2011/8/7
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
先日、早朝に「有明の月」を見ました。夏は、早朝に畑へ行っているので、「有明の月」を見られるようです。昼ごろまで空に残っている月を見る機会もありますが、「有明の月」は、やはり早朝に見ることが多いですね。
ところで、日食の話題を、このブログに書いていたことを思い出しました。「有明の月」を見たことがきっかけです。以下に紹介します。
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑬
日食と「有明の月」
投稿日: 2009年7月22日 作成者:鬼井江
今日(2009年7月22日)、道を歩いているときに「あっ、日食がみえる!」という声がしたので、見上げてみると、見えた。見る道具は何も持っていなかったが、空全体を覆う雲があったおかげで、道具なしで日食を肉眼で見ることができた。しばらく見ていると厚い雲に隠れてしまって見えなくなってしまった。私が見た日食は「有明の月」のようだった。
「有明の月」については、現職の頃、古文の授業で時々とりあげたので、私にはなじみ深い「お月さん」である。「有明の月」のことを、「有明海で見える月」だと誤解している生徒が、たまにいたが・・・それは違う。
有明の月とは、朝方まで残っている(見ることができる)月のことで、色は白っぽいことが多い。形は右側が欠ける形である。一つの例としては、逆三日月形といったほうがわかりやすいであろう。〔ちなみに、普通の三日月形のお月さんは、朝方まで残ることはない(夜の間に見えなくなる)ので、「有明の月」ではない。〕
「あなたのことを思って、有明の月を見ながら涙を流した・・・」なんて、シーンが古文で出てくると、「一晩中、いや夜明けまで、恋に苦しんで空を見ていた・・・」ってことになるんですね。「有明の月」は恋に絡むことが結構多いのですよ・・・。
こういう調子で授業していた頃は、「おもしろかった」ですね。生徒もよく聞いてくれたものでした。現代の生徒も、古文の世界の「恋」は理解できるようでした。人間は時代が違っても、「恋は普遍」ですからね。
昔の人の恋心を現代人も理解できるものですよ。授業をしていて、生徒の反応からわかりましたね。
日食から、話が飛んでしまいました。
私が見た日食は「有明の月」を見ているように思われた、ということでした。お昼前に「有明の月」を見たのは、不思議な気がしました。それも短時間の日食観察でした。
ニュースによると、硫黄島では、きれいな皆既日食が見られたようですね。それに対して、トカラ列島の「悪石島」では激しい雨と風でたいへんだったようです。それでも、昼間が真っ暗闇になる体験だけはできたようです。すごい費用と時間をかけて「悪石島」に渡った皆さん、ちょっと残念でしたね。
天体に関心のある人が多いことにびっくりしました。私はあまり関心がありません。今回も、日食などの現象に対して「クール」でした。でも、日食を大阪で実際に見ることができて、ラッキーでした。
完
ところで、日食の話題を、このブログに書いていたことを思い出しました。「有明の月」を見たことがきっかけです。以下に紹介します。
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑬
日食と「有明の月」
投稿日: 2009年7月22日 作成者:鬼井江
今日(2009年7月22日)、道を歩いているときに「あっ、日食がみえる!」という声がしたので、見上げてみると、見えた。見る道具は何も持っていなかったが、空全体を覆う雲があったおかげで、道具なしで日食を肉眼で見ることができた。しばらく見ていると厚い雲に隠れてしまって見えなくなってしまった。私が見た日食は「有明の月」のようだった。
「有明の月」については、現職の頃、古文の授業で時々とりあげたので、私にはなじみ深い「お月さん」である。「有明の月」のことを、「有明海で見える月」だと誤解している生徒が、たまにいたが・・・それは違う。
有明の月とは、朝方まで残っている(見ることができる)月のことで、色は白っぽいことが多い。形は右側が欠ける形である。一つの例としては、逆三日月形といったほうがわかりやすいであろう。〔ちなみに、普通の三日月形のお月さんは、朝方まで残ることはない(夜の間に見えなくなる)ので、「有明の月」ではない。〕
「あなたのことを思って、有明の月を見ながら涙を流した・・・」なんて、シーンが古文で出てくると、「一晩中、いや夜明けまで、恋に苦しんで空を見ていた・・・」ってことになるんですね。「有明の月」は恋に絡むことが結構多いのですよ・・・。
こういう調子で授業していた頃は、「おもしろかった」ですね。生徒もよく聞いてくれたものでした。現代の生徒も、古文の世界の「恋」は理解できるようでした。人間は時代が違っても、「恋は普遍」ですからね。
昔の人の恋心を現代人も理解できるものですよ。授業をしていて、生徒の反応からわかりましたね。
日食から、話が飛んでしまいました。
私が見た日食は「有明の月」を見ているように思われた、ということでした。お昼前に「有明の月」を見たのは、不思議な気がしました。それも短時間の日食観察でした。
ニュースによると、硫黄島では、きれいな皆既日食が見られたようですね。それに対して、トカラ列島の「悪石島」では激しい雨と風でたいへんだったようです。それでも、昼間が真っ暗闇になる体験だけはできたようです。すごい費用と時間をかけて「悪石島」に渡った皆さん、ちょっと残念でしたね。
天体に関心のある人が多いことにびっくりしました。私はあまり関心がありません。今回も、日食などの現象に対して「クール」でした。でも、日食を大阪で実際に見ることができて、ラッキーでした。
完
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/153/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form> 0
2011/8/3
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑪
恐慌? (現在より2年半ほど前に書いた内容は、さて・・・?)
