2019/2/3
「大阪歴史博物館 特別展」 古代への好奇心
昨日(2月2日)大阪歴史博物館の特別展「はにわ大行進」を観覧してきた。午後2時から学芸員による展示解説があるとのことで、その解説が聞きたくて行ってきた。
埴輪(はにわ)に特別な思いがあるわけではなかったが、古代の船の形・構造に関心があった。特に船の先端部の形に興味があった。出土した埴輪の船の先端部は、アヒルのくちばしのような形をしていた。大阪で発掘された埴輪だけではなく、日本海沿いの地方や琵琶湖近辺で発掘された埴輪など、全国的に見つかっている。船の舳先と船尾がアヒルのくちばしのような形の船で、そういう形の船が(古代には)多かったようだ。ワニが口を開けている形と言ってもいい。埴輪とはいえ、実際の古代船を模したものに違いない。
それに対して、普通の船のへさきの船形埴輪もある。現代の船に通ずる一般的な形である。どちらの形の船形埴輪も大阪歴史博物館には展示してあった。
なぜ、弥生時代・古墳時代の船(の一部)は、ワニが口を開けた形のへさきになっているのか? 学芸員の方に、その疑問を質問してみたかった。
私自身、私なりに推測はしているのだが、学芸員の方の意見を聞いてみたかった。何分、古代のことは断定しにくいことだらけだから。
(このつづきは後日に)

大阪市 長原古墳より出土した船形埴輪

兵庫県朝来市 池田古墳より出土した船形埴輪

丹後地方 ニゴレ古墳より出土した船形埴輪

滋賀県栗東市 新開4号墳より出土した船形埴輪
へさき・船尾は口が開いていない。現代の船の形。
埴輪(はにわ)に特別な思いがあるわけではなかったが、古代の船の形・構造に関心があった。特に船の先端部の形に興味があった。出土した埴輪の船の先端部は、アヒルのくちばしのような形をしていた。大阪で発掘された埴輪だけではなく、日本海沿いの地方や琵琶湖近辺で発掘された埴輪など、全国的に見つかっている。船の舳先と船尾がアヒルのくちばしのような形の船で、そういう形の船が(古代には)多かったようだ。ワニが口を開けている形と言ってもいい。埴輪とはいえ、実際の古代船を模したものに違いない。
それに対して、普通の船のへさきの船形埴輪もある。現代の船に通ずる一般的な形である。どちらの形の船形埴輪も大阪歴史博物館には展示してあった。
なぜ、弥生時代・古墳時代の船(の一部)は、ワニが口を開けた形のへさきになっているのか? 学芸員の方に、その疑問を質問してみたかった。
私自身、私なりに推測はしているのだが、学芸員の方の意見を聞いてみたかった。何分、古代のことは断定しにくいことだらけだから。
(このつづきは後日に)

大阪市 長原古墳より出土した船形埴輪

兵庫県朝来市 池田古墳より出土した船形埴輪

丹後地方 ニゴレ古墳より出土した船形埴輪

滋賀県栗東市 新開4号墳より出土した船形埴輪
へさき・船尾は口が開いていない。現代の船の形。
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/1163/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>
2

2019/1/16
「知的好奇心ゆえにおもしろい」 古代への好奇心
知的好奇心ゆえに、古代のことを調べたり、講演を聞いたり、遺跡を見に行ったりすることが楽しくなってきました。
「鉄」「船」「馬」に関することを耳にすると、調べたくなる。
とても熱心に取り組まれている方の影響もあり、「考えること・調べること・見に行くこと・聞きに行くこと」が楽しい。
勉強不足もあって、古代に関する知識はまったくの素人段階ですが、「頭の体操」にもなり、おもしろい。教えていただくことが多い。それも楽しい。
邪馬台国は九州か畿内か、という論争は100年以上前から続いているらしいが、私は「丹後半島近辺にあった」と考えています。
その視点で、畿内説や九州説を対比的に考えてみる、それが楽しいですね。
私なりの「理由あっての考え」なのですが、今回は(長くなりそうなので)省略します。
まあ、古代のことを推測するのは、楽しいことです。古代に関する講演会などの参加者は年々増加しているようです。勉強熱心な方が多いですね。私は、最下位レベルです。でも、この世界は素人でも、おもしろいですね。
「鉄」「船」「馬」に関することを耳にすると、調べたくなる。
とても熱心に取り組まれている方の影響もあり、「考えること・調べること・見に行くこと・聞きに行くこと」が楽しい。
勉強不足もあって、古代に関する知識はまったくの素人段階ですが、「頭の体操」にもなり、おもしろい。教えていただくことが多い。それも楽しい。
邪馬台国は九州か畿内か、という論争は100年以上前から続いているらしいが、私は「丹後半島近辺にあった」と考えています。
その視点で、畿内説や九州説を対比的に考えてみる、それが楽しいですね。
私なりの「理由あっての考え」なのですが、今回は(長くなりそうなので)省略します。
まあ、古代のことを推測するのは、楽しいことです。古代に関する講演会などの参加者は年々増加しているようです。勉強熱心な方が多いですね。私は、最下位レベルです。でも、この世界は素人でも、おもしろいですね。
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/1159/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>
2

