Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

ウィンダム・ヒル写真集「PEACE」

2006-10-25 18:01:54 | Weblog
今朝の早い時間に、グレーの雲がどこかに消え去って、一気にきれいな気持ちの良い空色が広がってきました。

いつのまにか、雲の上に鮮やかなオレンジ色の太陽が、ぽっかりと浮かんでいます。

けれど、秋の夕暮れは、つるべ落としと言われるそのままに
みるみるうちに、半分まで雲に入ってしまい、あっという間に見えなくなってしまいました。

その後、一時してから、南西の空の濃い目のところと屋根のならんだ辺りの間の
グラデーションのところに

白と黄色の中間の色あいの、細いペン先ですっと書いたようなお月さまが
くっきりと浮かんでいました。

そうですね~

なぜ、このタイトルをつけたのかは、おいおいお話しするとして…

おそらく今日は、とてもコトバにはしにくい何かを
コトバにする作業に、取り掛かることになりそうです。

まずは、どこから、何を、お話してまいりましょうか?

おそらく、その真ん中にあるもの・ことについて、いつの日にか
何とかカタチのある、目に見えるものとして、お話しすることができるのか
または、それは、そのままであり続けるものなのかも、まったく不明の
ある感覚のようなものについて、ということになるのでしょうか?

こんなお話を、よくわからないままに、私がはじめてしまうのは
自然に湧きあがるものによるのか、何ものかに促されているのか

それすら、よくわからない衝動に近いものを、どこかで感じているのかもしれません。

さて、そのもの・ことには、どうあがいても、当分の間
たどり着けないことだけは、確信に近いものを感じておりますので

とにかく、私にできるやり方で、私のもっているささやかなコトバたちを道連れに
もう少し、このままこころに浮かぶ何かをお話させていただきます。


さて、いま目の前に、ふた通りの道筋が見えているような気がしています。

少なくとも、私の目からは、その境目がはっきりとは分かれていなくて
おなじ方向へ向かう、ただの2車線の道路のようでいて
けれど、交わっているのか、いないのかも定かでなく
離れていたとしても、遠くのほうにいくにつれて
それはたぶん、ひとつになっていくように見えています。


ひとつは、いわゆる「科学的な見方」というようなもので

もうひとつは、いまは、科学としては認知されていないような

個人的な、感覚的な、法則や理論などでは、まだ表現できないようなもの

とでも言うべきものでしょうか?


