2011/7/18
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑥
投稿日: 2008年8月11日 作成者: 鬼井江
日本の三津(三大港)について
今日は港について考えてみようと思う。
津=港である。津の漢字がついたところはすべて港だと考えられる。日本の三津(さんしん)=三大港とは、どこであったのか。
現代日本なら、神戸・横浜・名古屋ぐらいかな? いや、東京・横浜・神戸かもしれない。貿易額で比べるとどうなるか・・・。(実際のところは調べていない。)
現代はさておいて、昔はどこであったのだろう? 知的好奇心から、ちょっと調べてみることにした。
そうすると、中国明代の中国側の資料によると、日本の三津は「坊津(鹿児島県)・博多津(福岡県)・安濃津(三重県津市)」となっていた。
なるほど、遣隋使や遣唐使の乗った船が利用したであろう港である。坊津と博多津は航路として中国に近い。貿易港としてもにぎわったことであろう。安濃津(津)が中国との貿易港として栄えたことはイメージしにくいが・・・。伊勢神宮が近いので、重要な港であったのだろう。これは私の想像にすぎない。
日本側(室町時代頃)の三津は、中国側とは少し違う。中世における三大港、つまり三津は、堺津(堺市)・博多津(福岡市)・安濃津(津市)だとなっている。
ここで、食い違っている坊津に関心が出てきた。坊津(ぼうのつ)について、知らないことが多いので調べてみようと思いはじめている。
鹿児島県の西側、リアス式海岸にある良港であったらしい。行ったことがないところなので、行けるものなら、行ってみたい。今はたいしたことのない港らしいが、昔は中国側から「三津」の一つとみなされていたのだ。
鹿児島県といえば、ザビエルが上陸したところである。ザビエルを日本に案内した「ヤジロウ」という青年(武士か海賊か?)の出身地は鹿児島である。
この「ヤジロウ」なる男について、もっと詳しく知りたくて仕方がない。9月になったら、「ヤジロウ」の出身地などをこの目で見てみたいと思っているところである。私は昔から、港や海賊(倭寇・村上水軍など)に興味があるので、それらについて調べることはおもしろい。本やインターネットで調べることもおもしろいが、現地に行って調べることはもっとおもしろい。お金はかかるが、旅行をかねて鹿児島県へ行きたいと思い始めている。この5月ごろに計画したが、計画倒れになってしまった。今度こそ、計画倒れにならないように実現したいと思っている。計画も旅行の楽しみである。(涼しくなった頃に出かけたいが・・・、さて?)
※文章にまとまりはないが…一応、完。
(注) その後、坊津へ一人旅してきた。天然の素晴らしい港であることを、この目で確かめた。現在はあまり栄えていない港であった。旅行者も少ない。
投稿日: 2008年8月11日 作成者: 鬼井江
日本の三津(三大港)について
今日は港について考えてみようと思う。
津=港である。津の漢字がついたところはすべて港だと考えられる。日本の三津(さんしん)=三大港とは、どこであったのか。
現代日本なら、神戸・横浜・名古屋ぐらいかな? いや、東京・横浜・神戸かもしれない。貿易額で比べるとどうなるか・・・。(実際のところは調べていない。)
現代はさておいて、昔はどこであったのだろう? 知的好奇心から、ちょっと調べてみることにした。
そうすると、中国明代の中国側の資料によると、日本の三津は「坊津(鹿児島県)・博多津(福岡県)・安濃津(三重県津市)」となっていた。
なるほど、遣隋使や遣唐使の乗った船が利用したであろう港である。坊津と博多津は航路として中国に近い。貿易港としてもにぎわったことであろう。安濃津(津)が中国との貿易港として栄えたことはイメージしにくいが・・・。伊勢神宮が近いので、重要な港であったのだろう。これは私の想像にすぎない。
日本側(室町時代頃)の三津は、中国側とは少し違う。中世における三大港、つまり三津は、堺津(堺市)・博多津(福岡市)・安濃津(津市)だとなっている。
ここで、食い違っている坊津に関心が出てきた。坊津(ぼうのつ)について、知らないことが多いので調べてみようと思いはじめている。
鹿児島県の西側、リアス式海岸にある良港であったらしい。行ったことがないところなので、行けるものなら、行ってみたい。今はたいしたことのない港らしいが、昔は中国側から「三津」の一つとみなされていたのだ。
鹿児島県といえば、ザビエルが上陸したところである。ザビエルを日本に案内した「ヤジロウ」という青年(武士か海賊か?)の出身地は鹿児島である。
この「ヤジロウ」なる男について、もっと詳しく知りたくて仕方がない。9月になったら、「ヤジロウ」の出身地などをこの目で見てみたいと思っているところである。私は昔から、港や海賊(倭寇・村上水軍など)に興味があるので、それらについて調べることはおもしろい。本やインターネットで調べることもおもしろいが、現地に行って調べることはもっとおもしろい。お金はかかるが、旅行をかねて鹿児島県へ行きたいと思い始めている。この5月ごろに計画したが、計画倒れになってしまった。今度こそ、計画倒れにならないように実現したいと思っている。計画も旅行の楽しみである。(涼しくなった頃に出かけたいが・・・、さて?)
※文章にまとまりはないが…一応、完。
(注) その後、坊津へ一人旅してきた。天然の素晴らしい港であることを、この目で確かめた。現在はあまり栄えていない港であった。旅行者も少ない。
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2011/7/15
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ⑤
(投稿日: 2007年12月27日のブログ内容です=。名前など匿名に変更 作成者:鬼井江)
グアム島での思い出
Mさんへ。マレーシアから来られている方が泊まっていかれたとのこと。Mさんの家は国際的ですね。
話題は変わりますが、インターネットというものをよく考えてみれば、すごい世界ですね。特に小説などを本にして出版しなくても、ブログなどに書く内容がインターネット利用によって(大げさですが)世界に発信していることになるのですから。
出版詐欺なんてことが発生していますが、本にして本屋さんに並べてもらおうと思うから、詐欺出版社の餌食になるのでしょうね。その人の書いた小説(自分史・随筆などの文章)が出版的価値を持つかどうかは、読者が決めることであって、作者がうぬぼれると出版詐欺師の手に落ちる道を歩むことになる。団塊の世代が、自費出版を薦められて、おだてられて、何百万円も出さされて、出版させられているらしい。そんな自費出版詐欺が横行し始めているとのこと。そういうことをしなくても、ブログに自分の小説(自分史・随筆などの文章)を発表するだけで十分である。もちろん無料でできるからありがたい。もし、価値があれば、自分からお金を出さなくても「本にしたい」という出版社が出てくるはずである。「売れる本」かどうかは、その道のプロが判断するから。
それにしても、ブログの内容が世界中に流れていることを思うと「すごいことだなあ」「すごい時代になったなあ」と、つくづく感心します。
今日から、私は冬休みに入ります。その気になったら、小説の続きでも・・・と思うこのごろです。忙しい2学期でした。むちゃくちゃ暑かった夏や暑い秋も終わりました。いい季節になりました。冬は夏よりも身体が楽です。だから、文章を書く季節としては、冬が好きです。また、3学期は、忙しくなりますが・・・。とにかく1月7日まではゆっくりできそうです。二年前は、マレーシアで正月を、一年前は沖縄でした。今年はどこにも行かず、パソコンに向かうことにします。ブログが長くなるかも・・・。
Yさんへ。クリスマスを教会で過ごしたとのこと。いい経験をしましたね。
