあたって「 中日揖協(ゆうきょう)の根を固む 」とした。
「 私は、その狂気な一袋であることに気づいたのだ・・・・・ 」
芥子の実からは褐色で固めのチューインガムのような阿片が作られ、さらに精製されてヘロインが作られた。大部分は、満州国からシナをはじめとする亜細亜一帯に輸出されたが、一部は満州国内で消費された。鉱山などの労務者(苦力・クーリー)へのボーナスとして阿片・ヘロイン入りのタバコが配られたりした。報酬として現金を渡すとシナの家族に送金されてしまったり、本人が辞めてしまったりするからである。現金ではなく阿片で支払うのは、苦力(ク―リー)を逃亡させない手口でもあったわけだ。その結果、彼らは重度の阿片中毒になる。だが労働力の代りはいくらでもいたし、中毒になってくれれば阿片の需要拡大にもなるわけだ。
「 あゝ、これでは、すでに八紘一宇(はっこういちう)の大義がない。帝国の満州とは日本人だけの夢か・・・・・ 」
そのことを醜く思い知らされた虎哉は、無性にプライドを破壊された手で、お国のためにと戴いたその阿片をハルビン郊外の溝(どぶ)の汚れに流した。「揖(ゆう)」とは、親しく両手を組むことである。
同文書院建学の精神に反するこれらは、満州国、つまり悪態の本性を陰に伏せて日本政府が為す悪政であったのだ。
「 わずか地上より、百六十センチメートル内外の眼の高さから、転じて八十二年間、世の中には醜悪で酷ひどい矛盾がたくさんあった 」
現在でもその眼の高さから転じて、大きく空を仰ぐことさえじつに少ない毎日である。
その限られた眼のゆくところに、安心して受け止めることのできる真実がどんなに少ないことか、と虎哉は訝いぶかしく溜息を洩らした、そのとき、ふわりと風に影が揺らいだ。黒い人影が二人の方に近づいてくるのを感じたのだ。
とっさにステッキを左脇に抱えた虎哉は、黒いフェルト帽のつばを指でつまんでキュッと引き下げた。帽子が風に煽られるとでも思わせればそれでいゝ。さりげなくそう見せかけたい虎哉は帽子の陰でうつむいていた。
迫る人影が妙に周囲の山と静かに溶け合っている。しかし静かさの中に妙な圧力を感じる。それは虎哉が意識し過ぎるのか、明らかにひたひたと迫る静かな影を揺曳(ようえい)させていた。
「 老先生ッ、あれ、隠れ道の、五郎はんや・・・・・! 」 眼ざといものだ「 この娘には、この距離から人物の特定ができるのか 」と虎哉は驚いた。以前にも感じさせたが、こんなとき香織はまつ毛を立て目尻を震わせるのだ。
「 ほ~ら、やはりそうやぁ~ 」
と、香織は嬉しさにむせるかのような甲高(かんだか)い声を北風のなかに響かせた。
「 こないだ、五郎はん別荘にきはッてん。お菓子やら、お花やら、お魚やら、ぎょうさん買うて来てくれはりましたんや。あれ、たしか晦日(みそか)やったわ。老先生、まだ東京から戻りはらん日ィや。せやけど、どないかしたんやろか。御所谷から、こない早うに・・・・・ 」
香織のいう「隠れ道」とは、一般にはほとんど知られていない、比叡山の僧でさえあまり知らない密かに杣(そま)の暗がりに隠されて杣工(そまく)が渡りつたいする山男の道である。
比叡山の西塔の中心となるのは釈迦堂であるが、その裏脇から黒谷に下り入ると、北尾谷に抜ける急斜面の細い坂道がある。それは修行道より悪路の、もう獣道(けものみち)にも等しい細く険しい山岳の道なのだ。比叡山からここを下ると八丁谷に、そこから御所谷へと、抜けてさらにそこから麓の八瀬へ向かうと、八瀬天満宮の祠(ほこら)のところに出る。これが、隠れ道である。
祠から先の奥地に人家などなく、これを訊ねても道と呼ぶ人は少ない。棲むモノがあれば野猿か狸ごときぐらいであろう。五郎はそんな八瀬の奥まった御所谷の山中に一人住んでいた。屋根の上は鳩小屋、その塒(ねぐら)の裏が工房で、煙突は朝夕の二時間ほど黒煙を上げた。
「 おゝ、香織やないか。こない早う、どないした?・・・・・ 」
先に訊こうとしたセリフを五郎にとられると、妙に嬉しく香織はみるみる顔をゆるめた。
「 老先生、奈良、いきはるんや。うちも一緒、カバン持ちや。せくれたり~やわ・・・・・ 」
にっこりして香織は弾むような言葉を返しつゝ、さも楽しそうに虎哉の顔をみた。
竹原五郎はその声を聞きつゝ虎哉をみてペコんと丁寧に会釈した。
虎哉は、この比叡の猿山の谷に暮らす男とは、別荘で一度会っている。
以来、五度は別荘の敷地内や裏山で見かけている。杳(よう)として暮らし方が知れなかったこの男の、その面(つら)をまともに見るのはこれが二度目なのだが、二人の様子の自然さに接していると、虎哉は妙に爽やかな風が吹いてくるのを頬に感じた。血のつながらぬ二人がまるで父と子のように溶け合っていた。そこには微塵の逡巡(しゅんじゅん)もなかったかのようにみえる。
するとふと、さきほど見送ってくれた君子の影が侘しく泛かんだ。
これでは虎哉も凍える顔をさせて、バス停の一隅に形よく立ったまゝではいられなかった。