投稿日: 2009年2月24日 作成者:鬼井江
今日(2009年2月24日)は、世界の経済状況について考えてみることにした。
アメリカの経済が傾いている影響は大きい。世界恐慌の予感がする。
日本はもちろんのこと、アメリカの債券(返済の約束を守ってくれなかったら、紙切れ同然のもの)をむちゃくちゃたくさん持っている国(日本・中国・アラブの国々など)はたいへんである。
アメリカは借金まみれの国である。債券を発行しては、日本・中国・アラブ諸国に買ってもらっている国である。
アメリカの製品で、日本が買っているものは少ない。家の中を見回しても、アメリカの製品はほとんどない。唯一パソコンソフト(マイクロソフト社など)ぐらいである。アメリカの自動車産業も傾き始めている。私が子どもの頃とは大違いである。
それに対して、現在、日本の製品は世界中に輸出され、出回っている。約50年で、日米の工業力が逆転したような感じである。アメリカの国は産業に乏しい国になりつつある。
ただ、アメリカは世界一の軍事力を持っている。世界の警察のような顔をしているが、自国の利益になりそうなところにはなんだかんだと首を突っ込んでいる。これがややこしいことを引き起こしている・・・。
(話はまとまらないが)今後の予想であるが、アメリカは借金(債務)を返せないだろう。なんだかんだと理由をつけて、借金の返済を引き延ばし続けるだろう。アメリカには借金を返す力がないとわかっているのだが、貸さざるを得ない状況におかれている国が日本である。日本はお人好しだから、気前よく貸し続けている現在である。われわれが預金したお金の大部分が、アメリカに流れているらしい。
1400兆円の預貯金などのうち、700兆円ほどはすでにアメリカに流れているというデータを読んだことがある。(私はそのデータを信じている。)
もし、アメリカが国家として崩壊すると、700兆円は紙切れになってしまうわけである。そうなると、日本の国も崩壊するかもしれない。日本とアメリカとは、それぐらい切り離せない関係になってしまった。中国もアメリカが崩壊すると、ガタガタになってしまうだろう。中国は近年、日本以上にアメリカの債券を買っているからである。アメリカが立ち直ることはないだろう。
しかし、借金を半分ほど棒引きにする方法はある。それを使ってくるだろう。
それはドル安である。昔、1ドル=360円だった。今は、1ドル=90円台である。約4分の1になったのである。日本の円が強くなったということは、アメリカのドルが安くなったということである。
1ドル=360円時代に日本から借金したお金は、1ドル=90円台で返せばいいことになる。10年後に返すだの、30年後に返すだの、50年後に返すだの・・・と、アメリカはいろいろ言っては、借りまくってきたのである。期限が来たら一応返して、すぐまた借金する。日本はお人好しだから、また貸してしまう。50年ローンで・・・。そのうち、100年ローンを言い出すかもしれない。誰かが「もう貸さない」と言ったとたんに、今回のような金融恐慌に突入してしまうことになる。
お人好しではない誰かが、アメリカのある企業に「あなたが返してくれるとは信じない」と、金を貸さなかった。そしたら、みんながアメリカの企業・金融機関・国家の信用性を疑いだした。
この不信は、これから先10年は続くだろう。その間にアメリカは立ち直らなければならない。立ち直れないときは、アメリカ中心の世界は終わるだろう。そうなっていくように、私には思われる。1ドルが60円ぐらいになり、1ドルが30円ぐらいになるような気がする。10年後ぐらいにそうなっている気がする。
アメリカが日本からの借金を半分棒引きする方法は、これしか考えられないからである。 とにかく、アメリカには、借金を返す力はないだろう。日本はその影響で、共倒れになりそうであるが、なんとかやっていくだろう。
今までも何とかやってきた経験がある。日本は、1ドル=30円になっても、何とか貧しいながらもやっていく国だろうと信じている。
さて、誰が損をすることになるのか・・・? おそらく預金者の「国民」であり、納税者の「国民」であろう。(ちなみに、私のような貧乏人はそれほど影響はないことになる。年金生活者になり、納税額もぐっと減った。現役のときはそれなりの額を払っていましたが。)
アメリカを救うことは、お金持ちの方にがんばっていただいている。これは理論上、そうなるはず。外貨預金をしてみればわかるはず。
巨額の外貨預金をしているのはお金持ちです。(近年、外貨預金のキャンペーンはすごかったですよ。)アメリカのドルを10年定期で持っている人は、10年後、価値が3分の1近くになっているかもしれませんよ。こういうことになる人は、お金持ちばかりです。貧乏人でも、外貨預金をする人はいますが、たいした額ではありません。損失もたいした額ではありません。大きな損を出すのは、銀行、保険会社、国家、大金持ち、債権を買っている企業などです。
銀行などがおかしくなるのは「おかしなところ」にお金をつぎ込むからでしょう。「おかしなところ」のひとつが、「アメリカ」です。
この金融恐慌は、10年は続きそうに感じている私です。
私の予想は当たるのでしょうか・・・? 当たらないほうがいいのですが・・・。(「予想」を逆から読めば、「うそよ」ってことですから・・・〔笑〕)
どんな時代になっていくにしろ、予算生活は実行していきましょう。「収入以上の支出をしない」生活をすることです。これって、けっこう難しいんですよ。一度、贅沢を身につけてしまうと、それを下げる生活って、なかなかできないものだから。一般に、年金って、それほどたくさん出ませんよ。(企業年金をもらっている一部の人は別ですが・・・)
完
恐慌? (現在より2年半ほど前に書いた内容は、さて・・・?)
