
2時間目の体育は、予定表には「バトンリレー」の練習と書いてありましたけれど
体育館でのマット運動になったようでした。
授業も終わって、外に出てくるクラスメートの女の子に声をかけると…
kirikouを呼びに行ってくれました。
結局、まだ「家庭科の材料の確認」を先生にしていなかったようで
同じ班の子に聴いたりして、卵は予め持って行っていましたけれど
「スクランブルエッグ5人分に必要な牛乳」の係だったとのこと。
よく知っている子どもたちばかりですから
「残ったら、もらって飲んで良い?」などと、言っていますので
もう一度、kirikouに「それじゃぁ、どうするの?」と確認して
500ml位を持って、昇降口で待ち合わせることにいたしました。
全く、まだまだ…なかなか…ですけれど
少しずつでも、自分で何とかできるように、していけますように!
母親の「手のかけ加減」も、どこまで引いて、どこまで手をかければ良いのやら?
本当に、「自立を目指して」当分の間は、悩みは尽きませんね~!!
「一人で、放りだす」というより、
「一人で、何とかやってみよう」と想えるような声掛けができたら良いなあと
いつも、想っているんですけれど。
ところで、いつもお邪魔しているブログ『雑念する「からだ」』のRYO様の
「遠野のわらべ唄」のお話を、先日大変興味深く読ませていただきました。
早速、ご紹介のあった
阿部ヤエさんの「遠野のわらべ歌の語り伝え3知恵を育てる唄」というご本を
図書館から借りました。(以下引用)
『遠野のわらべ歌の種類
わらべ歌を役割別に大きく分類すると、遊び唄、呼びかけの歌、はやし唄、子守唄の四つに分けることができます。…遊び唄は、子どもが遊びをとおして体をつくり、社会性を育てます。…呼びかけの唄は、子どもが自然と遊び、自然から学んで心を育てます。
これから述べます「はやし唄」は生きるための知恵を育てます。生きていく時、何を大事ににするかというとそれは恥を知ることです。恥とはどういうことかということを、子どもが言葉をつかって遊ぶなかで、体験させて分からせるための歌がはやし唄です。(中略)
はやされることは、自分の欠点を教えてもらうことです。親に言われても甘えがあるからなかなかすぐには直しませんが、子ども同士ではやしあうと「負けたくない」という気持ちが働くから、はやされたら欠点になることは、やらなくなるので、自然に良い子になったのでした。大人は、それを見ていればよかったのです。
』(引用ここまで)
本文の中でおっしゃっていることも、子どもたちをよく見ていらっしゃるからこその
お話が語られていて、とても興味深く感じました。
阿部さんのお歳は、ちょうど私の母と一つ違いくらいですから…
「昭和のほとんどと、平成の時代」を、生きていらした方なんですね。
さらに「恥」という言葉の使い方が、とっても良い意味にとらえられていて
面白く感じました。
最近は、カタカナで「ソーシャルスキル」とか申しますけれど
もしかすると、はやし唄や子どもたちの遊びを通して
「日本人が社会で生きる時の知恵や工夫」が、
小さい子どもの頃からのやり取りの中で、共有されていたのかもしれません。
まずは、東西の知恵を上手に生かしながら、色々学ばせて頂こうと想っています。
ただ、私としては…
「人の心は、ある面では変わらない」ところもあるかもしれないけれど…
たぶん変わっていくことを、止めることはできない…
良い意味で「変化しうるところが、その特性なのではないかなぁ…」とは
思いますけれど。
どちらにしても、
できれば、子どもたちものびのびと健やかに、育っていって欲しいモノですね!
何事も「良い加減のスタンス」が許される場合と許されない場面がありますので
その時々の、状況判断をしながら、一つずつ実際の体験を繰り返して
子どもも親も、それぞれに大切なやり方を身につけていけたら良いですね!
さぁ~て、これからもう少し「朗読の講座」の練習をいたしましょう!
課題は、坂口安吾作「桜の森の満開の下」です。
ひとのこころのあり様を、言葉で描き出すことのできる作家という方々の
その心の中を、是非とも観てみたい…と、皆様はお想いになりませんか???