2018/7/24
「丹後王国探訪」 古代への好奇心
丹後地方が日本で一番栄えていた時代があった。弥生時代後期から古墳時代前期にかけての頃であろう。
私は(学問的には素人だが)「邪馬台国は丹後にあった」という説を支持している。
7月13日に、丹後地方へ連れてもらえる機会があった。丹後王国時代の遺跡群を実際に訪れるのは初めての経験であった。堺観光ボランティアガイド活動で出会った人たち(歴史が好きな方がほとんど)が案内してくれ、いろいろ教えていただいた。おかげで、だんだん古い時代に興味を持つようになってきた。
ボランティアガイドをするまでは、まったく興味がなかった分野だったが・・・。
今では、好奇心旺盛で「考古学関係の話題」に興味津々。教え子にその方面の研究者がいるので、機会があれば会って話が聞けたら…と思うようになった。人間は変わるものである。
日本海側にある主な港(津)周辺地への歴史的興味が高まってきている。
温泉津・出雲・米子近辺・鳥取近辺・豊岡・丹後・若狭湾・敦賀・小松・羽咋~七尾をむすぶ地溝帯・姫川など。
日本海側の古代の歴史がおもしろい! 好奇心は心を元気にしてくれますね。
今回、離湖古墳・遠所遺跡・網野銚子山古墳などを見学してきたのだが、網野銚子山古墳はちょうど発掘調査中であった。発掘調査中の古墳(墳丘約200mの大きな古墳)を目の当たりにしたのは初めてだったので、心が震えた。
繰り返しますが、人間は変わるものですね!
古墳に全く興味がなかった私が、古墳を見て、感動する人間になったのですから・・・。

網野銚子山古墳(日本海側最大級の大型古墳)の発掘調査の様子
前方後円墳の後円部側面の発掘 葺石(ふきいし)や埴輪が見つかっていた。

円筒埴輪の一部が見えている。修復を担当される方は、これらの欠片をつなぎ合わせて、ぴたっとくっつくと感動するのだろう。

網野銚子山古墳頂上部からの眺め 日本海が見えている。

古墳への入り口

移築した古墳 離湖(はなれこ)古墳近くにある小さな古墳(中に入れる)

遠所(えんじょ)遺跡 古代の製鉄所跡

ニゴレ古墳 説明板の写真のようなものが発掘されている。小さな古墳だが、歴史的に貴重なものである。特に船の埴輪など。
私は(学問的には素人だが)「邪馬台国は丹後にあった」という説を支持している。
7月13日に、丹後地方へ連れてもらえる機会があった。丹後王国時代の遺跡群を実際に訪れるのは初めての経験であった。堺観光ボランティアガイド活動で出会った人たち(歴史が好きな方がほとんど)が案内してくれ、いろいろ教えていただいた。おかげで、だんだん古い時代に興味を持つようになってきた。
ボランティアガイドをするまでは、まったく興味がなかった分野だったが・・・。
今では、好奇心旺盛で「考古学関係の話題」に興味津々。教え子にその方面の研究者がいるので、機会があれば会って話が聞けたら…と思うようになった。人間は変わるものである。
日本海側にある主な港(津)周辺地への歴史的興味が高まってきている。
温泉津・出雲・米子近辺・鳥取近辺・豊岡・丹後・若狭湾・敦賀・小松・羽咋~七尾をむすぶ地溝帯・姫川など。
日本海側の古代の歴史がおもしろい! 好奇心は心を元気にしてくれますね。
今回、離湖古墳・遠所遺跡・網野銚子山古墳などを見学してきたのだが、網野銚子山古墳はちょうど発掘調査中であった。発掘調査中の古墳(墳丘約200mの大きな古墳)を目の当たりにしたのは初めてだったので、心が震えた。
繰り返しますが、人間は変わるものですね!
古墳に全く興味がなかった私が、古墳を見て、感動する人間になったのですから・・・。

