Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

「住みなれた街のこと」を、見直してみる…?

2009-03-12 08:31:21 | 表現すること
日暮れに近くになって、雲の切れ間が広がってきて
6時を過ぎる頃に、オレンジ色から水色へのグラデーションが広がっています。

今日一日もアレコレあって、バタバタとしておりましたけれど…

(昨日の書きかけを、とりあえず朝になって書いています。)

「気持の切り替えも、大切だ!」と、kirikouに伝えたところです。

思い返すと、朝のスタートが「遅刻モード」になると、
やはり私にとっては、何年経っても気持が波立ってしまいます。

気持を切りかえて「おばあちゃんの用事」を済ませてから
慌てて「非言語コミュニケーション」の講座に向かいました。

今日は「ピアカウンセリング」や「認知行動療法」についての概略や

アルバート・エリス(Albert Ellis)による論理療法(Rational Therapy:RT)に
ついて、田渕先生からお話していただきました。

来週は、実際の介護施設にお勤めの方から、現場のお話を伺えるそうです。


図書館に寄ってから、家に電話を入れると…

どうも、kirikouの様子がアヤシクて、学校で何かあったらしく

またまた家に帰ってから、話を聴きながら
あれこれとやり取りしながら「気持の切り替え」を促してみましたけれど

マァマァ、それが彼の大きな課題とも言えるところなんでしょう。

一つ過ぎては、また一つ…分かってはいても、まだまだいろいろありますね!


そんな毎日でも、「住みなれた街」の風景と同じように…

それはそれで、受け入れることのできる気持の余裕を
何とかして、見つけていきたいものだなぁと私自身も想っています。

どうすればいいのかは、私にもこれと言って、すぐに言葉にはできませんけれど…

皆様も、お気持の穏やかになる方法が見つかりますよう、心より願っております。


サテ…一昨日も、母親友だちの皆さんと「ストレス解消法」についてお話しましたが

私にとっては、皆さんとおしゃべりをしたり
ブログを書いたり、本を読んだりというのが、良い手立てになっているようです。


最近も、気になる本がたくさん溜っていて

オモシロい記述もたくさんありますけれど、読みきれないものもありますので

とりあえずリストアップしておいて、またいずれの機会を待つことにしましょう!

【カテゴリー1】

*新井紀子著「生き抜くための数学入門」

途中の記述で、私がなぜ高校のときに数学がよく分からなくなってしまったのか?
けれど、なぜ数学を学ぶことが求められているのか?

私なりに、少しだけ納得できました。(p56より引用)

『 数学であつかう概念の多くは、実際に存在するものではありません。けれども、論理的に考える訓練を受けてきた人であれば、文化や年齢によらずに、ほぼ同じイメージに到達することができます。論理だけで「だから」「どうして」「どうなる」というのを考え続けることができ、みんなで共有できるというのが数学の最大の特長なのです。
 でも触って確かめることができないものについて考えようとすると、細部がもやもやっとしてきますよね。そのとき感覚だけで押し切ろうとすると数学では正しい答が出てきません。
 数学の授業に出ていると、何のことだかさっぱり分からないことがあるでしょう。当然です。だって、「ない」ものの話なんですから。…
 人間はほかの動物と同じように現実の中で生きています。けれども人間は目に見える現実のなかだけで生きているわけではありません。たとえば「社会」や「権利」、「情報」や「リスク」といった言葉は、具体的な対象をさし示しているわけではありません。それらは人間の考えのなかに概念としてあります。それらは、人間がいままでの見かたとはちがう別の見かたを獲得して、その新しい目で古いものを見たときに初めて理解できるのです。…
 見えない抽象的なものを見る方法は、禅や詩などほかにも方法があるでしょう。けれども、見えないものを見て、それを誤解なくどの文化に属する人とも共有するということになると、それは論理であり数学なのであろうと思います。』

(そのあとの民主主義社会のお話は、分からないでもありませんし
それは、そうかもしれないとは思いますけれど…

子どもたちに「数学や算数を学ぶことの意味を教えるための理由」としては、
どうなんだろう?
彼らにとって、その必要性が伝わるかしら?とチラッと思いました。)

とはいえ…人それぞれに、得意不得意があると思いますので

数学という方法のみにこだわらなくっても、良いのかなぁと個人的には思いますが

ユニバーサルな分野で活躍することを目指す場合…今のままの状況が続くならば
やはり、英語とともに必要な学習教科になるのでしょうね。

(現在のお仕事も、とっても興味深くって、貼り付けておきます!)

