2011/9/2
「インターネットの世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ(22)
インターネットの世界
投稿日: 2009年7月28日 作成者:鬼井江
よくよく考えてみるに、インターネットの世界はすごい世界であると思う。
このブログにしても、それほど価値のない文章であるにもかかわらず、ネットの世界で「存在」し続けることになるからである。
多くの人が、ある文章(詩や小説・エッセイなど)に価値を感じたとしたら、それは「残る」ことになる。昔は「本」という形で残した。今後も「本」という形は永遠だろうが、「ネット」の世界が新たに加わっている時代になった。これは画期的なことだと思う。
私のこのブログにしても、ネット世界で永遠に消えないのかもしれない。(何かの都合で消えるかもしれないが、ブログ提供の会社がつぶれない限り消されることはないだろう。) ネットの世界はものすごい量の情報氾濫である。地球上のネット世界において、日本語のホームページやブログは、いまや英語を抜いて世界一の言語量になっているとのことである。私のブログもその言語量の一部なのだ。
日本人はほとんどの人が字を読める。パソコンも使える。インターネット利用率もたいへん高い。ホームページやブログを公開している会社や個人は、世界一になったようである。 日本語の文化圏は狭いようだが、ネットの世界では世界一になっているらしい。私は英語が世界一だとばかり思っていた。中国人はものすごい人口であるが、ホームページやブログなどを自由に公開している人は少ないだろう。アメリカなど英語圏が量的にもインターネットの世界を牛耳っているものだとばかり思っていた。
しかし、意外や意外、日本語圏ががんばってネット情報を発信しているのだ。ただし、量的には世界一なのだが、世界で日本語がわかる人はたいへん少ない。たとえば、私のこのブログは世界中に発信されていることになるのだが、読んでいるのは日本人ばかりで、それもごくごく少人数である。しかし、すごいことだと思う。
このブログが価値のないものであっても、一応「公開」され続けるからである。公開のための費用は無料である。こんなことは昔では考えられなかった。昔は、「自費出版」をする方法などでしか、(「価値のない文章」は特に。)公開方法はなかった。
私が若かった頃、自費出版らしきことをしたし、友人の自費出版にも手をかしたりした。しかし、結構印刷費がかかったものだ。友人はかなりお金を使っていた。才能があると思っていた、その友人は世に出ることなく、病死された。(機会あれば、彼の作品を紹介したいとも思っている。)
私の場合、文才もなく、文章に自信がないので、「恥ずかしいけれど・・・」という思いがついて回る。ついつい臆病になりやすい。その点、ブログは無料だし、自分の書く文章に価値があろうがなかろうが、大して気にしないで公開できる。「ブログ」という世界は、私にとっては「気楽に文章公開」ができる。趣味的世界という認識だから、気分は軽いのであろう。それでも、ひょっとすると、このブログを読んでくれる誰かにとっては、「価値あること」が(たまに)書かれているブログになっているかもしれない・・・。
という淡い希望を持って書いているつもりである。少ない読み手であっても、読んでくれている人がいるだけで、ありがたいことなのだ。励まされる。もうかれこれ3年半(2011年現在は5年半になる)ほど書き続けてきていることになる。続けることはいいことなのだ! 続いていると「力」がついてくるかもしれない、と自分を励ましているこのごろである。
吉田兼好のようにすばらしい内容の文章を、一度も書くことができないままだが、気分は「徒然なるままに」である。小説は未完のままだが、ブログは続いている・・・。
完
インターネットの世界
投稿日: 2009年7月28日 作成者:鬼井江
よくよく考えてみるに、インターネットの世界はすごい世界であると思う。
このブログにしても、それほど価値のない文章であるにもかかわらず、ネットの世界で「存在」し続けることになるからである。
多くの人が、ある文章(詩や小説・エッセイなど)に価値を感じたとしたら、それは「残る」ことになる。昔は「本」という形で残した。今後も「本」という形は永遠だろうが、「ネット」の世界が新たに加わっている時代になった。これは画期的なことだと思う。
私のこのブログにしても、ネット世界で永遠に消えないのかもしれない。(何かの都合で消えるかもしれないが、ブログ提供の会社がつぶれない限り消されることはないだろう。) ネットの世界はものすごい量の情報氾濫である。地球上のネット世界において、日本語のホームページやブログは、いまや英語を抜いて世界一の言語量になっているとのことである。私のブログもその言語量の一部なのだ。
日本人はほとんどの人が字を読める。パソコンも使える。インターネット利用率もたいへん高い。ホームページやブログを公開している会社や個人は、世界一になったようである。 日本語の文化圏は狭いようだが、ネットの世界では世界一になっているらしい。私は英語が世界一だとばかり思っていた。中国人はものすごい人口であるが、ホームページやブログなどを自由に公開している人は少ないだろう。アメリカなど英語圏が量的にもインターネットの世界を牛耳っているものだとばかり思っていた。
しかし、意外や意外、日本語圏ががんばってネット情報を発信しているのだ。ただし、量的には世界一なのだが、世界で日本語がわかる人はたいへん少ない。たとえば、私のこのブログは世界中に発信されていることになるのだが、読んでいるのは日本人ばかりで、それもごくごく少人数である。しかし、すごいことだと思う。
このブログが価値のないものであっても、一応「公開」され続けるからである。公開のための費用は無料である。こんなことは昔では考えられなかった。昔は、「自費出版」をする方法などでしか、(「価値のない文章」は特に。)公開方法はなかった。
私が若かった頃、自費出版らしきことをしたし、友人の自費出版にも手をかしたりした。しかし、結構印刷費がかかったものだ。友人はかなりお金を使っていた。才能があると思っていた、その友人は世に出ることなく、病死された。(機会あれば、彼の作品を紹介したいとも思っている。)
私の場合、文才もなく、文章に自信がないので、「恥ずかしいけれど・・・」という思いがついて回る。ついつい臆病になりやすい。その点、ブログは無料だし、自分の書く文章に価値があろうがなかろうが、大して気にしないで公開できる。「ブログ」という世界は、私にとっては「気楽に文章公開」ができる。趣味的世界という認識だから、気分は軽いのであろう。それでも、ひょっとすると、このブログを読んでくれる誰かにとっては、「価値あること」が(たまに)書かれているブログになっているかもしれない・・・。
という淡い希望を持って書いているつもりである。少ない読み手であっても、読んでくれている人がいるだけで、ありがたいことなのだ。励まされる。もうかれこれ3年半(2011年現在は5年半になる)ほど書き続けてきていることになる。続けることはいいことなのだ! 続いていると「力」がついてくるかもしれない、と自分を励ましているこのごろである。
吉田兼好のようにすばらしい内容の文章を、一度も書くことができないままだが、気分は「徒然なるままに」である。小説は未完のままだが、ブログは続いている・・・。
完
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2011/8/24