このところ、いえ、もしかすると、もう二十数年も前から

意識する、しないに関わらず、ず~っとながい間

ノドに引っかかったまま取れない小骨のように、気になっていることがありました。

そのことを、いつか、お話してみたいと思っておりました。

そのためには、私自身の中で

いろいろなことを、ひとつずつひとつずつ整理したり
なにやら、ぴったりするような言葉を探したり
そのことを、ちょうどよく現すようなもの・ことを見つけたり

そんなことをしながら、行く先も見えないような旅に向かう覚悟がいるようです。


これから先、kirikouや家族との目の前の出来事のお話の合間に

時々、思いつくままに、そんな、どことも、いつともつかないところへ

旅することがあるかもしれません。

いま、こちらにいらして読んで下さっている方々を

そんな旅の道連れにしては、申し訳ないような気もしております。


もしも、何がしかのご興味があって、何か少しでも面白そうにお感じになる方が
いらしたら

こんな私の、よくわからない不思議な、迷い道、寄り道にもなりそうな

イメージの中の海や山や森や草原や河やもしかしたら空までも届くような散策に

どうぞ、ご一緒に出かけてみてはいただけませんか。

これからも、できるだけ安心できるやさしい気持ちでいられるように
心がけていきたいと思っております。


さて、今日のほんとうに気持ちの良いお天気の中

紅葉が始まりかけたうつくしい街路樹の道を、30分ほどひとりで歩いておりました。

このところ、アレコレと思いあぐねていることを、転がしているうちに

思いがけず、不意に、ジョージ・ウィンストンというピアニストの
「AUTUMN」というアルバムのことが、頭をよぎりました。

それは、確かな音にもならないような…なんともいえない感覚でした。

詳しいことは、私も良く知りませんけれど

20年以上も前によく聴いていた、ウィンダム・ヒルというレーベルから出ている癒し系の音楽で
いまは、手元にもなくて、もうずっと永いこと聴いていませんでした。

けれど、その音の懐かしさは、頭のどこかに確かに存在していて

当時、手に入れて、ずっと本棚の奥のほうに仕舞いこんであった

この、ウィンダム・ヒル写真集「PEACE」を、家に帰ってから探し出してきました。


そこには、いまも心に響く、この上なくうつくしく輝くような

さらには、この世のものとも思えないような、目を見はるばかりの写真が

ちりばめられていました。


そして…

私の中に呼び起こされる、この美しさに惹かれてやまない何ものかが

動き出すのが感じられました。


この感覚を皆さまにも、お伝えすることができたら…

そのことだけを、ひたすらに想いながら

この写真集のあとがきを、ここに書き写しておきます。

なにかしらのものたちが、皆様のもとにも届きますようにと…想いつつ…


              PEACE

  Mind Photographs For Windham Hill

              メッセージ
             
複雑な現実問題に直面し、その抜け道をどう探してよいのかわからなくなったとき
私はいつもサンフランシスコの郊外だとかバーモントの片田舎に篭ります。
美しい自然の持つ穏やかさは、安らぎと新たな活力を私に与えてくれます。
そして、又こういった美しい自然環境は『ウィンダムヒル』の原点を見つめるのに
非常に役立っています。
私は1983年の11月に仕事上の関係で初めて日本を訪問し、
日本の神秘的で美しい自然に触れる機会に恵まれました。
私はそのとき、非常に強い驚きを覚えたのでした。
それは『ウィンダム・ヒル』は思想的にも美的にもアメリカよりも
日本にあっていると感じたからです。
自然に対する深い敬意に根ざした伝統的な価値観は、
日本人の心に深くきざみ込まれているようです。
だからこそ、『ウィンダム・ヒル』の音楽や思想が
日本の人々に理解していただけたのでしょうし、
私にとってその反応はとてもうれしいことでした。
自然には人間を精神的に支えていく永遠の力があります。
誰しも現代社会から離れた安らぎ場所が必要だと思うのです。
ただここで誤解されると困るのですが、
決して私は現実から逃避しているのではないということです。
アメリカの風景画家アンドリューワイエスが20世紀から逃避してしまったと批判された時、
彼がそれに答えた言葉――「むしろ20世紀の方が生命から遠ざかっているのだ」
――が私の気持ちを代弁してくれます。
つまり、20世紀はその都市化だとか忙しさのあまりに、
精神的や宗教的な支えをどこで見つければいいのかを忘れてしまったのだと彼はいっているのです。
全くそのとおりだと思います。
私が自然に対して心の支えを求めているのは
現代社会から逃げ出したいのではなく、現代社会に流されることなく
自分の原点をいつも見つめていたいからなのでした。
そして、それが『ウィンダム・ヒル』の統一ポリシーでもある
「自然と人間の調和」でもあるわけです。

1984年4月  ウィリアム・アッカーマン ウィンダム・ヒル会長


長い引用になってしまいましたけれど、
その写真たちは、多くの日本の写真家の方々によって、
その一瞬を切り取って、私たちの眼に見えるようにしてくださった
自然の輝きとしかいいようのないようなものばかりです。

自然の中で、私たち人間が生きていること、育まれ、支えられているということを
ほんとうに不思議なくらい真っ直ぐに、私たちに投げかけているように感じます。


そんなことを、どこか心におきながら、

この写真のなかに切り取られた自然を、こころの中で少しずつあたためていきたいと想っています。


この写真たちが、私にもたらしたものについて

いつか、私のコトバで、語ることができるようにと、祈りつつ…




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15 コメント

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Unknown (平太)
2006-10-27 17:44:19
風待人さまの独特の語り口や、雰囲気、そういったものにひかれていつもこちらにお邪魔させていただいてます。