投稿日: 2009年2月24日 作成者:鬼井江
今日(2009年2月24日)は、世界の経済状況について考えてみることにした。
アメリカの経済が傾いている影響は大きい。世界恐慌の予感がする。
日本はもちろんのこと、アメリカの債券(返済の約束を守ってくれなかったら、紙切れ同然のもの)をむちゃくちゃたくさん持っている国(日本・中国・アラブの国々など)はたいへんである。
アメリカは借金まみれの国である。債券を発行しては、日本・中国・アラブ諸国に買ってもらっている国である。
アメリカの製品で、日本が買っているものは少ない。家の中を見回しても、アメリカの製品はほとんどない。唯一パソコンソフト(マイクロソフト社など)ぐらいである。アメリカの自動車産業も傾き始めている。私が子どもの頃とは大違いである。
それに対して、現在、日本の製品は世界中に輸出され、出回っている。約50年で、日米の工業力が逆転したような感じである。アメリカの国は産業に乏しい国になりつつある。
ただ、アメリカは世界一の軍事力を持っている。世界の警察のような顔をしているが、自国の利益になりそうなところにはなんだかんだと首を突っ込んでいる。これがややこしいことを引き起こしている・・・。
(話はまとまらないが)今後の予想であるが、アメリカは借金(債務)を返せないだろう。なんだかんだと理由をつけて、借金の返済を引き延ばし続けるだろう。アメリカには借金を返す力がないとわかっているのだが、貸さざるを得ない状況におかれている国が日本である。日本はお人好しだから、気前よく貸し続けている現在である。われわれが預金したお金の大部分が、アメリカに流れているらしい。
1400兆円の預貯金などのうち、700兆円ほどはすでにアメリカに流れているというデータを読んだことがある。(私はそのデータを信じている。)
もし、アメリカが国家として崩壊すると、700兆円は紙切れになってしまうわけである。そうなると、日本の国も崩壊するかもしれない。日本とアメリカとは、それぐらい切り離せない関係になってしまった。中国もアメリカが崩壊すると、ガタガタになってしまうだろう。中国は近年、日本以上にアメリカの債券を買っているからである。アメリカが立ち直ることはないだろう。
しかし、借金を半分ほど棒引きにする方法はある。それを使ってくるだろう。
それはドル安である。昔、1ドル=360円だった。今は、1ドル=90円台である。約4分の1になったのである。日本の円が強くなったということは、アメリカのドルが安くなったということである。
1ドル=360円時代に日本から借金したお金は、1ドル=90円台で返せばいいことになる。10年後に返すだの、30年後に返すだの、50年後に返すだの・・・と、アメリカはいろいろ言っては、借りまくってきたのである。期限が来たら一応返して、すぐまた借金する。日本はお人好しだから、また貸してしまう。50年ローンで・・・。そのうち、100年ローンを言い出すかもしれない。誰かが「もう貸さない」と言ったとたんに、今回のような金融恐慌に突入してしまうことになる。
お人好しではない誰かが、アメリカのある企業に「あなたが返してくれるとは信じない」と、金を貸さなかった。そしたら、みんながアメリカの企業・金融機関・国家の信用性を疑いだした。
この不信は、これから先10年は続くだろう。その間にアメリカは立ち直らなければならない。立ち直れないときは、アメリカ中心の世界は終わるだろう。そうなっていくように、私には思われる。1ドルが60円ぐらいになり、1ドルが30円ぐらいになるような気がする。10年後ぐらいにそうなっている気がする。
アメリカが日本からの借金を半分棒引きする方法は、これしか考えられないからである。 とにかく、アメリカには、借金を返す力はないだろう。日本はその影響で、共倒れになりそうであるが、なんとかやっていくだろう。
今までも何とかやってきた経験がある。日本は、1ドル=30円になっても、何とか貧しいながらもやっていく国だろうと信じている。
さて、誰が損をすることになるのか・・・? おそらく預金者の「国民」であり、納税者の「国民」であろう。(ちなみに、私のような貧乏人はそれほど影響はないことになる。年金生活者になり、納税額もぐっと減った。現役のときはそれなりの額を払っていましたが。)
アメリカを救うことは、お金持ちの方にがんばっていただいている。これは理論上、そうなるはず。外貨預金をしてみればわかるはず。
巨額の外貨預金をしているのはお金持ちです。(近年、外貨預金のキャンペーンはすごかったですよ。)アメリカのドルを10年定期で持っている人は、10年後、価値が3分の1近くになっているかもしれませんよ。こういうことになる人は、お金持ちばかりです。貧乏人でも、外貨預金をする人はいますが、たいした額ではありません。損失もたいした額ではありません。大きな損を出すのは、銀行、保険会社、国家、大金持ち、債権を買っている企業などです。
銀行などがおかしくなるのは「おかしなところ」にお金をつぎ込むからでしょう。「おかしなところ」のひとつが、「アメリカ」です。
この金融恐慌は、10年は続きそうに感じている私です。
私の予想は当たるのでしょうか・・・? 当たらないほうがいいのですが・・・。(「予想」を逆から読めば、「うそよ」ってことですから・・・〔笑〕)
どんな時代になっていくにしろ、予算生活は実行していきましょう。「収入以上の支出をしない」生活をすることです。これって、けっこう難しいんですよ。一度、贅沢を身につけてしまうと、それを下げる生活って、なかなかできないものだから。一般に、年金って、それほどたくさん出ませんよ。(企業年金をもらっている一部の人は別ですが・・・)
完
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/150/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form> 2
タグ: 金融恐慌
2011/8/2
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑩
読解力とは
投稿日: 2009年1月9日 作成者: 鬼井江
体調も戻り、健康のありがたさを感じている。健康であることが普通なのであるが、そのことをありがたく思うためには、「病気」も必要なのかもしれない。
健康と病気・陰と陽・光と影・プラスとマイナス・生と死・・・。私は対比(対照)を思考における大切な要素だと常々思っている。
文章理解においてもそうである。その文章において、何と何が対比されているかをつかむことが、文章理解の基本の一つである、と授業してきたつもりである。
読解力とは何なのか? どういう力なのか?
私は常に次のように考えて授業してきた。つまり、「文章内における対比をつかむ力が読解力である。」と。
対比のない文章もあるが、それは悪文であると思っている。良い文章というものには、必ず対比が含まれているし、対比させながら書き進められているのが良い文章なのである。
理解、それは人間の生き方の深さと関わっていると思われる。
繰り返し述べるが、「理解するためには対比が必要である」。対比があってこそ、人間は深く「理解」できるのである。
死があってこそ生が「価値ある生」となるように。
光は影なくして意味を持ち得ない。健康が価値を持ち、輝くのも「病気」というものが存在するからである。
(ひどく理屈っぽくなっている本日ですが、たまにはいいでしょう。)
思考方法の影響はデンマークの哲学者・詩人、キルケゴールの影響かな? それとも、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』の影響かな?
ところで、キルケゴールを研究する教え子が出てきたのでびっくりしたことがある。彼はK大学をもう卒業したのだろうか・・・? 「卒論にキルケゴールを選びました」と言っていたが・・・。あれから約1年以上が過ぎようとしている・・・。今の時代、「キルケゴール」を知っている人はほとんどいないだろうと思っていたので、その時はびっくりしたしだいである。
彼の論文を読みたかったなあ・・・。現在、彼とは音信不通である。残念。(私が退職してしまったので、仕方ありませんね)
本日も徒然なるままに、まとまりもなく、対比もなく、だらだらと「悪文」になっています。やはり、良い文章ってのは、難しいのです。 悪文がわかる=良い文がわかる、ってことです。ところが、世の中、「悪文がわからない人」は、結構多いのですよ。
本日、畑で収穫したほうれん草を食した。うまかった。ハウス栽培ではない、今頃のほうれん草は地べたにへばりつくようにして生きている。葉が固いのだが、うまい。味がしっかりしているので、何とも言えないうまさを感じた。一味違うほうれん草でした。
この寒い冬に、ほうれん草の種まきをにしていたのだが、やっと芽を出してくれた。大根同様、がんばれよ!!