網野銚子山古墳(日本海側最大級の大型古墳)の発掘調査の様子
前方後円墳の後円部側面の発掘 葺石(ふきいし)や埴輪が見つかっていた。

円筒埴輪の一部が見えている。修復を担当される方は、これらの欠片をつなぎ合わせて、ぴたっとくっつくと感動するのだろう。

網野銚子山古墳頂上部からの眺め 日本海が見えている。

古墳への入り口

移築した古墳 離湖(はなれこ)古墳近くにある小さな古墳(中に入れる)

遠所(えんじょ)遺跡 古代の製鉄所跡

ニゴレ古墳 説明板の写真のようなものが発掘されている。小さな古墳だが、歴史的に貴重なものである。特に船の埴輪など。
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/1104/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>
4

タグ: 丹後王国遺跡巡り
2018/3/16
「桃太郎伝説の背後にあるものは?(その4続き)」 古代への好奇心
瀬戸内海・岡山県沖(高松市の属する島)に、鬼ヶ島と呼ばれている島がある。地図上は女木島(めぎじま)と書かれている。鬼が住んでいた島と伝えられており、島の中を実地検証すると、洞窟が見つかる。昔何者かが住んでいたところらしく、その痕跡が残されている。洞窟内には水がたまるところがあり、生活できたようだ。
昔誰が住んでいたのか…? 推定では、「海賊」だということらしい。この「海賊たち」=「鬼扱いされた人々」として「鬼退治の対象」となっていったようだ。
この鬼ヶ島(=女木島)を生活の根拠地にした集団は、おそらく大和朝廷(または後の時代の権力者)の言うことに従わなかったのだろう。その時の政権に反抗する者は「鬼扱い」されてしまうのだ。
鬼ヶ島に住んでいた人々の運命も、権力者に反抗したがゆえに「鬼」となってしまったに違いない。
「鬼退治伝説」は全国に伝わっているが、基本的には同じような構造だと考えられる。
(今日のニュースにおいても、文科省の方針に逆らっている人物だとみなされたら、その人物は「悪い奴だ」という扱いをされ、「圧力」をかけられる。「鬼扱い」されているのがみえてくる。今の文科省は「危険そのもの」だ。戦前の軍国教育の反省を忘れてしまったのか⁉ 教育分野においても、「文科省にたてつくものはこらしめるぞ!」という姿勢がうかがえる。文科大臣は「問題はない!」と開き直っているが、国民はそう思うだろうか? 国民の審判は次の選挙で下されるだろう。 今の文科省の判断はおかしい!
今日もニュースになっているが、名古屋市の校長先生、文科省と闘ってください! がんばってください! 応援していますよ。)
安倍内閣の下で仕事をする官僚たちや大臣たちは、安倍政権のおごりから「判断力がおかしくなってきている!!」のだ。
防衛省や財務省などでの文書書き換えや、教育への不当介入。
どれもこれも「安倍政権」のひずみが背後にある。財務省は解体しなければならないほどの、「うそつき集団」になってしまっている。
「鬼」こそが、ほんとうは国民のために働いてきた存在だったのかもしれない。
歴史は「権力者」が都合のいいように書き、それが伝えられている可能性がある。
岡山県・吉備地方の英雄「温羅(うら)=吉備の冠者」は、「鬼」扱いされ、大和朝廷から派遣された「吉備津彦命」に討ち取られた。
しかし、「温羅=鬼」は現代になり、岡山県民に愛され、評価は高く、温羅を称える祭り=『うらじゃ(温羅です、という意味)』が年々盛り上がりを見せている。そして、桃太郎を称える祭りは盛り上がらず、下火になってきている。それに反して、温羅を称えるパレードや踊り『うらじゃ』はものすごい熱気に満ち、人気上昇中。今年の夏に、第25回『うらじゃ』が行われる予定である。
近年の熱気はすごいようだ。「温羅化粧」なる「鬼の化粧」をして踊るようである。25年前には、温羅人気を予想する人は少なかったに違いない。
JR岡山駅の東口広場には「桃太郎像」がある。古い像だ。しかし、近年、西口広場に「温羅の像(吉備の冠者像)」が建設された。新しい像である。
その像には、次の説明があった。
吉備の冠者(きびのかじゃ)
古代吉備の国に身の丈の大きい若者がいた。
その若者は、鬼ノ城に住み、いつも上半身裸で汗を流しながら鉄で農具等をつくり、里の人に与えていた。いつしか、吉備の里は大いに盛え、その若者を「吉備の冠者」と呼び、親しむようになった。
