昨日、好天に恵まれて、無事スポーツフェスティバルが行われました。
3年目の今回は、初めて雨のため順延になり、平日の開催になりました。
kirikou は、前もって予行練習などをしていれば
行事だからといってそれほど緊張することはないほうなので
普通に支度さえできれば、大丈夫のはずでした。
けれど、また少し落ちんでいる様子を見せているので、確かめてみると
応援に使う鳴りものの製作が、まだ終わっていないとのことで
「何で、今頃になって言うの?」と言ってはみたもののも
仕方がないので、早く行って、仕上げるように言いました。
けれど、まだ「どうしよう・・・」と言って“ダンゴムシのポーズ”
(と、ウチでは呼んでいるひざをかかえて丸くなる形)になってしまいました。
「とにかく支度だけして学校に行ったら
お母さんが後から行って、一緒に手伝ってあげるから
とにかくあきらめずにやろう」と言って、何とか送り出しました。
先に教室に着いて着替えをしていたので、私が行ってから
知っている女の子にも声をかけて、手伝ってもらいながら
何とか仕上げたところへ、担任の先生がいらっしゃいました。
私は、ご挨拶だけして、すぐに帰りました。
実は、昨年の担任の先生は、一週間の予定表やお手紙などを
ほんとうに丁寧にお知らせくださっていて
子どもも親も、見とおしが立って、とても助かっていました。
今回は、自分で連絡帳に、記入してくることになっており
一応、今のところきちんと書いてきてはいましたが
このところ、製作などの期限や持ち物の連絡自体を忘れたり
私に伝えることを、忘れてしまうことが増えていました。
二通りの考え方があって、
あまり至れりつくせりだと本人の自覚をもちにくいともいえますが
不注意や忘れてしまうという特性から考えると
やはり、できればその都度本人に確認したりすることや
本人が、忘れにくいような声賭けなどの手立てが必要だと思います。
ということで、お昼休み前に担任の先生にお目にかかったときに
手短に、その経緯をお話して
「チョッと忘れ物や作業の遅れ等が、増えているので
時々、kirikou を、ツンツンと刺激して確かめていただけますか?」と
さりげなく(?)お願いしておきました。
さて、ラジオ体操、応援合戦に続いて、早速3年生の80m走があります。
2組目に走りましたが、一応、朝ごはんもきちんと食べていましたので
がんばって走って2位になりました。
(朝、時間がなくて少ししか御飯を食べずに行くこともあるので・・・)
その後、3年生は未就学児とのふれあい種目に出場し
いよいよ3・4年生合同の団体演技の「○○ソーラン」です。
kirikou は、幼稚園の時も発表会の踊りなども
ほとんど嫌がることなく、いつも楽しそうにやっていましたので
今までに、こういう団体競技のときに苦労することは、あまりありませんでした。
「ソーランは、結構きついんだよ~」と言いながら
家でも時々練習していましたので、ほんとうに一生懸命踊っていました。
なんだか我が子ながら『カッコよく見える』なんて
やっぱり、親バカそのものということでしょうか?
お昼の給食をはさんで、午後も3・4年生がペアになって行う団体競技がありました。
それにしても、運動会では、まだ入学したての1年生の可愛らしさと
5・6年生の応援合戦や騎馬戦、いろいろな進行係をする
ほんとうに、たくましい大きな姿の両方を見ることができて
子どもの成長というものの、不思議さと素晴らしさをつくづく感じることができますね。
5・6年生の団体競技も、みんなの努力と協力と意気込みの伝わってくる素晴らしいもので
今年は、知っている6年生の子もいるので、自分の子どもが出ていなくても
思わず、見ながら涙があふれてきてしまいました。
最後の高学年リレーも、とても盛り上がって、みんなで大きな声援を送りました。
ほんとうに子どもたちみんなが、一生懸命うち込む姿は
たとえ一番にならなくても、苦手な競技があってもキラキラと輝いていて
その充実した達成感にあふれる笑顔を見ることができて
私も、ほんとうにうれしかったです。
帰りがけに、「ほんとうに良くがんばったね!
ソーラン、スゴ~くカッコよかったよ!」とkirikouに言いましたら
いつにもまして、うれしそうな「やった~!」という表情をしました。
今年も、kirikou の笑顔の記念写真ができました・・・
こうして、らせん階段を一廻りして
一歩ずつステップを登ってゆくものなのかもしれませんね・・・
3年目の今回は、初めて雨のため順延になり、平日の開催になりました。
kirikou は、前もって予行練習などをしていれば
行事だからといってそれほど緊張することはないほうなので
普通に支度さえできれば、大丈夫のはずでした。
けれど、また少し落ちんでいる様子を見せているので、確かめてみると
応援に使う鳴りものの製作が、まだ終わっていないとのことで
「何で、今頃になって言うの?」と言ってはみたもののも
仕方がないので、早く行って、仕上げるように言いました。
けれど、まだ「どうしよう・・・」と言って“ダンゴムシのポーズ”
(と、ウチでは呼んでいるひざをかかえて丸くなる形)になってしまいました。
「とにかく支度だけして学校に行ったら
お母さんが後から行って、一緒に手伝ってあげるから
とにかくあきらめずにやろう」と言って、何とか送り出しました。
先に教室に着いて着替えをしていたので、私が行ってから
知っている女の子にも声をかけて、手伝ってもらいながら
何とか仕上げたところへ、担任の先生がいらっしゃいました。
私は、ご挨拶だけして、すぐに帰りました。
実は、昨年の担任の先生は、一週間の予定表やお手紙などを
ほんとうに丁寧にお知らせくださっていて
子どもも親も、見とおしが立って、とても助かっていました。
今回は、自分で連絡帳に、記入してくることになっており
一応、今のところきちんと書いてきてはいましたが
このところ、製作などの期限や持ち物の連絡自体を忘れたり
私に伝えることを、忘れてしまうことが増えていました。
二通りの考え方があって、
あまり至れりつくせりだと本人の自覚をもちにくいともいえますが
不注意や忘れてしまうという特性から考えると
やはり、できればその都度本人に確認したりすることや
本人が、忘れにくいような声賭けなどの手立てが必要だと思います。
ということで、お昼休み前に担任の先生にお目にかかったときに
手短に、その経緯をお話して
「チョッと忘れ物や作業の遅れ等が、増えているので
時々、kirikou を、ツンツンと刺激して確かめていただけますか?」と
さりげなく(?)お願いしておきました。
さて、ラジオ体操、応援合戦に続いて、早速3年生の80m走があります。
2組目に走りましたが、一応、朝ごはんもきちんと食べていましたので
がんばって走って2位になりました。
(朝、時間がなくて少ししか御飯を食べずに行くこともあるので・・・)
その後、3年生は未就学児とのふれあい種目に出場し
いよいよ3・4年生合同の団体演技の「○○ソーラン」です。
kirikou は、幼稚園の時も発表会の踊りなども
ほとんど嫌がることなく、いつも楽しそうにやっていましたので
今までに、こういう団体競技のときに苦労することは、あまりありませんでした。
「ソーランは、結構きついんだよ~」と言いながら
家でも時々練習していましたので、ほんとうに一生懸命踊っていました。
なんだか我が子ながら『カッコよく見える』なんて
やっぱり、親バカそのものということでしょうか?
