「ははの自由時間」に観てきた、映画「島ノ唄」のお話をしてみようと思います…
その映画にたどり着いたのは、思えば不思議な“えにし”に引かれて…
いたようにも思えます。
そして、いまでも、ずっとず~っと
そのことが、私の中で漂いつづけているような感覚でしょうか?
何がそんなにも、私をとらえて離さないのでしょうか?
もしかしたら、答をみつけることよりも
ただ、ひたすらに、その問を発すること…
湧き上がるもの、そのものに素直に向き合っていくこと…
いまは、それでいいような…気がしています。
目を閉じて、どこかこころの奥のほうから浮かんでくるもの、湧き上がってくることに
耳を澄ませ、目を凝らしてみると…
詩人吉増剛造さんが、写真機を手に船の上から海を眺めています。
背後には、曇り空と緑の木々が美しい島の風景が、見えています。
この映像に、どうしようもないくらいの懐かしさがこみ上げてきました。
けれど、はじめて観たとき、その懐かしさの理由には気づかなかったと思います。
いつからか、何度かその映像を思い浮かべるうちに
「あ~~、そうだ!アノとき、感じた風景にそっくりだ~!!」と
どこかに、ストンと落ち着くように、私にとってのその「島のキオク」がよみがえりました。
20歳を超える頃から結婚するまでの数年間、可能な時に可能な限りの範囲で
日本のあちらこちらを、旅しました。
学生の頃は、もちろん、その後もほとんど、ひとりで気ままに歩くことが多く
仕事を始めて、職場の同い年の女性と四国や北海道を旅行したのと
妹と一緒に出かけたバリ島ツアーが、かえって珍しいくらいです。
それにしても、特別な理由など、ほとんど思い出すこともできず
なぜ、その土地を選んだのかも定かでなく
けれど、長いお休みが取れるとなると
どうしようもないくらいに、その「旅に出たい」という思いに駆られてしまい
どこかその土地へ、出かけないではいられないような…
いまになって、思い起こしてみると、そんなふうにして旅にいざなわれていた…
ような気がします。
そして、もう記憶の中にしか、それも、表面には見えない深いところにあった
その「島のキオク」は、おそらく8月末の夏も終わりに近い佐渡に行った時のものでした。
ほんとうに記憶がボヤケていて、よく思い出せなくなっています。
往きは、新潟からフツウの船にゆられて、時間をかけてわたり
アノ風景を見たのは、朝のはじまりの頃、もうすぐ島に着くというシチュエイションだったと思います。
着いた時は、雨上がりで、急に日差しが強くなって
佐渡にある大きなお寺を歩いた頃は、何だかとても蒸し暑く感じたと思います。
佐渡には、2泊か3泊したはずで、観光名所になっている金山を見たり
たらい舟の有名な、港のあるところと
島の先端のほうの大野亀という場所の民宿に泊まりました。
いま、振り返ってみると
自然の風景の美しいところ…海や山や河のあるところ
歴史の何かが残された、そこに昔の人々の生きていた何かが感じられるところ
お寺や神社、そのほか様々な人々の生きているところ
を見るのが、なぜだか好きだったんでしょうか?