私は教会で結婚式をしていますよ。それもグアム島でね。もう35年ほど前のこと・・・。このごろ教会で結婚式をされる方が増えているのですが、私が結婚した頃はまだ少ない時代でした。本当はハワイであげたかったのですが、お金のことを考えて、グアムになったわけです。他の先生に授業で迷惑をかけないように、夏休みに結婚式をあげました。グアムの裁判所らしきところで、「重婚ではない」(つまり、二人とも独身であるという)証明書を発行してもらってから、教会で式をあげました。よく分からない英語で誓いの言葉を述べました。その言葉をカンニングペーパーに書いて覚えたのを思い出しますよ。あれから、約35年です。機会があれば、グアムに行って、式を挙げた教会が今も存在するのかを確かめたいと思っています。若かった頃と再会するために。
(注) 私がグアム島の教会で結婚式を挙げたのは、38年前のことで、25歳でした。二人だけでは寂しいだろうということで、姉夫婦が結婚式に参加してくれました。4人と旅行業者が現地で手配してくれた結婚式世話人2人の、合計6人だけの結婚式でした。
妻はかさばるウエディングドレスをスーツケースに詰めて持参、私も紺色のスーツなどを持参。荷物がたいへんでした。国際便は羽田空港だけの時代でした。伊丹から、羽田へ飛んで、羽田で一泊。グアム島まで、大阪からは時間のかかる時代でした。今は関空から行けますので、便利ですね。
Mさんのお嬢様が、近日中にグアム島で結婚式を挙げられる予定とのこと。グアム島での結婚式ということで、昔のブログを読み直していたら、懐かしくなり、本日、上記内容のブログを再掲しました。
Mさん、もうすぐですね。気をつけて行って来てください。
2011年7月15日追記 鬼井江
(投稿日: 2007年12月27日のブログ内容です=。名前など匿名に変更 作成者:鬼井江)
グアム島での思い出
Mさんへ。マレーシアから来られている方が泊まっていかれたとのこと。Mさんの家は国際的ですね。
話題は変わりますが、インターネットというものをよく考えてみれば、すごい世界ですね。特に小説などを本にして出版しなくても、ブログなどに書く内容がインターネット利用によって(大げさですが)世界に発信していることになるのですから。
出版詐欺なんてことが発生していますが、本にして本屋さんに並べてもらおうと思うから、詐欺出版社の餌食になるのでしょうね。その人の書いた小説(自分史・随筆などの文章)が出版的価値を持つかどうかは、読者が決めることであって、作者がうぬぼれると出版詐欺師の手に落ちる道を歩むことになる。団塊の世代が、自費出版を薦められて、おだてられて、何百万円も出さされて、出版させられているらしい。そんな自費出版詐欺が横行し始めているとのこと。そういうことをしなくても、ブログに自分の小説(自分史・随筆などの文章)を発表するだけで十分である。もちろん無料でできるからありがたい。もし、価値があれば、自分からお金を出さなくても「本にしたい」という出版社が出てくるはずである。「売れる本」かどうかは、その道のプロが判断するから。
それにしても、ブログの内容が世界中に流れていることを思うと「すごいことだなあ」「すごい時代になったなあ」と、つくづく感心します。
今日から、私は冬休みに入ります。その気になったら、小説の続きでも・・・と思うこのごろです。忙しい2学期でした。むちゃくちゃ暑かった夏や暑い秋も終わりました。いい季節になりました。冬は夏よりも身体が楽です。だから、文章を書く季節としては、冬が好きです。また、3学期は、忙しくなりますが・・・。とにかく1月7日まではゆっくりできそうです。二年前は、マレーシアで正月を、一年前は沖縄でした。今年はどこにも行かず、パソコンに向かうことにします。ブログが長くなるかも・・・。
Yさんへ。クリスマスを教会で過ごしたとのこと。いい経験をしましたね。
私は教会で結婚式をしていますよ。それもグアム島でね。もう35年ほど前のこと・・・。このごろ教会で結婚式をされる方が増えているのですが、私が結婚した頃はまだ少ない時代でした。本当はハワイであげたかったのですが、お金のことを考えて、グアムになったわけです。他の先生に授業で迷惑をかけないように、夏休みに結婚式をあげました。グアムの裁判所らしきところで、「重婚ではない」(つまり、二人とも独身であるという)証明書を発行してもらってから、教会で式をあげました。よく分からない英語で誓いの言葉を述べました。その言葉をカンニングペーパーに書いて覚えたのを思い出しますよ。あれから、約35年です。機会があれば、グアムに行って、式を挙げた教会が今も存在するのかを確かめたいと思っています。若かった頃と再会するために。
(注) 私がグアム島の教会で結婚式を挙げたのは、38年前のことで、25歳でした。二人だけでは寂しいだろうということで、姉夫婦が結婚式に参加してくれました。4人と旅行業者が現地で手配してくれた結婚式世話人2人の、合計6人だけの結婚式でした。
妻はかさばるウエディングドレスをスーツケースに詰めて持参、私も紺色のスーツなどを持参。荷物がたいへんでした。国際便は羽田空港だけの時代でした。伊丹から、羽田へ飛んで、羽田で一泊。グアム島まで、大阪からは時間のかかる時代でした。今は関空から行けますので、便利ですね。
Mさんのお嬢様が、近日中にグアム島で結婚式を挙げられる予定とのこと。グアム島での結婚式ということで、昔のブログを読み直していたら、懐かしくなり、本日、上記内容のブログを再掲しました。
Mさん、もうすぐですね。気をつけて行って来てください。
2011年7月15日追記 鬼井江
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2011/7/13
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ④
以下の文章は、1995年発行のある学校図書館報に掲載された内容です。
読書は心の鏡
鬼井江
「先生、どうして本なんか読む必要があるのですか?」「どうして読めばわかることをごちゃごちゃと授業するのですか?」
今、思い出してみれば、恥ずかしい質問をしたものである。中学時代の国語の授業中のことであった。
私は中学時代から高二まで数学が好きだった。数学の勉強は家でも学校でも楽しかった。特に難問を解いたときは快感を味わったものだ。一方、国語は嫌いであった。読書はなおさら嫌いであった。
だから冒頭のような質問を国語科の先生にしたのであろう。
高三になって人生に悩み始めた。「人生、何のために生きるのだろう。」 そんな内容の悩みであった。考えても考えても数式を解くようには答えが出ない。数学への興味が薄れ、電波への興味をも失っていった(ちなみに私はモールス信号を使う通信士養成の高校を卒業している)。
成績は下がる一方であった。学習意欲を失うと学校の成績はずるずると下がった。通信士の国家試験も不合格のまま卒業。
高三時代、学校の勉強はあまりしなかったが、「読書」はした。本が読みたくて読みたくてしかたがなかった。高三になり、軟式テニス部を引退してからは、読む時間はたっぶりあった。トルストイ、ドストエフスキー、夏目漱石、芥川龍之介などの文学作品。カント、ヘーゲル、スピノザ、サルトル、フォイエルバッバ、ニーチェなど学校図書館にある
哲学書をどんどん読んだ。しかし、読解力の乏しい私には中身がよくわからなかったらしい。
「人生、何のために生きるのか」という問いに対する答えは簡単には見つからなかった。
卒業が近づいたある日、椎名麟三(しいなりんぞう)という作家が書いた『重き流れの中に』という作品に出合うことができた。
「これや!」と思った。
人生の問いに対する直接的答えではなかったが、主人公の心が、私の心のもやもやを代弁してくれているように思ったのだ。苦しみの中で、「自分の心とはっきり出合った」ような気がした。自分の姿を鏡で見ることができるように、「本という鏡」によって自分の心を見ることができたのだった。
人間というものは、自分のことがわからなくなるときがある。人生に悩むときは、自分がますますわからなくなる。そんなときの一冊の本との出合いが、迷いの中にいる者に出口を示してくれたのだった。
