鬼井江の世界(gooブログ)

邑知(おうち)地溝帯(羽咋市~七尾市までの低地帯)が地震の緩衝の役割をしていたかも?

 能登半島の付け根部分に「邑知潟」があり、羽咋市から(北東方向に)七尾市にかけて延びる地溝帯(ほぼ平行する二断層間が陥没して生じた帯状の低地)になっている。現在の地図でも、地溝帯らしきものの存在を確認できる。この地溝帯は、「邑知地溝帯」と呼ばれている。

 弥生時代はこの地溝帯は海であった個所が長く、七尾の海から低い陸地を船を曳いて移動させ、羽咋の海へ移動したようです。能登半島の先端をぐるっと回るよりも、邑知地溝帯を船で移動していたようです。陸地箇所が短く、標高が低い陸地を(船を引っ張って)移動させることは可能だったようです。何を船で運んでいたのか? 新潟県の海岸(ヒスイ海岸)や糸魚川および姫川上流などで産出した翡翠(ヒスイ)が弥生時代の交易品として、倭(日本)の超貴重な交易品だったようです。弥生時代・古墳時代は、中国大陸の皇帝たちがヒスイを求めようとした時代だったようです。当時、ヒスイは「魔力をもたらす宝石」として価値があったようです。ヒスイで作られた勾玉など、中国や日本などの古墳の中から見つかっている。ヒスイは超価値がある宝石だったのでしょう。(ちなみに、日本の国石=ヒスイなのです。)朝鮮半島や中国ではほとんどとれない石だったようです。日本産のものでもっとも価値があるのが、「姫川上流で採れるヒスイの原石」でした。その原石を能登半島の付け根の邑知地溝帯(邑知潟など)利用で、船で、丹後半島の付け根個所(天橋立近辺)まで運び、丹後半島に流れている川を利用して、日本海へ。さらに朝鮮半島→中国本土へ。そういう交易ルートがあったようです。詳しいことは知らないのですが、弥生時代の交易ルートに関心を持っている私には、「なるほど、なるほど・・・」と、交易品(朝鮮半島からは鉄材が。日本からはヒスイなど)や交易ルートが想像できるのです。丹後半島にはヒスイの原石加工場跡や鉄材加工場跡などが、遺跡となっている。丹後王国として大変栄えていた時代があったのですから。鉄材やヒスイ原石を加工する技術が丹後の国にあったようです。丹後には多くの神社があるのは、王国として栄えていたからでしょう。伊勢神宮が栄える前は、(丹後に「元伊勢」があるように)丹後が栄えていたのでしょう。詳しいことは知りませんが・・・。  

 今回の能登半島地震の震源地は珠洲市とのこと。珠洲市・輪島市などが震度7の激震地でした。震源地に近い地域はもちろん、金沢市などでも被害が出ている。しかし、被害は少なかったようです。都市直下型地震が発生した場合、被害はものすごく大きくなる場合が多い。関東大震災や福井大地震など、過去において、都市直下型地震の被害は想像以上の被害をもたらしている。

 今回の(おそらく直下型地震?)地震の被害が、邑知地溝帯より上部か下部かで大きく違ったように予想しています。(素人の想像ですが)金沢市の被害が小さかったのは、邑知地溝帯より下部(南に位置する)都市だったからかも・・・。と、推測している次第です。

 邑知地溝帯より上部に位置している志賀原発が稼働していなくてよかったです。

 志賀原発に影響があったに違いないが、ニュースにすることを押さえているように思われる。政府は「問題はなし」とのコメントだけで、(あまりマイナス面のことがあっても、)原発に関するニュースは流そうとしない。志賀原発で騒ぐと、近くの新潟県の原発の稼働再開に影響が生じるからであろう。

 志賀原発は危険な位置(邑知地溝帯の上部)に建設されていることは事実なので、稼働はしないままであってほしい!

 

 

 

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