それを都へ行って、暴状として訴える者があり、朝廷は五十狭斧彦命(いさぜりひこのみこと)を派遣され、その若者を討たせた。若者はミコトの軍門に下ったとき、「吉備の冠者」の名を献上し、それよりミコトは「吉備津彦命」と改められた。
若者は「温羅(うら)」と言われるようになった。
以上。この温羅(鬼)の話をもって、まとめとします。
今回、長いブログ『桃太郎伝説の背後にあるものは? その1~その4続き』になりましたが、読んでいただきありがとうございました。感謝。
昔誰が住んでいたのか…? 推定では、「海賊」だということらしい。この「海賊たち」=「鬼扱いされた人々」として「鬼退治の対象」となっていったようだ。
この鬼ヶ島(=女木島)を生活の根拠地にした集団は、おそらく大和朝廷(または後の時代の権力者)の言うことに従わなかったのだろう。その時の政権に反抗する者は「鬼扱い」されてしまうのだ。
鬼ヶ島に住んでいた人々の運命も、権力者に反抗したがゆえに「鬼」となってしまったに違いない。
「鬼退治伝説」は全国に伝わっているが、基本的には同じような構造だと考えられる。
(今日のニュースにおいても、文科省の方針に逆らっている人物だとみなされたら、その人物は「悪い奴だ」という扱いをされ、「圧力」をかけられる。「鬼扱い」されているのがみえてくる。今の文科省は「危険そのもの」だ。戦前の軍国教育の反省を忘れてしまったのか⁉ 教育分野においても、「文科省にたてつくものはこらしめるぞ!」という姿勢がうかがえる。文科大臣は「問題はない!」と開き直っているが、国民はそう思うだろうか? 国民の審判は次の選挙で下されるだろう。 今の文科省の判断はおかしい!
今日もニュースになっているが、名古屋市の校長先生、文科省と闘ってください! がんばってください! 応援していますよ。)
安倍内閣の下で仕事をする官僚たちや大臣たちは、安倍政権のおごりから「判断力がおかしくなってきている!!」のだ。
防衛省や財務省などでの文書書き換えや、教育への不当介入。
どれもこれも「安倍政権」のひずみが背後にある。財務省は解体しなければならないほどの、「うそつき集団」になってしまっている。
「鬼」こそが、ほんとうは国民のために働いてきた存在だったのかもしれない。
歴史は「権力者」が都合のいいように書き、それが伝えられている可能性がある。
岡山県・吉備地方の英雄「温羅(うら)=吉備の冠者」は、「鬼」扱いされ、大和朝廷から派遣された「吉備津彦命」に討ち取られた。
しかし、「温羅=鬼」は現代になり、岡山県民に愛され、評価は高く、温羅を称える祭り=『うらじゃ(温羅です、という意味)』が年々盛り上がりを見せている。そして、桃太郎を称える祭りは盛り上がらず、下火になってきている。それに反して、温羅を称えるパレードや踊り『うらじゃ』はものすごい熱気に満ち、人気上昇中。今年の夏に、第25回『うらじゃ』が行われる予定である。
近年の熱気はすごいようだ。「温羅化粧」なる「鬼の化粧」をして踊るようである。25年前には、温羅人気を予想する人は少なかったに違いない。
JR岡山駅の東口広場には「桃太郎像」がある。古い像だ。しかし、近年、西口広場に「温羅の像(吉備の冠者像)」が建設された。新しい像である。
その像には、次の説明があった。
吉備の冠者(きびのかじゃ)
古代吉備の国に身の丈の大きい若者がいた。
その若者は、鬼ノ城に住み、いつも上半身裸で汗を流しながら鉄で農具等をつくり、里の人に与えていた。いつしか、吉備の里は大いに盛え、その若者を「吉備の冠者」と呼び、親しむようになった。
それを都へ行って、暴状として訴える者があり、朝廷は五十狭斧彦命(いさぜりひこのみこと)を派遣され、その若者を討たせた。若者はミコトの軍門に下ったとき、「吉備の冠者」の名を献上し、それよりミコトは「吉備津彦命」と改められた。
若者は「温羅(うら)」と言われるようになった。
以上。この温羅(鬼)の話をもって、まとめとします。
今回、長いブログ『桃太郎伝説の背後にあるものは? その1~その4続き』になりましたが、読んでいただきありがとうございました。感謝。
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/1070/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>
2