椎名麟三との出会いは、キルケゴールの世界への誘いとなり、『死に至る病』というすばらしい本との出合いつながっていった。大学へも行きたくなった。同級生は全員就職したが、私は浪人した。あんなに好きだった数学の世界が苦手になり、大学は文系を選んだ。読書がきっかけになり理系から文系へ方向転換した。
現在、私は国語の教師をしている。「読めばわかることをごちゃごちゃと授業するのですか?」という質問をする生徒に、何と答えようか……と考えつつ教師をして二十四年になる。
(注・2008年に36年間の教師生活を終えて、2011年の現在は晴耕雨読の生活をしている。)
敬老の日のテレビ番組で、九十九才になる木工職人が紹介されていた。休憩のために喫茶店に行くシーンがあった。私はその老人が手に持っている本に目をとめた。おやっと思った。その老人の持っていた本は『死に至る病』だったのだ。
「ウーン」と私は心の中でうなっていた。その老人の人生を知らないが、その老人の心を想像することはできた。そして、親近感さえ感じることができたのだった。「あの人も私と同じように、<死に至らない病>を求めて生きてきたのだ」と。
その人の愛読書は、その人の心を見る鏡なのだと思う。そして自分を知るために、人の心を見るために、「読書」は人生の案内人になってくれると信じている。
以下の文章は、1995年発行のある学校図書館報に掲載された内容です。
読書は心の鏡
鬼井江
「先生、どうして本なんか読む必要があるのですか?」「どうして読めばわかることをごちゃごちゃと授業するのですか?」
今、思い出してみれば、恥ずかしい質問をしたものである。中学時代の国語の授業中のことであった。
私は中学時代から高二まで数学が好きだった。数学の勉強は家でも学校でも楽しかった。特に難問を解いたときは快感を味わったものだ。一方、国語は嫌いであった。読書はなおさら嫌いであった。
だから冒頭のような質問を国語科の先生にしたのであろう。
高三になって人生に悩み始めた。「人生、何のために生きるのだろう。」 そんな内容の悩みであった。考えても考えても数式を解くようには答えが出ない。数学への興味が薄れ、電波への興味をも失っていった(ちなみに私はモールス信号を使う通信士養成の高校を卒業している)。
成績は下がる一方であった。学習意欲を失うと学校の成績はずるずると下がった。通信士の国家試験も不合格のまま卒業。
高三時代、学校の勉強はあまりしなかったが、「読書」はした。本が読みたくて読みたくてしかたがなかった。高三になり、軟式テニス部を引退してからは、読む時間はたっぶりあった。トルストイ、ドストエフスキー、夏目漱石、芥川龍之介などの文学作品。カント、ヘーゲル、スピノザ、サルトル、フォイエルバッバ、ニーチェなど学校図書館にある
哲学書をどんどん読んだ。しかし、読解力の乏しい私には中身がよくわからなかったらしい。
「人生、何のために生きるのか」という問いに対する答えは簡単には見つからなかった。
卒業が近づいたある日、椎名麟三(しいなりんぞう)という作家が書いた『重き流れの中に』という作品に出合うことができた。
「これや!」と思った。
人生の問いに対する直接的答えではなかったが、主人公の心が、私の心のもやもやを代弁してくれているように思ったのだ。苦しみの中で、「自分の心とはっきり出合った」ような気がした。自分の姿を鏡で見ることができるように、「本という鏡」によって自分の心を見ることができたのだった。
人間というものは、自分のことがわからなくなるときがある。人生に悩むときは、自分がますますわからなくなる。そんなときの一冊の本との出合いが、迷いの中にいる者に出口を示してくれたのだった。
椎名麟三との出会いは、キルケゴールの世界への誘いとなり、『死に至る病』というすばらしい本との出合いつながっていった。大学へも行きたくなった。同級生は全員就職したが、私は浪人した。あんなに好きだった数学の世界が苦手になり、大学は文系を選んだ。読書がきっかけになり理系から文系へ方向転換した。
現在、私は国語の教師をしている。「読めばわかることをごちゃごちゃと授業するのですか?」という質問をする生徒に、何と答えようか……と考えつつ教師をして二十四年になる。
(注・2008年に36年間の教師生活を終えて、2011年の現在は晴耕雨読の生活をしている。)
敬老の日のテレビ番組で、九十九才になる木工職人が紹介されていた。休憩のために喫茶店に行くシーンがあった。私はその老人が手に持っている本に目をとめた。おやっと思った。その老人の持っていた本は『死に至る病』だったのだ。
「ウーン」と私は心の中でうなっていた。その老人の人生を知らないが、その老人の心を想像することはできた。そして、親近感さえ感じることができたのだった。「あの人も私と同じように、<死に至らない病>を求めて生きてきたのだ」と。
その人の愛読書は、その人の心を見る鏡なのだと思う。そして自分を知るために、人の心を見るために、「読書」は人生の案内人になってくれると信じている。
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2011/7/8
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
過去に書いた文章の再掲シリーズ①
投稿日: 2009年6月26日 作成者:鬼井江
(2009年)6月26日付 朝日新聞朝刊記事「定年後の『依存症』深刻」を読んで。
仕事一筋で生きてきた人たちが、定年退職を機に酒やギャンブルにはまってしまう『定年性依存症』が問題になっている。」という記事。
団塊の世代が特に多いらしい。することがなくなって時間だけがたっぷりある生活に入ってしばらくすると、退屈し始めるのだろう。アルコールにおぼれ始める人。ギャンブル(パチンコや競馬・競輪など)におぼれ始める人。中には「出会い系・・・」におぼれ始める人もいるようである。
初めは少しだけ・・・というところから始まるらしい。人間誰でも初めはおそるおそるスタートしていくものだ。アルコールの好きな人もいきなりアルコール依存症にまで行ってしまうわけではないだろう。退職後に現役時代以上に多くなっていく人がアルコール依存症になるのだろう。(ちなみに、私の場合は、どういうわけか「ほとんど飲めない体質」で生まれてきたので、この歳になってもほとんど飲めないままである。少しビールは飲むが、たくさんは飲めない体質である。)
ギャンブル依存症になる人はたいへんだろう。お金が持たないだろう。どうがんばっても全体的には「負ける」のが、ギャンブルである。ほどほどの負け方ならまだましだが、依存症になってしまうと半端な負け方ではなくなってくる。年金収入による予算生活が破綻してしまうことになる。「退職金」に手を付け出すと、すぐになくなってしまうという結果をもたらす。ギャンブル依存症はある意味で一番恐ろしいかもしれない。ギャンブルはおもしろいので、はまってしまうとたいへんである。
いろいろ「定年性依存症」になっていった人の具体例が新聞記事に書かれていたので、私自身の退職後の生活と対比させて読むことができた。今のところ、私の生活は(記事で取り上げている)「定年性依存症」を引き起こしていないようである。畑で忙しいので、退屈はしていないし、予算の範囲で旅行を楽しんでいる生活が続いている。旅に出ると、しばらくすると帰りたくなるのだが、家でしばらくいると、また旅に出たくなる。毎月のようにどこかに出かけたくなってしまうので、「旅行依存症」(?)になっているのかもしれないが・・・。これも病気かな? まあ、しかし、予算の範囲の貧乏旅行がほとんどだから、年金生活は破綻していかないだろうと予測している。晴耕雨読はそれほどお金がかからない。図書館利用中心だから、本代もそれほどかかっていない。それに、このブログは無料である。文章を書くって、結構時間がかかるものです。(今日は結構長い時間かかって文章を打っている。ブログものめりこむと夢中になる。夢中になると時間を忘れるものです。これも、楽しい。)
「畑」をやっている人ならよくおわかりだろうが、「結構忙しい」・「おもしろい」・「収穫したものがうまい」・「健康的である」など、いいことが多い。精神的にもいいことが多い。