「授業の思い出」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑳
「いい授業」の思い出
投稿日: 2010年2月8日 作成者: 鬼井江
「地図」を話材にした授業の思い出。
現役の頃、中学生対象に「一枚の地図から」という教科書教材を使って授業したことがある。われながら「いい授業」だったと評価できる授業だった。
「いい授業」だったと思える授業は、年間に一回あるかどうかぐらいで、教師生活36年間、反省ばかりの授業であった。たまに「うまくいった授業」は、たいがいの場合、「生徒が優秀で、助けてくれた」からだった。
「ここで、こんな意見を言ってくれたらいいのだが・・・」と期待したときに、ぴったり予想通りの意見を生徒が言ってくれたりする。そうすると、「その意見に対して反対の意見はないかな?・・・」と授業を進行できるのだ。生徒が次から次へと意見を言ってくれると、楽しい授業になる。そういう授業をしたくて努力していたが、「うまくいった授業」は年間で数えるぐらいだった。
退職年齢が近づくにつれて、「意見を言わない生徒」・「言いたがらない生徒」・「指名すると嫌な顔をする生徒」が増えていった。私の授業に魅力がなくなっていったことも原因だろう。それだけではなく、生徒たちの授業に対する心理状態が時代とともに変化していったことも原因だろう。
しかし、そうはいっても、いつの時代も「魅力的な先生」の授業は活気があるものだ。時代が変わろうが、それは変わらないはずだ。
ちょっと話が脱線した。話を元へ戻そう。
「一枚の地図から」は授業展開のやりやすい説明的文章の教材であった。一枚の地図からいろいろ想像していく内容だったと記憶している。(教科書名や著者名は忘れてしまった。東京書籍の教科書だったかもしれない・・・。)
文章読解の授業を終えて、最後の時間に(学校行事の)遠足コースになっている地域の「5万分の1」の地図を全員に配って、「地図から想像したことを書いてみよう」と課題を出した。
生徒たちはすばらしい作文を書いてくれた。その地図から想像した内容のすばらしさに感動したものである。
「ここまで想像できたのか! すばらしい!」と感動する作文ばかりであった。作文が苦手な生徒もすらすら書いているようだったので、「いい授業だったんだな」と満足した。
退職後も「思い出す授業」なんて、数えるほど少ないものである。
地図はいろいろなことを想像させてくれるので、生活を豊かにしてくれる。
また、地図は知的好奇心をくすぐってくれるものである。これからも地図と親しんで生きていきたい。
完
*注 私は、現在も地図を見ることが大好きである。特に『旅に出たくなる地図』(帝国書院)を愛用している。地図は旅行の必需品。
いろいろな見方をして楽しんでいる。地図を逆さまにして見つめてみると、おもしろいことが浮かんでくる。中心を変えて地図を見ることも面白い。
たとえば、香川県の詫間町(高校時代に過ごしたところ)を中心に瀬戸内海を見つめてみると、高校の向かいの島の「粟島」がスクリューの形をしていることや、塩飽(しわく)水軍の活躍した地域(塩飽諸島海域)であることが、想像できて楽しい。
とにかく、地図を見て想像することは、知的好奇心がくすぐられ、楽しいことである。旅行したくなるのも、「地図」のおかげである。
2011年8月24日追記 (鬼井江)
「いい授業」の思い出
投稿日: 2010年2月8日 作成者: 鬼井江
「地図」を話材にした授業の思い出。
現役の頃、中学生対象に「一枚の地図から」という教科書教材を使って授業したことがある。われながら「いい授業」だったと評価できる授業だった。
「いい授業」だったと思える授業は、年間に一回あるかどうかぐらいで、教師生活36年間、反省ばかりの授業であった。たまに「うまくいった授業」は、たいがいの場合、「生徒が優秀で、助けてくれた」からだった。
「ここで、こんな意見を言ってくれたらいいのだが・・・」と期待したときに、ぴったり予想通りの意見を生徒が言ってくれたりする。そうすると、「その意見に対して反対の意見はないかな?・・・」と授業を進行できるのだ。生徒が次から次へと意見を言ってくれると、楽しい授業になる。そういう授業をしたくて努力していたが、「うまくいった授業」は年間で数えるぐらいだった。
退職年齢が近づくにつれて、「意見を言わない生徒」・「言いたがらない生徒」・「指名すると嫌な顔をする生徒」が増えていった。私の授業に魅力がなくなっていったことも原因だろう。それだけではなく、生徒たちの授業に対する心理状態が時代とともに変化していったことも原因だろう。
しかし、そうはいっても、いつの時代も「魅力的な先生」の授業は活気があるものだ。時代が変わろうが、それは変わらないはずだ。
ちょっと話が脱線した。話を元へ戻そう。
「一枚の地図から」は授業展開のやりやすい説明的文章の教材であった。一枚の地図からいろいろ想像していく内容だったと記憶している。(教科書名や著者名は忘れてしまった。東京書籍の教科書だったかもしれない・・・。)
文章読解の授業を終えて、最後の時間に(学校行事の)遠足コースになっている地域の「5万分の1」の地図を全員に配って、「地図から想像したことを書いてみよう」と課題を出した。
生徒たちはすばらしい作文を書いてくれた。その地図から想像した内容のすばらしさに感動したものである。
「ここまで想像できたのか! すばらしい!」と感動する作文ばかりであった。作文が苦手な生徒もすらすら書いているようだったので、「いい授業だったんだな」と満足した。
退職後も「思い出す授業」なんて、数えるほど少ないものである。
地図はいろいろなことを想像させてくれるので、生活を豊かにしてくれる。
また、地図は知的好奇心をくすぐってくれるものである。これからも地図と親しんで生きていきたい。
完
*注 私は、現在も地図を見ることが大好きである。特に『旅に出たくなる地図』(帝国書院)を愛用している。地図は旅行の必需品。
いろいろな見方をして楽しんでいる。地図を逆さまにして見つめてみると、おもしろいことが浮かんでくる。中心を変えて地図を見ることも面白い。
たとえば、香川県の詫間町(高校時代に過ごしたところ)を中心に瀬戸内海を見つめてみると、高校の向かいの島の「粟島」がスクリューの形をしていることや、塩飽(しわく)水軍の活躍した地域(塩飽諸島海域)であることが、想像できて楽しい。
とにかく、地図を見て想像することは、知的好奇心がくすぐられ、楽しいことである。旅行したくなるのも、「地図」のおかげである。
2011年8月24日追記 (鬼井江)
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2011/8/20
「1年前に書いた文章より」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑰
本当のことを言うことは命がけ
投稿日: 2010年8月12日 作成者: 鬼井江
世間では、お盆休みに入ったようである。昨日の株価は下落。原因は円高であろう。
「円高」と言うよりも「ドル安」で、世界中の金持ちがドルを売り始めているのであろう。地球規模で見れば、「円」は強いことになる。実際、日本円は強い。