日本の中だけでも、その土地その土地ならではの、歴史や人の暮らしようがあるらしく
ほんの数日、数時間の滞在で、その何ものかがわかるなどともいえないけれど
それでもなお、自分の足でその地を歩き、何かを観て、何かを感じ、何かを想ったことは
不思議なくらい、深いところで、その時の自分の中に取り込まれて、残っているもののようです。
きっと小さい頃の記憶も、そんな風にして
すぐには、手にとって見たり触ったりはできなくても
しっかりと、こころの中に刻み込まれているのかもしれませんね…
さて、他にも鮮明に記憶に残っている「佐渡の景色」がいくつかあります。
先ほどお話した「大野亀」というところは、ほんとうに島の先端部にあり
少し季節をはずれていたために、途中から乗るはずだった路線バスが走っておらず
島の外側の道路をテクテクと歩いていくことになりました。
当時は、若かったとはいえ、まだまだ暑くて、フーフー言いながらも
まぁ、日の落ちるまでに着けばいいっか、という暢気さも手伝って
海を眺めたり、汐風に吹かながら、ゆっくり休み休み、向かいました。
青空と海の境目が、はっきりとあるような、それでいてしっかりとつながっているような…
おそらく入道雲が、モクモクと湧き上がるような景色を道連れに
シアワセな時間を、感じていたと思います。
(そうです、きっと今日のような夏空に、まぶしいくらいの太陽の光がみちあふれていて
クラクラと、めまいがしそうな明るさだったのでしょうね…)
どのくらいの時間歩いたのかも、思い出せません。
その日、泊まる予定の「大野亀」に着いたのは、おそらく夕方近くなってからで
けれど、そのあたりの岩やら景色をゆっくり眺める時間は、十分にあったと思います。
そして、時刻も定かではありませんが、その大野亀から見えた夕焼けは
どうにも私の表現力では、言葉にできないくらいの
ほんとうに、ほんとうに 『うつくしいもの』 でした。
その頃は、女の子にも扱いやすい一眼レフを持って旅に出かけておりましたので
何枚も写真を撮ったと思います。
結婚前の荷物を探し出してきたら、どこかのアルバムの中に入っているはずです。
これほどの時を経ても、いつしか忘れかけていても、ふと思い出したなら
もう、こころがふるえるほどの、何かが呼び覚まされるほどの
『うつくしいもの』が、こんなところにあったんですね…
…それにしても、こんなことを思い出していたら
とうてい映画のお話まで、たどり着きそうにもありません。
こんなふうに、私にとっての「島のキオク」は
まだどこかに、つながっていくのかもしれません…
あらためて、もう少しその続きをさせていただいてもいいですか?
その映画にたどり着いたのは、思えば不思議な“えにし”に引かれて…
いたようにも思えます。
そして、いまでも、ずっとず~っと
そのことが、私の中で漂いつづけているような感覚でしょうか?
何がそんなにも、私をとらえて離さないのでしょうか?
もしかしたら、答をみつけることよりも
ただ、ひたすらに、その問を発すること…
湧き上がるもの、そのものに素直に向き合っていくこと…
いまは、それでいいような…気がしています。
目を閉じて、どこかこころの奥のほうから浮かんでくるもの、湧き上がってくることに
耳を澄ませ、目を凝らしてみると…
詩人吉増剛造さんが、写真機を手に船の上から海を眺めています。
背後には、曇り空と緑の木々が美しい島の風景が、見えています。
この映像に、どうしようもないくらいの懐かしさがこみ上げてきました。
けれど、はじめて観たとき、その懐かしさの理由には気づかなかったと思います。
いつからか、何度かその映像を思い浮かべるうちに
「あ~~、そうだ!アノとき、感じた風景にそっくりだ~!!」と
どこかに、ストンと落ち着くように、私にとってのその「島のキオク」がよみがえりました。
20歳を超える頃から結婚するまでの数年間、可能な時に可能な限りの範囲で
日本のあちらこちらを、旅しました。
学生の頃は、もちろん、その後もほとんど、ひとりで気ままに歩くことが多く
仕事を始めて、職場の同い年の女性と四国や北海道を旅行したのと
妹と一緒に出かけたバリ島ツアーが、かえって珍しいくらいです。
それにしても、特別な理由など、ほとんど思い出すこともできず
なぜ、その土地を選んだのかも定かでなく
けれど、長いお休みが取れるとなると
どうしようもないくらいに、その「旅に出たい」という思いに駆られてしまい
どこかその土地へ、出かけないではいられないような…
いまになって、思い起こしてみると、そんなふうにして旅にいざなわれていた…
ような気がします。
そして、もう記憶の中にしか、それも、表面には見えない深いところにあった
その「島のキオク」は、おそらく8月末の夏も終わりに近い佐渡に行った時のものでした。
ほんとうに記憶がボヤケていて、よく思い出せなくなっています。
往きは、新潟からフツウの船にゆられて、時間をかけてわたり
アノ風景を見たのは、朝のはじまりの頃、もうすぐ島に着くというシチュエイションだったと思います。
着いた時は、雨上がりで、急に日差しが強くなって
佐渡にある大きなお寺を歩いた頃は、何だかとても蒸し暑く感じたと思います。
佐渡には、2泊か3泊したはずで、観光名所になっている金山を見たり
たらい舟の有名な、港のあるところと
島の先端のほうの大野亀という場所の民宿に泊まりました。
いま、振り返ってみると
自然の風景の美しいところ…海や山や河のあるところ
歴史の何かが残された、そこに昔の人々の生きていた何かが感じられるところ
お寺や神社、そのほか様々な人々の生きているところ
を見るのが、なぜだか好きだったんでしょうか?