お昼の給食をはさんで、午後も3・4年生がペアになって行う団体競技がありました。
それにしても、運動会では、まだ入学したての1年生の可愛らしさと
5・6年生の応援合戦や騎馬戦、いろいろな進行係をする
ほんとうに、たくましい大きな姿の両方を見ることができて
子どもの成長というものの、不思議さと素晴らしさをつくづく感じることができますね。
5・6年生の団体競技も、みんなの努力と協力と意気込みの伝わってくる素晴らしいもので
今年は、知っている6年生の子もいるので、自分の子どもが出ていなくても
思わず、見ながら涙があふれてきてしまいました。
最後の高学年リレーも、とても盛り上がって、みんなで大きな声援を送りました。
ほんとうに子どもたちみんなが、一生懸命うち込む姿は
たとえ一番にならなくても、苦手な競技があってもキラキラと輝いていて
その充実した達成感にあふれる笑顔を見ることができて
私も、ほんとうにうれしかったです。
帰りがけに、「ほんとうに良くがんばったね!
ソーラン、スゴ~くカッコよかったよ!」とkirikouに言いましたら
いつにもまして、うれしそうな「やった~!」という表情をしました。
今年も、kirikou の笑顔の記念写真ができました・・・
こうして、らせん階段を一廻りして
一歩ずつステップを登ってゆくものなのかもしれませんね・・・
たくましく成長されているようですね。
「ダンゴムシのポーズ」をとっていたkirikouくんが、
スポーツフェスティバルのあとには「笑顔の記念写真」になって、
本当によかったですね。
周りのサポートを受けながらも
本人が自分で乗り越えた体験は、どんな大家が言った格言・名言よりも、
その人にとって永遠の貴重な財産になるとつくづく感じます。
今回のスポーツフェスティバルの出来事、
私にとっても、心あたたまるエピソードでした。
コメントいただき、ありがとうございます!!
そう言っていただけると、うれしいです。
親の目からは、なかなか客観的になりきれなくて
よくわからないことが多いです。
今のところ、親や先生やお友だちのサポートによるところが大きいと思いますが
少しずつ、本人が自分の特性を意識して
少しずつでも、うまく対応できるようになってほしいですね・・・
たぶん時間は、かかると思いますし
できないこと苦手なことにも、向き合わなくてはいけないので
ツライ部分も出てくるのでしょうし・・・
こんな風に、コメントをいただけると
自分のありようが、とてもクリアに見えてくるような気がして
ほんとうに助かります。
また、ぜひお話をお聞かせください!
「子ども」 ドロシー・ロー・ノルト
批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる
殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる
笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる
皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる
しかし、
激励をうけた子どもは 自信をおぼえる
寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる
賞賛を受けた子どもは 評価することをおぼえる
フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる
友情を知る子どもは 親切をおぼえる
安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる
可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じることを
おぼえる
私も、ドロシー・ロー・ノルトさんは大好きです!
「子どもが育つ魔法の言葉 for the Heart」
(More Magic Words of Parenting)
「10代の子どもが育つ魔法の言葉」
(Teenagers Learn What They Live)の2冊もお勧めですね。
ペアレントトレーニングや親業という
子どもにいかに対応するかというスキルの方法がありますが
ドロシーさんの本には、その姿勢においては、もっと本質的なことを
お話していると思い、私にはとても理解しやすかったです。
どちらがどうと言うことはいえないと思いますが
今の、子どもたちに少なからぬ影響を与えているのは
私たち大人であることは、間違いないと思います。
人に対する思いやりをとっても
大人の私たちが、どれだけ人に優しくできているのか?
それを、子どもたちは、本来の曇りのない眼や感性で感じていると思います。
だからこそ、言葉には表さなくても
疑問を持つこともあるだろうし、嫌だと拒否することもあるし
同じように染まれば、人よりぬきんでるためにがむしゃらになったり
困っている人に目を向ける余裕もなくなるのは当然で
それは、子どものせいにはできないことだと思います。
そういう私自身も、同様にそのありようを問われているわけで
子どもと向き合うことの大切さは、
ドロシー・ロー・ノルトさんのおっしゃるとおりだと思います。
素晴らしい詩をご紹介してくださって
ほんとうにありがとうございます。