なぜなら、世界中で「他の国からの借金がない国」は、日本だけであるからだ。アメリカは「外国からの借金」だらけである。ヨーロッパも同じである。日本だけが外国から借金をしていない。日本国民から借金をしている。日本国民(全体としては)お金を持っているので、自分の国(日本の政府)に貸してやっている(実質は、ゆうちょ銀行や都市銀行・保険会社・年金機構などが国債を買っている=我々の預けてあるお金が国債を購入している。) 900兆円の国債のほとんどは、国民が買っているのである。こんなに金持ちの国民は、地球上で日本国民だけなのである。まだまだ国債を買うお金があるようである。(国民全体は「金持ち」なのだ。)
世界中の投資家たちは、どの国のお金を持っていたら安全か、ということを毎日のように考えて行動している。それが「為替」の世界である。
日本が円高になっていくことは、一年ほど前(2009年)から、このブログでも予測したが、予測が当たりだしてきたように思われる。素人の私でも、当たりだしたのだ。
「1ドル=80円になるであろう」と、このブログで書いてきた。まだそこに至っていないが、だいたいそのレベルになってきた。70円台に入ったら、80円にもどろうとするだろう。それほどむちゃくちゃ円は強いわけではない。
中国や韓国などの発展がめざましい。日本は発展する力は乏しい。現状維持がやっとであろう。「現状維持」できれば、それでいいのではないかな・・・と、私個人は思っている。 マスコミや政府関係者は「経済成長」をやかましく言うが、誰かにあおられているのではないかな? 景気をよくする必要はあるが、「経済成長、経済成長・・・」とあおる必要はないように思う。
「ちょっとだけお金持ち」の人々がお金を使うようになれば、景気は良くなるはずである。現在、「ちょっとだけお金持ち」の数はものすごくいるのである。困っている人ばかりをマスコミは大きく取り上げているが、マスコミはおかしい取り上げ方をしている場合が多いのである。
「視聴率」第一主義で、ニュースをつくっていく。そこに、ゆがみが生じる原因がある。「マスコミの視点を時には疑え!」という教育は、なされてこなかった。私もそういう教育はしてこなかった。(もっと早く気づいていたら、そういう教育もしていただろうが・・・。
だから、最近、このブログでそのことを書くようにしている。何人かの教え子たちがこのブログを読んでくれているから。
大昔から、「ほんとうのこと」を言うと、権力者から殺された。歴史がそれを証明している。権力者がおそれることは「真実の発覚」である。「真実」を漏らそうとする者を暗殺してきた歴史。
「事実を言うことは命がけ」の場合がある。現代においても、命がけの場合があるだろう。日本では、「そういう時代は終わったはずだ」と信じたい。霞ヶ関や役所などの組織、企業や団体組織などで、「これは言うな!」と口止めされている内容でも「真実を知らせなければならない」場合や「これは黙って見逃せないことだ!」とその人自身が判断する場合など、内部告発は「命がけ」の行為に当てはまる。
現代でも、命がけで「真実を言う」勇気ある人がいるだろう。「ほんとうのことを言う」ことは、昔から命がかかっていることなのである。勇気を出して「言うべきこと」はどんどん発言していこうと思っている。
とにかくマスコミにだまされたくないからである。
完
* 2009年に予測した1ドル=80円は当たり、現在(2011年夏)1ドル=75円になっている。ちょっと円高過ぎるようにも思えるが、1ドル=70円になれば、アメリカの時代が終わるであろう。
さて、やはり中国の時代到来かな? 中国も大混乱する要素があるのだが・・・・・・。
2011年8月20日追記 鬼井江
本当のことを言うことは命がけ
投稿日: 2010年8月12日 作成者: 鬼井江
世間では、お盆休みに入ったようである。昨日の株価は下落。原因は円高であろう。
「円高」と言うよりも「ドル安」で、世界中の金持ちがドルを売り始めているのであろう。地球規模で見れば、「円」は強いことになる。実際、日本円は強い。
なぜなら、世界中で「他の国からの借金がない国」は、日本だけであるからだ。アメリカは「外国からの借金」だらけである。ヨーロッパも同じである。日本だけが外国から借金をしていない。日本国民から借金をしている。日本国民(全体としては)お金を持っているので、自分の国(日本の政府)に貸してやっている(実質は、ゆうちょ銀行や都市銀行・保険会社・年金機構などが国債を買っている=我々の預けてあるお金が国債を購入している。) 900兆円の国債のほとんどは、国民が買っているのである。こんなに金持ちの国民は、地球上で日本国民だけなのである。まだまだ国債を買うお金があるようである。(国民全体は「金持ち」なのだ。)
世界中の投資家たちは、どの国のお金を持っていたら安全か、ということを毎日のように考えて行動している。それが「為替」の世界である。
日本が円高になっていくことは、一年ほど前(2009年)から、このブログでも予測したが、予測が当たりだしてきたように思われる。素人の私でも、当たりだしたのだ。
「1ドル=80円になるであろう」と、このブログで書いてきた。まだそこに至っていないが、だいたいそのレベルになってきた。70円台に入ったら、80円にもどろうとするだろう。それほどむちゃくちゃ円は強いわけではない。
中国や韓国などの発展がめざましい。日本は発展する力は乏しい。現状維持がやっとであろう。「現状維持」できれば、それでいいのではないかな・・・と、私個人は思っている。 マスコミや政府関係者は「経済成長」をやかましく言うが、誰かにあおられているのではないかな? 景気をよくする必要はあるが、「経済成長、経済成長・・・」とあおる必要はないように思う。
「ちょっとだけお金持ち」の人々がお金を使うようになれば、景気は良くなるはずである。現在、「ちょっとだけお金持ち」の数はものすごくいるのである。困っている人ばかりをマスコミは大きく取り上げているが、マスコミはおかしい取り上げ方をしている場合が多いのである。
「視聴率」第一主義で、ニュースをつくっていく。そこに、ゆがみが生じる原因がある。「マスコミの視点を時には疑え!」という教育は、なされてこなかった。私もそういう教育はしてこなかった。(もっと早く気づいていたら、そういう教育もしていただろうが・・・。
だから、最近、このブログでそのことを書くようにしている。何人かの教え子たちがこのブログを読んでくれているから。
大昔から、「ほんとうのこと」を言うと、権力者から殺された。歴史がそれを証明している。権力者がおそれることは「真実の発覚」である。「真実」を漏らそうとする者を暗殺してきた歴史。
「事実を言うことは命がけ」の場合がある。現代においても、命がけの場合があるだろう。日本では、「そういう時代は終わったはずだ」と信じたい。霞ヶ関や役所などの組織、企業や団体組織などで、「これは言うな!」と口止めされている内容でも「真実を知らせなければならない」場合や「これは黙って見逃せないことだ!」とその人自身が判断する場合など、内部告発は「命がけ」の行為に当てはまる。
現代でも、命がけで「真実を言う」勇気ある人がいるだろう。「ほんとうのことを言う」ことは、昔から命がかかっていることなのである。勇気を出して「言うべきこと」はどんどん発言していこうと思っている。
とにかくマスコミにだまされたくないからである。
完
* 2009年に予測した1ドル=80円は当たり、現在(2011年夏)1ドル=75円になっている。ちょっと円高過ぎるようにも思えるが、1ドル=70円になれば、アメリカの時代が終わるであろう。
さて、やはり中国の時代到来かな? 中国も大混乱する要素があるのだが・・・・・・。
2011年8月20日追記 鬼井江
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2011/8/17