日本の中だけでも、その土地その土地ならではの、歴史や人の暮らしようがあるらしく
ほんの数日、数時間の滞在で、その何ものかがわかるなどともいえないけれど
それでもなお、自分の足でその地を歩き、何かを観て、何かを感じ、何かを想ったことは
不思議なくらい、深いところで、その時の自分の中に取り込まれて、残っているもののようです。
きっと小さい頃の記憶も、そんな風にして
すぐには、手にとって見たり触ったりはできなくても
しっかりと、こころの中に刻み込まれているのかもしれませんね…
さて、他にも鮮明に記憶に残っている「佐渡の景色」がいくつかあります。
先ほどお話した「大野亀」というところは、ほんとうに島の先端部にあり
少し季節をはずれていたために、途中から乗るはずだった路線バスが走っておらず
島の外側の道路をテクテクと歩いていくことになりました。
当時は、若かったとはいえ、まだまだ暑くて、フーフー言いながらも
まぁ、日の落ちるまでに着けばいいっか、という暢気さも手伝って
海を眺めたり、汐風に吹かながら、ゆっくり休み休み、向かいました。
青空と海の境目が、はっきりとあるような、それでいてしっかりとつながっているような…
おそらく入道雲が、モクモクと湧き上がるような景色を道連れに
シアワセな時間を、感じていたと思います。
(そうです、きっと今日のような夏空に、まぶしいくらいの太陽の光がみちあふれていて
クラクラと、めまいがしそうな明るさだったのでしょうね…)
どのくらいの時間歩いたのかも、思い出せません。
その日、泊まる予定の「大野亀」に着いたのは、おそらく夕方近くなってからで
けれど、そのあたりの岩やら景色をゆっくり眺める時間は、十分にあったと思います。
そして、時刻も定かではありませんが、その大野亀から見えた夕焼けは
どうにも私の表現力では、言葉にできないくらいの
ほんとうに、ほんとうに 『うつくしいもの』 でした。
その頃は、女の子にも扱いやすい一眼レフを持って旅に出かけておりましたので
何枚も写真を撮ったと思います。
結婚前の荷物を探し出してきたら、どこかのアルバムの中に入っているはずです。
これほどの時を経ても、いつしか忘れかけていても、ふと思い出したなら
もう、こころがふるえるほどの、何かが呼び覚まされるほどの
『うつくしいもの』が、こんなところにあったんですね…
…それにしても、こんなことを思い出していたら
とうてい映画のお話まで、たどり着きそうにもありません。
こんなふうに、私にとっての「島のキオク」は
まだどこかに、つながっていくのかもしれません…
あらためて、もう少しその続きをさせていただいてもいいですか?
佐渡ヶ島ですか…今でも自然がたっぷり残ってると聞きましたが、きっと当時はもっとだったでしょう…?写真が残っているようなら、スキャナで取り込みして…見せていただけませんか?ぜひお願いします!
