花粉症に苦しんでいますが、書き続けていこうと思います。
背番号の話、今回は「29」です。肉です。
この番号で真っ先に思い浮かぶのは“サンデー兆治”こと“マサカリ投法”村田兆治ですね。
当時はタブーだったヒジのじん帯移植手術を受け、二年にもおよぶ懸命なリハビリを経て1985年に完全復活。
プロ入り2年目から37試合に登板、1975年は先発、中継ぎとフル回転し、13セーブで最多セーブ。
この年から2年連続で最優秀防御率のタイトルも獲得、1981年には最多勝にも輝きました。
が、その代償は大きくヒジを故障し、アメリカに渡りジョーブ博士の執刀を受けます。
今でこそトミー・ジョン手術は有名ですが、当時はかなり話題になりました。
復活後は日曜日ごとに先発するローテーションで連勝記録を続け、“サンデー兆治”は17勝をマーク。
1989年には自身3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得し、通算200勝を達成。
翌年二桁勝利(10勝)を挙げながら現役を引退しています。
2000年、日曜日に9連勝したことでブレイクし“サンデー晋吾”と呼ばれた小野晋吾が翌年から着用してます。
また、村田と同時期に右ヒジ痛から復活したのが中日の鈴木孝政。
村田と同じく高卒二年目から中継ぎとして出番が増え始め、翌年にはリーグ最多の67試合に登板し、21Sで最多セーブ。
リリーフ投手ながら、規定投球回に到達するなど、現在のような1イニング限定ではありませんでした。
翌年も最優秀救援投手、最優秀防御率の二冠に輝く剛球投手で、スピードガン普及前で正確ではないものの150kmを超えていると。
1982年途中に先発へ転向すると1984年には16勝をマーク。1989年に現役を引退するまでに124勝、96セーブを挙げた。
なお、長嶋茂雄・長嶋一茂親子と公式戦で対戦した唯一の投手でもあります。
翌年から「29」を背負ったのがNTT東京からドラフト1位で入団した与田剛(現監督)。
150kmを超えるストレートを武器に1年目から抑えに抜擢され、31セーブをマークして最優秀救援投手と新人王。
与田引退後、現在は山井大介が着用。山井は2013年にノーヒットノーランを達成していますが、
2006年日本シリーズであわや完全試合、ラストイニングを岩瀬仁紀と交代でも有名かと思います
背番号「29」は実績のある投手が少なくありません。
現役では山井と同じように昨年ノーヒットノーランを達成したヤクルト・小川泰弘、
育成からローテーション投手に這い上がったソフトバンク・石川柊太、
3年連続20セーブを挙げたロッテ・西野勇士、オリックスの左腕・田嶋大樹ら実力派が揃っています。
また、MLBでも「29」を着けた阪神の左腕・井川慶もいます。
王貞治監督の必勝パターンを担い、中継ぎ、抑えにフル回転して、息の長い活躍を続けた鹿取義隆。
その鹿取とともに西武で救援陣“サンフレッチェ”の一矢になった左腕の杉山賢人も「29」。
一方で強打者の系譜があるのは南海です。
“円月打法”で首位打者となって初の日本一に貢献した杉山光平、阪急黄金時代の阪本敏三が選手最晩年を過ごし、
近鉄をクビになりバッティングセンターでアルバイトしながら南海に拾ってもらった山本和範が背負った番号です。
阪急では“打ちまくる肝炎”石嶺和彦の番号でもあります。
そして、「ベンチがアホやから野球がでけへん」と引退した江本孟紀が阪神の「29」でした。
SSSBではアニーさんが背負っています。
しばらくは雄姿を見ることが難しいかもしれませんが、
堅実な守備とシュアなバッティング、頼もしいです。
参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」
背番号の話、今回は「29」です。肉です。
この番号で真っ先に思い浮かぶのは“サンデー兆治”こと“マサカリ投法”村田兆治ですね。
当時はタブーだったヒジのじん帯移植手術を受け、二年にもおよぶ懸命なリハビリを経て1985年に完全復活。
プロ入り2年目から37試合に登板、1975年は先発、中継ぎとフル回転し、13セーブで最多セーブ。
この年から2年連続で最優秀防御率のタイトルも獲得、1981年には最多勝にも輝きました。
が、その代償は大きくヒジを故障し、アメリカに渡りジョーブ博士の執刀を受けます。
今でこそトミー・ジョン手術は有名ですが、当時はかなり話題になりました。
復活後は日曜日ごとに先発するローテーションで連勝記録を続け、“サンデー兆治”は17勝をマーク。
1989年には自身3度目の最優秀防御率のタイトルを獲得し、通算200勝を達成。
翌年二桁勝利(10勝)を挙げながら現役を引退しています。
2000年、日曜日に9連勝したことでブレイクし“サンデー晋吾”と呼ばれた小野晋吾が翌年から着用してます。
また、村田と同時期に右ヒジ痛から復活したのが中日の鈴木孝政。
村田と同じく高卒二年目から中継ぎとして出番が増え始め、翌年にはリーグ最多の67試合に登板し、21Sで最多セーブ。
リリーフ投手ながら、規定投球回に到達するなど、現在のような1イニング限定ではありませんでした。
翌年も最優秀救援投手、最優秀防御率の二冠に輝く剛球投手で、スピードガン普及前で正確ではないものの150kmを超えていると。
1982年途中に先発へ転向すると1984年には16勝をマーク。1989年に現役を引退するまでに124勝、96セーブを挙げた。
なお、長嶋茂雄・長嶋一茂親子と公式戦で対戦した唯一の投手でもあります。
翌年から「29」を背負ったのがNTT東京からドラフト1位で入団した与田剛(現監督)。
150kmを超えるストレートを武器に1年目から抑えに抜擢され、31セーブをマークして最優秀救援投手と新人王。
与田引退後、現在は山井大介が着用。山井は2013年にノーヒットノーランを達成していますが、
2006年日本シリーズであわや完全試合、ラストイニングを岩瀬仁紀と交代でも有名かと思います
背番号「29」は実績のある投手が少なくありません。
現役では山井と同じように昨年ノーヒットノーランを達成したヤクルト・小川泰弘、
育成からローテーション投手に這い上がったソフトバンク・石川柊太、
3年連続20セーブを挙げたロッテ・西野勇士、オリックスの左腕・田嶋大樹ら実力派が揃っています。
また、MLBでも「29」を着けた阪神の左腕・井川慶もいます。
王貞治監督の必勝パターンを担い、中継ぎ、抑えにフル回転して、息の長い活躍を続けた鹿取義隆。
その鹿取とともに西武で救援陣“サンフレッチェ”の一矢になった左腕の杉山賢人も「29」。
一方で強打者の系譜があるのは南海です。
“円月打法”で首位打者となって初の日本一に貢献した杉山光平、阪急黄金時代の阪本敏三が選手最晩年を過ごし、
近鉄をクビになりバッティングセンターでアルバイトしながら南海に拾ってもらった山本和範が背負った番号です。
阪急では“打ちまくる肝炎”石嶺和彦の番号でもあります。
そして、「ベンチがアホやから野球がでけへん」と引退した江本孟紀が阪神の「29」でした。
SSSBではアニーさんが背負っています。
しばらくは雄姿を見ることが難しいかもしれませんが、
堅実な守備とシュアなバッティング、頼もしいです。
参考記事
【背番号物語】
SPAIA「スポーツ×AI×データ解析でスポーツの観方を変える」
2年間の自治会副会長の大役、お疲れ様でした!!