「堺グルメ」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑯
堺グルメ
投稿日: 2009年7月24日 作成者: 鬼井江
今日は「堺名物の和菓子」について、書いてみたい。
それはなんと言っても、『かん袋』(かんぶくろ・屋号)という店の「くるみ餅」であろう。他にもあるが、私が大好きなので、紹介したい。
私のブログを読んでくれている方の中には、遠方の方もおられるので、わかりやすく紹介したい。
店は、阪堺線(日本最古の路面電車=チンチン電車)の寺地町駅より南東方面へ徒歩約5分のところにある。住所は堺市堺区新在家町東1-2-1。(ちなみに、私が育ったところは、かん袋の近くである。かん袋は「今泉」という姓の家で、今泉家のある方と私は同級生である。)
この店のすごさは、その歴史であろう。味もすごいが、歴史的魅力はそれ以上であると私は思っている。
資料によると、創業は鎌倉時代末期の1329年。当時は「和泉屋」という屋号だったが、その後、豊臣秀吉によって『かん袋』と名づけられたようである。信長・秀吉や千利休など歴史上、堺で過ごした事のある人々はみんなこの「くるみ餅」を食したようである。私の江戸時代ごろの先祖も堺の商人だったので、きっと食しているのだと思われる。味がいいから。食するたびに、「一味違う味だ」といつも思う。
この餅の名前の由来は、一口サイズのお餅を抹茶味のあんにくるんで食べるから「くるみ餅」ということのようである。「抹茶味のあん」は製造方法が秘密にされ、現在に至るまで「一子相伝」で、先祖より伝えられているようである。
一子相伝についての詳しいことはわからない。(おそらく秘密にされているのだろう。) とにかく、すごいことである。何がすごいか? それは、「売り切れたら閉店」を今も昔も守って商売をしている点である。「こんなに売れるのなら、どんどん店を増やせばいいのに・・・」と思うぐらい、たいへん繁盛している。
しかし、この店以外に支店を出したということは聞いたことがない。「作り立てを一店のみで」を守っているようである。(特別の事情があれば、デパートでも売るのかもしれないが、その事情は知らない。) 閉店時間は一応夕方5時までだが、売り切れたら閉店である。
子どもの頃、私の実家(今はない)は菓子店(その後、お好み焼き店に)だったので、「かんぶくろ」という店はどこにありますか、と道順をしょっちゅう尋ねられたものである。京都からやってくる人もいた。近畿一円より、「かん袋」の「くるみ餅」を食べに来たようである。おおげさではない、私が何度も何度も道順を教えたので、私が子どもの頃から「すごい店」だと思っていたし、今もすごい店なので、こうして紹介しているわけです。 一子相伝の店は全国的にそれなりにあるだろうが、鎌倉時代からというのがやっぱりすごいことだと思う。大量生産に走らない営業方針を何百年も守っている店は、「和菓子店」では、ここが日本一かもしれないですね。この「くるみ餅」は一人前400円足らずだったと思うが、違っているかもしれない。そんなに高価な和菓子ではない。大衆値段である。これを遠くの友人にも送ってあげたいのだが、その日のうちに食べる和菓子なのである。あくる日になると、味が落ちる気がする。私が好きなのは、「氷くるみ餅」で、「くるみ餅」の上にカキ氷をかけたものである。冬でも「氷くるみ餅」しか注文をしない私。
冷たい「くるみ餅」が好きなのだ。ちなみに、この店に来る客のほとんどの人も「氷くるみ餅」を注文している。お持ち帰りは「くるみ餅」しかない。家で、カキ氷をするのもいいだろうが、ちょっとだけカキ氷をするというのも面倒くさいものだろう。
というわけで、友人に郵送してあげる和菓子ではないので、郵送はしたことがない。もっぱら、この店で「氷くるみ餅」を食べ続けてきたしだいである。持ち帰りもほとんどしたことはない。
もし、まだ食べたことのない人は、機会があれば召し上がってください。駐車場もありますよ。ただし、火曜日・水曜日は休みで、午前10から午後5時までの営業である。午後4時までが無難である。ぎりぎりの時間だと、完売のため閉店かも・・・。いつも混雑していて、土・日は特にたいへん混雑していますよ。
私事ですが、私が現職の頃、今泉家のお子様の一人を授業で教えたことがありました。そのお子様は三男さんだったかな・・・。彼が言うに、「長男が引き継ぐ」とのようです。一子相伝、一人だけに奥義を伝えるのですね。私が教えた生徒は引き継がないようです。
以上、『かん袋』について、紹介しました。
(長くなりますが、引き続き2店目を紹介します。)
鬼井江推薦、堺グルメ店第2弾は、お持ち帰り専門の穴子寿司店「深清鮓(ふかせずし)」を紹介したい。
第一弾の「かん袋」からそう遠くはない。歩いて、10分ぐらいの距離である。チンチン電車の駅としては、御陵前駅。そこから西へ徒歩5分ほどの所にある。住所は堺市堺区出島町1-1-22。
穴子寿司以外も扱っているが、ここの名物はやはり穴子寿司である。私はいつも上にぎり(高価)ではない、普通の「にぎり6個入り」(945円)を購入している。6個をぺろりと食べてしまうので、あと6個ぐらい食べたいといつも思う。お腹いっぱい食べたい人は18個ぐらい食べないと満足しないかもしれない。
穴子のにぎり寿司ばかりでも、ここの穴子寿司は最高にうまいので、飽きずに10個ぐらいはすぐに食べられるはずである。ここの「穴子寿司」は、やや高価かもしれないが、他の高価な鮨ネタと比較して考えれば、それほど高価ではないだろう。なんといっても、私は大好きである。今までいろんなところで「穴子」のにぎりを食べる機会があったが、この歳になっても、やはり「深清(ふかせ)の穴子のにぎり」が一番うまいと思っている。お持ち帰り専門なので、いつも家で食べている。
人間、うまいものを食することは「幸せ」である。
以上、私が推薦する堺グルメ店は、「かん袋」と「深清鮓」の2店である。他にもいろいろ有名な店はあるだろうが、私が何十年も食してきた店ではないので、このブログでは取り上げない。ちなみに、これらの店は、私が子どもの時から現在に至るまで「うまい店」としてお世話になっている店である。まだ、食したことのない方は、ぜひ召し上がってみてください。
完
堺グルメ
投稿日: 2009年7月24日 作成者: 鬼井江
今日は「堺名物の和菓子」について、書いてみたい。
それはなんと言っても、『かん袋』(かんぶくろ・屋号)という店の「くるみ餅」であろう。他にもあるが、私が大好きなので、紹介したい。
私のブログを読んでくれている方の中には、遠方の方もおられるので、わかりやすく紹介したい。
店は、阪堺線(日本最古の路面電車=チンチン電車)の寺地町駅より南東方面へ徒歩約5分のところにある。住所は堺市堺区新在家町東1-2-1。(ちなみに、私が育ったところは、かん袋の近くである。かん袋は「今泉」という姓の家で、今泉家のある方と私は同級生である。)
この店のすごさは、その歴史であろう。味もすごいが、歴史的魅力はそれ以上であると私は思っている。
資料によると、創業は鎌倉時代末期の1329年。当時は「和泉屋」という屋号だったが、その後、豊臣秀吉によって『かん袋』と名づけられたようである。信長・秀吉や千利休など歴史上、堺で過ごした事のある人々はみんなこの「くるみ餅」を食したようである。私の江戸時代ごろの先祖も堺の商人だったので、きっと食しているのだと思われる。味がいいから。食するたびに、「一味違う味だ」といつも思う。