僕も自分なりの光景(美しいとは限らないかもしれませんが)を探して…がんばってみます。
私も一人旅が好きでよく一人旅をしていました。
高校時代にバイクで一人旅した北海道で、最後の晩に一緒にツーリストトレイン(客車を素泊まりできるように改造した一泊五百円の宿)に泊まった旅行者たちと、フェリーで東京へ向かう人たちを毎日順々に送り出す「見送り壮行会」があったのを思い出します。
自分の出発のとき、別れのテープ代わりに、フェリーのトイレから拝借したトイレットペーパーをバンバン港に向かって投げ、別れの場面を盛り上げようと思ったら、次々ミシン目で切れて結局ただ港に向かってトイレットペーパーを捨てているだけだった(笑)、というのも今となってはいい思い出です。(環境破壊ゴメンナサイ!)
少なくとも、当時は何の意識もせずに、ウロウロしていたような気がします。
今になって、なんとなく「そういうこともあるのかしら・・・」と感じ始めていますけど。
『感性』というものは・・・まだよくわかりません。
きっと、若い頃は、それを表現して誰かに伝えるという発想が
まったくといっていいほど、なかったのかもしれません・・・
今頃になって、拙いなりに
それを誰かと共有したいと思えるようになったんでしょうね・・・
理由付けすると、かえってつまらないものになるのかなぁ・・・
『自分なりの光景』と出会うために、人は旅をするのでしょうか?
RYO さま
バイクで一人旅・・・青春そのもの・・・のイメージですね!!
耳元には、誰の歌が聴こえているのでしょうか・・・
尾崎豊さん・・・B’z ・・・佐野元春さんは、ちょっとちがうかしら・・・
男の子の好みは、よくわかりません・・・
私は、ミスチルが、結構好きなんですけど・・・
「見送り壮行会」も、いいですね。
その頃って、なんだか訳もなく
そんなことでも、大盛り上がりできる・・・エネルギーが一杯ですよね!
RYOさまは、実際の年齢もまだお若いんでしたっけ?
いま、雷鳴と稲光が・・・雨もはげしく降っています。
ふと懐かしさに誘われて・・・
あなたのいらした場所を、訪ねてみました・・・
どこかで、私のことを想い出してくださいますか?
わたしも、きっと、ふと何かの折に、想っていますから・・・
お近くにいらした方の、コメントを(無断ですが)
ここに書き残しておくことを、お許しくださいね・・・
あめつちに われひとりゐてたつことく
このさみしさを きみはほほゑむ
貴方が大好きだったこの会津八一の句、夢殿の救世観音の前で歌った句だとか。
そんなことを教えていただきましたね。又ふっと貴方のことを思い出されました。
皆さんの想いが、きっとあなたのもとにも届いていますね・・・
もう、あなたのお言葉や絵に触れることはできませんが
こころに、きっと焼きついて
消すことなど、どうにもできそうにありませんもの。
ホントウの独り言で、スミマセンけれど・・・
どうしても、どうしても、これだけは書いておきたかったので。
学生時代に、早く夕陽沈めてね、なんて言われてました!?
その人は、何と夜の闇の饒舌な事でしょう、なんて言ってましたっけ!?おはようございます、ぬけぬけと、またもや貴方様に甘えてしまっております。すいません。
今度は夕陽から朝陽に挑戦する覚悟は有るのですが何せ私も
寄る歳並には勝てなくてv(^_^)
失礼いたしました、本当にありがとうございます。
追伸 いつの間にか 夕方と朝方の間の夜は終わっておりました。笑い爆笑。。。。。
色っぽいお話は、どちらかというと苦手分野なんですけれど
でも、お気持ちをどこかに出せると
きっとどこかがほぐれてくるような気がいたします。
私自身、肩に力が入りすぎてしまうので・・・
上手にわらいとユーモアを、交えたお話ができるといいなぁと
思っています。
お話のおもしろい男の方は、結構おもてになるでしょうね・・・
今日は、朝からカミナリ、雨、青空とお天気も
私のこころのありようも、めまぐるしく変わっているようです・・・
テルーの唄に、また涙があふれてきたり・・・こんな一日もあるんですね・・・