この竹原五郎という男が、香織の亡き父と刎頸(ふんけい)の友で、祇園の佳都子から五郎が八瀬童子(やせどうじ)の末裔なのだとも聴かされていた。そしてまたその八瀬童子とは、何やら十津川の竹原家とも深い関係を匂わせるのだ。アニミズム歴史学の川瀬教授が以前、そう論文に書いていた。奇遇にもその川瀬教授が明日の夕刻には京都駅に到着する予定である。虎哉は、そんな五郎から先に挨拶されたせいもあるが、おもむろに黒いフェルト帽をとると、五郎よりも深々と頭を下げていた。
「 あれ、老先生っ、それ、お商売どすのんか! 」
このまゝ目礼だけで済ましてスレ違おうと考えたその間に、香織がフィとまた妙な言葉を挿(さ)しいれた。五郎も同じ思いであったろう。立ち去ろうとした流れに、香織がパッと明るさを灯すような含みのある言葉を投げかけたのだから、迂闊(うかつ)にも五郎の足を止めさせてしまう羽目となった。
「 なんや香織、悪戯(てんご)いうたらあかん。旦那はん、困らはるやないか 」
親代わりだという心根をもつ五郎は、やはりそれらしく厳しさも感じさせてそう叱ると、やゝ気まずそうに虎哉をみて貌を赤らめた。それは何やら半茹での毛蟹とでも眼を合わせたようである。
「 てんごなんかいうてへん。これ、うちの仕事なんや 」
香織のそうした言葉には「 博士いうんは、頭下げはらんもんや。ただ学問さけ、しとかはればそれでよろしいんや。せやけど今朝は、頭ァ起こさはるのに、えろうご苦労なことやなぁ~ 」
と皮肉めかした妙な含みを持たせてはいたが、香織はどうもそうとは思ってなさそうだ。
「 せやなかったら何か、旦那はんに、わいの頭ァ、10トントラックなんや、重とうて、あがらしまへん、などと、香織のツッ込みィに、ボケて返しなはれとでもいうんかいな。そんなんアホなこと、それ、仕事とちゃうやないか。ほんに、しゃ~ない娘や 」
と、五郎は真面目に真っ赤になって怒った。毛蟹はもう八分ほど茹で上がっている。
「 五郎はん、えらいじょうずに返しはるなぁ~。せやけど、そんなんじゃあらへん。うち、老先生のこと、お師匠はんや思うとる。せやさかいに、五郎はんのアホ!。頭ァ下げるんは阿呆の義務やないかいな。何いうたかて、うちの博士が偉いに決まっとるんやわ 」
「 わいが・・・・・阿呆(あほう)・・・・・!。挨拶は、アホウの義務やと・・・・・ 」
だが、香織はもう眼に一筋の涙さえ泛かべている。
「 ああ、これじゃ埒(らち)がない 」
五郎に向って「阿呆など」とは・・・毛蟹は完全に茹で上がりそうだ。
こうなると五郎の手前、いつものことであるから刺した釘も用をなさないことがわかる虎哉は一応、見咎める眼できつく香織をみた。しかし、それでも皮肉やあてこすりの調子などいさゝかも含ませてないと思う香織は、やはりそれを他人事のように剽軽(ひょうきん)に笑みた眼の目玉を上下左右に廻してヤンチャに動かした。こうして香織が笑うと唇のめくれかたが河童(かっぱ)の童(わらべ)が胡瓜(きゅうり)でもうまそうに舐(なめ)るごとく妙に独特である。これにはつい虎哉も五郎もプッと笑ってしまった。
「 こないな娘ォで、ほんに、こっちゃが困ってしまうがな 」
足を止められた五郎は、茹で上がる寸前で火を打ち消された蟹のように、なまなかな手足をどう始末する術もなく真実困った声をだした。
かすれて低い濁声(だみごえ)である。荒く冷たそうに聞こえるが、しかし節々に香織をそっと庇(かば)い包むやさしい人柄のでた言い回しで、しかも弁(わきま)えていた。一見その五郎とは、尻あての鹿皮(ししがわ)を腰にまきつけた野生の風体で、赤鼻の小柄な山男だが、脚を患う虎哉だと承知でも、あえて凍えるや冷えるを挨拶の言葉に引き出して、そうした愚かな会釈など一切しやしない。それがまた虎哉に、毅然(きぜん)とした強さを感じさせた。
「 二人とも、けったいなお辞儀だけしはって、済まそうとしはるさかいやわ。茄子(なすび)かて会えば腹をポンと叩きよる。親のォ小言と茄子(なすび)の花は千に一つの無駄もない、そうや!。茄子はほんにアホな子や、せやからよう頭ァ下げよるンや・・・・・ 」
茄子(なすび)とは裏山の♀仔狸(こだぬき)である。どうにも懲りない香織がまた眼を細めて笑いかけた。いつもがこんなお茶目な娘なのである。虎哉はその辺りのことを詰めていくのが嫌で、二年間何もいわなかった。妙に上品さだけをものほしげに見られるのは、65も歳の違う香織が相手であるだけに我慢ならなかった。むしろこの娘といると老いゆく一日が、本来ならひどく短く感じられるものであろうが、何とも長々と感じられるのである。
老船の帰り着く港が見えないのもじつに淋しいものだ。それだけに帰り着ける港のあることを感じさせてくれる、いつしか香織とはそんな存在となっていた。そんなヤンチャな非凡さの思春期を生きる香織から狸以下だといゝ遊ばれて軽くいなされることに、平凡な老人の日々を重ねられるようで、虎哉にはいつしかそれが嬉しい快感ともなっていた。
「 茄子といえば、その祖母は、あの菊だ!。その亭主が、たしか聖太だった。そして阿部富造・・・・・ 」
虎哉は眼をじっと比叡山の方へとあてた。
斎場御嶽