背番号の話、11回目は「6」についてです。
基本は内野手のイメージでしょうか。
現役でも坂本勇人、西武・源田壮亮、ソフトバンク・今宮健太、楽天・藤田一也と名手揃い。
日本ハムは主砲・中田翔、中日は平田良介が着用。
ヤクルトは宮本慎也引退後空き番、阪神も金本知憲監督退任以降空き番。
そして千葉ロッテは井口資仁監督が現役時代から背負っていた「6」を着用。
このように内野特にショートの名手、あるいはチームの顔となる強打者と二分される傾向です。
内野の名手枠を列挙すると
巨人ではV9の名脇役・セカンドの土井正三から篠塚利夫、“犠打王”川相昌弘の系譜。
阪神・和田豊、中日・上川誠二、井端弘和、広島・梵英心、ヤクルト 水谷新太郎、宮本慎也、
西武・源田壮亮、阪急・大橋穣、田口壮、南海・湯上谷宏、今宮健太、楽天・藤田一也といった感じ。
また強打者枠では
巨人は中日から移籍の落合博満、近鉄から移籍の“男”石井浩郎、ダイエーから移籍の小久保裕紀、
阪神は景浦将、藤田平、金本知憲、中日では井上弘昭、落合博満、平田良介、
広島ではライトルや小早川毅彦、現役では安部友裕、横浜はボイヤー、高木嘉一、中根仁、
日本ハムは柏原純一、田中幸雄、中田翔、ロッテは佐々木信也、荒川博、落合博満、初芝清、井口資仁
西武では西鉄の“怪童”中西太、鈴木葉留彦、田辺徳雄、後藤武敏らが着用してます。
古くは南海のスタンカ、阪神の小山正明という好投手もいたが、圧倒的な少数派。
井口資仁や坂本勇人は攻守兼ね備えた新しい「6」とも言えるでしょうね。
それでも筆頭はやはり日本唯一、三度の三冠王・落合博満でしょう。
ロッテ、中日、巨人、日本ハムと4球団を渡り歩き、通算2371安打、510本塁打。
なお、中日GM時代、背番号「40」だった平田良介が若い番号を打診され「6」を選択。
「誰がつけていた番号か知っているか?」と訊くが、平田は分からなかったというエピソードが。
阪神では黎明期の景浦将、2000安打の藤田平、1492試合連続フルイニング出場の金本知憲。
時代と共に、背番号のイメージが大きく変化している「6」です。
MLBではセントルイス・カージナルス一筋で戦った“The Man”ことスタン・ミュージアル。
首位打者7回、打点王2回を獲得し、MVPは3回受賞している偉大な選手。
入団当初から背番号「6」を背負い続け、現役引退と同時に永久欠番。
成績だけではなく、人格的も優れており「男の中の男」という意味を込め“The Man”と呼ばれました。
我らがSSSBでは“The Man”でもあり“Mr.DH”の異名を持つオカダマンさんです。
本日のバレンタインに相応しい”愛の伝道師”オカダマンさんです。
勝負強さは「強打者枠」に分類される気がします。
どうして「6」だったのかは、その時の首脳陣だったので、一桁の空き番が理由なのでしょうか?
でも、韋駄天さんの「1」と同じく、相応しいと思います。
参考記事
【背番号物語】
【背番号物語】落合博満「#6」
【背番号物語】巨人「#6」
【背番号物語】ロッテ「#6」
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はからずとも本日はオカダマンさんの恩師・諏訪部先生の葬儀とうかがいました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
(このような事を記すのは不謹慎かもしれませんが、ご理解願います。)
基本は内野手のイメージでしょうか。
現役でも坂本勇人、西武・源田壮亮、ソフトバンク・今宮健太、楽天・藤田一也と名手揃い。
日本ハムは主砲・中田翔、中日は平田良介が着用。
ヤクルトは宮本慎也引退後空き番、阪神も金本知憲監督退任以降空き番。
そして千葉ロッテは井口資仁監督が現役時代から背負っていた「6」を着用。
このように内野特にショートの名手、あるいはチームの顔となる強打者と二分される傾向です。
内野の名手枠を列挙すると
巨人ではV9の名脇役・セカンドの土井正三から篠塚利夫、“犠打王”川相昌弘の系譜。
阪神・和田豊、中日・上川誠二、井端弘和、広島・梵英心、ヤクルト 水谷新太郎、宮本慎也、
西武・源田壮亮、阪急・大橋穣、田口壮、南海・湯上谷宏、今宮健太、楽天・藤田一也といった感じ。
また強打者枠では
巨人は中日から移籍の落合博満、近鉄から移籍の“男”石井浩郎、ダイエーから移籍の小久保裕紀、
阪神は景浦将、藤田平、金本知憲、中日では井上弘昭、落合博満、平田良介、
広島ではライトルや小早川毅彦、現役では安部友裕、横浜はボイヤー、高木嘉一、中根仁、
日本ハムは柏原純一、田中幸雄、中田翔、ロッテは佐々木信也、荒川博、落合博満、初芝清、井口資仁
西武では西鉄の“怪童”中西太、鈴木葉留彦、田辺徳雄、後藤武敏らが着用してます。
古くは南海のスタンカ、阪神の小山正明という好投手もいたが、圧倒的な少数派。
井口資仁や坂本勇人は攻守兼ね備えた新しい「6」とも言えるでしょうね。
それでも筆頭はやはり日本唯一、三度の三冠王・落合博満でしょう。
ロッテ、中日、巨人、日本ハムと4球団を渡り歩き、通算2371安打、510本塁打。
なお、中日GM時代、背番号「40」だった平田良介が若い番号を打診され「6」を選択。
「誰がつけていた番号か知っているか?」と訊くが、平田は分からなかったというエピソードが。
阪神では黎明期の景浦将、2000安打の藤田平、1492試合連続フルイニング出場の金本知憲。
時代と共に、背番号のイメージが大きく変化している「6」です。
MLBではセントルイス・カージナルス一筋で戦った“The Man”ことスタン・ミュージアル。
首位打者7回、打点王2回を獲得し、MVPは3回受賞している偉大な選手。
入団当初から背番号「6」を背負い続け、現役引退と同時に永久欠番。
成績だけではなく、人格的も優れており「男の中の男」という意味を込め“The Man”と呼ばれました。
我らがSSSBでは“The Man”でもあり“Mr.DH”の異名を持つオカダマンさんです。
本日のバレンタインに相応しい”愛の伝道師”オカダマンさんです。
勝負強さは「強打者枠」に分類される気がします。
どうして「6」だったのかは、その時の首脳陣だったので、一桁の空き番が理由なのでしょうか?
でも、韋駄天さんの「1」と同じく、相応しいと思います。
参考記事
【背番号物語】
【背番号物語】落合博満「#6」
【背番号物語】巨人「#6」
【背番号物語】ロッテ「#6」
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はからずとも本日はオカダマンさんの恩師・諏訪部先生の葬儀とうかがいました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
(このような事を記すのは不謹慎かもしれませんが、ご理解願います。)