この餅の名前の由来は、一口サイズのお餅を抹茶味のあんにくるんで食べるから「くるみ餅」ということのようである。「抹茶味のあん」は製造方法が秘密にされ、現在に至るまで「一子相伝」で、先祖より伝えられているようである。
一子相伝についての詳しいことはわからない。(おそらく秘密にされているのだろう。) とにかく、すごいことである。何がすごいか? それは、「売り切れたら閉店」を今も昔も守って商売をしている点である。「こんなに売れるのなら、どんどん店を増やせばいいのに・・・」と思うぐらい、たいへん繁盛している。
しかし、この店以外に支店を出したということは聞いたことがない。「作り立てを一店のみで」を守っているようである。(特別の事情があれば、デパートでも売るのかもしれないが、その事情は知らない。) 閉店時間は一応夕方5時までだが、売り切れたら閉店である。
子どもの頃、私の実家(今はない)は菓子店(その後、お好み焼き店に)だったので、「かんぶくろ」という店はどこにありますか、と道順をしょっちゅう尋ねられたものである。京都からやってくる人もいた。近畿一円より、「かん袋」の「くるみ餅」を食べに来たようである。おおげさではない、私が何度も何度も道順を教えたので、私が子どもの頃から「すごい店」だと思っていたし、今もすごい店なので、こうして紹介しているわけです。 一子相伝の店は全国的にそれなりにあるだろうが、鎌倉時代からというのがやっぱりすごいことだと思う。大量生産に走らない営業方針を何百年も守っている店は、「和菓子店」では、ここが日本一かもしれないですね。この「くるみ餅」は一人前400円足らずだったと思うが、違っているかもしれない。そんなに高価な和菓子ではない。大衆値段である。これを遠くの友人にも送ってあげたいのだが、その日のうちに食べる和菓子なのである。あくる日になると、味が落ちる気がする。私が好きなのは、「氷くるみ餅」で、「くるみ餅」の上にカキ氷をかけたものである。冬でも「氷くるみ餅」しか注文をしない私。
冷たい「くるみ餅」が好きなのだ。ちなみに、この店に来る客のほとんどの人も「氷くるみ餅」を注文している。お持ち帰りは「くるみ餅」しかない。家で、カキ氷をするのもいいだろうが、ちょっとだけカキ氷をするというのも面倒くさいものだろう。
というわけで、友人に郵送してあげる和菓子ではないので、郵送はしたことがない。もっぱら、この店で「氷くるみ餅」を食べ続けてきたしだいである。持ち帰りもほとんどしたことはない。
もし、まだ食べたことのない人は、機会があれば召し上がってください。駐車場もありますよ。ただし、火曜日・水曜日は休みで、午前10から午後5時までの営業である。午後4時までが無難である。ぎりぎりの時間だと、完売のため閉店かも・・・。いつも混雑していて、土・日は特にたいへん混雑していますよ。
私事ですが、私が現職の頃、今泉家のお子様の一人を授業で教えたことがありました。そのお子様は三男さんだったかな・・・。彼が言うに、「長男が引き継ぐ」とのようです。一子相伝、一人だけに奥義を伝えるのですね。私が教えた生徒は引き継がないようです。
以上、『かん袋』について、紹介しました。
(長くなりますが、引き続き2店目を紹介します。)
鬼井江推薦、堺グルメ店第2弾は、お持ち帰り専門の穴子寿司店「深清鮓(ふかせずし)」を紹介したい。
第一弾の「かん袋」からそう遠くはない。歩いて、10分ぐらいの距離である。チンチン電車の駅としては、御陵前駅。そこから西へ徒歩5分ほどの所にある。住所は堺市堺区出島町1-1-22。
穴子寿司以外も扱っているが、ここの名物はやはり穴子寿司である。私はいつも上にぎり(高価)ではない、普通の「にぎり6個入り」(945円)を購入している。6個をぺろりと食べてしまうので、あと6個ぐらい食べたいといつも思う。お腹いっぱい食べたい人は18個ぐらい食べないと満足しないかもしれない。
穴子のにぎり寿司ばかりでも、ここの穴子寿司は最高にうまいので、飽きずに10個ぐらいはすぐに食べられるはずである。ここの「穴子寿司」は、やや高価かもしれないが、他の高価な鮨ネタと比較して考えれば、それほど高価ではないだろう。なんといっても、私は大好きである。今までいろんなところで「穴子」のにぎりを食べる機会があったが、この歳になっても、やはり「深清(ふかせ)の穴子のにぎり」が一番うまいと思っている。お持ち帰り専門なので、いつも家で食べている。
人間、うまいものを食することは「幸せ」である。
以上、私が推薦する堺グルメ店は、「かん袋」と「深清鮓」の2店である。他にもいろいろ有名な店はあるだろうが、私が何十年も食してきた店ではないので、このブログでは取り上げない。ちなみに、これらの店は、私が子どもの時から現在に至るまで「うまい店」としてお世話になっている店である。まだ、食したことのない方は、ぜひ召し上がってみてください。
完
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2011/8/15
「原発事故について」 評論・随筆その他
今日は、原発事故について考えてみたい。
原発事故の責任は東電にあるはずである。避難生活などをさせたり、仕事を奪ったりして、福島県の住民を苦しめたのは東電である。
しかし、「事故責任」の報道については、あまり流れてこない。
裁判になった場合、東電がすべての責任を負うはずである。社長はもちろん、会社の取締役たちに、刑事罰及び賠償責任がかかってくるはずである。
そういう点については、NHKや大手新聞各社のマスコミは一切触れようとはしない。「東電を守れ」という密命(?)でも流れているのだろうか?
東電には元官僚を始め、国会議員や地方議員が関係している。東電が倒産するようなことになっては、それらの人々が困るのである。
「東電が倒産したら、電気はどうなるのか?」ということを合言葉に、倒産させないように必死になっているに違いない。
東電には、約4兆円の資産があるようである。それらの資産をすべて賠償に充てて、それでも倒産するなら、国営化すればいいだけのことである。責任ある人はすべてやめてもらって、実際に電気の仕事に必要な人は再雇用すればいいだけの話である。
そういう発想の考え方を、福島県民ならびに多くの人はすべきである。
マスコミはそういう考え方を報道しようとはしない。マスコミもグルになっているのだろう。
何を信じて、今回の原発事故責任を考えるべきか? テレビや新聞の流す報道だけを信じてはいけない。責任は東電にあることに違いはないはず。ごまかされてはいけない。
関電など、電力会社はすべて東電の味方であるから、関電の言うことも100パーセント信じてはいけない。原発を推進してきた学者(東大や京大など有名大学の教授たち)たちの言うことも、「想定外の津波」を理由に、東電を守ろうとするだろう。(原発の学問がなくなると困るからである。) また、東電の株主(銀行・生命保険会社・損害保険会社・大手企業・関係企業、そのほか個人の多くの株主も、東電が倒産すると、株が紙切れになってしまうので、東電の味方になってしまう。
国会議員や官僚たちの息子や娘が、結構たくさん「東電社員」になっているので、国会議員や官僚たちも「東電攻撃」に対しては、防御しようとするに違いない。
国会議員の家族で「東電」に全く関係のない人は誰なのか? 私はそういう情報を知らないが、予想以上にいるのではないかな? もちろん、家族が東電関係者であっても、「東電に事故責任はある!」とはっきり言える議員もいるだろう。さて、誰がそれに該当する議員なのであろうか?