田舎暮らしでいいことの一番は「やることがある」ということだろう。都会で田舎暮らしらしきものをするためには、「家庭菜園」しかないだろう。釣りもいいかもしれない・・・。(もっとも都会ではあまり釣れないが。)
とにかく、やることがある人は「定年性依存症」にかからずに、定年後の生活をしていけるだろう。
「やることがない人」の定年後は・・・心配ですね。「やりたいこと」がない人は、ある意味で不幸なのかもしれない。
そういう人って、結構いるらしい・・・。
団塊の世代の友人たちよ、「家庭菜園」はいいですよ! (完)
過去に書いた文章の再掲シリーズ②
投稿日: 2006年9月24日 作成者:鬼井江
「山寺」へ
松尾芭蕉が「奥の細道」で行っている、山寺「立石寺」に今年の夏休みに行って来た。
「行きたい!行きたい!」と思っていた所に58歳になって初めて行けたので感激した。 行って来てから、もうすでに一ヶ月以上経つが、「やっぱり旅行はいいものだ」とつくづく思う。
私はやっぱり旅行が好きだ。松尾芭蕉が旅行をこよなく愛したのもよくわかる。旅行中に死んだ人も 多いらしいが、好きなことをしている最中に死ねればそれに越したことはないのだろう。だから私も将来 旅行中に死ぬことになるのなら、それはそれで本望である。
とにかく死ぬまでには書きたいことを書いて作品を完成させたいのだ。頭の中だけで、未完成のまま死にたくはないと思いつつ現在を生きている。
いつまで経っても未完成のままで終わるかもしれない・・・。
それはそれでいい。才能があれば完成するだろう。才能がなければ完成しないだろう。人間の才能の有無は「やってみないとわからない」。
「やってみないとわからない」からこそ人間ってすばらしいのだと思う。好きなことを好きなだけやって、そこで何かに出会いたい。
もうすぐそんな生き方を始めたいと思っている。仕事が旅行だと最高なんだが・・・。私の仕事は今は「旅行」ではない。
松尾芭蕉は「仕事が旅行」だったんだと私は思っている。
「仕事が旅行」・・・? 江戸時代のそんな仕事とは・・・?
「松尾芭蕉は忍者だった。」という説を私は信じている。忍者として全国を調査して幕府に報告していた、そういう「隠密」忍者だったと思っている。 だから、松尾芭蕉は「仕事が旅行」だったのだ。このことを証明するために研究をするのもおもしろそうだが、いまのところ、その説を信じる程度のレベル(の私)である。 (完)
過去に書いた文章の再掲シリーズ③
投稿日: 2006年11月11日 作成者:鬼井江
健康
日曜日だというのに、朝早く目が覚めてしまう。一種の老化現象なのであろう。
今日はまだましだ。ひどいときは午前3時頃の時がある。若い頃は何時まででも眠ることができた。
このごろは、睡眠時間が5時間以上だと体調がよい。3時間ぐらいだと何となくしんどい。理想的には、6時間以上眠りたいと思うが、最近は6時間以上連続して眠ったことがない。身体を横にしているが、 ぐっすり眠ったわけではないので、朝、身体がしんどい感覚で出勤することになる。
A先生が一学期で 退職なさった。体調がかなりお悪いようであったから、健康第一を選択されたのだろう。今は元気になられたということを最近、耳にした。65歳まで仕事をされたのだから、肉体的にもきつかったのだろうと考えられる。
私はもっと早く退職しようと思っている。今のところ、睡眠時間が少ない日でも、なんとかがんばって気合いを入れて授業をしているつもりだ。生徒たちとは年齢がずいぶん離れているが、人間としての思いは 同じになれると信じてやっている。生徒のために、愛情と信念を持って指導しているつもりだが、生徒の側からすれば、「注意ばっかりする教師」に見えるかもしれないだろう。
私は教師を35年やってきている。いろいろ反省の多い 教師生活であるが、「愛情と信念」を忘れずにやってきたつもり。現在勤めている学校にはそれほど悪い生徒はいない。むしろ「いい生徒」ばかりだ。
しかし、「心が心配になる生徒」は意外に多い。私はカウンセラーではないので、心の面でたいした力にもなれないが、生徒たちのこころをを応援する気持ちは持っている。
現代の子どもはいろいろな面で大変だ。幼児期や小学生の頃に、「みんなで遊ぶ」ことをあまり経験していない子どもの心が特に気になる。
「みんなで自由に遊ぶ」ことを現代の子どもはやってきていないので、心が育っていない中学生が多い。
どういうことかは中学生自身にはわかりにくいだろうが、「子どもの時に遊んでいない」人間の心は、抵抗力が弱くなりがちだと私は考えている。教師生活の経験から。 相手の心を推し量る力も乏しい。善悪を見極める力も乏しい。心が育っていないからだろう。
自殺予告の手紙を文科大臣に出した東京の生徒よ、どうか死なないでほしい。いじめられて追いつめられて「死ぬ」ことを考えたのだろうが、どうか死なないでほしい。学校を転校することも一つの解決になることもあるのだから。
人間、環境を変えると「心」も変化するものですよ。
私の場合は、経済的に可能な範囲(お金持ちではないので少ししかできないだろうが・・・)で、退職後は海外ロングステイをしたいと思っている。環境を変えて人生を新しく生きるために。 退職後のために貯金もするようにしている。子どもに教育費がかからなくなってからは、比較的、貯金もしやすくなっている。
とにかく、あと何年かは、睡眠不足の日を抱えながらもがんばって働きたい。「愛情と信念」で、生徒とともに生活がしたい。
心は二十歳。(肉体は58歳)
がんばろう!! (完)
*注 退職して3年余り経っている現在、「海外ロングステイ」は実現していない。テレビ番組の『世界街歩き』などの番組ばかり見ているうちに、海外ロングステイへの気持ちが少し冷めてしまった。退職後脳梗塞を起こしたことや20日間ぐらいの長期国内旅行(北海道へ2回)や短期滞在型国内旅行(石垣島・宮古島・五島列島など)をしてみて、「日本がいいなあ」と思うようになっている。
投稿日: 2009年6月26日 作成者:鬼井江
(2009年)6月26日付 朝日新聞朝刊記事「定年後の『依存症』深刻」を読んで。
仕事一筋で生きてきた人たちが、定年退職を機に酒やギャンブルにはまってしまう『定年性依存症』が問題になっている。」という記事。
団塊の世代が特に多いらしい。することがなくなって時間だけがたっぷりある生活に入ってしばらくすると、退屈し始めるのだろう。アルコールにおぼれ始める人。ギャンブル(パチンコや競馬・競輪など)におぼれ始める人。中には「出会い系・・・」におぼれ始める人もいるようである。
初めは少しだけ・・・というところから始まるらしい。人間誰でも初めはおそるおそるスタートしていくものだ。アルコールの好きな人もいきなりアルコール依存症にまで行ってしまうわけではないだろう。退職後に現役時代以上に多くなっていく人がアルコール依存症になるのだろう。(ちなみに、私の場合は、どういうわけか「ほとんど飲めない体質」で生まれてきたので、この歳になってもほとんど飲めないままである。少しビールは飲むが、たくさんは飲めない体質である。)
ギャンブル依存症になる人はたいへんだろう。お金が持たないだろう。どうがんばっても全体的には「負ける」のが、ギャンブルである。ほどほどの負け方ならまだましだが、依存症になってしまうと半端な負け方ではなくなってくる。年金収入による予算生活が破綻してしまうことになる。「退職金」に手を付け出すと、すぐになくなってしまうという結果をもたらす。ギャンブル依存症はある意味で一番恐ろしいかもしれない。ギャンブルはおもしろいので、はまってしまうとたいへんである。