体育館でのマット運動になったようでした。
授業も終わって、外に出てくるクラスメートの女の子に声をかけると…
kirikouを呼びに行ってくれました。
結局、まだ「家庭科の材料の確認」を先生にしていなかったようで
同じ班の子に聴いたりして、卵は予め持って行っていましたけれど
「スクランブルエッグ5人分に必要な牛乳」の係だったとのこと。
よく知っている子どもたちばかりですから
「残ったら、もらって飲んで良い?」などと、言っていますので
もう一度、kirikouに「それじゃぁ、どうするの?」と確認して
500ml位を持って、昇降口で待ち合わせることにいたしました。
全く、まだまだ…なかなか…ですけれど
少しずつでも、自分で何とかできるように、していけますように!
母親の「手のかけ加減」も、どこまで引いて、どこまで手をかければ良いのやら?
本当に、「自立を目指して」当分の間は、悩みは尽きませんね~!!
「一人で、放りだす」というより、
「一人で、何とかやってみよう」と想えるような声掛けができたら良いなあと
いつも、想っているんですけれど。
ところで、いつもお邪魔しているブログ『雑念する「からだ」』のRYO様の
「遠野のわらべ唄」のお話を、先日大変興味深く読ませていただきました。
早速、ご紹介のあった
阿部ヤエさんの「遠野のわらべ歌の語り伝え3知恵を育てる唄」というご本を
図書館から借りました。(以下引用)
『遠野のわらべ歌の種類
わらべ歌を役割別に大きく分類すると、遊び唄、呼びかけの歌、はやし唄、子守唄の四つに分けることができます。…遊び唄は、子どもが遊びをとおして体をつくり、社会性を育てます。…呼びかけの唄は、子どもが自然と遊び、自然から学んで心を育てます。
これから述べます「はやし唄」は生きるための知恵を育てます。生きていく時、何を大事ににするかというとそれは恥を知ることです。恥とはどういうことかということを、子どもが言葉をつかって遊ぶなかで、体験させて分からせるための歌がはやし唄です。(中略)
はやされることは、自分の欠点を教えてもらうことです。親に言われても甘えがあるからなかなかすぐには直しませんが、子ども同士ではやしあうと「負けたくない」という気持ちが働くから、はやされたら欠点になることは、やらなくなるので、自然に良い子になったのでした。大人は、それを見ていればよかったのです。
』(引用ここまで)
本文の中でおっしゃっていることも、子どもたちをよく見ていらっしゃるからこその
お話が語られていて、とても興味深く感じました。
阿部さんのお歳は、ちょうど私の母と一つ違いくらいですから…
「昭和のほとんどと、平成の時代」を、生きていらした方なんですね。
さらに「恥」という言葉の使い方が、とっても良い意味にとらえられていて
面白く感じました。
最近は、カタカナで「ソーシャルスキル」とか申しますけれど
もしかすると、はやし唄や子どもたちの遊びを通して
「日本人が社会で生きる時の知恵や工夫」が、
小さい子どもの頃からのやり取りの中で、共有されていたのかもしれません。
まずは、東西の知恵を上手に生かしながら、色々学ばせて頂こうと想っています。
ただ、私としては…
「人の心は、ある面では変わらない」ところもあるかもしれないけれど…
たぶん変わっていくことを、止めることはできない…
良い意味で「変化しうるところが、その特性なのではないかなぁ…」とは
思いますけれど。
どちらにしても、
できれば、子どもたちものびのびと健やかに、育っていって欲しいモノですね!
何事も「良い加減のスタンス」が許される場合と許されない場面がありますので
その時々の、状況判断をしながら、一つずつ実際の体験を繰り返して
子どもも親も、それぞれに大切なやり方を身につけていけたら良いですね!
さぁ~て、これからもう少し「朗読の講座」の練習をいたしましょう!
課題は、坂口安吾作「桜の森の満開の下」です。
ひとのこころのあり様を、言葉で描き出すことのできる作家という方々の
その心の中を、是非とも観てみたい…と、皆様はお想いになりませんか???