とにかく、最近のマスコミは「事故責任」は「東電と国」にあるという考え方が中心で、東電の資産を全部吐き出させて、取締役以上の者をすべて首にし、責任を取ってもらうという、「当然の考え方」をしていない。
マスコミもグルになって、「東電を守れ」作戦に出ているようである。
福島県民のみなさん、がんばって、まず東電に賠償してもらってください。東電がつぶれたら、税金で賠償すべきで、それには私も賛成です。とにかく、約4兆円の資産を残らず吐き出させましょう。
今日現在での、私の原発事故に対する考え方です。
原発事故の責任は東電にあるはずである。避難生活などをさせたり、仕事を奪ったりして、福島県の住民を苦しめたのは東電である。
しかし、「事故責任」の報道については、あまり流れてこない。
裁判になった場合、東電がすべての責任を負うはずである。社長はもちろん、会社の取締役たちに、刑事罰及び賠償責任がかかってくるはずである。
そういう点については、NHKや大手新聞各社のマスコミは一切触れようとはしない。「東電を守れ」という密命(?)でも流れているのだろうか?
東電には元官僚を始め、国会議員や地方議員が関係している。東電が倒産するようなことになっては、それらの人々が困るのである。
「東電が倒産したら、電気はどうなるのか?」ということを合言葉に、倒産させないように必死になっているに違いない。
東電には、約4兆円の資産があるようである。それらの資産をすべて賠償に充てて、それでも倒産するなら、国営化すればいいだけのことである。責任ある人はすべてやめてもらって、実際に電気の仕事に必要な人は再雇用すればいいだけの話である。
そういう発想の考え方を、福島県民ならびに多くの人はすべきである。
マスコミはそういう考え方を報道しようとはしない。マスコミもグルになっているのだろう。
何を信じて、今回の原発事故責任を考えるべきか? テレビや新聞の流す報道だけを信じてはいけない。責任は東電にあることに違いはないはず。ごまかされてはいけない。
関電など、電力会社はすべて東電の味方であるから、関電の言うことも100パーセント信じてはいけない。原発を推進してきた学者(東大や京大など有名大学の教授たち)たちの言うことも、「想定外の津波」を理由に、東電を守ろうとするだろう。(原発の学問がなくなると困るからである。) また、東電の株主(銀行・生命保険会社・損害保険会社・大手企業・関係企業、そのほか個人の多くの株主も、東電が倒産すると、株が紙切れになってしまうので、東電の味方になってしまう。
国会議員や官僚たちの息子や娘が、結構たくさん「東電社員」になっているので、国会議員や官僚たちも「東電攻撃」に対しては、防御しようとするに違いない。
国会議員の家族で「東電」に全く関係のない人は誰なのか? 私はそういう情報を知らないが、予想以上にいるのではないかな? もちろん、家族が東電関係者であっても、「東電に事故責任はある!」とはっきり言える議員もいるだろう。さて、誰がそれに該当する議員なのであろうか?
とにかく、最近のマスコミは「事故責任」は「東電と国」にあるという考え方が中心で、東電の資産を全部吐き出させて、取締役以上の者をすべて首にし、責任を取ってもらうという、「当然の考え方」をしていない。
マスコミもグルになって、「東電を守れ」作戦に出ているようである。
福島県民のみなさん、がんばって、まず東電に賠償してもらってください。東電がつぶれたら、税金で賠償すべきで、それには私も賛成です。とにかく、約4兆円の資産を残らず吐き出させましょう。
今日現在での、私の原発事故に対する考え方です。
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2011/8/14
「マスカット・オブ・アレキサンドリア」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑮
マスカット・オブ・アレキサンドリア?
投稿日: 2009年6月14日 作成者: 鬼井江
岡山でのホテルは、後楽園の近くを利用。今回、岡山名物のマスカットの缶詰を娘に買って帰った。高級な缶詰である。テレビで見たのがきっかけで、岡山名物「マスカット・オブ・アレキサンドリア」なるマスカットの缶詰を買ってみた。果物の缶詰としては値段が高い。自分用と息子用とを含めて、合計3つ買った。息子も「まだ食べたことがない」と言う。
缶詰一つが2000円ほどするのだから、どんな味なんだろう? 普通のマスカットのほうがおいしかったりして・・・。
自分用に購入した缶詰は、しばらく保管しておいて、何かの機会に食べてみようと思う。缶詰だから長持ちするから。(さて、いつ食することになるやら・・・)
ところで、Mさん、小学生相手の体験授業、ご苦労さんでした。うまくいったようで、よかったですね。私は新任の頃、4年間小学生相手に教師生活していました。
「小学生相手の授業」は、懐かしいですね。私が勤めていた最後の職場においても、入試説明会などを兼ねた「オープンスクール」がありました。その時、小学生対象の「体験授業」を、私も担当しました。たぶん毎年やっているのだと思います。
話題は変わりますが、短い期間の滞在型旅行とはいえ、枕が替わると眠りにくいものです。家に帰ってくると、なんとなくほっとします。でも、またしばらくすると旅に出たくなる・・・。その繰り返しです。
今回、一日だけはドライブで、備中高松城跡と山陽道宿場町「矢掛」に行ってきました。「矢掛」では、本陣・脇本陣が残されておりました。全国の宿場町で、本陣・脇本陣の両方が残っているのは「矢掛」だけだ、との説明を聞きました。どちらも見学しましたが、どちらも立派な建物でした。(内部は本陣だけ見学)。「矢掛」の町を散策して、建物を見て回り、時間を過ごしました。
水攻めにされた「備中高松城」跡にも行ってみましたが、なにもない、「跡」だけでした。いわゆる「観光地」にもなっていない感じのところでした。ほんとうに何もないんです・・・。周りは田んぼだけでした。天守閣が再建されることもなく・・・田や畑があるだけ・・・。城跡の看板がなければ、まったくわからない「城跡」でした。(公園にはなっていましたが)
岡山県立図書館で借りた本を読みきることができなかったので、必要なページをコピーしました。コピー代が高くつきましたが、後日またゆっくり読めるので、(コピーできることは)ありがたいことです。(昔、大分県の臼杵の図書館で手にした本も、コピーしたことがあります。)旅先の図書館に行ってみるのもおもしろいですよ。
今日は話題がばらばら・・・。
完
マスカット・オブ・アレキサンドリア?