*菅原裕子著「思春期の子どものコーチング」

先日の2時間弱のライブのお話では、別の面が強調されているように感じましたが
活字からの方が、子育てに対するあたたかな思いが伝わってきました。

きっと、先生の内面のお気持が、行間から感じられたのかもしれません。

今井芳昭著「影響力を解剖する  依頼と説得の心理学」

どのように表現すればよいのか、難しいんですけれど…
いろいろな意味で、考える点が多々ありました。

自分自身が子どもや他の人に与えている影響や

自分自身が、他の方々から受けている様々な影響などを考えたり振り返る
とても、良いきっかけになりました。

林義樹著「参画教育と参画理論-人間らしい『まなび』と『くらし』の探求-」
(2001.9.2に書かれた「まえがき」のなかの最後の言葉を引用しておきます。

『 いよいよわが国でも自然科学の分野だけでなく、人文科学・社会科学の分野においても独創的な実践・研究・開発が求められる時代の幕が開く。本書は小なりといえども社会全般に適用可能な一般理論の構築を目指した教育学からのチャレンジの中間報告だと考えていただきたい。本書のこのメッセージが、これから自己の存在証明として、独自のフィールドを開拓し、そこから独自の技術(わざ)や理論(すじみち)を創出しようと歯を食いしばっておられるあなたの心に届くことを願ってやまない。』とても力強いお言葉に感じました!)

*末田清子/福田浩子著「コミュニケーション学その展望と視点」

(「非言語コミュニケーション」や14章の「異文化間トレーニング」について
興味深く感じました。

参考までに、柳瀬陽介氏の「英語教育の哲学的探究2」の記事をご紹介しておきます。)

【カテゴリー2】

日経サイエンス4月号「特集:進化する進化論『種の起源』から150年」

(購入したいなぁ…と想いつつ、図書館に行くたびに読んでいるところです。)

三中信宏著「系統樹思考の世界 すべてはツリーとともに」

(日経サイエンスの中での茂木先生との対談が、とてもオモシロくって
早速、図書館で見つけて借りました。

私と同じ1958年生まれの方で(一学年上?)

「あとがき」の前の「大団円―おあとがよろしいようで……」のお話のリズム感
私の大好きな…雰囲気を漂わせていらっしゃるような気がします。(以下引用)

『…分類思考と系統樹思考は互いに相矛盾する世界観であり同一の思考平面で両立することは不可能です。しかし、分類思考は認知心理的な感性であるのに対し系統樹思考はアブダクションとしての推論であるとみなしてしまえば同一の人間がある場面では分類思考者であり別の場面では系統樹思考者であるというのはけっして衝突することはないでしょう。
 いきものとしてのヒトの思考様式や認知傾向そして推論形式には人間進化の過程で獲得されたさまざまな特性が残存しているはずでその系譜の末端に位置するあなたにも、そういう一見互いに相容れないような感性や心理や確信がいっしょに混ざっているはずです。
 本書では、読者のあなたに「系統樹」というキーワードによってどれほど新しい視点や切り口が見えてくるのか、今まであなたがよく知っていると思っていた世界がどういうふうに違って見えてくるのかという点を強調して話を進めてきました。あまりにも多くの話題を盛り込みすぎたのではないか、もっとテーマを絞った方がいいのではないかとあなたは感じたかもしれません。しかし、論点をしぼって自己規制しても愉しいことは何もないのです。ほんとうに意外なこと、気がつかなかったこと、誰もが見ているのに視野に入らないことを見つけていくというのがサイエンティストである私の生き甲斐みたいなものです。本書を通じて「サイエンティストである私」の日々のささやかな楽しみ、そして世界との向き合い方を感じ取ってもらえれば幸いです。』

…どうも、どこかの誰かさんの書いていることに、
どこかしら似ているような気がしませんか???

【カテゴリー3】

(結局、全部は読み終わらないまま、返却期限を過ぎてしまいましたけれど…)

平山正実著「死生学とはなにか」
 (私には、とても身近な言葉で語られているように感じました。
  できれば手元に置きたい本です。)

*島薗進・永見勇監修「スピリチュアリティといのちの未来」

(様々な分野について深く研究なさっている方々の、
ある意味で先見性も感じられるようなお話です。またいつか…きっと)

*東京大学出版会「死生学」のシリーズ
(借りたのは「[4]死と死後を巡るイメージと文化」です。(以下引用)

『 死生学が求められているのは医療関係の現場からだけではない。教育現場でも死生観教育(デスエデュケーション)への要望があり、こどもたちに「いのちの尊厳」について教えることを求める声がある。そもそも現代人は死に向き合うすべを見失って途方に暮れているように見える。』(引用ここまで)


難しいけれど避けては通る事のできない課題ですし
教育の中でどのように扱うのか?さらに難しさを感じますが…大切でしょうね。

城山三郎著「そうか、もう君はいないのか」(言葉になりません…)