いろいろ「定年性依存症」になっていった人の具体例が新聞記事に書かれていたので、私自身の退職後の生活と対比させて読むことができた。今のところ、私の生活は(記事で取り上げている)「定年性依存症」を引き起こしていないようである。畑で忙しいので、退屈はしていないし、予算の範囲で旅行を楽しんでいる生活が続いている。旅に出ると、しばらくすると帰りたくなるのだが、家でしばらくいると、また旅に出たくなる。毎月のようにどこかに出かけたくなってしまうので、「旅行依存症」(?)になっているのかもしれないが・・・。これも病気かな? まあ、しかし、予算の範囲の貧乏旅行がほとんどだから、年金生活は破綻していかないだろうと予測している。晴耕雨読はそれほどお金がかからない。図書館利用中心だから、本代もそれほどかかっていない。それに、このブログは無料である。文章を書くって、結構時間がかかるものです。(今日は結構長い時間かかって文章を打っている。ブログものめりこむと夢中になる。夢中になると時間を忘れるものです。これも、楽しい。)
「畑」をやっている人ならよくおわかりだろうが、「結構忙しい」・「おもしろい」・「収穫したものがうまい」・「健康的である」など、いいことが多い。精神的にもいいことが多い。
田舎暮らしでいいことの一番は「やることがある」ということだろう。都会で田舎暮らしらしきものをするためには、「家庭菜園」しかないだろう。釣りもいいかもしれない・・・。(もっとも都会ではあまり釣れないが。)
とにかく、やることがある人は「定年性依存症」にかからずに、定年後の生活をしていけるだろう。
「やることがない人」の定年後は・・・心配ですね。「やりたいこと」がない人は、ある意味で不幸なのかもしれない。
そういう人って、結構いるらしい・・・。
団塊の世代の友人たちよ、「家庭菜園」はいいですよ! (完)
過去に書いた文章の再掲シリーズ②
投稿日: 2006年9月24日 作成者:鬼井江
「山寺」へ
松尾芭蕉が「奥の細道」で行っている、山寺「立石寺」に今年の夏休みに行って来た。
「行きたい!行きたい!」と思っていた所に58歳になって初めて行けたので感激した。 行って来てから、もうすでに一ヶ月以上経つが、「やっぱり旅行はいいものだ」とつくづく思う。
私はやっぱり旅行が好きだ。松尾芭蕉が旅行をこよなく愛したのもよくわかる。旅行中に死んだ人も 多いらしいが、好きなことをしている最中に死ねればそれに越したことはないのだろう。だから私も将来 旅行中に死ぬことになるのなら、それはそれで本望である。
とにかく死ぬまでには書きたいことを書いて作品を完成させたいのだ。頭の中だけで、未完成のまま死にたくはないと思いつつ現在を生きている。
いつまで経っても未完成のままで終わるかもしれない・・・。
それはそれでいい。才能があれば完成するだろう。才能がなければ完成しないだろう。人間の才能の有無は「やってみないとわからない」。
「やってみないとわからない」からこそ人間ってすばらしいのだと思う。好きなことを好きなだけやって、そこで何かに出会いたい。
もうすぐそんな生き方を始めたいと思っている。仕事が旅行だと最高なんだが・・・。私の仕事は今は「旅行」ではない。
松尾芭蕉は「仕事が旅行」だったんだと私は思っている。
「仕事が旅行」・・・? 江戸時代のそんな仕事とは・・・?
「松尾芭蕉は忍者だった。」という説を私は信じている。忍者として全国を調査して幕府に報告していた、そういう「隠密」忍者だったと思っている。 だから、松尾芭蕉は「仕事が旅行」だったのだ。このことを証明するために研究をするのもおもしろそうだが、いまのところ、その説を信じる程度のレベル(の私)である。 (完)
過去に書いた文章の再掲シリーズ③
投稿日: 2006年11月11日 作成者:鬼井江
健康
日曜日だというのに、朝早く目が覚めてしまう。一種の老化現象なのであろう。
今日はまだましだ。ひどいときは午前3時頃の時がある。若い頃は何時まででも眠ることができた。
このごろは、睡眠時間が5時間以上だと体調がよい。3時間ぐらいだと何となくしんどい。理想的には、6時間以上眠りたいと思うが、最近は6時間以上連続して眠ったことがない。身体を横にしているが、 ぐっすり眠ったわけではないので、朝、身体がしんどい感覚で出勤することになる。
A先生が一学期で 退職なさった。体調がかなりお悪いようであったから、健康第一を選択されたのだろう。今は元気になられたということを最近、耳にした。65歳まで仕事をされたのだから、肉体的にもきつかったのだろうと考えられる。
私はもっと早く退職しようと思っている。今のところ、睡眠時間が少ない日でも、なんとかがんばって気合いを入れて授業をしているつもりだ。生徒たちとは年齢がずいぶん離れているが、人間としての思いは 同じになれると信じてやっている。生徒のために、愛情と信念を持って指導しているつもりだが、生徒の側からすれば、「注意ばっかりする教師」に見えるかもしれないだろう。
私は教師を35年やってきている。いろいろ反省の多い 教師生活であるが、「愛情と信念」を忘れずにやってきたつもり。現在勤めている学校にはそれほど悪い生徒はいない。むしろ「いい生徒」ばかりだ。
しかし、「心が心配になる生徒」は意外に多い。私はカウンセラーではないので、心の面でたいした力にもなれないが、生徒たちのこころをを応援する気持ちは持っている。
現代の子どもはいろいろな面で大変だ。幼児期や小学生の頃に、「みんなで遊ぶ」ことをあまり経験していない子どもの心が特に気になる。
「みんなで自由に遊ぶ」ことを現代の子どもはやってきていないので、心が育っていない中学生が多い。
どういうことかは中学生自身にはわかりにくいだろうが、「子どもの時に遊んでいない」人間の心は、抵抗力が弱くなりがちだと私は考えている。教師生活の経験から。 相手の心を推し量る力も乏しい。善悪を見極める力も乏しい。心が育っていないからだろう。
自殺予告の手紙を文科大臣に出した東京の生徒よ、どうか死なないでほしい。いじめられて追いつめられて「死ぬ」ことを考えたのだろうが、どうか死なないでほしい。学校を転校することも一つの解決になることもあるのだから。
人間、環境を変えると「心」も変化するものですよ。
私の場合は、経済的に可能な範囲(お金持ちではないので少ししかできないだろうが・・・)で、退職後は海外ロングステイをしたいと思っている。環境を変えて人生を新しく生きるために。 退職後のために貯金もするようにしている。子どもに教育費がかからなくなってからは、比較的、貯金もしやすくなっている。
とにかく、あと何年かは、睡眠不足の日を抱えながらもがんばって働きたい。「愛情と信念」で、生徒とともに生活がしたい。
心は二十歳。(肉体は58歳)
がんばろう!! (完)
*注 退職して3年余り経っている現在、「海外ロングステイ」は実現していない。テレビ番組の『世界街歩き』などの番組ばかり見ているうちに、海外ロングステイへの気持ちが少し冷めてしまった。退職後脳梗塞を起こしたことや20日間ぐらいの長期国内旅行(北海道へ2回)や短期滞在型国内旅行(石垣島・宮古島・五島列島など)をしてみて、「日本がいいなあ」と思うようになっている。
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2011/6/29
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
(今日は随筆を書いてみました。)
心を贈るハンコ (随筆)
鬼井江
「ハンコを贈っていただき、ありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。あなたの名前を彫りたかったのです。」
大げさな表現かもしれないが、贈り物をする行為が「生きる張り合い」をもたらしてくれることがある。「心」を贈る相手、その存在が幸せをもたらしてくれる。自作のハンコを贈ったとき、そのことを強く感じた。
「あの人」に感謝の心を贈りたいと思いつつ、何を贈ろうかと迷っていた。
「そうだ、あの人の名前をハンコにしよう!」と思った。
さっそく、篆刻(てんこく)テキスト本を手に入れて、それにしたがってやってみた。
我流。やはり難しい。なんとか読める字が彫れるようになったとき、『彫る喜び』がわいてきた。「あの人」の名前がハンコになった瞬間、「心」が字に宿った気がした。
私の手元に石のハンコがある。30年ほど前にある生徒からプレゼントしてもらったものである。引き出しにしまっておける小さな石。邪魔にならない大きさ。それゆえだろうか・・・?