投稿日: 2009年6月14日 作成者: 鬼井江
岡山でのホテルは、後楽園の近くを利用。今回、岡山名物のマスカットの缶詰を娘に買って帰った。高級な缶詰である。テレビで見たのがきっかけで、岡山名物「マスカット・オブ・アレキサンドリア」なるマスカットの缶詰を買ってみた。果物の缶詰としては値段が高い。自分用と息子用とを含めて、合計3つ買った。息子も「まだ食べたことがない」と言う。
缶詰一つが2000円ほどするのだから、どんな味なんだろう? 普通のマスカットのほうがおいしかったりして・・・。
自分用に購入した缶詰は、しばらく保管しておいて、何かの機会に食べてみようと思う。缶詰だから長持ちするから。(さて、いつ食することになるやら・・・)
ところで、Mさん、小学生相手の体験授業、ご苦労さんでした。うまくいったようで、よかったですね。私は新任の頃、4年間小学生相手に教師生活していました。
「小学生相手の授業」は、懐かしいですね。私が勤めていた最後の職場においても、入試説明会などを兼ねた「オープンスクール」がありました。その時、小学生対象の「体験授業」を、私も担当しました。たぶん毎年やっているのだと思います。
話題は変わりますが、短い期間の滞在型旅行とはいえ、枕が替わると眠りにくいものです。家に帰ってくると、なんとなくほっとします。でも、またしばらくすると旅に出たくなる・・・。その繰り返しです。
今回、一日だけはドライブで、備中高松城跡と山陽道宿場町「矢掛」に行ってきました。「矢掛」では、本陣・脇本陣が残されておりました。全国の宿場町で、本陣・脇本陣の両方が残っているのは「矢掛」だけだ、との説明を聞きました。どちらも見学しましたが、どちらも立派な建物でした。(内部は本陣だけ見学)。「矢掛」の町を散策して、建物を見て回り、時間を過ごしました。
水攻めにされた「備中高松城」跡にも行ってみましたが、なにもない、「跡」だけでした。いわゆる「観光地」にもなっていない感じのところでした。ほんとうに何もないんです・・・。周りは田んぼだけでした。天守閣が再建されることもなく・・・田や畑があるだけ・・・。城跡の看板がなければ、まったくわからない「城跡」でした。(公園にはなっていましたが)
岡山県立図書館で借りた本を読みきることができなかったので、必要なページをコピーしました。コピー代が高くつきましたが、後日またゆっくり読めるので、(コピーできることは)ありがたいことです。(昔、大分県の臼杵の図書館で手にした本も、コピーしたことがあります。)旅先の図書館に行ってみるのもおもしろいですよ。
今日は話題がばらばら・・・。
完
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2011/8/12
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
現代の中国について考えてみる
中国は、もうしばらくすれば、大混乱が起こるであろう。国内における「構造的差別」による暴動の激化である。(私の単なる予想にすぎないが・・・・)
どこの国にも差別問題はあるだろう。日本にだってある。しかし、現代日本においては、憲法上、差別はない。中国には、構造的差別がある。
それは、住んでいる場所による差別である。つまり、戸籍上の差別。「都市戸籍」か「農村戸籍」かという差別である。
農村戸籍で生まれた人は、都市で働こうとしても、就職がしにくい状況らしい。賃金差別もあるようである。現在の「農村部からの出稼ぎ」という状況は、ものすごい。中国の農村での生活は貧しく、多くの人が、都市部(北京や上海など沿海地域の都市)で働こうとする。都市部への出稼ぎ人は膨大な数である。そこで、就職差別が行われると、暴動が発生しやすい。
さらに、漢民族か少数民族かによっても差別があるようである。
モンゴル系の民族は差別されるので、中国から独立したがっている。中国政府はそういう動きを許すはずがない。なぜなら、その地域には地下資源が豊かなので、独立されると困るからである。
もっとも、モンゴル系の住民・地域を大切にするのなら、暴動は起こらないが、差別しているようである。中国の指導者はほとんど漢民族。漢民族以外への差別はきついようである。
住んでいる場所(農村か都市か)の違い、民族(漢民族か否か)の違いによる差別問題が大きくなると、暴動に発展するか、(内モンゴル地域では)独立運動に発展していくことになる。
その兆しがちらほらと報道されるようになってきた。実際は(報道規制している国なのだが)、厳しい状況になっているのかもしれない。わからないことが多いのが中国国内事情。 中国の指導者は危機を迎えているかもしれない。国民が「インターネット」と「携帯電話」を利用できる時代になったのだから。
中国指導部は焦っているらしい。
その現象の一例。
「農村戸籍」の人が、暴動を扇動する人を密告すれば、報奨金(日本円で約6万円ぐらい。中国人にとっては大金である。)と「都市戸籍」(就職しやすい)を与えるという方法を取り出しているようである。政府は「農村戸籍」の人々が反政府運動を起こすことを恐れているわけである。農村戸籍の人々を分断して団結しないように必死になっていることがわかる。汚いやり方だと思う。
しかし、いずれ、中国は内乱が起こるであろう。(すでに起こっている?)
とにかく、貧富の差が激しい国なので、今後どうなっていくか、注視していくべき国である。
1パーセントの国民が富んでも、ものすごい数である。その富んだ人たちが、日本やハワイ、シンガポールなどへ旅行しているわけである。その数もすごい数である。
放射能問題が落ち着けば、また日本へどっさり来るであろう。大阪での買い物客は中国人が多くなったものである。日本にとっては、いいことなのだが…、旅行などできない中国人のことが気になる。
暴動が多発しなければいいのだが・・・・・・。
以上、素人の私の「中国分析」であるが、参考になったでしょうか?
中国は、もうしばらくすれば、大混乱が起こるであろう。国内における「構造的差別」による暴動の激化である。(私の単なる予想にすぎないが・・・・)
どこの国にも差別問題はあるだろう。日本にだってある。しかし、現代日本においては、憲法上、差別はない。中国には、構造的差別がある。
それは、住んでいる場所による差別である。つまり、戸籍上の差別。「都市戸籍」か「農村戸籍」かという差別である。
農村戸籍で生まれた人は、都市で働こうとしても、就職がしにくい状況らしい。賃金差別もあるようである。現在の「農村部からの出稼ぎ」という状況は、ものすごい。中国の農村での生活は貧しく、多くの人が、都市部(北京や上海など沿海地域の都市)で働こうとする。都市部への出稼ぎ人は膨大な数である。そこで、就職差別が行われると、暴動が発生しやすい。
さらに、漢民族か少数民族かによっても差別があるようである。
モンゴル系の民族は差別されるので、中国から独立したがっている。中国政府はそういう動きを許すはずがない。なぜなら、その地域には地下資源が豊かなので、独立されると困るからである。
もっとも、モンゴル系の住民・地域を大切にするのなら、暴動は起こらないが、差別しているようである。中国の指導者はほとんど漢民族。漢民族以外への差別はきついようである。
住んでいる場所(農村か都市か)の違い、民族(漢民族か否か)の違いによる差別問題が大きくなると、暴動に発展するか、(内モンゴル地域では)独立運動に発展していくことになる。
その兆しがちらほらと報道されるようになってきた。実際は(報道規制している国なのだが)、厳しい状況になっているのかもしれない。わからないことが多いのが中国国内事情。 中国の指導者は危機を迎えているかもしれない。国民が「インターネット」と「携帯電話」を利用できる時代になったのだから。
中国指導部は焦っているらしい。
その現象の一例。
「農村戸籍」の人が、暴動を扇動する人を密告すれば、報奨金(日本円で約6万円ぐらい。中国人にとっては大金である。)と「都市戸籍」(就職しやすい)を与えるという方法を取り出しているようである。政府は「農村戸籍」の人々が反政府運動を起こすことを恐れているわけである。農村戸籍の人々を分断して団結しないように必死になっていることがわかる。汚いやり方だと思う。
しかし、いずれ、中国は内乱が起こるであろう。(すでに起こっている?)