完
読解力とは
投稿日: 2009年1月9日 作成者: 鬼井江
体調も戻り、健康のありがたさを感じている。健康であることが普通なのであるが、そのことをありがたく思うためには、「病気」も必要なのかもしれない。
健康と病気・陰と陽・光と影・プラスとマイナス・生と死・・・。私は対比(対照)を思考における大切な要素だと常々思っている。
文章理解においてもそうである。その文章において、何と何が対比されているかをつかむことが、文章理解の基本の一つである、と授業してきたつもりである。
読解力とは何なのか? どういう力なのか?
私は常に次のように考えて授業してきた。つまり、「文章内における対比をつかむ力が読解力である。」と。
対比のない文章もあるが、それは悪文であると思っている。良い文章というものには、必ず対比が含まれているし、対比させながら書き進められているのが良い文章なのである。
理解、それは人間の生き方の深さと関わっていると思われる。
繰り返し述べるが、「理解するためには対比が必要である」。対比があってこそ、人間は深く「理解」できるのである。
死があってこそ生が「価値ある生」となるように。
光は影なくして意味を持ち得ない。健康が価値を持ち、輝くのも「病気」というものが存在するからである。
(ひどく理屈っぽくなっている本日ですが、たまにはいいでしょう。)
思考方法の影響はデンマークの哲学者・詩人、キルケゴールの影響かな? それとも、ドストエフスキーの『地下生活者の手記』の影響かな?
ところで、キルケゴールを研究する教え子が出てきたのでびっくりしたことがある。彼はK大学をもう卒業したのだろうか・・・? 「卒論にキルケゴールを選びました」と言っていたが・・・。あれから約1年以上が過ぎようとしている・・・。今の時代、「キルケゴール」を知っている人はほとんどいないだろうと思っていたので、その時はびっくりしたしだいである。
彼の論文を読みたかったなあ・・・。現在、彼とは音信不通である。残念。(私が退職してしまったので、仕方ありませんね)
本日も徒然なるままに、まとまりもなく、対比もなく、だらだらと「悪文」になっています。やはり、良い文章ってのは、難しいのです。 悪文がわかる=良い文がわかる、ってことです。ところが、世の中、「悪文がわからない人」は、結構多いのですよ。
本日、畑で収穫したほうれん草を食した。うまかった。ハウス栽培ではない、今頃のほうれん草は地べたにへばりつくようにして生きている。葉が固いのだが、うまい。味がしっかりしているので、何とも言えないうまさを感じた。一味違うほうれん草でした。
この寒い冬に、ほうれん草の種まきをにしていたのだが、やっと芽を出してくれた。大根同様、がんばれよ!!
完
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/149/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form> 2
2011/7/28
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
いよいよ世界の経済混乱が始まりそうな気がする。 アメリカ国債がデフォルトするかもしれない。8月初旬になれば、デフォルトするか、デフォルトしなくてしのげるかの結果が出るだろう。大統領の「拒否権発動」で、しのぐ可能性は高いが、それでも混乱はするだろう。アメリカは借金大国であるから。
ギリシャが経済混乱しても、日本への影響は小さい。ヨーロッパは、今たいへんだ。ギリシャやアイルランド、ポルトガルなどの債務問題をどうしのぐかで、必死になっている。
アメリカが混乱(世界大恐慌へ?)したら、日本への影響はものすごいことになる。世界で、一番アメリカ国債を持っているのは中国で、二番目が日本。中国と日本が、アメリカの(大部分の)借金の面倒をみている。
日本の官僚および官僚OBたちは、アメリカの子分のような存在だから、日本が持っているアメリカ国債を売ることはできない仕組みになっている。(橋本元総理が売るようなことをちらっと言っただけで、アメリカに袋叩きにされて、その後の橋本元総理は沈黙してしまった歴史がある。)
官僚の天下り先はものすごい。日本のあらゆる大企業、電力会社、電話会社、生命保険会社、銀行、証券会社、報道関係の会社、マスコミなどに網の目のようにのさばっている。100年以上の官僚政治がもたらした結果である。
すべての諸問題は、官僚たち(第Ⅰ種国家公務員試験合格者=ほとんど東大卒)が悪いのであって、普通の公務員や社員は、何も悪くはない。ほとんど善人として仕事をしてくれているだろう。悪いのは、官僚たちである。
もっとも、若い時から悪いのではないが…。高級官僚になるにしたがって、アメリカの子分になり、アメリカの言うとおりの政策をしていって、天下り先も自分たちでどんどん作っていく。そうしない官僚は高級官僚にはなれない仕組みになっている。
これと闘う国会議員はどんどんつぶされていく。国会議員も勉強不足、力不足。
数少ないが、その中でも長妻議員はよく勉強して、官僚たちと闘ったが、つぶされた。民主党も彼を守ってやらなければならないのに、官僚たちの力に負けた。
今の民主党は、官僚と闘っていない。100年の歴史がある「官僚政治」と闘うには、力不足・勉強不足で、そのうえ作戦参謀がいなかった。闘うには、作戦がいるのに…。
誰に期待するばいいのか・・・、まったくわからなくなった。
少し話題がずれるが、放射能の被害については、東電がつぶれるまで弁償させるべきである。東電がつぶれ、資産がなくなった時に、「国有化」すればいいのであって、何も今から東電を守る必要はない。
何兆円もある資産を全部売って補償すべきであって、東電の上役たちと官僚たちがグルになっている。大手のマスコミもグルである。NHKですら、おかしい。(東電が補償すべきだという観点からの報道をほとんどしない。おかしい話である。大手新聞もおかしい。東電の責任については、ちょこちょこと目立たないように報道するだけである。
東電はつぶれても仕方がないのだが、そういう観点の報道は流さない。
誰かが、コントロール(制限)しているのだろう。
とにかく、悪いのは官僚一派(OBを含む)である。
私の予測(かなり前に、このブログで、1ドル=80円と予測)では、1ドルが80円で止まるはずであった。
しかし、アメリカ国債がデフォルトしたら、60円、50円・・・と、円高に向かうであろう。
なぜなら、世界の目で見れば、「円は強い」からである。日本は技術があるし、国民はよく働くから。それになんといっても、他の国から借金をしていない。
借金(日本の国債)は日本国民からしているだけである。債務国のほとんどは、「外国」から借金をしている。もちろん、日本の国債発行額は限界に近づいているだろう。しかし、アメリカに比べたら、健全そのものである。
世界大恐慌になれば、日本の国でも、「預金封鎖」はあるかもしれないが、庶民(1000万円以下の貯金で生活している人々かな?)には、あまり関係のない話である。(預金封鎖は、私にもあまり関係がない話。)生活費ぐらいは下ろせるはずだから。
関係するのは、やはりお金持ち。預金封鎖の時代になれば、大きなお金が動かせなくなるし、高額商品もじゃんじゃん買えなくなるだろう。
以上、久しぶりに経済予測を書いてみたが、当たるであろうか…?