誰からのプレゼントであったのか、今となってはまったくわからない。
「生徒が作った石のハンコですよ、受け取ってくださいね。」と同僚の先生から渡され、軽い気持ちで受け取って、机の引き出しにしまったままになったのである。ほんの軽い気持ちで受け取ったハンコ。そのとき、ハンコを作ってくれた生徒の名前を聞いておけばよかったのに、聞きもしなかった。「感謝の気持ちが薄い教師」であった。(今は後悔している。)
机の引き出しにしまいこんで使う機会もなく、20年が過ぎてしまった。20年間、そのハンコを使うことがなく、机の中で眠ってしまったことになる。勤務先が変わってもハンコは邪魔にならないので、(退職する時まで)勤務した学校の机の引き出しにあった。邪魔にならない大きさだったからであろう。
退職する5年ほど前から「そのハンコ」を使うようになっていった。教え子たちに色紙をプレゼントする機会があり、色紙の名前の下に押した。色紙にハンコを押すと、色紙全体がぐっと引き締まる気がした。
私にとっては、ありがたいハンコ。感謝のハンコ。
「こんなハンコを作りたい!」という思いが、退職後2年して(62歳になって)初めて目覚めた。
自分が篆刻をやってみて、「ハンコ作り」の難しさがやっとわかった。やっとわかったのだ! 人間、60歳を過ぎて「やっとわかる」こともあるのだ。「ある生徒」がかなり上手に彫ってくれていることにもやっと気がついた。ほんとうにいい作品をありがとう!
プレゼントしてくれた生徒の名前は永遠にわからないかもしれないが、知ることができれば、一言「ありがとう! 私が今度はハンコを(君への感謝の心で)プレゼントしているよ。 君のお陰で彫る喜びを与えてもらったよ。」と言いたい。(風の便りで、このブログ内容が君に届くかもしれない・・・と祈っている。)
「心」を贈ることは難しい。今までいろんな贈り物をしてきたが、はたして「心」を贈ることができていたのだろうか? 贈るものによっては相手に負担をかけることがある。「有難い」は、「アイ ハブ トラブル」という要素を含んでいるから。トラブル解消のためになされる「お返し」もある。
そうしなければならないケースも多い。だから、相手に負担をかけることになってしまうプレゼントは、気をつけなければならない。
その点、ハンコは相手に負担をかけることが少ない。ハンコの材料(消しゴム・木・石)は安価なものでいいと思っている。心を彫ることが大切だから。
贈り物をして、相手に喜んでもらえた時、「こちらこそ喜びがわいてくる。作ったものであれば、創作したことへの喜びはなおさら大きい。
プレゼントは「共に喜び合う」行為なのだ。
定年退職後に始めた「篆刻」。篆刻文字を消しゴムや石に彫ることは難しい。
しかし、
「ヘェー、ハンコを贈ってくれたの!」・「私の名前を彫ってくれたのよ!」・「私も欲しい!」
そんな反応がうれしい。
とにかく、相手に負担をかけないかどうか、気を配っていこうと思っている。
篆刻作品のプレゼントは喜ばれることが多い。相手に喜んでもらえると「彫った喜びがさらに湧き上がる」。下手な作品であっても「下手さ」がわかりにくいのが、篆刻作品である。
私は、まだまだ初心者。誰に習ったわけでもないが、我流のハンコづくりを今後とも続けていきたい。共に喜び合えるために。
名前のわからない「ある生徒」への感謝の気持ちを忘れずに。
完
*篆刻(読み方=てんこく を後日、追加記入しました。)
*「同僚の先生」とは、25年以上音信不通のため、「ある生徒」の名前は未だにわかっていません。現在、ひょっとしたら「篆刻」の世界で活躍されている方かもしませんね。
この文章に対してのコメントや拍手コメントありがとうございました。書いてみてよかったです。
心を贈るハンコ (随筆)
鬼井江
「ハンコを贈っていただき、ありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございました。あなたの名前を彫りたかったのです。」
大げさな表現かもしれないが、贈り物をする行為が「生きる張り合い」をもたらしてくれることがある。「心」を贈る相手、その存在が幸せをもたらしてくれる。自作のハンコを贈ったとき、そのことを強く感じた。
「あの人」に感謝の心を贈りたいと思いつつ、何を贈ろうかと迷っていた。
「そうだ、あの人の名前をハンコにしよう!」と思った。
さっそく、篆刻(てんこく)テキスト本を手に入れて、それにしたがってやってみた。
我流。やはり難しい。なんとか読める字が彫れるようになったとき、『彫る喜び』がわいてきた。「あの人」の名前がハンコになった瞬間、「心」が字に宿った気がした。
私の手元に石のハンコがある。30年ほど前にある生徒からプレゼントしてもらったものである。引き出しにしまっておける小さな石。邪魔にならない大きさ。それゆえだろうか・・・?