2018/3/10
「桃太郎伝説の背後にあるものは?(その4)」 古代への好奇心
桃太郎伝説の話には、モデルの人物たちがいる。実在したかどうかはさておいて、モデルの人物たちについては岡山県・吉備地方ではよく知られている人物たちである。
吉備地方には「吉備津彦神社」と「吉備津神社」などがある。吉備地方には、弥生時代の遺跡や古墳時代の古墳群がものすごく残されている。「吉備王国」が西日本の繁栄とともに栄えた時代もあったようだ。
出雲に到着した渡来人たちが中国山地を越えれば「吉備」である。川や馬を利用し、中国山地を越えれば、「吉備」は近い、近い。吉備王国は渡来人がもたらした「鉄材および鉄加工技術」によって、鉄材農具・鉄材武器などの生産量が増大、農業発展・戦争力アップなどのおかげで大繁栄したにちがいない。鉄技術を持った渡来人が来て住み着いたからこそ、「吉備王国」は成立したのだろう。
弥生時代や古墳時代は、日本で鉄そのものは生産できなかった。(古墳時代が終わるころ、鉄の国内生産が始まったようである。) 要するに、古代日本においては、すべての鉄材(鉄鋌と呼ばれる鉄の板)は朝鮮半島南部地域から輸入したり、持ち込まれていた。鉄材及び鉄加工技術を持っている渡来人のおかげで「日本海側各地の王国」は形成されていったようだ。
(ちなみに、朝鮮半島へ渡る船団の航海安全占いをした第一人者が卑弥呼だったに違いない。航海安全占いができなかった「祈祷師・占い師」たちは何人も抹殺されたに違いない。卑弥呼は抹殺されず、中国の歴史書『魏志倭人伝』などに記載された。航海安全占いが抜群に当たる呪術師(シャーマン)だったからだ。)
ここから続きです。
桃太郎伝説の英雄は、「吉備津彦命(大吉備津彦命)」である。つまり、桃太郎のモデルは吉備津彦命(きびつひこのみこと)なのである。
吉備津彦命は、第7代孝霊天皇(実在性は薄い天皇)の皇子である。ゆえに「吉備津彦命」なる人物も実在したかどうかは疑問であるが…。(それはさておいて・・・)
大和朝廷の命により、吉備国を平定したと伝えられている人物である。古事記や日本書紀においても、「吉備への征伐に派遣された」としている。古事記や日本書紀の記載内容を信じている人々にとっては、吉備国を大和朝廷に従わせた英雄ということになる。
吉備国を繁栄させ統治していた人物は、温羅(うら)と弟の王丹(おに)ら渡来人だみなされている。製鉄技術によって農具や武器を発展させ、人々にそれらを与え農業生産量を増大させた。武力も高度化させ、吉備王国を成立させたのだった。
「鬼神(きしん・きじん)」と評価されたり、「吉備冠者(きびのかじゃ)」と人々から慕われていたのである。
大和朝廷にとって、吉備王国が力をつけて、大和朝廷の方針に従わない国になることを恐れたのであろう。温羅たちを大和朝廷への抵抗集団とみなし、つまり「鬼=悪い奴ら」とみなし、征伐することにしたのである。その征伐将軍が「吉備津彦命」であり、温羅は鬼とみなされ、退治されてしまったのである。
この伝説(伝承)が、室町時代ごろに出来上がった「桃太郎の鬼退治」物語になったわけである。
桃太郎には犬・猿・雉が家来として登場するが、それぞれモデルとなる人物がいるようだ。
桃太郎=吉備津彦命
犬=(吉備津彦命の家臣)犬飼武命 猿=(同家臣)楽々森彦命
雉=(同家臣)留玉臣命
桃は不老長生・繁栄をもたらしてくれると信じられている。邪気を払う力があり、悪鬼を追い払う植物だと考えられてきた。
桃太郎は正義の味方・英雄として、悪を征伐し「めでたし、めでたし」となったのである。 鬼は悪いことをする奴らだというイメージの刷り込みは、「桃太郎伝説」によって、定着していくことになった。
「鬼は外! 福は内!」は、永遠に続けられていくのであろう。
かわいそうな鬼たちである。
しかし、鬼を評価する人々がいる。現代の岡山県民たちである。「鬼」の再評価が始まっている・・・。私も応援したい。
(このつづきは、次のブログ「その4続き」へ)