アメリカ国債がデフォルトするかどうかは、アメリカ議会が出す法案によって決まるであろう。法案成立が難航するだけでも、影響は大きい。オバマが「拒否権」を発動してデフォルトを食い止めても影響は大きいだろう。
ちなみに、今日(7月28日)は1ドル=77円。
8月上旬に、法案(アメリカの借金額を増やしてもよいという内容の法案)が通らずに「否決」されると、デフォルト(大統領拒否権発動で、デフォルトしなくても)のニュースが世界を駆け巡ることになるだろう。
そうならないことを願っているが・・・・・・。
遅かれ早かれ、ドルは崩壊していくだろう。実質、崩壊への歩みで進んでいる。
私たち(団塊の世代)が子どもだった時代、1ドル=360円だった。それが、あっという間に、260円ぐらいになった。しばらく年数が経ち、200円を下まわりだして、150円ぐらいになり、100円になった。そして、最近、また80円を割り出した。
50円になれば、おしまい(アメリカの時代が終わる)だろう。ただし、軍事力はすごい国なので、どういうふうになっていくかはさっぱりわからない。
日本はどうなるか?
これは信じるしか仕方ないが、日本は一番先に復活していくだろう。官僚政治ではなく、国民が中心の政治をするようになれば・・・と期待している。
今の民主党では、だめである。もちろん官僚とグルになっている政治(何党であれ)が続くようであれば、復活しないだろう。
次の選挙では、(われわれは)しっかりした国会議員を選ばなければならない。官僚の言いなりの議員では、このままだろう。
完
ギリシャが経済混乱しても、日本への影響は小さい。ヨーロッパは、今たいへんだ。ギリシャやアイルランド、ポルトガルなどの債務問題をどうしのぐかで、必死になっている。
アメリカが混乱(世界大恐慌へ?)したら、日本への影響はものすごいことになる。世界で、一番アメリカ国債を持っているのは中国で、二番目が日本。中国と日本が、アメリカの(大部分の)借金の面倒をみている。
日本の官僚および官僚OBたちは、アメリカの子分のような存在だから、日本が持っているアメリカ国債を売ることはできない仕組みになっている。(橋本元総理が売るようなことをちらっと言っただけで、アメリカに袋叩きにされて、その後の橋本元総理は沈黙してしまった歴史がある。)
官僚の天下り先はものすごい。日本のあらゆる大企業、電力会社、電話会社、生命保険会社、銀行、証券会社、報道関係の会社、マスコミなどに網の目のようにのさばっている。100年以上の官僚政治がもたらした結果である。
すべての諸問題は、官僚たち(第Ⅰ種国家公務員試験合格者=ほとんど東大卒)が悪いのであって、普通の公務員や社員は、何も悪くはない。ほとんど善人として仕事をしてくれているだろう。悪いのは、官僚たちである。
もっとも、若い時から悪いのではないが…。高級官僚になるにしたがって、アメリカの子分になり、アメリカの言うとおりの政策をしていって、天下り先も自分たちでどんどん作っていく。そうしない官僚は高級官僚にはなれない仕組みになっている。
これと闘う国会議員はどんどんつぶされていく。国会議員も勉強不足、力不足。
数少ないが、その中でも長妻議員はよく勉強して、官僚たちと闘ったが、つぶされた。民主党も彼を守ってやらなければならないのに、官僚たちの力に負けた。
今の民主党は、官僚と闘っていない。100年の歴史がある「官僚政治」と闘うには、力不足・勉強不足で、そのうえ作戦参謀がいなかった。闘うには、作戦がいるのに…。
誰に期待するばいいのか・・・、まったくわからなくなった。
少し話題がずれるが、放射能の被害については、東電がつぶれるまで弁償させるべきである。東電がつぶれ、資産がなくなった時に、「国有化」すればいいのであって、何も今から東電を守る必要はない。
何兆円もある資産を全部売って補償すべきであって、東電の上役たちと官僚たちがグルになっている。大手のマスコミもグルである。NHKですら、おかしい。(東電が補償すべきだという観点からの報道をほとんどしない。おかしい話である。大手新聞もおかしい。東電の責任については、ちょこちょこと目立たないように報道するだけである。
東電はつぶれても仕方がないのだが、そういう観点の報道は流さない。
誰かが、コントロール(制限)しているのだろう。
とにかく、悪いのは官僚一派(OBを含む)である。
私の予測(かなり前に、このブログで、1ドル=80円と予測)では、1ドルが80円で止まるはずであった。
しかし、アメリカ国債がデフォルトしたら、60円、50円・・・と、円高に向かうであろう。
なぜなら、世界の目で見れば、「円は強い」からである。日本は技術があるし、国民はよく働くから。それになんといっても、他の国から借金をしていない。
借金(日本の国債)は日本国民からしているだけである。債務国のほとんどは、「外国」から借金をしている。もちろん、日本の国債発行額は限界に近づいているだろう。しかし、アメリカに比べたら、健全そのものである。
世界大恐慌になれば、日本の国でも、「預金封鎖」はあるかもしれないが、庶民(1000万円以下の貯金で生活している人々かな?)には、あまり関係のない話である。(預金封鎖は、私にもあまり関係がない話。)生活費ぐらいは下ろせるはずだから。
関係するのは、やはりお金持ち。預金封鎖の時代になれば、大きなお金が動かせなくなるし、高額商品もじゃんじゃん買えなくなるだろう。
以上、久しぶりに経済予測を書いてみたが、当たるであろうか…?
アメリカ国債がデフォルトするかどうかは、アメリカ議会が出す法案によって決まるであろう。法案成立が難航するだけでも、影響は大きい。オバマが「拒否権」を発動してデフォルトを食い止めても影響は大きいだろう。
ちなみに、今日(7月28日)は1ドル=77円。
8月上旬に、法案(アメリカの借金額を増やしてもよいという内容の法案)が通らずに「否決」されると、デフォルト(大統領拒否権発動で、デフォルトしなくても)のニュースが世界を駆け巡ることになるだろう。
そうならないことを願っているが・・・・・・。
遅かれ早かれ、ドルは崩壊していくだろう。実質、崩壊への歩みで進んでいる。
私たち(団塊の世代)が子どもだった時代、1ドル=360円だった。それが、あっという間に、260円ぐらいになった。しばらく年数が経ち、200円を下まわりだして、150円ぐらいになり、100円になった。そして、最近、また80円を割り出した。
50円になれば、おしまい(アメリカの時代が終わる)だろう。ただし、軍事力はすごい国なので、どういうふうになっていくかはさっぱりわからない。
日本はどうなるか?