誰からのプレゼントであったのか、今となってはまったくわからない。
「生徒が作った石のハンコですよ、受け取ってくださいね。」と同僚の先生から渡され、軽い気持ちで受け取って、机の引き出しにしまったままになったのである。ほんの軽い気持ちで受け取ったハンコ。そのとき、ハンコを作ってくれた生徒の名前を聞いておけばよかったのに、聞きもしなかった。「感謝の気持ちが薄い教師」であった。(今は後悔している。)
机の引き出しにしまいこんで使う機会もなく、20年が過ぎてしまった。20年間、そのハンコを使うことがなく、机の中で眠ってしまったことになる。勤務先が変わってもハンコは邪魔にならないので、(退職する時まで)勤務した学校の机の引き出しにあった。邪魔にならない大きさだったからであろう。
退職する5年ほど前から「そのハンコ」を使うようになっていった。教え子たちに色紙をプレゼントする機会があり、色紙の名前の下に押した。色紙にハンコを押すと、色紙全体がぐっと引き締まる気がした。
私にとっては、ありがたいハンコ。感謝のハンコ。
「こんなハンコを作りたい!」という思いが、退職後2年して(62歳になって)初めて目覚めた。
自分が篆刻をやってみて、「ハンコ作り」の難しさがやっとわかった。やっとわかったのだ! 人間、60歳を過ぎて「やっとわかる」こともあるのだ。「ある生徒」がかなり上手に彫ってくれていることにもやっと気がついた。ほんとうにいい作品をありがとう!
プレゼントしてくれた生徒の名前は永遠にわからないかもしれないが、知ることができれば、一言「ありがとう! 私が今度はハンコを(君への感謝の心で)プレゼントしているよ。 君のお陰で彫る喜びを与えてもらったよ。」と言いたい。(風の便りで、このブログ内容が君に届くかもしれない・・・と祈っている。)
「心」を贈ることは難しい。今までいろんな贈り物をしてきたが、はたして「心」を贈ることができていたのだろうか? 贈るものによっては相手に負担をかけることがある。「有難い」は、「アイ ハブ トラブル」という要素を含んでいるから。トラブル解消のためになされる「お返し」もある。
そうしなければならないケースも多い。だから、相手に負担をかけることになってしまうプレゼントは、気をつけなければならない。
その点、ハンコは相手に負担をかけることが少ない。ハンコの材料(消しゴム・木・石)は安価なものでいいと思っている。心を彫ることが大切だから。
贈り物をして、相手に喜んでもらえた時、「こちらこそ喜びがわいてくる。作ったものであれば、創作したことへの喜びはなおさら大きい。
プレゼントは「共に喜び合う」行為なのだ。
定年退職後に始めた「篆刻」。篆刻文字を消しゴムや石に彫ることは難しい。
しかし、
「ヘェー、ハンコを贈ってくれたの!」・「私の名前を彫ってくれたのよ!」・「私も欲しい!」
そんな反応がうれしい。
とにかく、相手に負担をかけないかどうか、気を配っていこうと思っている。
篆刻作品のプレゼントは喜ばれることが多い。相手に喜んでもらえると「彫った喜びがさらに湧き上がる」。下手な作品であっても「下手さ」がわかりにくいのが、篆刻作品である。
私は、まだまだ初心者。誰に習ったわけでもないが、我流のハンコづくりを今後とも続けていきたい。共に喜び合えるために。
名前のわからない「ある生徒」への感謝の気持ちを忘れずに。
完
*篆刻(読み方=てんこく を後日、追加記入しました。)
*「同僚の先生」とは、25年以上音信不通のため、「ある生徒」の名前は未だにわかっていません。現在、ひょっとしたら「篆刻」の世界で活躍されている方かもしませんね。
この文章に対してのコメントや拍手コメントありがとうございました。書いてみてよかったです。
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2011/2/22
「鬼井江の世界」 評論・随筆その他
アフリカ北部地域や中近東などの地域は混乱してきている。
戦争の歴史を見ると、原因は経済問題と宗教問題であろう。ほとんどの戦争はこの二つの要素が原因だった。中でも宗教対立が原因で勃発する戦争は多い。一神教の国と別の一神教の国とが対立すると、戦争になりやすい。どちらも「自分たちが信ずる神」以外を排除するために、命がけで戦うからである。唯一の絶対的存在である「自分たちの神」以外の存在そのものを認めないからである。「一神教の宗教戦争」はいったん始まると終わりが見えにくい。
今回の混乱は、そういう状況での宗教戦争ではない。民衆の蜂起で政権がつぶれだしている現象。今までの歴史を考えると珍しいことなので、「すごいことが起こり始めたのだ!」と思う。インターネットの力による「民主化」と言えるであろう。
しかし、驚くべき悲惨なことが起こっているようである。今日のニュースによると、リビアでは、戦闘機による空爆やヘリコプターからの銃撃が始まっているとのこと。デモをする民衆に向かって!
ありえないことが起こっているのだ。デモをする民衆に警官が発砲したというニュースは今までに何度も聞いたが、戦闘機から空爆したというニュースは初めてだ。やぶれかぶれの行動を起こし始めた「カダフィー大佐一族」なのだろう。一時的にデモ隊の力が弱くなっても、「民主化」の根を断つことはできないであろう。それにしても、戦闘機の攻撃相手が同じリビア国民とは・・・。戦前の、ひどい状態になっていた軍国主義日本の軍隊においてでさえ、そういう歴史はなかったはずである。
中国も「情報が広がる」ことを恐れているらしい。特に香港あたりは「抑えきれていない」ようで、インターネット利用による民衆の団結を恐れている。ネット利用による民衆の蜂起の芽を、躍起になってつぶしていることであろう。
「真実・正しいことを知らせる」行為をするときは、命がけにならねばならないのがいくつかの国における現状であろう。歴史的に見ても、権力を握った者は「「真実が漏れる」ことを恐れてきた。いまや、ネット世界に突入し、「真実」がどこからか漏れていく時代になった。真実を知らせた人が処刑されないことを願っている。
混乱状態にある地域が、民主的になる仕組みが出来あがり、宗教対立もおさまれば、現在の混乱地域にも平和がもたらされるであろう。時間はかかるだろうが・・・。特に、宗教対立は経済的問題の解決以上に時間がかかる。対立の解決に1000年以上かかっている地域さえあるのだから。
ところで、日本はなんだかんだと言っても「宗教対立」が表面化して、「殺しあう」という現象は歴史を振り返っても少ない国である。宗教が原因の戦乱が起こったのは、信長の時代ぐらいであろうか…? 細かく歴史を見ると、もっとあったかもしれないが、世界的規模からみると「宗教対立がほとんど起こってこなかった国」と言えるであろう。
「信仰する宗教をもっていない」人は、世界的には「信用できない人間だ」とみなされることが多いようである。外国人相手に契約を結ぶときに、信仰心を持っていない人は信用されないらしい。「あなたの信じている宗教は何教ですか?」ということを表に出す日本人は少ない。日本では、あまり重要なことではないからだ。生活していくうえでは困らない。相手から聞かれることもほとんどない。
不思議と言えば不思議な民族である。宗教的には「なんでもあり」の国である。世界的にも珍しい国であろう。
仏教・神道・キリスト教・儒教などがごちゃごちゃに入り込んで一つの宗教にこだわっている人は少ない。お坊さんがクリスマスにケーキを買う、なんてことは不思議でもなんでもない。日常茶飯事である。クリスマスケーキと仏教が(よく考えてみると)宗教対立の要素であるにもかかわらず。まったく気にならないで生活している。クリスマスケーキは一つの例であるが、他にもよく考えると宗教対立になる要素はいくらでも考えられるが、対立要素にまでは至らない。神道と仏教にしても何が何だかよく違いが見えにくくなって「なかよく」共存している。天皇一族の歴史的流れを考えても、仏教となかよくしてきたり神道(純粋に)のみであったりしてきている。
