SSSB 新前橋町壮年ソフトボール

最近は4代目管理人が好き勝手に野球やメジャーのことも書いています。

背番号24といえば

2021年03月10日 | 背番号の話
背番号の話も残り7回となりました。
今回は24についてです。

2012年、西武では「24」が永久欠番になりました。
西鉄黄金時代の立役者であり「神様、仏様、稲尾様」と称えられた“鉄腕”稲尾和久です。
稲尾の生誕75周年を記念して制定されました。
1年目に21勝、防御率1.06の成績で新人王と最優秀防御率。
その後8年連続で20勝以上を記録し、1961年には日本記録となる42勝をマークしています。
シーズンだけでなくシリーズでも結果を残しており、1958年、巨人とのシリーズで3連敗のあと4連勝。
うち6試合に登板し第3戦から5連投で4勝をマークし、「神様、仏様、稲尾様」が新聞紙上を賑わせました。

また、巨人ではV9幕開けに貢献した“8時半の男”宮田征典が「24」です。
“鉄腕”稲尾とは対照に心臓疾患で長いイニングを投げられずに救援専門。
1965年にはリーグ最多の69試合に登板し、20勝をマーク。
試合終盤に差し掛かる8時半頃にマウンドに登るための異名だったそうです。

一方、左腕では42歳で最優秀防御率に輝いた広島の大野豊も「24」。
ダイエーと日本ハムで「24」を背負った下柳剛も44歳まで現役で投げ抜いています。

また、横浜大洋の「24」はアキレス腱断裂から復活した遠藤一彦がエースとして君臨しました。
ヤクルトでは“ギャオス”内藤尚行の背番号でした。

その後、巨人では“絶好調男”中畑清や“ウルフ” 高橋由伸が受け継ぎました。
高橋由伸は攻走守三拍子揃った外野手でしたが、同じような外野手が「24」を背負っています。
西武では若手時代の秋山幸二、中日から移籍してきた平野謙。
阪急では蓑田浩二、日本ハムでは陽岱鋼、ソフトバンクでは内川聖一、長谷川勇也。
なお、秋山、蓑田、陽、内川はいずれも背番号「1」に変更しています。
また、蓑田、陽は二人とも巨人に移籍して「2」を背負っています。

阪神では代打の切り札・桧山進次郎の番号でした。

MLBでは史上最高のセンターと称される“ザ・キャッチ”ウィリー・メイズ。
NYジャイアンツで「24」を背負い、首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回。
新人王、12年連続でゴールドグラブ賞そしてMVPを2回受賞しています。
何より有名なのが1954年のWシリーズ第1戦、8回表のビッグ・プレーです。
インディアンスのビク・ワーツの放ったセンターオーバーを背走したままキャッチ。
打球をほぼ見ることなく全速力で落下点に走りこんでのスーパーキャッチでした。
そして、「24」はSFジャイアンツの永久欠番になりました。

シアトル・マリナーズやシンシナティ・レッズで活躍したケン・グリフィー・ジュニア。
父であるケン・グリフィー・シニアは「ビッグレッドマシン」の2番打者であり、
日米野球には親子で来日したこともあります。
3年連続本塁打王に輝くなど通算630本塁打を記録。親子で野球殿堂入りしています。
マリナーズ時代の「24」は引退と同時に永久欠番になっています。

SSSBではあっきんさんが着用してます。

参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」


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1 コメント

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2021-03-11 19:20:05
宮田の可愛いパッチリした眼が似ている!?
7時半の美女!
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