これは信じるしか仕方ないが、日本は一番先に復活していくだろう。官僚政治ではなく、国民が中心の政治をするようになれば・・・と期待している。
今の民主党では、だめである。もちろん官僚とグルになっている政治(何党であれ)が続くようであれば、復活しないだろう。
次の選挙では、(われわれは)しっかりした国会議員を選ばなければならない。官僚の言いなりの議員では、このままだろう。
完
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/147/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form> 6
2011/7/25
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
青春・朱夏・白秋・玄冬(青朱白玄)について 補記
「青龍・白虎・朱雀・玄武」という四種の動物は、想像上の動物。古代中国より四つの方角の守り神とされてきたもの。
朱=赤、玄=は黒である。ちなみに、玄人=くろうと。玄という字は、その時に使われる漢字である。
先日のブログ内容において、人生約80年時代になった日本において、80年を20年単位に分ける考えを述べた。61歳から80歳までの(またはそれ以上の死ぬまでの期間)が「玄冬時代」とみなした。
このブログを読まれている方は、現在「青春時代」? 「朱夏時代」? 「白秋時代」? それとも私と同じ「玄冬時代」でしょうか?
どの時代に生きておられますか?
ところで、色って、いろいろイメージさせてくれますね。イメージは、人それぞれでしょう。
「青」は、芽生え若々しく生長(成長)していくイメージ。「朱(赤)」は、何事にも燃えてがんばっているイメージ。「白」は、混ざりけがなく、しっとりと落ちついているイメージ。「玄(黒)」は、何色にも染まらない独自の世界に生きているイメージ。
以上は、私(鬼井江)がいだいているイメージです。
「その世界に到達し、熟練した人」を「玄人(くろうと」と呼ぶ。だから、玄冬(げんとう)時代に突入した人は、それぞれが「それなりの玄人」として生活を始める時代に入ったことになる。
しかし、私が何かの世界で「玄人だなあ」と人に言われるものはない。現在、がんばっているのは、このブログぐらいかな? しかし、「ブログの玄人」でもない。ブログを始めて、まだ5年である。ブログは「青春時代」にすぎない。ブログの青年。
話を冒頭部分の話題に戻したい。(ちょっと話の流れがズレれてしまったので。)
守り神としての架空の動物(四種)は、中国から日本に伝えられ、現在の生活に知らず知らずのうちに影響が及んでいる。とにかく、古代中国文化(文明)はすごい!
ちなみに、青龍は「東」、白虎は「西」、朱雀は「南」、玄武は「北」という方向の代名詞になっている。
玄武(げんぶ)なる架空の動物はあまり親しみがないが、亀の体に蛇が巻き付いているイメージで描かれている。(ほとんど見かけないが。)
玄武以外の動物は、よく見かける。古墳などの壁画でも発見されたりしている。いろいろなところで、よく見かけるし、それぞれの漢字からも想像しやすい。玄武の壁画も発見されているのだろうが、あまり取り上げられていない。北の方角に描かれているはずなのだが・・・。
色と方角について。相撲の世界で、土俵上の屋根から垂れ下がっている房(ふさ)の色が方角を表している。青房・赤房・白房・黒房の4つの房である。相撲=国技と言えども、中国文化の影響がある。ちなみに、青房=北東の隅に垂らしている房。赤房=南東の隅に垂らしている房。白房=南西の隅に垂らしている房。黒房=北西の隅に垂らしている房。(テレビなどで相撲を見るときに確認してみてください。)
方角や時刻についても、古代中国文化の影響がやはり生活に入り込んでいる。
十二支を使っての方角について、この機会に少しふれておきたい。
北の方角=子(ね)。 北東の方角=丑と寅の中間になるので、うしとら(一字の漢字で書くと、「艮」)。 東の方角=卯。 南東の方角=辰と巳の中間になるので、たつみ(一字の漢字で書くと、「巽」)。 南の方角=午(うま)。 南西の方角=未と申の中間になるので、ひつじさる(一字の漢字で書くと、「坤」)。 西の方角=酉(とり)。 北西の方角=戌と亥との中間になるので、いぬい(漢字一字で書くと、「乾」。
お城の門の名前などに方角名の漢字が使われたりしている。たとえば、「巽門」「乾門」など。なお、「鬼門(きもん)=鬼が出入りする方角として、忌み嫌われた方角・場所。」と言われる方角は、「艮(うしとら)」で、北東の方角である。
十二支については、時刻にも使われている。子(ね)の刻=0時(0時を中心に、午後11時~午前1時の約2時間を指す場合もあった。昔は大体の時間帯で生活していたから。時計がなかった時代が長かった。) 子からスタートして、子・丑・寅・卯・辰・巳 と、2時間ずつ進んで、午(うま)の刻=12時。この時間は太陽が南中する時で、(生活するうえでの)時刻的には、一日の中心になる。午の刻より前を、「午前」。午の刻より後を、「午後」。ご存知でしたか?
中国文化の影響はやはりすごいですね。日本の言葉にも大きく関係しています。
また、時刻を表す言葉には、九つ→(約二時間後、以下同じ)八つ→七つ→六つ→五つ→四つ がある。
六つは現在の六時ごろで、明け六つ=午前六時で、暮れ六つ=午後六時。(これは覚えやすい。現在の6時=六つ だから。) 九つは午前12時と午後12時(0時)。八つは午前2時と午後2時。(ちなみに、「御八つ=おやつ」の語源はここからきている。語源から考えると、午後2時ごろが「おやつタイム」なのであるが、実際は午後3時ごろ「おやつの時間(休憩)」にしている生活リズムが多い。あくまでも、語源的には「八つ」時=午後2時なのであるが・・・。
七つは午前4時と午後4時。六つは先ほど触れたので略。五つは午前8時と午後8時。四つは午前10時と午後10時。その間の時刻には、「半=現在の1時間」をつける。(六つ半など)。
(話にまとまりはないが、今回は一応、完。
後日、この続きを書いてまとめたいと思っています。)
「青龍・白虎・朱雀・玄武」という四種の動物は、想像上の動物。古代中国より四つの方角の守り神とされてきたもの。
朱=赤、玄=は黒である。ちなみに、玄人=くろうと。玄という字は、その時に使われる漢字である。
先日のブログ内容において、人生約80年時代になった日本において、80年を20年単位に分ける考えを述べた。61歳から80歳までの(またはそれ以上の死ぬまでの期間)が「玄冬時代」とみなした。
このブログを読まれている方は、現在「青春時代」? 「朱夏時代」? 「白秋時代」? それとも私と同じ「玄冬時代」でしょうか?