道連れというより、ほんとに旅に連れて行って!という感じ楽しみに伺っています。



現実をみているからこそ、心やすらぐものは何か、どんな世界が他にあるのかを探求なさっていると思っています。



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自分を客観的に見ることって・・・ (風待人)
2006-10-27 20:24:59
平太さま



コメントいただいてとてもうれしいです。



自分でも、思っていること伝えたいことを

上手に整理できていないように感じていますので・・・



皆さまには、きっとわかりにくい文章になっていると

反省してはいるのですけれど、こんな風にしか書けなくって・・・



何%かは、自分のことを客観的に見ることができるのかもしれませんけど・・・?

ほんの少しでも、距離を取れるようにしたいと思いつつ

自分のことは、ナカナカ自分では見えにくい・・・ような気がします。



そういえば、例のアハセンテンスが気になるけれど・・・

全然思い浮かびません・・・

この、ざわざわ感がなんともいえませ~ん
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autamn (hama-wind)
2006-10-28 10:17:05
ジョージ・ウィンストンの「AUTUMN」懐かしいですね…!確か四季で四枚出ていたの、全部持ってました。でも今でもたまに聴くのはやはり「AUTUMN」ですね。特に“Longinng/Love”かな?いろんなCMなんかでも、ずいぶん有名になりましたものね…!

写真集は残念ながら見ていません。でも技術はともかく、目指すところは同じであるように思います。

洋の東西を限らず、宗教の違いに限らず、結局目指す所が似てくるのって不思議だけど…でも実は当然のことなのかもしれませんね?
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やっぱり・・・!! (風待人)
2006-10-29 07:37:32
hama-wind さん



やっぱり、ご存知でいらっしゃいましたか?



今でも熱心なファンの方がいらっしゃることを、検索して知りました。



日本にもいらしてコンサートをなさっているようです。



時代の流れの中で・・・

自然回帰をうたう何かが、巻き起こってくることがあるのでしょうか?



写真は、星野道夫さんのオーロラもあって

それはそれは、美しいですよ~



そういえば、リチャードバックの「かもめのジョナサン」や「イリュージョン」を

お読みになったことはありませんか?



たまたま、昔の文庫本が一緒に見つかって



色も茶色くなってますけれど



アノ頃に、読んだ本も

いま読み返すと、また、別の意味でたいそうオモシロいものですね~

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ご紹介させていただきました! (ちゃまん)
2006-10-29 11:15:22
風待人さん、こんにちは。

つたない文章ですが、自分なりの風待人さんの文章への感想とともに、Little Tree の紹介記事を書かせていただきました。

内容的にまずい点があれば、訂正しますので、ご覧ください。



************



等身大のことば



日記を書くという習慣のない自分には、身の回りの出来事や考えや思いを等身大の言葉で表現するのが難しく、自分の書いていることのほとんどは借り物の言葉だと感じる。自分で考えたり感じたりしたと思ったことでさえ、そうである。

だから、内容とかに関係なく、ほんとうに自分の言葉で表現出来ている人の日記を読むと、素直に尊敬してしまう。

マイミクになって頂いている方の日記はそうだし、あと、mixiではないけれど、最近よく拝見しているブログで、風待人さんが書かれている "Little Tree" というブログもそうだ。



今日は "Little Tree" について、ご紹介させてください。

私がこのブログを知ったのは、吉増さんの「島ノ唄」について検索してヒットしたことがきっかけです。個人的にあの映画についてのコメントで最良のもののひとつだと思います。その時の記事は↓に。



http://blog.goo.ne.jp/elm511/e/cfa856e8e5194946a3cb65a83fa36ec7



この記事に限らず、お子さんのことや日常の小さなものへのまなざしが、風待人さんが折に触れておっしゃる、「とにかく、私にできるやり方で、私のもっているささやかなコトバたちを道連れに」という潔さ、誠実さが貫かれていて、胸を打たれます。と同時に鞭打たれます。