どういう形の葬式をおこなうのかで、その人の宗教が表面化する。世界的にも言えることであろう。
日本の家庭の一般的な行動は、「誕生」すると神社(神道)に参り、お盆(仏教)には墓参りをし、クリスマス(キリスト教)にはケーキを食べ、正月には神社に参る。結婚はキリスト教式で行う人が多く、葬式は仏教でする人が多い。一貫してどれかの宗教ににこだわって、その宗教以外のかかわりを排除している人は少ない。宗教的にはごちゃごちゃでも、どうってことはないようである。
これが、かえって平和な日本を持続させている要素かもしれない。
宗教としては表立っていないが、日本人に流れている生活様式や考え方の基盤になっている宗教は「儒教」であろう。孔子の考え方(論語)が根強く生活に根付いている。
「儒教」のシンボルとなる(寺や神社などに該当する)建物はほとんどない(思いつくのは、長崎にある孔子廟ぐらいだ)が、日本人の行動様式の基盤となっているのは「儒教」だと思われる。「儒教」の特徴の一つは保守性を重んじる。たとえば、「年上の人は敬いなさい」という考え方は儒教からきている。異様に感じるぐらい「先輩」を立てるのは、儒教からきている。異様なほどの場面を見かけてきた。儒教にはいい面がたくさんあると思うが、マイナスの面も多い。今まで儒教的嫌な面と接しながら生きてきたが、延々と続きそうである。保守性を重んじる国民性と「政治」の改革が進まないこととは大いに関係があるだろう。
役人的考え方は儒教の影響も多いものだと考えている。政治において、「先輩を敬う」行為は悪いようにしか作用しない。「若い者(新参)は黙っていろ、発言は最後だ、まず先輩を敬え」なる世界は、政治改革にはブレーキになる。
「自由」に考える・発言できる立場を大切にしていきたい。
戦争の歴史を見ると、原因は経済問題と宗教問題であろう。ほとんどの戦争はこの二つの要素が原因だった。中でも宗教対立が原因で勃発する戦争は多い。一神教の国と別の一神教の国とが対立すると、戦争になりやすい。どちらも「自分たちが信ずる神」以外を排除するために、命がけで戦うからである。唯一の絶対的存在である「自分たちの神」以外の存在そのものを認めないからである。「一神教の宗教戦争」はいったん始まると終わりが見えにくい。
今回の混乱は、そういう状況での宗教戦争ではない。民衆の蜂起で政権がつぶれだしている現象。今までの歴史を考えると珍しいことなので、「すごいことが起こり始めたのだ!」と思う。インターネットの力による「民主化」と言えるであろう。
しかし、驚くべき悲惨なことが起こっているようである。今日のニュースによると、リビアでは、戦闘機による空爆やヘリコプターからの銃撃が始まっているとのこと。デモをする民衆に向かって!
ありえないことが起こっているのだ。デモをする民衆に警官が発砲したというニュースは今までに何度も聞いたが、戦闘機から空爆したというニュースは初めてだ。やぶれかぶれの行動を起こし始めた「カダフィー大佐一族」なのだろう。一時的にデモ隊の力が弱くなっても、「民主化」の根を断つことはできないであろう。それにしても、戦闘機の攻撃相手が同じリビア国民とは・・・。戦前の、ひどい状態になっていた軍国主義日本の軍隊においてでさえ、そういう歴史はなかったはずである。
中国も「情報が広がる」ことを恐れているらしい。特に香港あたりは「抑えきれていない」ようで、インターネット利用による民衆の団結を恐れている。ネット利用による民衆の蜂起の芽を、躍起になってつぶしていることであろう。
「真実・正しいことを知らせる」行為をするときは、命がけにならねばならないのがいくつかの国における現状であろう。歴史的に見ても、権力を握った者は「「真実が漏れる」ことを恐れてきた。いまや、ネット世界に突入し、「真実」がどこからか漏れていく時代になった。真実を知らせた人が処刑されないことを願っている。
混乱状態にある地域が、民主的になる仕組みが出来あがり、宗教対立もおさまれば、現在の混乱地域にも平和がもたらされるであろう。時間はかかるだろうが・・・。特に、宗教対立は経済的問題の解決以上に時間がかかる。対立の解決に1000年以上かかっている地域さえあるのだから。
ところで、日本はなんだかんだと言っても「宗教対立」が表面化して、「殺しあう」という現象は歴史を振り返っても少ない国である。宗教が原因の戦乱が起こったのは、信長の時代ぐらいであろうか…? 細かく歴史を見ると、もっとあったかもしれないが、世界的規模からみると「宗教対立がほとんど起こってこなかった国」と言えるであろう。
「信仰する宗教をもっていない」人は、世界的には「信用できない人間だ」とみなされることが多いようである。外国人相手に契約を結ぶときに、信仰心を持っていない人は信用されないらしい。「あなたの信じている宗教は何教ですか?」ということを表に出す日本人は少ない。日本では、あまり重要なことではないからだ。生活していくうえでは困らない。相手から聞かれることもほとんどない。
不思議と言えば不思議な民族である。宗教的には「なんでもあり」の国である。世界的にも珍しい国であろう。
仏教・神道・キリスト教・儒教などがごちゃごちゃに入り込んで一つの宗教にこだわっている人は少ない。お坊さんがクリスマスにケーキを買う、なんてことは不思議でもなんでもない。日常茶飯事である。クリスマスケーキと仏教が(よく考えてみると)宗教対立の要素であるにもかかわらず。まったく気にならないで生活している。クリスマスケーキは一つの例であるが、他にもよく考えると宗教対立になる要素はいくらでも考えられるが、対立要素にまでは至らない。神道と仏教にしても何が何だかよく違いが見えにくくなって「なかよく」共存している。天皇一族の歴史的流れを考えても、仏教となかよくしてきたり神道(純粋に)のみであったりしてきている。
どういう形の葬式をおこなうのかで、その人の宗教が表面化する。世界的にも言えることであろう。
日本の家庭の一般的な行動は、「誕生」すると神社(神道)に参り、お盆(仏教)には墓参りをし、クリスマス(キリスト教)にはケーキを食べ、正月には神社に参る。結婚はキリスト教式で行う人が多く、葬式は仏教でする人が多い。一貫してどれかの宗教ににこだわって、その宗教以外のかかわりを排除している人は少ない。宗教的にはごちゃごちゃでも、どうってことはないようである。
これが、かえって平和な日本を持続させている要素かもしれない。
宗教としては表立っていないが、日本人に流れている生活様式や考え方の基盤になっている宗教は「儒教」であろう。孔子の考え方(論語)が根強く生活に根付いている。
「儒教」のシンボルとなる(寺や神社などに該当する)建物はほとんどない(思いつくのは、長崎にある孔子廟ぐらいだ)が、日本人の行動様式の基盤となっているのは「儒教」だと思われる。「儒教」の特徴の一つは保守性を重んじる。たとえば、「年上の人は敬いなさい」という考え方は儒教からきている。異様に感じるぐらい「先輩」を立てるのは、儒教からきている。異様なほどの場面を見かけてきた。儒教にはいい面がたくさんあると思うが、マイナスの面も多い。今まで儒教的嫌な面と接しながら生きてきたが、延々と続きそうである。保守性を重んじる国民性と「政治」の改革が進まないこととは大いに関係があるだろう。
役人的考え方は儒教の影響も多いものだと考えている。政治において、「先輩を敬う」行為は悪いようにしか作用しない。「若い者(新参)は黙っていろ、発言は最後だ、まず先輩を敬え」なる世界は、政治改革にはブレーキになる。
「自由」に考える・発言できる立場を大切にしていきたい。