どの時代に生きておられますか?
ところで、色って、いろいろイメージさせてくれますね。イメージは、人それぞれでしょう。
「青」は、芽生え若々しく生長(成長)していくイメージ。「朱(赤)」は、何事にも燃えてがんばっているイメージ。「白」は、混ざりけがなく、しっとりと落ちついているイメージ。「玄(黒)」は、何色にも染まらない独自の世界に生きているイメージ。
以上は、私(鬼井江)がいだいているイメージです。
「その世界に到達し、熟練した人」を「玄人(くろうと」と呼ぶ。だから、玄冬(げんとう)時代に突入した人は、それぞれが「それなりの玄人」として生活を始める時代に入ったことになる。
しかし、私が何かの世界で「玄人だなあ」と人に言われるものはない。現在、がんばっているのは、このブログぐらいかな? しかし、「ブログの玄人」でもない。ブログを始めて、まだ5年である。ブログは「青春時代」にすぎない。ブログの青年。
話を冒頭部分の話題に戻したい。(ちょっと話の流れがズレれてしまったので。)
守り神としての架空の動物(四種)は、中国から日本に伝えられ、現在の生活に知らず知らずのうちに影響が及んでいる。とにかく、古代中国文化(文明)はすごい!
ちなみに、青龍は「東」、白虎は「西」、朱雀は「南」、玄武は「北」という方向の代名詞になっている。
玄武(げんぶ)なる架空の動物はあまり親しみがないが、亀の体に蛇が巻き付いているイメージで描かれている。(ほとんど見かけないが。)
玄武以外の動物は、よく見かける。古墳などの壁画でも発見されたりしている。いろいろなところで、よく見かけるし、それぞれの漢字からも想像しやすい。玄武の壁画も発見されているのだろうが、あまり取り上げられていない。北の方角に描かれているはずなのだが・・・。
色と方角について。相撲の世界で、土俵上の屋根から垂れ下がっている房(ふさ)の色が方角を表している。青房・赤房・白房・黒房の4つの房である。相撲=国技と言えども、中国文化の影響がある。ちなみに、青房=北東の隅に垂らしている房。赤房=南東の隅に垂らしている房。白房=南西の隅に垂らしている房。黒房=北西の隅に垂らしている房。(テレビなどで相撲を見るときに確認してみてください。)
方角や時刻についても、古代中国文化の影響がやはり生活に入り込んでいる。
十二支を使っての方角について、この機会に少しふれておきたい。
北の方角=子(ね)。 北東の方角=丑と寅の中間になるので、うしとら(一字の漢字で書くと、「艮」)。 東の方角=卯。 南東の方角=辰と巳の中間になるので、たつみ(一字の漢字で書くと、「巽」)。 南の方角=午(うま)。 南西の方角=未と申の中間になるので、ひつじさる(一字の漢字で書くと、「坤」)。 西の方角=酉(とり)。 北西の方角=戌と亥との中間になるので、いぬい(漢字一字で書くと、「乾」。
お城の門の名前などに方角名の漢字が使われたりしている。たとえば、「巽門」「乾門」など。なお、「鬼門(きもん)=鬼が出入りする方角として、忌み嫌われた方角・場所。」と言われる方角は、「艮(うしとら)」で、北東の方角である。
十二支については、時刻にも使われている。子(ね)の刻=0時(0時を中心に、午後11時~午前1時の約2時間を指す場合もあった。昔は大体の時間帯で生活していたから。時計がなかった時代が長かった。) 子からスタートして、子・丑・寅・卯・辰・巳 と、2時間ずつ進んで、午(うま)の刻=12時。この時間は太陽が南中する時で、(生活するうえでの)時刻的には、一日の中心になる。午の刻より前を、「午前」。午の刻より後を、「午後」。ご存知でしたか?
中国文化の影響はやはりすごいですね。日本の言葉にも大きく関係しています。
また、時刻を表す言葉には、九つ→(約二時間後、以下同じ)八つ→七つ→六つ→五つ→四つ がある。
六つは現在の六時ごろで、明け六つ=午前六時で、暮れ六つ=午後六時。(これは覚えやすい。現在の6時=六つ だから。) 九つは午前12時と午後12時(0時)。八つは午前2時と午後2時。(ちなみに、「御八つ=おやつ」の語源はここからきている。語源から考えると、午後2時ごろが「おやつタイム」なのであるが、実際は午後3時ごろ「おやつの時間(休憩)」にしている生活リズムが多い。あくまでも、語源的には「八つ」時=午後2時なのであるが・・・。
七つは午前4時と午後4時。六つは先ほど触れたので略。五つは午前8時と午後8時。四つは午前10時と午後10時。その間の時刻には、「半=現在の1時間」をつける。(六つ半など)。
(話にまとまりはないが、今回は一応、完。
後日、この続きを書いてまとめたいと思っています。)
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/145/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form> 5
2011/7/20
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑧
投稿日: 2007年12月8日 作成者:鬼井江
青春・朱夏・白秋・玄冬
あと半年ほど経てば、私は満60歳になる。人生を80年で考えると、残りは20年ほどである。
この20年をどう生きるか・・・。このごろよく考えるようになった。
いつも考えてきたことだが、青春時代の20年。朱夏時代の20年。白秋時代の20年。そして、玄冬時代の20年。それぞれの20年を、区切りに考えてきた私である。
青春・朱夏・白秋・玄冬の考え方は中国の思想である。古代中国の思想はいろいろと私の心に影響を与えている。玄冬時代には「自由に、したいことをして」死を迎えたい、と思っている。死ぬまでになんとか「感動してくれる小説」を書きたいものだとも思っている。あと20年ほどあるのだと思ってがんばりたい。
才能はないが、「努力と、意欲で」書いてみたいと、この歳になっても、やはり思っている。このブログで書き始めた、「ある話」も中断して、もう半年以上になっている。書き続けることは、なんと難しいのだろう!