【カテゴリー4】

*伊藤公雄/牟田和恵編「ジェンダーで学ぶ社会学」

岩崎久美子中野洋恵編著「私らしい生き方を求めて * 女性と生涯学習」 

*諸橋泰樹著「ジェンダーの語られ方、メディアのつくられ方」

      「ジェンダーとジャーナリズムのはざまで」 

(諸橋先生には、2度程、学生さんの読書会の際にお目にかかったことがあるのと
とても気さくな雰囲気をお持ちでいらしたので、とても身近に感じられます。

ただし…元々私自身が「女らしく」とか「女だから…」ということを
あまり(ほとんど?)強く意識せずに、ここまで生きてきた傾向が強いので

この範疇については、もう少し実体験や具体的なことを観る必要がありますし
私なりの言葉が見つかるまでには、もう少し時間がかかるような気がしています。

【カテゴリー5】

(一番、言葉にしにくい分野のお話かもしれませんけれど…)

*河合隼雄 中沢新一共同編集「私とは何か」

(9名の様々な方のお話が伺えました。

中沢新一氏河合隼雄先生チカップ美恵子氏のお話が、私には心に残りました。)

*本田哲郎著「続小さくされた者の側に立つ神」

(宗教としての視点だけでなく「人としての言葉や行い」について考えています。

一昨日の「プロフェッショナル仕事の流儀」で取上げていた

奥田知志氏に通ずるものが感じられます。)

茂木健一郎著「今、ここからすべての場所へ」

もう3年前になりますが、雑誌「風の旅人」で「子供の領分を守り抜く意思」

「それでも春には希望を抱き」を読んだ頃のことが思い出されます。

なんといっても、私のハンドルネームの風待人のきっかけは
「風の旅人」から連想して

「旅」には出たいけれど…なかなか想うようには行けないなぁ

⇒旅への誘いに憧れつつ、すっくと立っている「一本の樹」をイメージして
「風を待つ人」という名前にしたんです!

表紙の絵を書かれた方の作品を、観に行ったこともふと思い出されて

大切に、ゆっくりと味わいながら…読ませていただいております。

次は…「涙の理由」も、とても楽しみにしています!

*山本周五郎著「季節のない街」

(『私の一冊…』で、西原理恵子さんがご紹介になっていました。

高校生の頃、山本周五郎作品は、好きで読んでいましたが
時代物が主でしたので、コチラは、まだ読んでいませんでした。

「街を行く電車」や「親おもい」に出てくる人々の姿、
特に、母親に自分が重なってしまったり
その時の子どもの気持ちを想うと、いたたまれない気持が湧いてきましたけれど

その人々に向ける作者の目線が、「清濁併せ呑みながら…」も
あたたかく、そしてかぎりなく優しくて…言葉に詰まってしまいます。)

『 「季節のない街」…登場する人物、出来事、情景など全て私の目で見、耳で聞き実際に接触したものばかりであって、「青べか物語」と同様、素材ノートの総ざらえといってもいいくらいである。
 ―このノートを小説として再現しながら、作中の人物のひとりひとりに私は限りない愛着となつかしさを感じた。この人たちはかつて私の身ぢかに生きていたのであり、かれらの笑い声や、嘆きや怒りや、啜り泣く声が、いまふたたび私のところに帰ってきたのである。それを歪曲することなくできるだけあったままに私は写し取っていった。
 そしてまた、これらの人たちは過去のものであるが、現在もなお、読者のすぐ身ぢかにあって、同じような失意や絶望、悲しみや諦めに日を送っている人たちがある、ということを訴えたいのである。
 それゆえ「ここは時限もなく地理的限定もない」ということを記しておきたい。それは年代も場所も一定ではないのである。ではなぜこの「街」という設定をしたかというと、年代も場所も違い、社会状態も違う条件でありながら、ここに登場する人たちや、その人たちの経験する悲喜劇に、きわめて普遍的な相似性があるからであった。』(引用ここまで)

作者のまなざしと姿勢に、教えられることがたくさんあって
さらに日頃の自らの至らなさも、見えてくるような気がしました。


こんな自分でも…今いるこの街、この世界で、生きている実感を味わいながら

もう少しの間、皆様とこんなふうにお話をすることができますように~!!


おかげさまで、先ほどkirikouが
朝のお日さまのヒカリが降り注ぐ中を、学校への階段を登っていきました。



横浜の空も、気持のよい快晴デス!!


風の吹きすぎていく音が、耳元に届きました。



皆様おひとりおひとりの想いが、カタチとなって生き生きと動き出しますように!



      お気持の柔らかなお健やかな佳き一日をお過ごしくださいね!!



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