小さなものへのまなざし、これは吉増さんや市村弘正さんの感じ方、考え方にも通じると思いますし、辿って行けば、エミリー・ディキンソンやハンナ・アーレント(ともに私にはまだ未知の世界ですが)へ通じる道なのかもしれないと、これは私なりの飛躍した想像を楽しんだりしています。



************
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私にとっての書くこと・・・ (風待人)
2006-10-30 01:26:46
ちゃまん さま



こんばんは!



ご紹介記事のこと、ありがとうございます。

身にあまる思いがして・・・おります。



書くことの意味やら目的など、わかりかけているような

けれど、まだつかめてはいないような

そんな中で、書いておりますので・・・



ただ、ちゃまんさまが「等身大のことば」とおっしゃることに、

なるほど、そんな風な表現があるんだなぁ・・・と納得するものがありました。



自分の「いまある、そのまま」を、

できるだけ、自分の言葉でお話することを、思い描いているような気がしています。



その意味でも「島ノ唄」の映画や

吉増さんが表現しようとなさっているお姿そのものが

大きなお手本のような(ちょうど良く、あてはまるコトバがみつからないんですけれど)

メルクマール(?とも違うかしら・・・)に感じています。



ちゃまんさまのお話くださった



「小さなものへのまなざし」

市村弘正さん、エミリー・ディキンソンやハンナ・アーレント・・・は



きっと、いまの私への大切なメッセージのような気がします。



これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
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TB! (hama-wind)
2006-10-31 21:47:13
こちらの内容にふさわしいかどうかの問題はありますが、TBさせていただきました。よろしくおねがいします。
ちなみに…我が甥は僕が貸したCDで「Longing/Love」を気に入り、ついに楽譜を手に入れて練習にいそしんでおります!バイエルもやったことがないのにですよ~(笑)
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ピアノもいいですね~ (風待人)
2006-10-31 23:36:25
hama-wind さん

甥子さんは、おいくつくらいでしょう?

自分が好きになって、やりたいと思うことは
それに勝る動機付けはないように思います。

それは、上手かどうかということではなく
本人にとって、どれだけ大切なことか、という世界になりますし。

「Longing/Love」は、ほんとうに多くの方に愛されているんですね!!

私も、またCDを探してこようと思いました。
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ピアノ! (hama-wind)
2006-11-01 23:40:41
甥は大学生なんですよ。幸いピアノがある家なので、もうかなり弾けるようになったのではないでしょうか…?
やはり若い時の話ですが、友達はS&Gの「明日に架ける橋」のピアノの伴奏を弾けるようになりました。僕も「月光」の、ただし一楽章限定で…(汗)
もしチャンスがあったら、キース・ジャレットの「ザ・ケルンコンサート」って聴いてみませんか?ジャンルはジャズですが、即興のソロピアノライブがとても素適なんです!
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S&G!!そしてキース・ジャレット!! (風待人)
2006-11-02 01:25:15
hama-wind さん

どうして、こんなに、共通する話題ができるのか!!
不思議でたまりません・・・

というのも、ふだんそれほどジャズフリークではありませんが
もう?十年前に、10歳くらい年上の従兄にもらった
キースのレコードのことを思い出しました。

なんて表現すればよいのかは、よくわかりませんけれど
それは、流れるような唄うようなピアノの感じだったでしょうか・・・

従兄は、美大を出て、今は家業をついでいますけれど
その子どもも、なぜか美術方面にすすんで
いまは、まだ他の仕事もしながら絵を描いているらしいです。

人は、ほんとうにいろんなひとから、
いろんな影響を受けているんですね~!!

ふいに「明日に架ける橋」のあの透きとおった歌声が響いてきます~
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