まあ、ブログをやめずに続けているのが、せめてもの・・・。
世の中には、仕事をしながら、小説でも賞をもらうという「すごい人」がいるけれども、私は平凡な人間であるということである。平凡な人が世には多い。しかし、平凡な人間でも、「人生は喜びである」と感じて生きていきたいし、死んでいきたい。
そのために、「したいことをして過ごす20年が与えられるのだ」と思いたい。人間、いつ 死がやってくるかはわからないが・・・。「明日、死が迎えに来てもいいように、今日を生きることが大切である」と自分に時々言い聞かせて生きてきた。毎日言い聞かせていたわけではない。時々である。
人生の玄冬時代が迫りつつある私。心は青く、まだまだ未熟なままだが・・・。
投稿日: 2007年12月8日 作成者:鬼井江
青春・朱夏・白秋・玄冬
あと半年ほど経てば、私は満60歳になる。人生を80年で考えると、残りは20年ほどである。
この20年をどう生きるか・・・。このごろよく考えるようになった。
いつも考えてきたことだが、青春時代の20年。朱夏時代の20年。白秋時代の20年。そして、玄冬時代の20年。それぞれの20年を、区切りに考えてきた私である。
青春・朱夏・白秋・玄冬の考え方は中国の思想である。古代中国の思想はいろいろと私の心に影響を与えている。玄冬時代には「自由に、したいことをして」死を迎えたい、と思っている。死ぬまでになんとか「感動してくれる小説」を書きたいものだとも思っている。あと20年ほどあるのだと思ってがんばりたい。
才能はないが、「努力と、意欲で」書いてみたいと、この歳になっても、やはり思っている。このブログで書き始めた、「ある話」も中断して、もう半年以上になっている。書き続けることは、なんと難しいのだろう!
まあ、ブログをやめずに続けているのが、せめてもの・・・。
世の中には、仕事をしながら、小説でも賞をもらうという「すごい人」がいるけれども、私は平凡な人間であるということである。平凡な人が世には多い。しかし、平凡な人間でも、「人生は喜びである」と感じて生きていきたいし、死んでいきたい。
そのために、「したいことをして過ごす20年が与えられるのだ」と思いたい。人間、いつ 死がやってくるかはわからないが・・・。「明日、死が迎えに来てもいいように、今日を生きることが大切である」と自分に時々言い聞かせて生きてきた。毎日言い聞かせていたわけではない。時々である。
人生の玄冬時代が迫りつつある私。心は青く、まだまだ未熟なままだが・・・。
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/142/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form> 4
2011/7/19
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑦
2007年月7月記 鬼井江
富士登山、途中より下山
私が富士山に(途中までを含めて)行ったのは4回である。2回は頂上まで行けたが、2回は途中までである。
富士山は7月と8月しか登れない山である。他の月は、一般人は登山禁止(山小屋が閉鎖かな?)である。7月下旬が一番気候の安定している時期なので、学校団体の何校かが登山している。(私が勤務している)S中学校もそのうちの一つである。夏休みに入ると、個人客も多く登る。外国人も(予想以上に)多いように思われる。
近年、7月下旬の天候はおかしな年が多くなっている。三年前(2004年)は台風が来たので、登山そのものが中止になった。今年(2007年)はなんとか8合目まで登れて、下山した。もし、下山しなかったら大変なことになっていただろう。あの雷と大雨である。富士山の雷は経験した人にしかわからない。恐ろしい雷である。ひょっとすると雷の電流が足を通過するかもしれない。そうすると、大やけどになる。心臓を通過するような流れ方をすると、即死である。頂上まで行くことは運もいるかもしれない。
とにかく、団体で登るときは安全第一に考え、無理はしないはずである。個人で登れば、雷や大雨でも山小屋に避難すればいい。たくさんある山小屋のどこかに避難すればすむのだから。団体はすぐに避難できない。予約していない山小屋には入りきれないからである。
(今年富士登山をした生徒たちは)富士山の頂上に未練が残ったであろうが、何かの機会に頂上まで登ってみてください。大学生の頃がいいでしょう。大学生は結構時間が自由だから。私は大学生の頃にいろいろ山に登りましたよ。北海道の利尻島にある利尻山。富士山の形をしているので「利尻富士」と呼ばれている山です。この山は2千メートルもないのですが、すばらしい山でした。山形県の月山にも登りました。バスで8合目まで行ける山でしたが、あえて登山コースで苦労しながら登りました。いい思い出です。四国の石鎚山にも登っています。大学生になれば、いくらでも登ろうと思えば登るチャンスはあるでしょう。
完
2007年月7月記 鬼井江
富士登山、途中より下山
私が富士山に(途中までを含めて)行ったのは4回である。2回は頂上まで行けたが、2回は途中までである。
富士山は7月と8月しか登れない山である。他の月は、一般人は登山禁止(山小屋が閉鎖かな?)である。7月下旬が一番気候の安定している時期なので、学校団体の何校かが登山している。(私が勤務している)S中学校もそのうちの一つである。夏休みに入ると、個人客も多く登る。外国人も(予想以上に)多いように思われる。
近年、7月下旬の天候はおかしな年が多くなっている。三年前(2004年)は台風が来たので、登山そのものが中止になった。今年(2007年)はなんとか8合目まで登れて、下山した。もし、下山しなかったら大変なことになっていただろう。あの雷と大雨である。富士山の雷は経験した人にしかわからない。恐ろしい雷である。ひょっとすると雷の電流が足を通過するかもしれない。そうすると、大やけどになる。心臓を通過するような流れ方をすると、即死である。頂上まで行くことは運もいるかもしれない。
とにかく、団体で登るときは安全第一に考え、無理はしないはずである。個人で登れば、雷や大雨でも山小屋に避難すればいい。たくさんある山小屋のどこかに避難すればすむのだから。団体はすぐに避難できない。予約していない山小屋には入りきれないからである。
(今年富士登山をした生徒たちは)富士山の頂上に未練が残ったであろうが、何かの機会に頂上まで登ってみてください。大学生の頃がいいでしょう。大学生は結構時間が自由だから。私は大学生の頃にいろいろ山に登りましたよ。北海道の利尻島にある利尻山。富士山の形をしているので「利尻富士」と呼ばれている山です。この山は2千メートルもないのですが、すばらしい山でした。山形県の月山にも登りました。バスで8合目まで行ける山でしたが、あえて登山コースで苦労しながら登りました。いい思い出です。四国の石鎚山にも登っています。大学生になれば、いくらでも登ろうと思えば登るチャンスはあるでしょう。
完
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/141/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>