とにかく、貧富の差が激しい国なので、今後どうなっていくか、注視していくべき国である。
1パーセントの国民が富んでも、ものすごい数である。その富んだ人たちが、日本やハワイ、シンガポールなどへ旅行しているわけである。その数もすごい数である。
放射能問題が落ち着けば、また日本へどっさり来るであろう。大阪での買い物客は中国人が多くなったものである。日本にとっては、いいことなのだが…、旅行などできない中国人のことが気になる。
暴動が多発しなければいいのだが・・・・・・。
以上、素人の私の「中国分析」であるが、参考になったでしょうか?
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2011/8/9
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑭
天声人語 辰濃和男(たつのかずお)氏の文章について
投稿日: 2009年9月26日 作成者:鬼井江
辰濃和男(たつのかずお)氏について
辰濃和男氏は1975年~1988年に『天声人語』を書いていた人である。現在は80歳前で、エッセイストとして元気に暮らしておられるであろう。私はこの人の書いた『天声人語』が好きだった。ある時は、私の授業でも使わせてもらったように思う。その辰濃氏が書かれたある文章で、「おやっ」と思ったことを今日は書いてみたい。
辰濃氏の文章より・・・(引用)
≪ とくに四十代~五十代にかけて『天声人語』を担当していたときは、ほんとうに激務でした。その日の原稿を書き終わってホッと一息つけるのは、二、三時間程度です。すぐに明日の執筆に備えなければなりません。息抜きのために街へ出かけ、食事をしたり、映画を見たり、人に会ったりしても、「これはネタになる、ならない」と考えてしまい、心の底からリラックスできませんでした。 ≫
という箇所を読んだとき、「辰濃氏は天声人語執筆で苦しんでおられたんだなあ・・・」と思いました。その苦しみはすごかったことでしょう。だから、あんなにすばらしい『天声人語』が日々書かれていたのだと改めて思ったしだいです。
私の場合、入学試験問題を作ることがたいへんな苦労だった。仕事とはいえ、書店で本を読んでいても、図書館で本を読んでいても「これは入学試験問題に使えるか、使えないか?」と考えてしまい、読書を「楽しむ」ことがほとんどできない状態でした。入学試験問題にできるどうかを考えながら、読書をしても楽しくはありません。仕事のために読書をすることになるからです。私の場合は、辰濃氏のレベルとは全く違う、低いレベルの苦しみでしたが、入学試験問題を作ることはそれなりにたいへん苦しいことでした。なかには、それほど苦しまずに「いい問題」を作れる人がいますが、私は苦しんでばかりでした。
退職して、一番うれしく思っていることは、「入学試験問題づくり」から解放されたことです。退職後は、書店に行くことも、図書館に行くこともほんとうに楽しいことになりました。退職して、1年半(注 2011年現在、約3年半経過)。現在は、入学試験問題づくりから解放されて、リラックスできている毎日です。「サンデー毎日」で、好きなことばかりして暮らしています。(お金のやりくりが、退職後はたいへんですが・・・)
ブログを続けることで、少しは文章が上達していくかもしれません。文章づくりにおける苦しみがあってこそ、「いい作品」「いい文章」が生まれるのだと思いますが、まだ退職後1年半(注 現在、約3年半)ですので、ぼちぼちやっていくことにします。
辰濃氏の苦しみを最近になって知ることができ、以前にもまして、この人が好きになりました。
完
天声人語 辰濃和男(たつのかずお)氏の文章について
投稿日: 2009年9月26日 作成者:鬼井江
辰濃和男(たつのかずお)氏について
辰濃和男氏は1975年~1988年に『天声人語』を書いていた人である。現在は80歳前で、エッセイストとして元気に暮らしておられるであろう。私はこの人の書いた『天声人語』が好きだった。ある時は、私の授業でも使わせてもらったように思う。その辰濃氏が書かれたある文章で、「おやっ」と思ったことを今日は書いてみたい。
辰濃氏の文章より・・・(引用)
≪ とくに四十代~五十代にかけて『天声人語』を担当していたときは、ほんとうに激務でした。その日の原稿を書き終わってホッと一息つけるのは、二、三時間程度です。すぐに明日の執筆に備えなければなりません。息抜きのために街へ出かけ、食事をしたり、映画を見たり、人に会ったりしても、「これはネタになる、ならない」と考えてしまい、心の底からリラックスできませんでした。 ≫
という箇所を読んだとき、「辰濃氏は天声人語執筆で苦しんでおられたんだなあ・・・」と思いました。その苦しみはすごかったことでしょう。だから、あんなにすばらしい『天声人語』が日々書かれていたのだと改めて思ったしだいです。
私の場合、入学試験問題を作ることがたいへんな苦労だった。仕事とはいえ、書店で本を読んでいても、図書館で本を読んでいても「これは入学試験問題に使えるか、使えないか?」と考えてしまい、読書を「楽しむ」ことがほとんどできない状態でした。入学試験問題にできるどうかを考えながら、読書をしても楽しくはありません。仕事のために読書をすることになるからです。私の場合は、辰濃氏のレベルとは全く違う、低いレベルの苦しみでしたが、入学試験問題を作ることはそれなりにたいへん苦しいことでした。なかには、それほど苦しまずに「いい問題」を作れる人がいますが、私は苦しんでばかりでした。
退職して、一番うれしく思っていることは、「入学試験問題づくり」から解放されたことです。退職後は、書店に行くことも、図書館に行くこともほんとうに楽しいことになりました。退職して、1年半(注 2011年現在、約3年半経過)。現在は、入学試験問題づくりから解放されて、リラックスできている毎日です。「サンデー毎日」で、好きなことばかりして暮らしています。(お金のやりくりが、退職後はたいへんですが・・・)
ブログを続けることで、少しは文章が上達していくかもしれません。文章づくりにおける苦しみがあってこそ、「いい作品」「いい文章」が生まれるのだと思いますが、まだ退職後1年半(注 現在、約3年半)ですので、ぼちぼちやっていくことにします。
辰濃氏の苦しみを最近になって知ることができ、以前にもまして、この人が好きになりました。
完
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