吉備地方には「吉備津彦神社」と「吉備津神社」などがある。吉備地方には、弥生時代の遺跡や古墳時代の古墳群がものすごく残されている。「吉備王国」が西日本の繁栄とともに栄えた時代もあったようだ。
出雲に到着した渡来人たちが中国山地を越えれば「吉備」である。川や馬を利用し、中国山地を越えれば、「吉備」は近い、近い。吉備王国は渡来人がもたらした「鉄材および鉄加工技術」によって、鉄材農具・鉄材武器などの生産量が増大、農業発展・戦争力アップなどのおかげで大繁栄したにちがいない。鉄技術を持った渡来人が来て住み着いたからこそ、「吉備王国」は成立したのだろう。
弥生時代や古墳時代は、日本で鉄そのものは生産できなかった。(古墳時代が終わるころ、鉄の国内生産が始まったようである。) 要するに、古代日本においては、すべての鉄材(鉄鋌と呼ばれる鉄の板)は朝鮮半島南部地域から輸入したり、持ち込まれていた。鉄材及び鉄加工技術を持っている渡来人のおかげで「日本海側各地の王国」は形成されていったようだ。
(ちなみに、朝鮮半島へ渡る船団の航海安全占いをした第一人者が卑弥呼だったに違いない。航海安全占いができなかった「祈祷師・占い師」たちは何人も抹殺されたに違いない。卑弥呼は抹殺されず、中国の歴史書『魏志倭人伝』などに記載された。航海安全占いが抜群に当たる呪術師(シャーマン)だったからだ。)
ここから続きです。
桃太郎伝説の英雄は、「吉備津彦命(大吉備津彦命)」である。つまり、桃太郎のモデルは吉備津彦命(きびつひこのみこと)なのである。
吉備津彦命は、第7代孝霊天皇(実在性は薄い天皇)の皇子である。ゆえに「吉備津彦命」なる人物も実在したかどうかは疑問であるが…。(それはさておいて・・・)
大和朝廷の命により、吉備国を平定したと伝えられている人物である。古事記や日本書紀においても、「吉備への征伐に派遣された」としている。古事記や日本書紀の記載内容を信じている人々にとっては、吉備国を大和朝廷に従わせた英雄ということになる。
吉備国を繁栄させ統治していた人物は、温羅(うら)と弟の王丹(おに)ら渡来人だみなされている。製鉄技術によって農具や武器を発展させ、人々にそれらを与え農業生産量を増大させた。武力も高度化させ、吉備王国を成立させたのだった。
「鬼神(きしん・きじん)」と評価されたり、「吉備冠者(きびのかじゃ)」と人々から慕われていたのである。
大和朝廷にとって、吉備王国が力をつけて、大和朝廷の方針に従わない国になることを恐れたのであろう。温羅たちを大和朝廷への抵抗集団とみなし、つまり「鬼=悪い奴ら」とみなし、征伐することにしたのである。その征伐将軍が「吉備津彦命」であり、温羅は鬼とみなされ、退治されてしまったのである。
この伝説(伝承)が、室町時代ごろに出来上がった「桃太郎の鬼退治」物語になったわけである。
桃太郎には犬・猿・雉が家来として登場するが、それぞれモデルとなる人物がいるようだ。
桃太郎=吉備津彦命
犬=(吉備津彦命の家臣)犬飼武命 猿=(同家臣)楽々森彦命
雉=(同家臣)留玉臣命
桃は不老長生・繁栄をもたらしてくれると信じられている。邪気を払う力があり、悪鬼を追い払う植物だと考えられてきた。
桃太郎は正義の味方・英雄として、悪を征伐し「めでたし、めでたし」となったのである。 鬼は悪いことをする奴らだというイメージの刷り込みは、「桃太郎伝説」によって、定着していくことになった。
「鬼は外! 福は内!」は、永遠に続けられていくのであろう。
かわいそうな鬼たちである。
しかし、鬼を評価する人々がいる。現代の岡山県民たちである。「鬼」の再評価が始まっている・・・。私も応援したい。
(このつづきは、次のブログ「その4続き」へ)
<form action="https://gold.ap.teacup.com/applet/keke7761/1069/clap" method="POST"><input type="submit" value="拍手" /></form>